プロローグ なんでB級ホラー同好会は賑わっているんだ
文字数 3,067文字
「どうしよ……」
僕はそう呟いた。
三月末。がらんとした聖書研究会の部室には、僕、内藤伊作と、もう一人の新三年生、谷内義也の二人しかいない。
それだというのにきょうも隣のB級ホラー同好会の部室からは、「グロっ」「うえーエゲツないな」「うは、こうきたか」と楽しそうな声が聞こえてくる。非常にくやしい。
聖書研究会はこの間まで三年生が三人いた。いずれもクリスチャンホームで育った優しくて綺麗な女子の先輩だ。卒業して、三人とも立派なキリスト教系の女子大に進学した。
……僕も義也もクリスチャンではない。綺麗な先輩三人への下心で入部しただけのノンクリスチャンだ。だが結果、僕も義也も、聖書研究の虜になって、毎日貪るように聖書を読んでいる。何度通読したかは覚えていない。
そういう、無駄に熱いうえに怪しい聖書研究会である、綺麗な先輩がいないと入るひとなんかいないような部活なのに、はっきり言ってしまえば変態しかいないのだ。そんな部活、入りたくないに決まっている。
「どーした伊作。目のハイライトが消えてるぞ」
義也は呑気にぶどうジュースを飲んでいる。学校の自販機はどの飲み物も百円なので、みんな学校の自販機が大好きだ。
「ジュースなんか呑気に飲んでる場合か。来週には新学期始まるだろ。一年生が三人入らなかったら廃部なんだからな。なんかないか、新入部員を集める方法」
「うーむ。なんかって言われてもな…」
僕はため息をついた。
「義也に相談した僕がバカだった」
そうやっていると、どうやらB級ホラー同好会で観ていた映画が終わったらしい。廊下にざわざわと雑談する声が響いている。
B級ホラー同好会は基本的に映画を観るだけの部活だ。聖書研究会なんぞより圧倒的に楽チンである。そりゃ部員も集まるわなあと思っていると、聖書研究会の部室の建てつけがよくないドアがギーと開いた。
「やっほう」
B級ホラー同好会の部長、篠田尚美だ。目鼻のパッチリした可愛らしい女の子だが、ゾンビ大好きグロいの大好きの困った女の子でもある。だがそれを知らなければ気さくな性格でいい子なのでクラスのみんなに好かれている。まあそんなことはどうだっていい。
「何の用だよ」
僕がちょっとケンカ腰で尋ねると、尚美はニマッと笑って、えげつないえくぼを見せつけながら、
「相変わらず退屈そうね」
と、ちょっと傷つく一言を発した。
「退屈で結構」
義也が答える。
「聖書研究会、新入部員三人入んないと廃部なんだっけ?」
「なんで生傷に塩をすりこむようなことを言うんだよ。分かってるよ、んなこと」
義也がちょっと不機嫌そうにそう言う。尚美はタブレット端末を取り出し、
「面白いショートムービー見つけたんだ〜」
とかなんとか言いながら観たいとは一言も言っていない僕らにそれを観せた。なにやらテンプレ的なキリストが、でっかい魚の骨でゾンビと戦っている。
「……なにこれ」
僕がボソリとそう言うと、
「奇跡で復活させたひとがゾンビ化して襲ってくるのを、キリストが魚の骨でやっつけるって映画」
と、尚美は全く悪びれる様子もなく、相変わらずえげつないえくぼを見せてニコニコしている。
「どしたの?」
「あのな尚美、聖書のヘブル人への手紙7章25節にだな、「完全に救うことがおできになります」ってあってだな、ゾンビになるっつうことはないんだよ」
「伊作、そこじゃなくないか? ラザロのよみがえりとか、挙げるべき例はほかにも」
「……なんかもうちょっと面白い話ないの?」
……そうか。
尚美が言ったとおり、僕らの話は面白くないのだ。
面白くない、いかにも小難しい聖書の話を聞いて、入部したいと思うやつなぞいないのだ!
