月一自殺会

文字数 3,486文字

「忘れないで持ってきた?」
「大丈夫大丈夫、当たり前じゃん」
 狭苦しい車内。いつも通りに並べるのは。
 七輪、練炭、それと網。
 車内自殺のテンプレアイテムだった。
「今回ちょっと豪華にしてみたんだ、うぇーい」
 この親友は薄給のネイリストで、私はしがない市役所職員だった。
 慣れた手つきで火をつける。パチパチと小さく薄っぺらい音を立てて赤くなる炭。シートの上には耐熱の金属板を敷いているとはいえ、ガソリンを積んだ車内で火を焚くなんてとんでもない自殺行為だと毎回思う。
 そして、自殺前に考えることでもなかったと毎回自嘲する。
 続いて網を乗せる。親友はクーラーボックスから取り出したパックを開けて、中の肉をトングで網の上に並べる。ゴテゴテと飾り立てられた爪が五つ。重そうなそれを物ともせず、指は器用に肉を広げた。
「うい」
「はいどうも」
 手渡される発泡酒。最早、大してビールと値段の変わらないその缶を開けると、私達は義務的に声を上げた。
『かんぱーい』
 汗をかいた缶から食道めがけて、苦い冷気が滑り落ちてくる。胃に落ちた瞬間、確かに冷たかったそれはぽっと熱を持った。
 
 信じられないかもしれないが、これでも私達は今から死ぬのだった。
 さりとて別に積極的に死にたいわけでもなく、生きることにも努力したくはない私達の、怠惰を極めた自殺会。
 始めたのは、昨年の夏だった。

「どうせ寝て死ぬなら、テンション上げて楽しく騒いで死んだほうが良くない?」
 初回にそう言って酒を持ち込んできた時、私は驚いたもののそれを受け入れた。
 ......その時は、異を唱える気力もなかった。
 ただただ全てに絶望していて、でも、確かに。
 最後くらい、楽しく終わりたいとは思っていた。
 三ヶ月後。
「つまみが乾き物だけなのちょっと嫌じゃない? どうせ最後ならもっと美味しく飲みたい」
 そう言って網と肉を買ってきたのは、私の方だった。
 約一年。私たちは月に一度、休みの夜に会っては自殺会をしている。
 家の駐車場に停めた車の中で、一酸化炭素中毒を狙いながら。
 車内にいい匂いが漂う。流石にこの状態ではただただ焼肉臭くなるだけなので、窓は開け放していた。
 紙皿にドバドバと注いだタレにつけた肉を、親友は美味しそうに頬張った。私もそれにならう。口いっぱいに広がるチープな肉の旨み。咀嚼して充分に楽しんだ後に、発泡酒と共に胃に流し込む。
 言うほど高い肉の味ではなかったが、それでも十二分に美味しかった。
「でさー、またあいつがジジイだからパソコン使えなくてさぁ」
「何それウケんだけど」
「プリントアウトすら出来てないわけ。マジで何年、あんたは役所に居るんだよって思って」
「何それウケんだけど」
「ねぇ、話聞いてる? ウケんだけどbotになってない?」
「botってなに?」
 益体もない日頃の愚痴話をしながら、私たちはお酒を飲み進めていった。まるで普通の飲み会を行う友人同士のように。
 アルコールでやや虚になっていく思考の裏で考える。そう言えば、最初の自殺会では愚痴を言う余裕もなかったと。
 でも今は違う。今は、......今は、
「ねえアンタの方が聞いてる? 盛るよ?」
「なんなの、そのプロ意識高い脅し文句は」
 差し出された缶を受け取りながら私は答える。
 きっとこれは、そう、肩肘張らずに私が自殺と向き合えるようになった。ただ、それだけの話だ。

「じゃあ火の番よろしくー、おやすみ」
 親友は毛布をかぶって後部座席で目を閉じる。はいはい、と私は消えかけた七輪を眺めつつ答えた。
 火の番は、肉やお酒の準備をしなかった方の担当と決まっていた。火が消えすぎないように、かと言って燃え盛らないように、朝まで見張る。
 焼身はとても痛くて苦しいというのは知っていた。怠惰な私達には向かない死に方である。
 残った発泡酒の缶を傾けながら、私は運転席に座っていた。当然、窓は閉め切られている。
 このまま寝れば。
 私達は死ぬかもしれないし、生き残るかもしれなかった。
 曖昧な領域の生き物。
 まるで、箱の中の猫のようだ。

 絶望しているのは、今でも変わっていなかった。
 本当に、死ぬならいつ死んでもいい。
 別に守るものも、残したいものもなくて。
 だから、こんなただの飲み会のような自殺会を。
 今でも続けている。
 
