詩小説『春の日の通り雨』3分の母と子。母を想う人へ。

エピソード文字数 672文字

春の日の通り雨

ひざには手編みのひざ掛けを乗せていた。自分で編んだことすらきっと忘れているが、その色使いはあの頃の祖母を思い出させる。優しい色だった。

しばらく見ない間にすっかり変わり果てていたことを、なにかと慌しい毎日のせいにして。僕は話しかける言葉を探した。

引っ込み思案でモグラみたいな子供の僕、手を引っ張って青空の下へ連れ出した人。今となっては僕がその車椅子を押して、木漏れ日の下へ日向ぼっこへ。

春の日の通り雨。表情に色がない。なにを見ているでもないように。
春の日の通り雨。運ばれてくるその波音。届いてますか?
春の日の通り雨。これは独り言だろうか? 君から言葉は返ってこない。
目を閉じたって帰れないあの日へ。

なにをもってして生きていたと言えるだろうか? なにをもってして同じ時間を過ごしたと言えるだろうか? 誰かと誰かを繋いでいるのは記憶だということを知る。

今更になり、いったい僕はなにを返すことが出来るだろうか? どれほど謝れば許してもらえるだろうか? あなたが好きだったあの木の下で。

軽すぎる身体を乗せた車椅子を急がせた。軋む車輪があなたを運ぶ、垂れ下がったひざ掛けを直した時、泪が流れた。

春の日の通り雨。時間をください、時間をください。
春の日の通り雨。今でないと言えない言葉をどうか。
春の日の通り雨。電池がきれるまで、そばに居て。
すっかり忘れてしまうその前に。

ありがとうって小さい声で言ってみた。車椅子に座り、うつむいた君が少し顔を上げて微笑んだ気がした。

あの日が帰ってきた気がした。
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登場人物紹介

主人公はあなたです。それぞれの恋愛模様を『詩小説』で。

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