アラクネ

文字数 2,142文字

「いい加減、根負けしたわ。今晩私のうちに来て」
幾度も幾度も袖にされた久美子からようやく聞くことができた、色よい返事だった。


 会社の同僚である久美子は、クールを通り越して冷酷無比と言っていいような女だ。眼鏡をかけた知的な顔立ちは端整で美しいが、無表情で普段眉一つ動かすことはない。義理や人情など全く省みることのない、無慈悲という言葉が似合うような仕事ぶり。どこかお高くとまっていて、さもこちらを見下しているかのような人あたり。
 そんな冷淡さの代名詞みたいな女である久美子だが、体つきは非常に蠱惑的だ。ブラウスやスーツをこれでもかと押し上げる、むしゃぶりつきたくなるような豊満な胸。そんな胸におよそ不釣り合い、いや反対に釣り合っていると言っていいくびれた腰つき。タイトスカートに包まれ、歩くたびに揺れ動いて劣情を抱かせる尻。その尻の下でストッキングに包まれる、細くて長い美脚。すれ違った後、ニタニタとした好色な目つきで後姿を見送る男が絶えなかった。

 そんな取り澄ましたクールな女がいやらしい体で仕事をしていれば、当然言い寄ってくる男も少なからずいる。何を隠そう、俺もその一人だ。だが久美子に言い寄った男の誰もが一様に、にべもない返事をもらうだけだった。すなわち、みんな肘鉄を食らっているのである。

 そいつは付き合っている特定の男がいるだけだろう、だって?それは残念ながら、同僚の女性が否定している。何かの折に久美子と世間話をした際、本人の口から「付き合っている人はいない」と言う言葉を聞いたらしいのだ。だから久美子は今独り身のはずなのに、誰の誘いにも乗ることがないのである。
 そういう状況だとわかると、こちらとしても躍起にならざるを得ない。普段冷静沈着なあの久美子が、快楽に溺れる姿を見てみたいというのは、男なら誰しも思うことだろう。俺は今まで以上に攻勢を強め、少々しつっこいくらいに彼女を口説いていった。


 そして今日、やっと久美子は首を縦に振り、上記のような返事を聞くことができた。これが嬉しくないはずがない。終業時間になるまで俺は一切なんにも手をつかぬまま、気だけを逸らせていた。


 やっとのことで仕事から開放され、俺と久美子は会社の外で落ち合って食事をする。相変わらず高飛車で、どこか見下したような口調。そのせいもあってか、ろくに会話も弾まない。だがそれでも構わない。そんな女が、数時間後には俺の腕の中でひいひい言っているのだ。その乱れる様が、快楽を求めるその姿が、最高のコミュニケーションになるはずだ。
 このクールで高慢ちきな女は、どんなはしたない声を上げるのだろう。身持ちの固さから察するに、初めての可能性もあるかもしれない。だとしたらこのあと、男性器を挿入される快感に酔いしれて、一気に女に目覚めるかもしれない……。俺は腹の中でそんなことをつらつらと考えて、久美子にお追従を言うように会話を進めていった。


 食事を終えて、俺たちは久美子の家の玄関を潜る。さあ、お待ちかねの時間だ。

 久美子の寝室には、なにか大きな箱のようなものがベッドの傍らに置かれていた。俺は、特にその箱に注意を払うことなく、先にシャワーを浴びに行く。
 シャワーを浴び終わって待っていると、後からシャワーを浴びた久美子がバスタオル一枚で現れる。俺はその久美子のバスタオルを勢いよく剥ぎ取り、少々乱暴にベッドに押し倒した。

 冷静で狼狽えたことなどない久美子が、どんなふしだらな表情で、どんな痴態を見せるのだろう。食事中の妄想がすっかり発展してしまい、とにかくこのうずいた体を久美子にぶつけたくて仕方がなかった。

 だが、ベッドの上でも久美子は変わらなかった。どれだけ唇を重ね合わせ、抱きすくめ、体の各所を愛撫しても。乳房や尻はもちろん、体の隅々まで、しまいには不浄の穴まで指や舌を這わせても。どこをどんなふうに愛撫をしても、久美子はいつものように平然とたたずんでいた。

「……やっぱり、駄目ね」

男としてこれ以上ない屈辱的な科白に動揺して、顔を上げた時だった。壁に、「なにか」が居た。

「あら、出てきちゃったの」

その「なにか」に気付いた久美子は、無造作にそれをつかんで先程の箱に入れた。

「丁度良かった。あなたに教えてあげる」

久美子はその箱を開く。そこには、八本の足を持つ蟲――蜘蛛が大量に蠢いていた。

「私ね、この子達じゃないとダメなの」

つぶやくようにそう言うと久美子は、全裸のまま膝立ちになり両手で箱を高く掲げる。その仕草はどこか気高くて凛としていて、彫刻で見るような水瓶を持つ女神に似ていた。


 久美子は少しづつ箱を傾かせる。それにつれて中身が少しずつ零れ出す。美しい顔で、豊満な胸で、くびれた腰で、艶めかしい陰部で、スラリとした足で、久美子はそれを受け止める。

 夥しい数の蜘蛛。蜘蛛。蜘蛛。それらが久美子の肢体を縦横無尽に這い回る。

 普段の久美子とは思えない、理性が崩壊したような至福の嬌声。いつもの冷徹な顔は消え失せ、目をとろんとさせ、口をだらしなく開け、悦楽に浸る淫らな表情。
 陰裂からは、ぬらぬらとぬらついた愛液が滴り落ちて糸を引いていた。その光景はまるで、久美子自身が一匹の巨大な蜘蛛女(アラクネ)のようだった。
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