第3話

文字数 4,118文字

「いたっ」
エニアは自分の左手を見る。今し方ナイフが当たってしまったところから、スゥー…と血が滲むのが見える。エニアは皿に果物とナイフを置くと、鞄から傷ぐすりと包帯を取り出した。
「はあ…大分上達したと思ったんだけど…あ」
エニアは傷ぐすりの細長い瓶を手に取り、ふと気付く。
蓋付のそれに並々と入っていた仄青い液体は、もう底から1センチほどしか残っていなかった。恐らく、今から使う分で終わってしまう。
エニアは、傷口に薬を掛けながら、久しぶりに薬草を取りに行こうと決めたのだった。


「森に入るの久しぶり〜」
エニアは慣れた足取りで、ひょいひょいと樹々の合間を縫うようにして歩いて行く。
昔から、しょっちゅう森に行っては遊び倒していたエニアにとって、どこの森だろうが、みな似たようなものだった。中程まで来て、目的の薬草を見つける。
「あ、あった」
エニアは鞄を下ろして、その薬草の前にしゃがみ込む。探していたこの薬草は、青い花と鮮やかな緑の葉や茎が特徴の植物だ。そしてその葉はカヤのように細長く鋭く、素手で触ると手を切り易い。エニアは下ろした鞄から厚手の手袋を取り出すと、ぎゅっと両手に嵌め、薬草を採り始めた。

「…さーてっと」
エニアは立ち上がると、『んぐーっ!』と身体を伸ばした。
「うん。今回は、これくらいでいいか」
エニアは麻袋を拾い口を縛ると、外した手袋と共に、鞄に仕舞った。

…と、そこで

「ん…?」
エニアが鞄のベルトに腕を通そうとすると、どこからか人の気配を感じた。
「なんだろ…」
別にこの森は立ち入り禁止ではないし、他の人が居てもなんらおかしくはないのだが、エニアはその気配が気になった。鞄を背負い、気配のした方へ足を向ける。
「確かこっちに…」
少し歩くと、段々と気配がはっきりしてくる。そして、まだ小さいが、声も少し聞こえてきた。
「…っ!」
エニアは足を早める。聞こえてきた声は、恐らく男のものだ。しかしそれは、言葉や単語などではなく、少し苦しそうな、呻き声のようなものだった。
エニアは程なくして、声の主と思しき人間を見つけた。
「大丈夫っ⁈」
エニアは慌てて駆け寄る。
声の主は、剣を腰に下げ武装した、冒険者風の少年だった。少年は熱があるのか顔が赤く、木に寄りかかった姿勢で、苦しそうに少し速い呼吸を繰り返している。汗をかいているのか、濃い色の髪が額や頰に、ベタリと張り付いている。
エニアは自分の手を少年の頰に伸ばすと、体温を確認する。
「…う」
「…っ、熱い…。えっと…」
エニアは少し考え、鞄から…カップ・タオル・水筒を取り出した。水筒の水でタオルを濡らし、よく絞って少年の額の汗を拭く。
「…う…」
冷たかったのか、少年が呻き、薄眼を開ける。
「あ!気が付いた…。大丈夫?」
少年はぼうっとした瞳でエニアをしばらく見つめると、掠れた声で呟いた。
「あれ…おれは…」
喉がやられているのか、苦しそうに咳をする。
エニアは水筒の水をカップに注ぎ、少年の口元に持っていく。
「大丈夫?これ、…飲める?」
少年はこくりと頷くと、ゆっくり、ゆっくりと水を飲んだ。
「…はあっ…ケホッ」
「…熱があるみたいだけど、何があったの?」
「な…に……ああ…」
エニアは少年の言葉をじっと待つ。多少の薬類はあるが、もし何かの毒とかだったら、エニアの手には追えないかもしれない。
少年は二、三度咳を繰り返した後、ぽつりぽつりと話し出す。
「…な、なさけ、ない…。すこしのどが…おかしい…と、おもったら…ケッホケホッ…かぜ、を…ひいた、らしくて…。くすり、ちょうど…きらして…てっ」
『ケッホケホッ…』と、また少年が咳き込む。
どうやら少年が罹ってしまったのは、喉風邪のようだった。
「風邪?風邪ね?」
エニアは少し安心した。風邪薬なら、自分用に調合したのがまだ残っている。エニアは早速鞄から薬瓶を取り出し、蓋に適量を注いだ。
「風邪なら、これ飲んで。少し楽になると思うから…」
「…?」
少年は少し訝しそうにしていたが、目を瞑ってくっと飲み干した。
「…。…あまい…?」
「あはは。私苦いの苦手で…自分で飲むんだから、甘いほうがいいなーって」
「ケホッ…あんた…もしか、して…」
少年がエニアを見る。
「くるみ術士、だよ。錬金術の派生系、くるみ術を使う術士。もう少ししたら、効いてくると思うから…もうちょっとだけ、我慢してね」
「ああ…」
少年が目を瞑り、上を向いて、息をつく。エニアは他にできることはないかと探し、鞄から寝袋と毛布を取り出した。
「そのままじゃ、身体辛いでしょ。良かったら、これ使ってよ」
少年は驚いた顔で答える。
「いいの、か…?」
「うん。風邪っていっても、動けなくなるほどなんでしょ?そんなに悪化してるなら、寝てた方がいいよ」
エニアがそう言うと、少年は、『じゃあ…かりる』と寝袋と毛布を受け取った。


