ことばの不可思議 文字の霊とゲシュタルト崩壊/構築

文字数 1,193文字

 渦巻くような謎。



コロナ禍とコロナ渦

 先日、仕事でメールが来たのですが、タイトルは「コロナ禍の対応について」。
 本文には「このコロナ渦では-」とあり。
 添付ファイルのタイトルは『コロナ禍の-』云々。
 コロナ禍/
コロナ渦が入り混じって、訳がわからなくなりました。

 禍=か。わざわい、禍い。

 禍とは、予期していなかった災難や不幸、厄などを意味する語。音読みでは「か」、訓読みでは「わざわい」「まが」と読む。禍の対義語、反対語は「福」である。(実用日本語表現辞典)ex.禍々(まがまが)しい 

 渦=うず
  うず。「渦動」混乱した状態。「渦中/戦渦」(小学館 大辞泉)

 先日のメールは、タイトルと添付ファイルの、正しい「コロナ禍」は「ころなか」でどこかからのコピペ?
「コロナ渦」は「ころなうず」と手打ちなのだろうか?と思いました。しかし、渦も「か」と読みますね。
 変換ミスでしょうか…?謎だ。

文字禍と文字渦

 思えば、以前中島敦の『文字禍』(もじか)を読みました。

 -一つの文字を長く見詰ている中に、いつしかその文字が解体して、意味の無い一つ一つの線の交錯としか見えなくなって来る。単なる線の集りが、なぜ、そういう音とそういう意味とを有つことが出来るのか、どうしても解らなくなって来る。
 近頃人々は物憶えが悪くなった。これも文字の精の悪戯である。人々は、もはや、書きとめておかなければ、何一つ憶えることが出来ない。着物を着るようになって、人間の皮膚が弱く醜くなった。乗物が発明されて、人間の脚が弱く醜くなった。文字が普及して、人々の頭は、もはや、働かなくなったのである。

 ゲシュタルト崩壊/構築の物語です。文字のわざわいの物語。
 このとき、円城塔さんの『文字渦』(もじか)も思い起こした。円城さんの作品は、中島敦の『文字禍』を自覚的にオマージュし、「渦」とタイトルに付けたとわかります。

鬱屈禍と鬱屈渦?

 また、太宰治 の『もの思う葦』、「鬱屈禍」という作品があります。(うっくつか)ですね。わざわいですね。

 -不平は大いに言うがいい。敵には容赦をしてはならぬ。ジイドもちゃんと言っている。「闘争に生き、」と抜からず、ちゃんと言っている。敵は? ああ、それはラジオじゃ無い!原稿料じゃ無い。批評家じゃ無い。古老の曰く、「心中の敵、最も恐るべし。」
 私の小説が、まだ下手くそで伸び切らぬのは、私の心中に、やっぱり濁ったものがあるからだ。

 文学を生み出す禍い。
 それはぐるぐるの渦でもあるかもしれない。

 しかし…
 コロナ禍とコロナ渦。
 見ているとぐるぐる、してきます。
 まさに渦。
 ゲシュタルト崩壊がすごいです。めがチカチカします。


 誤用が増えてスタンダードになると、そちらが市民権を得て正しくなる。
 という現象があると、以前、言語学者の先生から聴きました。
「コロナ渦」も、スタンダードになるのかな?
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