パテーの戦いの前に
文字数 2,217文字
パテ―の戦いが始まる前、自分は大元帥として各自の将と打ち合わせていた。
敵対するイングランド軍で崇拝されているアーサー王を同じ名を持つ自分は堅物であった故に神が遣わしたと言うこの少女の扱いに困りかねていた。
髪こそ短髪にしているものの若く美しい金髪碧眼の乙女にラ・イルやジル・ド・レが陶酔していることがすぐに判ったからだ。
夜に幕屋に入ってラ・イルとも話し合った。
「なあ、ラ・イル。お前は確かに優秀だ。だが、略奪は止めておいた方が良いぞ。この国を支えているのは領民だと言うことを忘れるな」
「大元帥殿、それに関しちゃ、俺はあの方に散々告解する様に迫られたのさあ。あの仄かに甘い香りのする方の前に俺の本能は思ったね。『ああ、これ俺の負けだわ』ってね。だから告解もしたし、略奪もしばし抑えるのさあ」
「そうか……お前は優秀だが、欲をかくのが玉に瑕だ。せっかくの賜物も台無しになってしまう」
「へいへい。それより大元帥ともあろう者があの方を狙うなんてなしですよ」
その瞳は「判っていますよね」と訴えていた。
内心、燻りが灯る。自分も後十年以上若ければ求婚していただろうな、などと危険な考えに染まる。
あの乙女の美しさは外見のみ非ず、内面の純粋な信仰に皆が魅かれてしまうのだ。
祖国を本当に救ってくれるかも知れない。誰もがそう思っている。
実際、あの乙女は旗をかざすと軍の士気が異様にあがるのは誰もが噂で聴いていた。
次に向かうはジル・ド・レの元に向かった。
「これは大元帥閣下。何用で? 仰って下されれば参上致しましたものを」
「お前はそういう男ではあるまい。ジル、お前が従うのは唯一人だ。それは私もよく承知している」
「左様ですね。私が従うのはあの方のみでございます」
危険だな。狂信者と言っても良いかも知れない。この男はあの乙女の為なら地獄にさえ攻め入りそうな気配を発している。
「大元帥閣下もあの方のことを余程気にされておられるとみえますな」
妙なところで鋭いな。しかし、堅物と評される自分があの乙女の美しさに魅入られているのは事実だ。
「お前には体裁は通用しないらしい」
「ほう、やはりあの方狙いですか?」
「ジル、彼女はもうお前だけのものではない。ましてや私のものでもない。王のものでもない。神ご自身が所有したもう聖者なのだ。今や、民は彼女を信じ切っている。『彼女こそ救国の英傑』だと」
英雄と言う言葉を使わなかった辺り、どうにも自分も彼女のことを意識してしまっている気がしてならない。それをこの男の前ではありありと見透かされている。
「大元帥閣下……この際ですからはっきり宣言しておきましょう。天においても地においても私が従うは唯一人。あの方だけです」
異端宣言をするとは大胆な将だ。
「ジル・ド・レよ、今の言葉は聞かなかったことにする。他にも口外しない様に。それとお前達の想いは多分本人は気付いていないぞ」
「それは逆に好都合です。抜け駆けする者がいないと言う訳ですな」
「次の戦に期待している。彼女の眼にかないたければ奮戦することだ」
「言われずとも」
そう言って幕屋を去った後、夜空の星を見て独り溜め息を吐いた。
困ったものだ。自分は大元帥であるのに部下はあの乙女のことばかり気にしている。それで戦況が好ましいのだから何も言えない。
いつの日か、あの乙女が偶像扱いされて異端審問にかけられなければ良いのだが。
ふと丘を見やると人影が見えた。
登って行くと当の乙女本人が立ちながら天を眺めていた。
「何を観ているのかね?」
「大元帥閣下。お邪魔でしたでしょうか?」
「いや、そんなことはないよ。丘に人影が見えたものでね。イングランド軍の斥候と言うこともあり得るだろう? 気は抜かない方が良いものでな」
「そうですか」
「それで何をしていたのかね? こんな丘には何もないよ」
「星を……」
「うん?」
「星を観ていました。主は何という壮大な景色を創り上げたものなのか、と」
「そうだな」
古代の聖者アウグスティヌスは世界があることそのものが奇跡の賜物なのだと伝えている。
まさか、若干二十歳にも満たない少女が聖者と同じ心境に到達しているとは。やはり、この少女は神から遣わされた者かも知れない。
「私はこの星空を祖国の民がいつでも安穏に観られる様に遣わされたのかも知れません」
その美しき瞳は遥か星々の彼方にある神の御許に注がれていた。
「天使の長が君に語りかけたらしいね」
「ええ、祖国を救うことを。弱き民を護ることを。そして、私が殺すであろう敵を愛する様にと」
そう語る彼女の瞳には聖母の如き慈愛と金剛石の如き意志の強さが宿っていた。
神の御心は人には読めない。なぜこの少女だったのか?
美しく聡明だからか? 信仰に満ちた少女だからか?
