第1話

文字数 1,361文字

「やられたことをやり返しただけです。何が悪いんですか、先生。」

 少年は両手を教卓に叩きつけながら言う。クラスの数人が驚いたように体を跳ねさせる。
 しばらく教室は沈黙している。夕日の明かりが窓に差し掛かる。帰りの学活が始まってから、既に三十分が経過した。先生はようやく口を開く。
「やられたからといって、やり返していい理由になるはずがありません。」
矢継ぎ早に先生は説教している。
「最初にやった彼よりも、やり返した君の方が悪いに決まっています。最初にやった側の人は、ほんの出来心だった可能性もありますから。仮にやられたとしても、やられた側は冷静になって誰かに相談するべきです。そうすれば今よりも丸く収まったはずですよ。」
 クラスメイトのほとんどは先生の言い分に同調し、親の仇というべき眼光の鋭い目で一人の少年を見つめた。最初に手を出した彼は、満足げな表情を隠せないでいる。
 少年は難しい顔をした。

 少し経ったあと、先生はクラスメイトに解散を命じた。少年が反論せずに黙りこくったままだったからだろう。先生は少年の方が悪いとほのめかすような発言を繰り返したのち、「最初にやった彼」と「少年」の両者ともに悪いと結論付けた。そして、少年の思考を待たずしてこの件は落着した。謝罪も断罪もない学級裁判だった。
 私は少年に接近するべく、帰りの学活後から付き纏った。少年は誰よりも早く教室を出たが急いではいなかった。何かを考えることに没頭できる場所を探しているように見えた。机の中にしまっていた教科書を急いでランドセルに詰め込んで、少年の後をついていく。
 教室がある南校舎を抜けて、北校舎の二階にある学校図書館へと向かった。

 さくら小学校は田舎の公立校という肩書に反して綺麗だった。旧校舎はさておいて、入学前に大規模な建設がちょうど完了したらしく、私たちは新校舎で授業を受けている。クリーム色で統一された壁のすべてが光沢を持っているし、なにより椅子がプラスチック製で新鮮だ。灰色でぼろぼろの給食着以外は、見事に生まれ変わっていた。
 図書館も例外ではなく、特に広さに関しては前身よりも二倍以上になったという。余ったスペースを活用して多くの小学生が快適に利用できるように工夫が凝らされている。マスコット的なくじらをかたどった椅子や小さめのバランスボールが置かれていたり、カラフルなタイルが敷かれている場所では裸足になることができたりと、珍しい学校図書館だ。

 少年は図書館に入るや否や、きわめて一般的な木の椅子に腰をかけた。私はしばし様子を見てみることにした。少年は自然と目を閉じたが、寝たというわけではなさそうだ。手首を曲げて頬杖をついている。ときどき眉間に皺が寄って、またほどかれる。唇を前に突き出して、また筋肉の緊張を解く。表情が豊かで思わず笑みがこぼれてしまう。少年はパッと目を開いたが、微動だにせず沈黙を貫いていた。
 私は静かに一歩ずつ歩み寄り、少年の隣の椅子をゆっくりと引きずってから座る。少年の目をじっと見つめてみるが、両目の焦点は合っていない。ずっと遠くを見ているようでもあって、しかし瞼の裏側を見ているようでもあった。
 思い切って声を掛けてみた。
「佐藤君。」
 少年は「わっ!」と驚いた。
 どこからともなく私たちに視線が突き刺さった。

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