暑い夜

文字数 2,463文字

 そのときの私は、主婦でも、妻でもない、自分でも分からないただ一人の生身の女になっていました。
 彼は私と向き合い、私の眼をじっと見つめながら言いました。

「もし、いまでもあると言ったら?」
「はい、もしあるのなら……いま私を……」
「抱いて良いんだね」

「……はい」
「後悔しないね」
「あぁ……はいっ!」

 その時、私の声は興奮して上擦っていました。
 彼は私を抱き寄せたのです、そして力強く抱擁しました。

 その力で私は苦しく、乳房は潰されそうでしたが、
 心の底から、湧き上がる熱い炎に、身を焦がれる思いがしたのです。


 もう、言葉はいりません。
 あるのは、好意を抱いた二人が、その壁を越え(本当の男と女)になったのです。

 二人はもどかしく、
 着ている物を脱ぎ捨て、初めてアダムとイブの姿になったのです。

 倒れ込んだ絨毯の上で二人は抱き合い、キスを重ねました。
 彼の熱い手が、舌が私の体中を這い回り、わたしは夢見心地になっていました。

「では、いいね」
「はい、あきらさん……」

 私は重なった彼の背中に、手を回してしがみついていました。
 逞しく汗を掻いた彼の背中が、何故か愛おしいのです。
 ゆっくりと彼が入ってきたとき、遠ざかっていた交わりに少し痛みを感じたのです。
 それは次第に訪れる歓喜に消されていきました。

 私は快楽の階段を幾度と無く昇りつめていました
 しばらくの間、私達は抱き合っていました。
 (しばらく、なにも考えないで、このままでいたい……)

 私は心の中で思っていました。
 (私は、自分の心を抑えることが出来ない、それが許されないことだとしても。
 今の自分の心に後悔はしないし、したくないの)

 そう思いながらも、何故か熱い涙が頬から伝い落ちて来るのを、
 私は手で拭おうともせず、幸せの余韻に浸っていました。


 私達は彼の部屋で結ばれました。
 私は前から思っていた彼に対する畏敬の念が
 いつか恋心に変化していたのかも知れません。

 私は人妻でありながら、
 尊敬し、恩人でもある一人の男性と許されない愛に溺れていました。

 私は、その時妻でも母でもない一人の(女)になっていました。
 いつしかこの行為を頭の中で思い、想像し願っていたのかもしれません。

 許されない愛と知りながら、断ち切れない自分。 
 忘れようとしても、今も私はその時のことが鮮明に脳裏に焼き付いているのです。


 ………………………………………………………………
 今や、涼子は天性の素質と、自身の努力によって、
 ファッションの世界で、確実にスターダムへの道を歩いていました。

 やはりそれには、継続する本人のたゆまぬ努力、
 美に対する研究心、飽くなき探求力。
 そして湧き出てくる才能等が無ければ簡単には達成されないのです。
 
 しかし、彼女はそれを持ち、何よりもファッションを愛していたこと。
 好きだったこと、美への追究を常に怠らなかったことです。

 この世界に戻る前の日々で、家庭にいながらも常にそれらの研究を重ね、、
 勉強をしていたこと等、彼女なりの努力があったからなのです。


 花開いた遅咲きの大輪の花が、正に大きく咲こうとしていましたが、
 今はその前触れと言えます。
 きっかけで掴んだチャンスは天が彼女に与えたもの、
 と思うほど今の彼女は輝いていました。


 しかし、彼女自身が、それに甘んじることはありませんでした。
 毎日が忙しく張りがあり、高まる彼女への名声に奢ることなく、
 常に自分のペースを保っていました。

 人は自分に奢りを持ってはいけません。
 造ることの楽しさ、創造する喜び、製品が愛されるという純粋な心、
 人にはそれが必要なのです。


 さて、ファッションといえば、
 パリ・プレタポルテコレクション(パリ・コレ)が有名です。
 その他にミラノ、ニューヨーク・コレクションがあります。
 そこでは、デザイナーが新作を発表し、ジャーナリストやカメラマン達が招待されます。

 世界各国から沢山の作品が集まり美を競い、
 そして東京でも東京コレクションがあるのです。
 ここでもアジアのデザイナー達のオリジナルなクリエーションの発信の場として
 注目を集めていました。

 涼子の作品は、その中でも新人として高い評価をされていました。
 日本の女性の美を表現し、東洋的な繊細で女らしいデザイン。
 思い切ったラインとカットと斬新な色彩。
 それらの数多の美を求める女性達の心を捕らえて作品の評価は高かったのです。


 涼子は、あの日以来、あきらとは忙しい中で時間を作り、逢瀬を重ねていました。
 小さな時間が流れる中で、愛を確かめあっていたのです。
 二人にとってお互いが大切な人で、その友情が次第に愛に変わっていきました。
 人は恋に落ちると、その気持ちを抑えることが出来ません。
 
 涼子は家庭がある身でいながら、
 その湧き出でる恋の気持ちを、抑えることが出来なかったのです。
 それは彼も同じでした。

 涼子は、彼を尊敬こそすれ、愛していけない人を愛してしまったのです。
 友情と、尊敬……それが次第に異性愛に変わっていました。

 家族を思い、愛しながらも、その思いを断ち切ることが出来ない自分。
 それは頭の中で分かっていても、
 抑えきれない女の本能が目覚めた、と言うべきなのかもしれません。

 それは(あきら)という、輝くばかりに眩しい男性に惹かれ、
 涼子は彼の性的テクニックに、久しく交わしていない行為に、
 いつしか女として目覚めていたのです。

 彼女は、仕事上でトラブルがあったり、
 疲れたときなどには無性に彼に逢いたい、抱かれたいと思い、
 そして心と肉体が癒され無になりたいと思うのです。

 密会に使うホテルで彼に抱かれ、身体の中を貫かれるとき……
 涼子は心から癒され、身体が幸せに溶けていくような気持ちになるのです。

 頭の中では、許されないことだと分かっていても、
 彼女の肉体がそれを求めてしまうのです。
 それは、自分の中にこれほど、
 熱い心があったのか、などと、自らが驚くばかりなのでした。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み