 振り返って親友の寝顔を見る。すうすうと小さく寝息を立てながら、彼女は寝入っていた。
「無防備な寝顔だこと」
 これから死ぬくせに。

 その、筈なくせに。

 きっと、一酸化炭素のせいで。
 その寝顔を見ていると、私に付き合ったせいで死ぬ顔を見ていると。
 息苦しくてたまらなかった。
 
「はぁぁ......」
 長くため息を吐いて、私は車の窓を全て薄く開ける。新鮮な空気が車内に流れ込んでくる。焼肉の匂いが薄れる。
 息苦しさが、なくなる。

 まあ、実際お肉も美味しかったし。
 今月くらいは生きてあげてもいいかな。



 目を覚ます。やっぱり車の座席で寝ると体が痛い。後部座席で私は体を伸ばし、七輪に視線を向ける。中身は既に燃え尽き、不完全燃焼も起こしていない様子だった。
 車の窓は閉め切られている。初夏とはいえ、車内は少し寒かった。ずり落ちた毛布を抱え上げてマントのように纏うと、私は運転席を覗き込む。
 市役所勤めで自殺願望を持った私の友人は、悩みなど微塵もなさそうな顔で寝入っていた。
「無防備な寝顔してやんの」
 私は笑って言う。

 死にたい。そう相談された時、親友は既に死んだ後のような顔色をしていた。
 ストレスからくる慢性的な不眠と拒食。自傷行為に及んでいなかったことだけは、せめてもの救いだと思えるほどに。
 けれど私には、根本から問題を解決することができない。そして、彼女が本当に死にたいと思って行動した時、そばにいなければ止めることもできない。当たり前だが、二十四時間ずっとそばにいる事なんて不可能だった。

 だからせめて。私は私にできることをしようと思ったのだ。
 じゃあ一緒に死のう。そう言って誘って。
 初めは酒を啜りながら、泣きそうな顔でポツポツと話すだけだった。けれど「これで死ねるんだから安心した」とも言っていた。
 親友が寝入った後、私は彼女にばれないようこっそりと七輪の火を消して車の窓を開けた。そしてその翌朝、窓を閉めてから何事もなかったように振る舞いつつ彼女を起こして、「今回は死ななかったけどまた来月、時間合わせて死のう」と伝えた。
 寝る前よりは幾分か良くなった顔色で、親友は私の言葉に頷いた。
 翌月会った時には、私の愚痴に対してたまに軽口が出るようになった。
 三ヶ月目には、肉も持ってくるようにしようと提案してくれた。
 
 そして今は。
 初めの私と同じように、私が寝たふりをしている間に換気をしてくれている。
 私が死なないように。
 あれだけ願った自分が死ぬ機会を手放してまで。
 
 状況は変わらない。
 親友の悩みも消えたわけではない。
 明日ふと、思い立って死ぬかもしれない。

 でも、今日は死なないことを選んでくれた。
 私にはそれで充分だった。

 中指で弾くようにして親友の額を弾くと、驚いて彼女は飛び起きた。
「いった...ちょ、何?」
 驚いて私を睨むその眉間を、爪でつんつんと私は突く。
「なーに寝てるわけ? 火の番は?」
 正論に親友の顔が一瞬歪む。反論できないことを察した様子で、彼女は別口の文句を言う。
「その盛ったネイルでやらなくても良くない? 額がめちゃくちゃ痛いんだけど」
 私は指をピースサインの形にして言い返した。
「安心して、こっちの指も同じくらい痛いから」

 


「んじゃ来月は第三土曜日の夜からってことでー。肉頼むねー」
 朝日を反射してキラキラ光る爪のついた手を、ひらひらと軽薄そうに振りながら、彼女は駅に向かって歩いていく。早朝の光は少し強くて、日中の暑さを予感させた。
 空のクーラーボックスとゴミ袋を片手に、私は親友の去っていく後ろ姿を眺めている。
 来月、か。
 だったら次回は私が、真の高級肉とはどういうものか見せてあげよう。スーパーのパックじゃなくて、ネット注文しておいて。
「予約ってどれくらい前から大丈夫なんだろう? 早く来すぎても困るしな」
 一人呟きながら、私は玄関に向かう。
 彼女のことだ。きっとオーバーリアクションで喜ぶに違いない。
 それを想像するだけで、
 来月が、
 先のことが、楽しみだった。

 だからそれまで生きていくことが、苦ではないような気がした。
 
 ぱたん、と玄関のドアを閉めて。
 私達の自殺会は今月もまた、お互い死なないままで終わった。
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