第8話

エピソード文字数 5,398文字

「ちょうど……あの白いでっかい建物見える? 病院ね。そのあたりに大庄屋の田辺の屋敷があったってさ。ウチのご先祖は慶安の頃に引き継いだとかで、二代目だねぇ」

 二階の大部屋の窓から町並みを望んで、河野正嗣さんはそう語った。
 この旅館の近辺は青々とした田畑が広がり、農家らしい建物がポツポツと建っている、そこから遠ざかると住宅街、ここからも目立つ大きな建物は田辺家跡の病院や、スーパー、学校だろうか。
 群馬県A郡……町、由香里さんの生まれ故郷、邪坊の伝承の残る土地はありふれた田舎町に見える。由香里さんみたいな事件の記録もないし、邪坊の認知度だって高齢者の間でも怪しいという。

 河野さんはアロハシャツにカーゴパンツ、筋肉質な体や日焼けした肌もあって海が似合いそうな雰囲気だけど、海から遠く離れたこの町唯一の旅館の主人であり、古くから続く地域の有力者の家柄であり、在野の郷土史研究家でもある。
 畳敷きの大部屋には漆塗りの立派な座卓があって、河野さんは座布団に腰を下ろすと脇に積んでいた木箱の一つを開け、中の書物を取り出した。
 藺草の臭いの中に古い紙とカビ、ホコリの臭いが混じる。

『大庄屋日記天正十一年一月十五日ヨリ同年十一月九日』

 表紙にはそうある。
 天正十一年――西暦一五八三年、軽く四百年以上前の書物は見るからに痛みが激しい。少し力を入れたら簡単に破けそうで、河野さんも手袋をして実に慎重に扱っている。 
 これは当時、村で一番の有力者である大庄屋が綴っていた日記だ。
 河野家の蔵には村の開拓された戦国時代中期から江戸時代の終わりまでの庄屋の日記が数百冊、史料として大学なんかに寄贈したものもあるけれど多くは小分けにして保存してあるという。

 初めの九十七冊は先代の田辺家のものだけど、それも庄屋の役を引き継ぐ時に村の成り立ちが亡失しないよう、保存することに決めたのだとか。
 この日記を見せてもらうことが、今回現地を訪ねた目的の一つだった。  
 私があの日見た夢の第三の場面。冬の寒空の下、遥か遠方で噴煙を上げる山の姿。そして由香里さんがアップロードした画像にも町の遥か遠方に臨む山影が映っていた。染谷さんを通じて現地の人に聞いてもらうと、あれは浅間山だという。

 長野と群馬に跨る形で聳え、頻繁な噴火で歴史に残る大飢饉も引き起こしている。
 村の開拓からこれまで、村から見える範囲で噴火の記録のある山は浅間山だけ。さらにその中で冬に噴火したのは天正十年二月十日の一度きりだ。
 邪坊が発生していたのは江戸時代初期の出来事というから、それよりさらに数十年前の景色を私は夢に見ていたことになる。
 もちろん、夢で見た光景が村での景色なのかも、そもそもあの夢で出てきたものが現実のものだという裏付けもない。こうだったらいいな、という都合のいい当て推量をもとに、私は染谷さん、それに古屋先生を頼った。
 村の歴史に詳しい人物はいないか、当時の村の様子が詳細に記された史料はないか。
 結果『上野国百物語』を提供してくれたという高崎市の博物館職員さんの紹介で、この河野さんに話を聞けることになった。

「……天正十年前後、それより後でもいいんですけど……この村で、あの……『邪坊』の話と関係のありそうな話って何かありませんか?」

 一時間ほど前だ。部屋へ案内され、簡単な挨拶を済ませた後で私は河野さんにそう切り出した。
 もちろんダメ元で、実際は草書字典を頼りに虱潰しに日記を当たることになるだろう、相当長丁場だろうなと思っていたけど、思いもよらない答えが返ってきた。

「関係あんだかわかんないけど、邪坊と何ていうか……逆みたいなのならあるかな?」
「逆?」
「村で赤ん坊が生まれなくなったことがあるってさ」

 天正十一年九月二十日、当時の家長・助右衛門の日記。私には字からして読めそうにないものが多かったけど、河野さんはすらすらと読んでくれる。

「『この一年村の何れの夫婦にも子の授かることなし 
 最後に子の生まれし日よりすでに三月ばかりが過ぎぬ 
 皆ハナの呪いやあらむといふ 
 真なればげに恐ろしけれど吾もさに思ふ』
 村で一年間どこの夫婦にも子供ができていない。ハナの呪いじゃないかと皆が言っている……そういうとこだね」

