返信

文字数 1,740文字

神崎 渚 様     

 手紙、読みました。一緒に入っていた最後の劇の台本もありがとう。渚から手紙をもらうとは、正直驚きました。
 私は今まで渚のことを一番よく知っていると思っていたのに、渚のお母さんがまさか、あの、榊原瑠璃子だったとは、思いもしなかった。そして私のことをどう思っていたのかも…だけど私は死ぬまで(もうすぐ死ぬけど)渚の親友であることに変わりはないよ。
 それにしてもこの台本、とても懐かしいね。読み進めていくうちに、忘れかけていたいろいろな思い出が手に取るようによみがえってきたよ。声だし、筋トレ、立ち稽古、全てが演劇につながっている、と渚がいつの日か言ったのをよく覚えてる。
 私は知ってるよ。渚が努力家だってこと。まだ部活が始まる前に一人で流れを確認したり、ストレッチをしていたのを、こっそり見たことだってあるのよ。あなたはわたしよりも絶対に上手いよ。私の十倍も、いや百倍のもっと上の演じ方をしてる。
 だから、あの劇で本当に私は主役をするべきだったのかと今でも思う。あの『ロミオとジュリエット』のジュリエットはやっぱり、渚の方が良かった気がする。そりゃ、終わった話だから何も言えないのは確かなんだけど私には何か罪悪感があったの。
 主役を演じると決まった時、あなたが見せた眼差しが、ジュリエットを演じる時はいつも付いてきた。渚もジュリエット、やりたかったんだよね。他の部員の視線も私の方に集中した。みんなもジュリエットはやりたかったんだよね。私は日々練習を重ねていくごとに、どんどん何かから追いつめられていくようにいなった。そして、台本がどこかへ消えてしまった時、ようやく私はその感情から解き放たれた気がする。 
――やっと自由になれた
そう思った。主役というものは私が考えていた以上に壮絶で私にとってかなりの重荷になってしまっていたのかもしれない。いや、むしろ私が重くしてしまったのかもしれない。
 私は四人兄弟の二番目で、上には兄が、下には小さな双子がいる。母の愛情はすべて弟たちにあの日からいってしまったの。私はショックだった。昨日まであんなに私のことを可愛がってくれたのに、って。どんなに私がきれいに洗濯物を畳めたって、上手くリンゴの皮をむいたって、褒めてはくれなくなった。どうしたら母の気を引けるか、それだけだった。
 その日から何でも一番をとるようにした。テストの点もクラスでの人気も一番をとったら、母は私のことをかまってくれるのではないか、そう期待した。でも母は私のことを見てくれなかった。
 中学になって、渚と同じ演劇部になった時も主役という一番を目指した。だけど、私より渚の方が演じるのが上手かった。それを知ったのは演劇部になって初めての定例演劇会。『竹取物語』の劇で、私たちは天女役。台詞が一切ないこの役では全然面白さがない、内心そう思っていたから、真剣に演じていなかった。なのに渚は同じ役だというのに、一つ一つの振りがなんてやわらかいのか、表情がなんて豊かなのか、本当に天女を思わせる、私とは大きくかけ離れた次元の演じ方をしていた。その後、私がどんなに練習しても、あなたの演技には一ミリたりとも近づけなかった。私は初めて一番を奪われそうになって焦った。同時に母からの愛も遠ざかっていくことを恐れた。
 だから、私は主役になるため…投票用紙を偽造した。
 演劇部では投票によって役決めされる伝統があったでしょう。私はその票に書いてある「神崎渚」という名前を消して「高木ユリカ」と偽りの票を作ったのよ。今まで私が渚よりも良い役を演じていたなんて嘘、これが真実。
 私は卑怯なのよ。たかが母の愛のために親友のことを裏切るんだもの。きっとこの手紙が届く頃、私たちはこの世からいないでしょう。だけど、もしもまだ生きていて、あなたがこの手紙を読んだのなら、私のことを罵るかしら。それとも情けないと捨ててしまうかしら。どちらにしても、私は地獄に落ちるわね。自分でも阿呆な生き方をしたものよ。
 こんな私と友達でいてくれてありがとう。そして、ごめんなさい。

                                   高木ユリカ 
 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み