どちらにせよラ・イルの言葉が今理解出来た。
おそらく、自分はこの少女には勝てない。
手にするなどとは最早傲慢の類であろう。
ラ・イル、ジル・ド・レよ。どうやら我々は失恋したらしい。
年甲斐もなくこの乙女に惹かれた自分を恥じることはしない。
むしろ、誇りだ。かの日、神の審判の前で自分はこの乙女と共に祖国を護れたことを誇りに思う日が来る。
これは自分なりの予言だ。
救国の乙女ジャンヌ・ダルクに神からの栄光があらんことを。
そう祈りながら二人で星々の煌きに魅入った一夜であった。
―了―
敵対するイングランド軍で崇拝されているアーサー王を同じ名を持つ自分は堅物であった故に神が遣わしたと言うこの少女の扱いに困りかねていた。
髪こそ短髪にしているものの若く美しい金髪碧眼の乙女にラ・イルやジル・ド・レが陶酔していることがすぐに判ったからだ。
夜に幕屋に入ってラ・イルとも話し合った。
「なあ、ラ・イル。お前は確かに優秀だ。だが、略奪は止めておいた方が良いぞ。この国を支えているのは領民だと言うことを忘れるな」
「大元帥殿、それに関しちゃ、俺はあの方に散々告解する様に迫られたのさあ。あの仄かに甘い香りのする方の前に俺の本能は思ったね。『ああ、これ俺の負けだわ』ってね。だから告解もしたし、略奪もしばし抑えるのさあ」
「そうか……お前は優秀だが、欲をかくのが玉に瑕だ。せっかくの賜物も台無しになってしまう」
「へいへい。それより大元帥ともあろう者があの方を狙うなんてなしですよ」
その瞳は「判っていますよね」と訴えていた。
内心、燻りが灯る。自分も後十年以上若ければ求婚していただろうな、などと危険な考えに染まる。
あの乙女の美しさは外見のみ非ず、内面の純粋な信仰に皆が魅かれてしまうのだ。
祖国を本当に救ってくれるかも知れない。誰もがそう思っている。
実際、あの乙女は旗をかざすと軍の士気が異様にあがるのは誰もが噂で聴いていた。
次に向かうはジル・ド・レの元に向かった。
「これは大元帥閣下。何用で? 仰って下されれば参上致しましたものを」
「お前はそういう男ではあるまい。ジル、お前が従うのは唯一人だ。それは私もよく承知している」
「左様ですね。私が従うのはあの方のみでございます」
危険だな。狂信者と言っても良いかも知れない。この男はあの乙女の為なら地獄にさえ攻め入りそうな気配を発している。
「大元帥閣下もあの方のことを余程気にされておられるとみえますな」
妙なところで鋭いな。しかし、堅物と評される自分があの乙女の美しさに魅入られているのは事実だ。
「お前には体裁は通用しないらしい」
「ほう、やはりあの方狙いですか?」
「ジル、彼女はもうお前だけのものではない。ましてや私のものでもない。王のものでもない。神ご自身が所有したもう聖者なのだ。今や、民は彼女を信じ切っている。『彼女こそ救国の英傑』だと」
英雄と言う言葉を使わなかった辺り、どうにも自分も彼女のことを意識してしまっている気がしてならない。それをこの男の前ではありありと見透かされている。
「大元帥閣下……この際ですからはっきり宣言しておきましょう。天においても地においても私が従うは唯一人。あの方だけです」
異端宣言をするとは大胆な将だ。
「ジル・ド・レよ、今の言葉は聞かなかったことにする。他にも口外しない様に。それとお前達の想いは多分本人は気付いていないぞ」
「それは逆に好都合です。抜け駆けする者がいないと言う訳ですな」
「次の戦に期待している。彼女の眼にかないたければ奮戦することだ」
「言われずとも」
そう言って幕屋を去った後、夜空の星を見て独り溜め息を吐いた。
困ったものだ。自分は大元帥であるのに部下はあの乙女のことばかり気にしている。それで戦況が好ましいのだから何も言えない。
いつの日か、あの乙女が偶像扱いされて異端審問にかけられなければ良いのだが。
ふと丘を見やると人影が見えた。
登って行くと当の乙女本人が立ちながら天を眺めていた。
「何を観ているのかね?」
「大元帥閣下。お邪魔でしたでしょうか?」
「いや、そんなことはないよ。丘に人影が見えたものでね。イングランド軍の斥候と言うこともあり得るだろう? 気は抜かない方が良いものでな」
「そうですか」
「それで何をしていたのかね? こんな丘には何もないよ」
「星を……」
「うん?」
「星を観ていました。主は何という壮大な景色を創り上げたものなのか、と」
「そうだな」
古代の聖者アウグスティヌスは世界があることそのものが奇跡の賜物なのだと伝えている。
まさか、若干二十歳にも満たない少女が聖者と同じ心境に到達しているとは。やはり、この少女は神から遣わされた者かも知れない。
「私はこの星空を祖国の民がいつでも安穏に観られる様に遣わされたのかも知れません」
その美しき瞳は遥か星々の彼方にある神の御許に注がれていた。
「天使の長が君に語りかけたらしいね」
「ええ、祖国を救うことを。弱き民を護ることを。そして、私が殺すであろう敵を愛する様にと」
そう語る彼女の瞳には聖母の如き慈愛と金剛石の如き意志の強さが宿っていた。
神の御心は人には読めない。なぜこの少女だったのか?
美しく聡明だからか? 信仰に満ちた少女だからか?
どちらにせよラ・イルの言葉が今理解出来た。
おそらく、自分はこの少女には勝てない。
手にするなどとは最早傲慢の類であろう。
ラ・イル、ジル・ド・レよ。どうやら我々は失恋したらしい。
年甲斐もなくこの乙女に惹かれた自分を恥じることはしない。
むしろ、誇りだ。かの日、神の審判の前で自分はこの乙女と共に祖国を護れたことを誇りに思う日が来る。
これは自分なりの予言だ。
救国の乙女ジャンヌ・ダルクに神からの栄光があらんことを。
そう祈りながら二人で星々の煌きに魅入った一夜であった。
―了―