歯がゆい。聖書はこんなに面白いのに、僕らがつまらないせいで部員は……。
いやまて。新学期がはじまるのは来週だ。まだ部員が入らないと決まったわけではない。
尚美が冷やかしから帰って、僕は真面目に考えた。
春休み中にポスターを作ろう。キャッチーで明るくて、みんなが聖書研究会に入りたくなるようなやつ。
「あのさ義也。ポスター用紙って」
部活動の勧誘ポスターは、先生のハンコの押された専用の紙を使わねばならない。たしか義也が受け取ってきたはずだ。
「ポスターなら描いたぞ?」
そう言い義也はポスターを取り出した。
「神と和解せよ 聖書研究会」
「死後さばきにあう 聖書研究会」
……田舎でトタンの壁に貼ってあるやつのデザインそのままだ。
「それで全部……なのか?」
「おう。去年もこのデザインだったろ?」
義也。ダメなんだ、そんなポスターじゃ誰も入ってくれないに決まっている……。
しかし部活動の勧誘ポスターは各部二枚までで、書き損じても新しい用紙はもらえない。しかし、義也の描いたポスターはご丁寧に絵の具で仕上げてある。描き直しは不可能だ。
……僕らはその日、何の策もなく解散した。そして何の策もないまま一週間過ぎて、新学期がやってきた。
当然、聖書研究会の部室には誰もこない。B級ホラー同好会は賑わっている。なぜだ……。
聖書研究は完全にストップしている。なんとかして新入部員を入れなくてはならない。その策をずっと練るものの、しかしなんの策もない。
「……新入生歓迎会まで、土日があって、それからあと三日か……」
僕はそう呟いた。
新入生歓迎会というのは、新一年生と校歌を歌ったりするイベントで、新入生の前で部活の勧誘プレゼンも行われる。そこでなにか面白いアピールができれば、部員が入ると思ったのだ。
「聖書のここが面白いっていうのないかな……俺らノンクリスチャンだし救いとかをダシにするのは逆にドン引きされそうだしな……」
義也も悩んでいる。
廊下がにわかに騒がしくなった。B級ホラー同好会が解散したようだ。もうそんな時間か。
また尚美が勝手に入ってきた。
「なんだよ尚美。用もないのに来るなよな」
僕がそう言うと、尚美は珍しく心配そうな顔をしていた。
「聖書研究会、廃部になっちゃうの?」
「よせよ、縁起でもない。まだわからん。諦めたらそこで黙示録だ」
「あのさあ、聖書って出てくる人って、みんな立派な人なの?」
尚美の謎の質問に、僕と義也は顔を見合わせた。
「……はい?」
「だから。なにか面白い人は出てこないの? 笑えるキャラとか出てこないの? きっと堅苦しそうだからだれも入らないんだよ」
「……尚美、なんでそんなことを?」
「だってあたしのB級ホラー同好会のお隣が、伊作と義也じゃなくなったらやだもん」
どきりとした。
尚美がそこまで僕らを心配していたとは。尚美が、そんなよい子だったとは。
尚美が初めて可愛く見えた。
「変な生き物の本めっちゃ流行ったじゃん。そんなふうにさ、聖書の変な人紹介したらどうかな」
尚美の提案は、なかなか的を射ていた。確かに聖書は「世界初のライトノベル」なんて言われる、キャラクターの宝庫だ。変人だってたくさんいる。英雄のイメージのダビデだって、ヨダレを垂らす作戦で助かっている。
「面白い人……それ、いけそうじゃないか?」
僕は義也にそう提案した。
「……それだな!」
義也は嬉しそうな顔をした。
かくして、聖書研究会は、「聖書ヘンなやつ研究会」として活動を始めることにした。タイムリミットまで残り少ない。僕と義也は、備品の聖書を手にとった。
僕はそう呟いた。
三月末。がらんとした聖書研究会の部室には、僕、内藤伊作と、もう一人の新三年生、谷内義也の二人しかいない。
それだというのにきょうも隣のB級ホラー同好会の部室からは、「グロっ」「うえーエゲツないな」「うは、こうきたか」と楽しそうな声が聞こえてくる。非常にくやしい。
聖書研究会はこの間まで三年生が三人いた。いずれもクリスチャンホームで育った優しくて綺麗な女子の先輩だ。卒業して、三人とも立派なキリスト教系の女子大に進学した。
……僕も義也もクリスチャンではない。綺麗な先輩三人への下心で入部しただけのノンクリスチャンだ。だが結果、僕も義也も、聖書研究の虜になって、毎日貪るように聖書を読んでいる。何度通読したかは覚えていない。
そういう、無駄に熱いうえに怪しい聖書研究会である、綺麗な先輩がいないと入るひとなんかいないような部活なのに、はっきり言ってしまえば変態しかいないのだ。そんな部活、入りたくないに決まっている。
「どーした伊作。目のハイライトが消えてるぞ」
義也は呑気にぶどうジュースを飲んでいる。学校の自販機はどの飲み物も百円なので、みんな学校の自販機が大好きだ。
「ジュースなんか呑気に飲んでる場合か。来週には新学期始まるだろ。一年生が三人入らなかったら廃部なんだからな。なんかないか、新入部員を集める方法」
「うーむ。なんかって言われてもな…」
僕はため息をついた。
「義也に相談した僕がバカだった」
そうやっていると、どうやらB級ホラー同好会で観ていた映画が終わったらしい。廊下にざわざわと雑談する声が響いている。
B級ホラー同好会は基本的に映画を観るだけの部活だ。聖書研究会なんぞより圧倒的に楽チンである。そりゃ部員も集まるわなあと思っていると、聖書研究会の部室の建てつけがよくないドアがギーと開いた。
「やっほう」
B級ホラー同好会の部長、篠田尚美だ。目鼻のパッチリした可愛らしい女の子だが、ゾンビ大好きグロいの大好きの困った女の子でもある。だがそれを知らなければ気さくな性格でいい子なのでクラスのみんなに好かれている。まあそんなことはどうだっていい。
「何の用だよ」
僕がちょっとケンカ腰で尋ねると、尚美はニマッと笑って、えげつないえくぼを見せつけながら、
「相変わらず退屈そうね」
と、ちょっと傷つく一言を発した。
「退屈で結構」
義也が答える。
「聖書研究会、新入部員三人入んないと廃部なんだっけ?」
「なんで生傷に塩をすりこむようなことを言うんだよ。分かってるよ、んなこと」
義也がちょっと不機嫌そうにそう言う。尚美はタブレット端末を取り出し、
「面白いショートムービー見つけたんだ〜」
とかなんとか言いながら観たいとは一言も言っていない僕らにそれを観せた。なにやらテンプレ的なキリストが、でっかい魚の骨でゾンビと戦っている。
「……なにこれ」
僕がボソリとそう言うと、
「奇跡で復活させたひとがゾンビ化して襲ってくるのを、キリストが魚の骨でやっつけるって映画」
と、尚美は全く悪びれる様子もなく、相変わらずえげつないえくぼを見せてニコニコしている。
「どしたの?」
「あのな尚美、聖書のヘブル人への手紙7章25節にだな、「完全に救うことがおできになります」ってあってだな、ゾンビになるっつうことはないんだよ」
「伊作、そこじゃなくないか? ラザロのよみがえりとか、挙げるべき例はほかにも」
「……なんかもうちょっと面白い話ないの?」
……そうか。
尚美が言ったとおり、僕らの話は面白くないのだ。
面白くない、いかにも小難しい聖書の話を聞いて、入部したいと思うやつなぞいないのだ!