『ハナ。庄屋様の嫁になれ』――通夜の日に見た夢で、あの中年女性に言われた言葉を思い出した。「私」というかあの夢の視点人物はたしかにそう呼ばれていた。

「このハナってのは一年前に死んだ娘らしいんだけどね、ただ死んだんじゃないのよこれが。庄屋の家の長男に嫁いできて、なんとその晩、旦那を殺した後で自害したってさ」

 天正十年九月三日の日記には、その日の朝二人の死体を発見した時の様子が記述されている。

『くびを掻かれて果つる五兵衛の傍らにハナの屍もあり
 ほとより胸乳までを己が手にした小刀にて掻き切り笑ふ顔のまま息絶ゆ
 如何なる夢もさしも恐ろしき様にはあるまじ』

 あれだ、という確信があった。足下に男の死体、自分も陰部から胸まで切り裂いて死ぬ――あの夢だ。この日記に書かれているのはあの場面の翌朝にちがいない。

「おハナちゃん、今で言う霊能者みたいな、そんな噂があったらしいね。チビの頃から気味悪がられて、見た目美人さんだったから長男が気に入って嫁に貰おうとしたら……って。『だからやめておけって言ったのに』、みたいに書いてるけど、まさか初夜に殺されるとは思わねえよなあ」

 河野さんが半笑いで指したくだりは、「鬼」「忌子」といった言葉が見て取れる。相川さんや染谷さんのような力を持っていたということか。
 全身に鳥肌が立っていた。恐怖というよりは興奮だと思う。
 周囲から「化け物」と恐れられていた幼少期、浅間山の噴火、夫を殺して自害……夢に見た光景とぴったり合致する。
 あの夢はこのハナという少女の体験で、それなら私に憑いている霊は――。

「……本当、なんでしょうか。赤ちゃんができなくなったって」
「さあ?」

 河野さんは曖昧な笑みを浮かべた。

「この頃は戸籍とかもないし、出生がなかったかどうかの裏付けがね。江戸時代に入ると『宗門人別改帳』ってのがあるんだけど……まあ、何から何までフィクションとは言わないけど……」

 当然というか河野さんは本気にしていないらしい。今の私は真偽どちらにせよ、自分やこの子の運命を左右し得る情報としてこの話を扱わなきゃいけない。そしてそれなら、確認しておかなきゃならないことがあった。

「その後どうなったかは、わかってるんですか? 赤ちゃん、生まれるようになったんですよね?」

 村が続いているのだから、そういうことだろう。ハナの呪いはどうやって解けた……とされているのか、知らずにはいられない。

「ああ、それね……」

 河野さんは立ち上がると窓際まで歩いていき、大きく右を向いた。私も隣に行って同じ方を眺める。さっき正面から町を眺めた時は視界に入らなかった場所、右手の田畑の奥に聳える、濃い緑に覆われた山を指差していた。

「おハナちゃんを神様として祀ったんだってよ。村はずれの、山の祠に」

 もともと訪ねるつもりではあったけど、ますます行かざるを得なくなった。
 河野さんは山道入り口まで車を出してくれた。「若い人に世話焼くのが年寄りの一番の楽しみなんだから」と言う。民俗学を専攻する学生だと騙しているのが申し訳なかった。
 地元の子供も遊び場にするような低い山で私も軽装のまま登れたけど、それでも湿度の高い時期、気温は三十度を超えるこの日、目的の洞穴前に辿り着いた時は汗だくだった。
 水分補給し、タオルで汗を拭いながら思う。
 たしかにただの穴だ。
 中に入ってみるけど、一番奥まで行っても祠の痕跡はどこにも見られない。お寺の拝殿で襲われたような、霊的な感覚に訴えるものもない。ひんやりした空気と土の匂いがこもっているだけ。
 天正十二年六月、村から出生が途絶え、このままでは村の存亡に関わると危ぶんだ助右衛門が指揮してハナを祀った祠をこの洞穴に建立すると、また子供ができるようになった、と日記には書かれているらしい。
 御霊信仰というやつだろう。災害や疫病の発生を、世を呪って死んだ人物の祟りと捉え、神として祀ることで怒りが鎮まることを祈る。『日本の民間信仰』八コマ目で習った。菅原道真や平将門、崇徳天皇などが怨霊を経て神になった人物として有名だ、と。
 

「ててははいかにぞたねまくや……いずれかるみでたねをまく……いずれかるこのたねをまく……」夢で聞いたあの歌を口ずさむ。

 この歌の出所も判明した。遺体のすぐそばに、血文字で書き遺されていたらしい。

『父母如何にぞ種撒くや
 いずれ枯る身で種を撒く
 いずれ枯る子の種を撒く 
 禍事種を撒く人の
 絶えなば人も絶えならむ』

 何故自分もいつかは死ぬ身だというのに、いつかは死ぬ子種を残そうとするのか。「禍事」の種を撒く人間がいなくなれば人間も絶えるだろうに――と。

『生きるのが苦しい時代だろうからなあ。年貢は高いわ病気になれば簡単に死ぬわ侍は怖いわ、飢饉になれば村が全滅ってことも。……そんな村の中ですら嫌われてたんじゃ、そもそもこんな世の中に生まれたくなかった……って思っちゃっても、まあ、ね』

