第2話

文字数 4,037文字

こどもごころ

親戚の集まりに行くと、大抵周りの大人たちからの「ちゃんと働いているのか」攻撃が始まる。とういうのも、俺は高校を卒業した後、進学も就職もせずプラプラしていた時期があったからだ。自分探しとか何とか言って、好き勝手遊んでいた。
友達とバンドやってみたり、フリーターやってみたり。
今はちゃんと就職して働いて、自分で稼いだお金で生活している。だからあーだこーだ言われる筋合いはない。
まぁ、それでも好き勝手やってたのは事実だし、あれこれ言われるのは仕方ないんだけど、やっぱり鬱陶しい。
嫌なら行かなきゃいいんだけど、そうもいかない。
俺はそこまで近い縁があるわけじゃないけど、会いたい奴がいるから顔を出している。

蒸し暑いお盆の時期に親戚の家の戸を開くと、ぱたぱたと足音が聞こえてくる。土産に持たされた水ようかんの重さのせいで、余計に疲労がたまる。
「岳弥お兄ちゃんだぁ」俺があげた電車のおもちゃを持って、奥から親戚の子供の輝也が走ってきた。
会った瞬間から俺のズボンを掴んで抱っこ、抱っことせがんでくる。
「分かった分かった、また大きくなったなお前」よいせ、と持ち上げると、依然あった時よりも重たい。へへっ、と笑う顔が無邪気で可愛い。ぷくぷくしたほっぺたを掴むと、さらに嬉しそうに笑う。きゃあーっと声をあげて笑う所を見ていると、俺まで楽しくなってくる。
「なに騒いでるの、うるさいよ輝也」奥からおばさんがしかめっ面で覗き込んでくる。
「あー、すいません、楽しくなっちゃったみたいで」と軽く頭を下げるとおばさんはぶつぶつ言いながら下がっていった。
居間に向かうと、親戚の目が俺に向く。「またずいぶん派手な髪の色してるなー」俺に唯一優しくしてくれるおじさんが愉快そうに笑う。それ以外の親戚は白けた目で俺を見る。
「髪の毛痛みまくってます」「いいじゃない、若いうちに好きにやれば」おじさんはあはは、と軽く笑った。婿養子としてこの家に来てから肩身の狭い思いをしてきたらしく、ちょっとの事では動じない。この家で実は一番強いのはこのおじさんのような気がする。
「輝也君のお母さん、昔苦労したみたいんだ」おじさんは湯呑に浮いた茶柱を見つめながらそう言った。
「若い頃、当時付き合っていた人が不倫してね。結婚も前提にお付き合いしていたみたいなんだけど」「…そのあと、今の旦那さんに会ったんですか?」
「そう。真面目でお堅い人だよね、あの人もさ。お母さんは、輝也君を昔自分を苦しめたあんな適当な人間にさせまいと、きびしく躾けてるらしいけど」
湯呑のお茶をごくっと飲んで、おじさんはため息をつく。
「限度って、あると思うんだよな」「…俺もそう思います」

「おにいちゃん、みて」輝也が俺の所に駆けてきて、くしゃくしゃになった画用紙を見せてくる。クレヨンで描いたらしいそれは、輝也が好きな新幹線とショベルカーと、他にもいろんな乗り物が走り回っている。
「おー、うまくなったなー、すごいじゃん」頭をなでると。ふへへ、と笑う。
画用紙の端っこが破れてセロハンテープで止めてあるのは、気づかないふりをした。

前からずっと気になっていることがあった。
輝也の親は、なんとなく少し厳しすぎるというか、そっけないような感じがする。
例えば、さっきみたいに輝也が楽しそうにしていると、水を差すような叱り方をする。
それも大体、俺と遊んでいるとき。俺がおばさんたちに嫌われてるからなのかもしれないけど、それにしても当たりが強い。
チャラチャラした男に、うちの息子を触らせたくない、と思っているのかもしれない。
俺がぞんざいに扱われるのはいいんだけど、輝也が厳しく叱られているところは見たくなかった。

輝也の親に対する不信感みたいなものを感じ始めたきっかけがある。
輝也の誕生日はクリスマスに近いから、プレゼントはクリスマスの分と誕生日の分を一緒にされていた。
俺はそれがなんとなくかわいそうな気がして、二つ分のプレゼントをあげた。
自分だったら、なんでプレゼントを一緒にされるんだろうとふてくされるだろう。
子供の時くらい、好きなおもちゃに囲まれたっていいだろうと思った。
輝也は凄く喜んで大はしゃぎしてくれた。
「すごいすごい、」輝也が好きな電車のアニメのおもちゃと、10冊セットの生き物図鑑。包装紙を包んでいたリボンを持って楽しそうに歌っている。
ほほえましくその様子を見ていると、「岳弥君、ちょっと」
とおばさんが俺の肩をつつく。廊下に連れ出され、「あんまりうちの子供、甘やかさないでくれる?」と言われてしまった。「え、プレゼントの事っすか?」「そうよ、あれが当たり前になったらうちが困るの。プレゼントは二つ貰えるのが普通なんだって思われたらたまらないのよ」おばさんは心底迷惑そうな顔でそう言った。
「あとお年玉、あんなにあげないでくれる?去年よりも多かったじゃない。まだ子供なのに、贅沢ばっかり覚えられたら面倒なの」「あー、そうっすか、すんません」長くなりそうな話を終わらせたくて、俺は愛想笑いでごまかした。
俺がどの正月にいくらあげたかばっちり把握しているらしい。
正直、やべー親と思ってしまった。俺の親もテキトーな親だけど、欲しいものもお手伝いを必死にすれば買ってくれたし、行きたいところも連れてってくれた。
俺には子供がいないから、正しいしつけっていうのがどういう物なのかなんてわからない。結婚もしてないやつに子育ての事なんて言われたくないだろうけど、でも、少なくとも、子供に対してこういう風に接するのは、違うんじゃないかなと思っていた。