歯がゆい。聖書はこんなに面白いのに、僕らがつまらないせいで部員は……。
いやまて。新学期がはじまるのは来週だ。まだ部員が入らないと決まったわけではない。
尚美が冷やかしから帰って、僕は真面目に考えた。
春休み中にポスターを作ろう。キャッチーで明るくて、みんなが聖書研究会に入りたくなるようなやつ。
「あのさ義也。ポスター用紙って」
部活動の勧誘ポスターは、先生のハンコの押された専用の紙を使わねばならない。たしか義也が受け取ってきたはずだ。
「ポスターなら描いたぞ?」
そう言い義也はポスターを取り出した。
「神と和解せよ 聖書研究会」
「死後さばきにあう 聖書研究会」
……田舎でトタンの壁に貼ってあるやつのデザインそのままだ。
「それで全部……なのか?」
「おう。去年もこのデザインだったろ?」
義也。ダメなんだ、そんなポスターじゃ誰も入ってくれないに決まっている……。
しかし部活動の勧誘ポスターは各部二枚までで、書き損じても新しい用紙はもらえない。しかし、義也の描いたポスターはご丁寧に絵の具で仕上げてある。描き直しは不可能だ。
……僕らはその日、何の策もなく解散した。そして何の策もないまま一週間過ぎて、新学期がやってきた。
当然、聖書研究会の部室には誰もこない。B級ホラー同好会は賑わっている。なぜだ……。
聖書研究は完全にストップしている。なんとかして新入部員を入れなくてはならない。その策をずっと練るものの、しかしなんの策もない。
「……新入生歓迎会まで、土日があって、それからあと三日か……」
僕はそう呟いた。
新入生歓迎会というのは、新一年生と校歌を歌ったりするイベントで、新入生の前で部活の勧誘プレゼンも行われる。そこでなにか面白いアピールができれば、部員が入ると思ったのだ。
「聖書のここが面白いっていうのないかな……俺らノンクリスチャンだし救いとかをダシにするのは逆にドン引きされそうだしな……」
義也も悩んでいる。
廊下がにわかに騒がしくなった。B級ホラー同好会が解散したようだ。もうそんな時間か。
また尚美が勝手に入ってきた。
「なんだよ尚美。用もないのに来るなよな」
僕がそう言うと、尚美は珍しく心配そうな顔をしていた。
「聖書研究会、廃部になっちゃうの?」
「よせよ、縁起でもない。まだわからん。諦めたらそこで黙示録だ」
「あのさあ、聖書って出てくる人って、みんな立派な人なの?」
尚美の謎の質問に、僕と義也は顔を見合わせた。
「……はい?」
「だから。なにか面白い人は出てこないの? 笑えるキャラとか出てこないの? きっと堅苦しそうだからだれも入らないんだよ」
「……尚美、なんでそんなことを?」
「だってあたしのB級ホラー同好会のお隣が、伊作と義也じゃなくなったらやだもん」
どきりとした。
尚美がそこまで僕らを心配していたとは。尚美が、そんなよい子だったとは。
尚美が初めて可愛く見えた。
「変な生き物の本めっちゃ流行ったじゃん。そんなふうにさ、聖書の変な人紹介したらどうかな」
尚美の提案は、なかなか的を射ていた。確かに聖書は「世界初のライトノベル」なんて言われる、キャラクターの宝庫だ。変人だってたくさんいる。英雄のイメージのダビデだって、ヨダレを垂らす作戦で助かっている。
「面白い人……それ、いけそうじゃないか?」
僕は義也にそう提案した。
「……それだな!」
義也は嬉しそうな顔をした。
かくして、聖書研究会は、「聖書ヘンなやつ研究会」として活動を始めることにした。タイムリミットまで残り少ない。僕と義也は、備品の聖書を手にとった。