第二十一話 ロジャー・クランク

文字数 2,137文字

この地域では、春を終えても尚、時折宙に雪が舞う。天高くそびえる、神の住むとされる山脈より滑るようにして届けられるそれは『神雪氷』と呼ばれ、今宵も月光を受けて白々と輝いていた。
魔女らが語りあう時と同じくして、ここオルドの町のはずれの石づくりの小さな工房に、夜な夜な甲高い音を鳴らしながら鉄を打つ者がいた。この者もグリンデらと同じように、滅多に人の寄り付かない、あの危険な雪山を志している。
彼の名はロジャークランク。とある理由から、帝国政府から身を隠し、この町で暮らしている。

彼は十数年前にあった戦争に兵士として戦場へ赴き、右目、左足、そして窮地を共にした仲間を失った。
これ以上の絶望はない。当時の彼は、生き永らえも半ば屍と化していた。その彼の瞳に再び光を与えたものに、生き残った他の部隊の仲間の存在も大きかったが、もう一つ大きな存在が彼に生きる理由を呼び戻した。神の住むとされるエルビス山脈の最先端【ゴッドホルン】である。
ゴッドホルンは、この国の根幹に大きく関わる「創世記」にも登場するほどで、民衆からとても崇められている。しかし、あまりに過酷な環境からか、ある区域を除いて警備の帝国兵もめっきり姿を消す。まして神の住むとされる地である。そのような禁域に踏み込もうと思う者もおらず、まさに前人未到の地であった。
一度は死を見た身。もはや罰や恐れなどはない。エルビス山脈に辿り着くまでの道中は、仲間に頼れば良い。彼はどうしてもその山に登り、神に問いたくなったのであった。何故このような無情な世界を創ったのか、と。頭の中で消えずに残っている仲間たちの叫び声が、よりその想いに拍車をかけ続けているのであった。
元々、武器を自分で手入れをしていたのもあり、多少の知識はあった。幸いにも両手は残されている。まずはその目標の為に、障害を持つ自分でもあの危険な山を登れるように、と帝国の城下町に工房を携え、道具作りに励んだ。もしかしたら、彼が多少名の知れた兵士であったことも要因かもしれない。作り始めてまもなく、なにやら人伝に彼の道具が大変使いやすいと瞬く間に噂が広まっていき、気がつくと工房の周りにはその道具を求めた人だかりができるようになっていた。
ゴッドホルンに登る決意の根源が、失った仲間の存在が大きい点にも挙げられるが、基本的に彼は他者の想いに応えるべく動く人間である。まして道具をつくる材料を得る為にも、資金作りはかかせない。自分の道具作りの合間に、他人の求める道具を作り、感謝と金と経験を得て新しい道具が完成する。このうえない循環が巡り、問題なく目標に進んでいるように思われた。
しかし、ある日事件が起きた。噂を聞きつけた帝国政府が、ロジャーに目を付けたのである。何も彼らは、金を求めてロジャーの元に訪れたわけではない。彼が生み出した、ある道具に用があったのだ。
その道具に対し、とある要求をロジャーに出し続け、彼は頑なにそれを断り続けた結果、帝国側は難癖付けてロジャーの工房を強奪、そして解体してしまった。それだけではない。彼を身一つで荒野に放り出してしまったのだ。ロジャーの知識が漏洩しても困るのだろう。その存在自体がもはや邪魔だったのだ。
障害を持つ者がこの荒野で投げ出されては生きてはいけない、と帝国側は思っていたに違いない。しかし、寸でのところで友人のアウラに助けてもらい、命からがらこの町へと辿り着いたのであった。
アウラはロジャーが兵士だった頃からの友人の一人なのだが、オルドの町の町長の親族という事もあってか、古くからこの町の事やゴッドホルンに登る目標を、酒を交えながらよく語り合っていた。
オルドの町は山脈のすぐ麓にある。天気が良い日に見上げれば、すぐにその目標であるゴッドホルンを拝むことが出来る。そして帝国中心からこの町に辿り着くまでの道中には、危険も多くかつ距離もある。アウラのように、鍛え抜かれた一流の兵士でない限り、辿り着くのは困難であろう。環境柄、中々人が訪れられない辺境の地でもあったがゆえに、静かに隠れて道具作りに励むにはうってつけの場所でもあった。素材が手に入り辛い点以外は何ら問題もない。アウラのお陰で、町長や町の住人達も、ロジャーをこの町で匿う事に協力してくれていた。
あれから数年、ようやく工房を完成させたところで、ここまで協力してくれたアウラ達の気持ちに答える為にも、こうして夜な夜な鉄を打つ気持ちに熱が入っていた。
ゴッドホルンではほんの少しの油断が命取りになるであろう。その為、道具が出来てすぐにゴッドホルンを目指すことはせず、まずは準備がてら近くの山林などで試し使いをするのだが、今制作している道具はいつもとは違い、少し遠くの山脈中腹を目指す予定だった。あらゆる道具が完成し、万全の状態になった時、その先にあるゴッドホルンを目指すのだ、と彼は心に決めていた。
「……さぁて、あと少しだ。この調子でいくと、数日以内に道具を試す事が出来るな。焦らず確実に仕上げよう。輝かしい未来の為に、今を粗末にしてはいけない」
ごうごうと燃える火炉は、黄色の瞳に赤を加え、まるで彼の心の奥に眠る深い熱意を表しているかのようであった。
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