日が傾いて親戚一同がやがやと席を立つ。
俺もその流れにのって帰ろうとすると、俺が帰る気配を察した輝也が飛びついてきた。
「帰んないで」とすでに半べそをかいている。
俺が帰るとき、輝也はいつもこの世の終わりみたいに大泣きする。うぎゃーんという泣き声を聞いていると、凄く申し訳ない気持ちになる。
俺の足元にくっついて、いやいやと頭を振っている。「また来るから、な?」と頭を撫でても、いやだぁー、とさらに泣いてしまう。
いっそこのまま一緒に連れて帰ってやろうかと思うほどだった。
「ほら、岳弥君だって忙しいのよ」おばさんは、うっすらと額に青筋を浮かべている。やべー、と思った俺は、「またすぐ遊びに来るから、な。指切りげんまんしよう」と輝也に言う。それでも輝也は泣き止まない。
無理矢理おばさんが引き離そうとすると、「おにいちゃん、帰んないで、」と輝也が鼻をすする。
「わがまま言わないの、もう!」というおばさんの声で、窓ガラスが割れるかと思った。
輝也は長い廊下の向こうに連れていかれた。おにいちゃーん、という声が耳にぴったりとくっついている。
輝也が俺に甘えてくれるのは、自分の親が甘やかしてくれないからなんじゃないかと思っていた。
ズボンのすそについた、輝也の涙のあとをじっと見た。
そんな小さな違和感を感じるようになってから、俺は輝也が甘えたいように甘やかしてやろうと思った。

俺は輝也の親を何とか説得し、遊園地に連れていくことに成功した。
就職の面接より緊張した。
輝也はそれはそれは喜んで、出発する前から大はしゃぎしていた。「そんなにはしゃいでたら着く前から疲れるぞ」と言っても、えへへ、と嬉しそうに笑うだけだった。
半円のアーチをくぐれば別世界。子供のおもちゃ箱の中を立体化したらこうなるんだろうなと思った。
輝也が背負うクマの形のリュックサックには、おやつとかおもちゃとかがぎっしり入っている。そのおもちゃのほとんどが、俺が上げたものだった。
「あっち、あの大きいブーブに乗る」輝也は園内を走る二階建てのバスを指さす。
「はいはい」小さい体のどこにそんな力があるのか、俺の手をぐいぐいひっぱる。二階建てのバスには俺も初めて乗った。思ったよりも高さがあって、日本の夏特有の湿った風さえ爽快なものに変えてくれる。
その間にも、「次はあれ、今度はあれ」と輝也は園内の乗り物を指さし続ける。
「いいよ、好きなやつ何でも乗りな」というと、俺の膝の上できゃっきゃと笑う。
園内の着ぐるみが配る風船を受け取って、離れないように輝也のコッペパンみたいにむちむちした手首に結んでやる。うさぎの形の風船は、俺と輝也の間でゆらゆら揺れた。
コーヒーカップ、メリーゴーランド、観覧車、自分が小さい頃に乗らなかったものたち。回る遊具は俺の思考回路も掻き回す。
輝也、虐待とかされてないのかな。あんなに怒られて、ぐれたりしないかな。
養子って、どうやってもらうのかな。
もし、本当に輝也が生きづらいほどに苦しいなら、俺が手を伸ばしてやろうと思っていた。子供一人くらい養えると思う。
きっと俺が思っている以上に複雑で膨大な手続きがあるんだろう。
というかそもそも、虐待されてるなんて決まったわけじゃないけど、証拠もないけど、もし、そんな事が起きていたら、俺は助けてあげたい。
メリーゴーランドの上の、ユニコーンと目が合う。
黒瑪瑙をはめ込んだような瞳。油断してたら吸い込まれそうだと思った。
園内の半分を周り、昼ご飯を食べる。輝也は小さい手で器用に箸を使っていた。
「お前箸使うのうまいな」というと、「お母さんおこるから」と小さく言った。
このムードに不釣り合いな、園内を流れる陽気な音楽が、余計に俺の心を切なくさせた。
俺の心で渦巻く不穏な妄想はいまだにコーヒーカップのぐるぐるに振り回されている。
太陽が沈み始めた空の色は、輝也が好きなオレンジジュースに似ている。
すっかり遊び疲れた輝也は、俺の腕の中でうとうとし始めている。背中を優しくなでてやると、俺の服の袖をぎゅっと掴んだ。
「おにいちゃん、」「うん?」むにゃむにゃと、眠そうな声でいう。
「おにいちゃん、ずっと一緒がいい」その言葉を最後に、輝也は完全に眠ってしまった。
俺も、お前が俺の子供だったらよかったのにな。
そう思いながら、ナイトパレードの案内アナウンスを聞いていた。
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