第1話

文字数 1,117文字

 院内PHS が鳴った。
 救急外来の担当医師からだった。
 「92歳の独居の女性で、今日の午前中、自宅で尻餅(しりもち)をつきその後、腰痛のため体動困難となって救急搬送されました。レントゲン写真、CTで腰椎圧迫骨折などの所見はありません。整形外科外来にも診てもらいましたが、整形外科に入院するような異常所見はありませんでした。独居でこのままでは自宅に帰れず、地域包括ケア病棟で経過観察入院をお願いします。」
 当院は急性期病棟、回復期リハビリテーション病棟、慢性期医療療養病棟、そして地域包括ケア病棟を院内に持つ、いわゆる「ケア・ミックス型」の病院である。
 この地域包括ケア病棟は、平成26年度診療報酬改定で新設された。急性期治療を終了し、直ぐに在宅や施設へ退院するには不安がある患者さんや、在宅・施設療養中から入院した患者さんに対して、在宅復帰に向けて診療、看護、リハビリなどを行なうことを目的とした病棟だ。
 「了解です。」
 この患者さんの治療方針は、腰痛が軽減するまでの安静とリハビリテーションを行い、退院後の療養環境を整えて自宅への退院だった。
 ところが…。現実は理想通りには行かない。
 「先生、まだ腰が痛くての~。動けねえ。湿布くれ~。」
 独居生活の緊張感から解放されて安心したのか、患者さんはベッドから頑として動こうとしない。
 入院して3日が経過した。リハビリテーション開始前の評価もできない。経口摂取は全量で、病院食を「美味(うま)いの」と喜んでバクバクと食べてくれた。
 1週間が経過した。さすがに離床しない理由もなくなり、患者さんは皆に支えられてベッドの脇に立った。足がぶるぶると震え、膝がガクガクしていた。診断は1週間の床上安静による廃用(はいよう)症候群であった。退院まで約3週間のリハビリテーションを要した。
 ここに2つの言葉を紹介する。
 ひとつは「安静は麻薬である」。これはリハビリテーションの領域で語られる格言と聞いている。安静はとても気持ちがよいが、確実に患者さんの体を(むしば)む。
 もう一つは、「腰痛の安静は3日まで」。これは当院の整形外科部長が医療講演で話した言葉だ。特に高齢者は、これ以上の長期の安静は、筋力、体力の衰えを引き起こし、悪いことの方が多くなるという意味だ。
 実験や研究の結果から得られた言葉ではない。臨床現場の経験から得られた事実を的確に表現した言葉だと思う。

 さて写真は、2013年3月23日に、山形県境に近い新潟県の山北(さんぽく)漁港で撮影した、干してある「味付き蛸」である。

 これが酒のつまみによく合うのだ。
 そして蛸には腰痛はない。何故ならば、蛸には背骨がないから…。
 んだ。
 (2017年2月)*(2022年3月 一部筆を加えた)
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