 河野さんは同情するように言っていた。 ハナは自分と子を成す行為に及ぼうとした夫を殺し、自分の子を成す器官を切り裂いて死んだ。死に際、彼女はあの歌を歌おうとしていた。
 歌いだす瞬間のこの上ない幸福感が胸に残っている。村への呪いを撒き散らして果てるのが、最高に幸せだったのだ、この子は。
 河野さんは信じていないようだけど、村での出生が一時途絶えたという話も多分事実なんじゃないかと思う。ならそれが再開したのは、当時の解釈通り御霊信仰でハナの怒りが鎮まったから、でいいのか。
 この子は、子作りを許したのか。

 洞穴から出ると風で木の葉が擦れる音に混じって、水音も微かに聞こえてくる。
 山道の、ガードレールの一歩手前まで出て見下ろせば鬱蒼と茂る緑の向こうに滝壺が覗く。
 あそこもまた、今回訪ねようと思っていたところの一つだ。
 第一子を亡くした後、実家で休養していた由香里さんの行動。
 ほとんど話せる状態じゃないらしい清美さんに変わって旦那さんが語ってくれたところでは、散歩に出たり家の畑を手伝ったりする他は家にこもりっぱなしだったということだけど……二週間ほどが過ぎた頃になんと自殺未遂をしているという。
 その現場が、あの滝壺なのだ。
 一旦山を降りると、今度はそちらへの道を進む。 草いきれに辟易しながら茂みを抜けると、目の前に険しい岩肌と、それを伝った水の注ぐ、天然のプールが現れる。一気に涼しくなり、見た目には気持ちのいいスポットだった。  
 しかし、江戸時代には自殺の名所として知られて近づくことが禁じられてもいたという。そんな曰くがあってか約一年前、由香里さんはここで入水自殺を図った。
 幸い、様子を見に来ていた智也さんが駆けつけて救出され、一命を取り留めた。のうとして助かったというのが大きかったのか、その後彼女の精神状態は快方に向かい、第二子ができた、らしい。
 結果、由香里さんは我が子ではない我が子に殺され、智也さんも自ら命を断った。
 あまりに救いのない話だけど、滞在中に「何かあった」としたらここじゃないか……と祠以上に恐れと期待を抱いていた場所でもあった。
 滝壺は祠の洞穴からもほど近い。由香里さんが取り憑かれるきっかけがあとしたら、自殺未遂をした時が、一番可能性が高いんじゃないか、と。
 滝壺の周りを一周し、水に手足を浸してみる……特に何もない。洞穴の時と同じだ。
 さらに、ザックから水中用のカメラを取り出す。東京で買ってきた中古品だ。これににアームを取り付け、水底も撮影した。二時間かけて池の周囲を回りながら滝壺の水中全体をカメラに収めたけど……画像を確認しても底の石や藻、小魚の泳ぐ姿が映っているだけ。 

 私は旅館に一泊し、河野さんに祠の信仰の行方や邪坊が出たとされる時期の出来事――『上野国百物語』で邪坊の話をしている当時の庄屋の日記など――について聞いてみたけど、新たな発見もないまま二日目の夕方東京へ帰ることになる。
 得たものがないわけじゃない。邪坊の正体はハナという少女の怨霊であり、その呪いは一度御霊信仰で鎮まったと言われている。彼女を鎮める手段を見つける上で重大な情報のように感じる。
 ただ、肝心の祠はどうなったのかわからないし、結局現代に彼女は蘇って由香里さんを殺しているし、それに彼女の恨みを晴らすのは、無理なんじゃないかと感じだしていた。
 河野さんは当時の時代背景からハナに同情を示しつつもこう結んでいた。

『だから現代に生まれた俺たちぁ、感謝して生きなきゃってことだね』

 だけど私は知ってしまっている。現代に生まれ、ハナと同じ呪いを抱えた人を。
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登場人物紹介

丸屋恵那(まるや えな)


大学で幼児教育を専攻する女子大生。

子供を持つことに強い憧れがあるが、過去の白血病治療で自然妊娠は難しい体。

しかし、処女のまま突如として妊娠するところから物語は始まる。

相川愛(あいかわ まな)


恵那のバイト先の児童養護施設へボランティアに訪れる女性。

生まれつきの霊感のために親から虐待を受けた過去があり、基本的に親を嫌っている一方で里親の二人には愛情を抱いており、施設の子供たちにも優しい。

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