1.茜の休職

文字数 1,550文字

  茜は、20年ぶりに「くすのき山駅」に立っていた。クローン人間育成所「くすのきの里」で一緒に育った仲間9人とこの駅から列車に乗り「日本昔話再生支援機構」本部に向かった20年前の元旦が、昨日のことのように思い出された。

 それまで見学したことしかなかった「支援機構本部」で働くことへの期待と不安で、ハイになり口から白い息を吐いて話し続ける仲間もいれば、氷のように表情をこわばらせる者もいた。茜は、後の方だった。ホームの端にひとり立って、じっと線路を見つめていた。目に滲みでてくるものを仲間に見られまいと、必死だった。

 20年の歳月は、あっという間だった。最初の2年間は、厳しい変身指導と演技指導に明け暮れた。並行宇宙に存在する日本。そこの人たちの記憶から昔話が消えてしまわないよう、定期的に同じ昔話を演じるのが、茜たち、「日本昔話再生支援機構」に属するクローン人間の仕事だ。

 そのため、茜たちは、天女に化けたり、動物に化けたりできるよう遺伝子操作を受けている。それでも、本当にスムーズに変身し、解除するためには、徹底した訓練が必要だ。過去の日本人の間に溶け込むために、演技力も磨かなければならない。

 訓練期間が終わり、竜宮城の踊り子の一人とか、『鉢かつぎ姫』に登場する女中たちの一人とか、「その他大勢」役で休む間もなく使い回されること8年。

 11年目に入って主役が回ってきた時は、飛び上がらんばかりに喜んだ。茜の持ち役は、乙姫、かぐや姫、『鶴の恩返し』の「鶴」だ。

 しかし、今では、主役の座を勝ち得たのは長い目で見たら失敗だったと悔やんでいる。主役は「あちらの世界」にいる時間が長い。複雑な演技も必要だ。その分、激しく体力と神経を消耗する。しかも、主役以外の脇役の仕事も、容赦なく回ってくる。

 主役と脇役の兼業を10年続けた茜は、心身ともに疲れ切っていた。それでも、自分に鞭打って、変身をし演技を続けた。私は、日本昔話を演じるための遺伝子改造クローンとして生まれた。演じる以外に、私の存在価値はない。茜は、そう、思い定めていた。

 ところが、先月、上司の命令で、産業医面談を受けさせられた。産業医から精神科受診を勧められ、精神科医からは6ヶ月は仕事を離れて休養する必要があると言われてしまった。診察室で医師のその言葉を聞いた時、張り詰めていた糸がブツンと切れた。

 茜は正式に休職に入った。ところが、クローン・キャストは、全員、官舎で生活させられている。休職しているのに官舎で暮らすというのは、針のムシロそのものだった。朝ゴミ出しに行くと、これから出勤する仲間に出くわす。仲間は、見てはいけないものを見たような顔をして、茜から目をそらす。

 スーパーへの買出しは、仕事帰りの仲間と顔を合わさないよう午前中に行くのだが、仕事のないクローン・キャストは自宅待機しても良いので、そういう仲間の誰かしらと鉢合わせすることが多く、結局心が休まらない。

 そうかと言って、旅に出ることもできない。「日本昔話再生支援機構」のクローン・キャストは立ち回り先を厳しく制限されていて、官舎以外で外泊するには、上司の許可が必要だ。休職中の茜が外泊を認められるとは思えない。

 などと悩んでいる時に、自分が育ったクローン人間育成所の「くすのきの里」に行くことを思いついた。産業医に打診すると、人間にとって実家と同じ育成所に戻ることは治療のひとつとして認められるとのこと。

 産業医の言葉どおり、茜の外泊申請は簡単に認められた。「くすのきの里」には、茜を育ててくれたマザーたちがまだ働いていて、喜んで迎えてくれると言う。

 こうして、木枯らしの吹き抜ける駅頭に、茜は立っているのだった。
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