二章 家族の足音

文字数 1,749文字

 高2で家出して8年、いまさら、帰りたくなるなんて思わなかった。きっかけは「家族」を見かけたからだ。家族と言っても、俺の家族を見かけた訳じゃない、ある日偶然通りかかった夏祭りの会場で、子供が両親の間に挟まって手を繋ぎ、ぶら下がって遊んでいる。その姿を見て俺は幼い頃のことを思いだし、帰りたい。と思ったんだ。だが、帰ってどうするというんだろうか。8年も連絡もせずに過ごしている息子が、突然帰ってきたとして、どんな顔をするんだろう。泣くだろうか、怒るだろうか…優しい笑顔で「おかえりなさい。」なんてことは無いだろう。おそらく、母さんは泣き、父さんは怒る。2歳下の弟も父と同じだろう。いや、あいつは母さん似だから、泣くかもしれない。今、家族はどうしているのだろう。出ていった俺のことなど忘れて、平和な家族になっているのだろうか。家族のことが気になり、どうしても堪えられなくなった俺は、ひとまず実家の近くまで行ってみることにした。
 実家のある町まで来たが、8年でだいぶ町並みは変わっていた。けれど、不思議と違和感を感じなかった、道こそ変わっていないが、その周りにある建物はだいぶ変わっているはず。なぜ、なぜ違和感が無いんだろう。あの頃は、近所の家の人達とも仲が良かった。公園の側に住むおばあちゃんに、家に上げて貰ったりもした。その家だってもう別の建物になってしまっている。ほとんどのものが変わってしまっているのに、なぜこんなに落ち着くんだろう。そう思いながら、歩いていく人々の中で立ち止まっていると。気づいた、あの頃と同じだったんだ。あの頃と同じように、変わらずに毎日人は歩いていく。歩いていく人の顔に見覚えがある訳じゃない。でも、確かにあの頃と同じだった。
 しばらく立ち止まっていた。すると、どこかから足音がした、他の足音に混ざっているはずなのに、しっかりと聞こえてくる足音。辺りを見回すと、自分と同じくらいの背丈になって、すっかり大人になった弟がいた。
 弟と一瞬、目が合った。きれいな二度見をした弟がこっちに駆け寄ってくる。目に涙を浮かべながら「兄ちゃん…?兄ちゃんか?」と聞いてくる弟の顔を見て、俺は分かった。俺の家族は、少なくとも弟は、俺のことを嫌ってもいないし、忘れてもいなかったんだ。そう確信した俺は、弟の問いに答える、「そうだよ…久しぶり」その言葉を聞いた途端、弟は俺の肩に手を掛け、声を堪えるように泣き出してしまった。俺は泣きじゃくる弟と、公園のベンチに座った。
 しばらく、弟の静かに泣く声だけが聞こえていた。そこで俺は話しかける。「母さんと父さんは、元気か?」それに対して弟はまだ潤んだ瞳で俺を見つめながら答える「ああ、元気だよ。会ってやれよ。どうせそのために来たんだろ?」そうだな、と答えて立ち上がり、弟に言う。「帰ろう」と。
 久々の実家は、思った以上に変わっていなかった。変わらないな…と思いながらその場に立ち止まっていると、弟が背中を押して「早く早く」と言ってくる。ゆっくりと深呼吸をして、扉を開ける。やっぱり、中も変わってないあの頃と同じ…そう、あの頃と同じだ。僕の記憶にある実家の玄関と何も違わない。そう思ったところで、弟が耳元で「何も変わってないだろ?…兄ちゃんがいつ戻ってきても言いようにって母さんがあの頃のままにしてるんだよ」と教えてくれた。母さんが、俺のために…俺が帰ってきたとき、安心できるように。そう思ったとき、俺の視界は少しぼやけた。目を擦り、出来るだけ優しく、でもお腹から声を出して言う「…ただいま」と。すると、少し置いてから足音が聞こえ出した。廊下の向こうのほうから聞こえる、軽く、焦ったような足音。母さんだ、確かに母さんの足音だ。何度聞いただろう。母さんを呼ぶ度に聞こえた、トタトタという可愛らしく優しい音。そして次に聞こえてきたのは、8年前と比べると軽くなったが、まだ重々しい、頼もしい足音だ。父さんだ。仕事から帰ってくる度に「ただいま」も言わずに、扉を閉める音、そして、頼もしい、力強い足音で自分の帰宅を伝えていた。あの頃よりも軽い、でもまだ力強い足音が、家のどこかから響いてきた。昔のことを思い出し、涙が出てくる。ああ、懐かしい。俺は…帰ってきたんだ。
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