「…よし、これで傷薬はいいかな」
エニアは風呂敷から瓶を取り出すと、鞄に仕舞った。
「…ついでに、風邪薬も作っとこ」
そして次の調合に移る。
「…なあ」
「ん?」
「それ、…どういう仕組みなんだ?布で、包んでるようにしか、見えないんだが…」
薬が効いて少しよくなってきたのか、少年が寝袋の中から訊いてくる。エニアはくるみ術に興味を持ってもらえて、少し嬉しくなった。
風邪薬の調合を進めながら、説明していく。
「くるみ術は、陣が描かれた風呂敷を使ってやるの。練成したり調合したりするものに合わせて、端を縛ったり端同士結んだりして…。全部包めたら、自分の力を陣に注いで、術を発動させる。…こんな風に」
「おお…」
風呂敷の中が光り始め、少年が驚いて声を上げる。
「すごいな、くるみ術って」
少年は、風呂敷に手を翳すエニアを見て、話し掛けようとし、ふと、まだ名前を聞いていなかったことを思い出した。
「…そういえば、名前聞いてなかった。俺はエニル。エニル・パトナーシュ」
「エニルかぁ…」
エニアはふふふっと笑った。エニルが少しむっとする。
「…なんだよ。変か?」
エニアは首を左右に振った。
「ううん。私はエニアだから、なんか似てるなあ、と思って。エニア・ルーソンス。…あ、苗字はあんまり似てないね」
「エニアか…」
エニルが呟く。
「…確かに、似てるな。ケホッ…幾つ?」
「多分エニルよりは上だと思うよ?16!今年で、17になるかな」
「げっ、3つも上かよ…」
エニルの呟きに、エニアが振り返る。
「えっ、エニル13?」
「14!誕生日が早いんだよ!ケッホケホケホッ」
大声を出したからか、エニルが噎せる。エニアは手が離せないので、代わりに水筒の場所を教えた。
「ごめん、間違えて!水筒とカップ、鞄の側にあるから、動けそうなら飲んで!」
エニアの言葉に、エニルはもぞもぞと寝袋から手を伸ばし、水筒とカップを取った。注いでゴクゴクと飲んでいく。
「…ぷはぁ!…ふぅ…」
「ごめんね…」
「いや、いいよ。それより、ずっと手、上げてて疲れないか?」
エニルに言われ、エニアはそういえば…と思う。何しろ、くるみ術を習い始めてからもう大分経つ。最初の頃は確かにそう思っていた覚えもあるが、すっかり慣れて、忘れてしまっていた。エニアは小さい頃の自分を思い出し、くす、と微笑む。
「エニア?」
「そういえば小さい時はそんなこと思ってたなーって」

「…っと」

風呂敷の光が、だんだんと弱まっていく。
薬の完成が近い。
そのままどんどんと光は弱くなり続けていき、やがてフッと完全に消えた。
「ん、完成」
「おおっ」
エニアは風呂敷を開いて、中から瓶を取り出す。取り出した薬瓶は二本あり、中には薄紫色の、透き通った液体が入っていた。
エニアは二本のうち一本を、エニルに渡す。
「はい風邪薬」
起き上がっていたエニルは、エニアに持たされた瓶を見て驚く。
「いいのか?」
エニアは頷く。
「だって薬切らしてたからここにいたんでしょ?また風邪に罹らないとは限らないし、ちゃんと持っときなよ」
「…。…助かる。ありがとう」
「どういたしまして」


それから、大分良くなったエニルと共に、エニアは近くの村の宿屋に向かった。それぞれ宿にチェックインし、エニアは自分の部屋に入った。

「ふぅ…」
エニアは鞄を下ろすと、ぎしっとベッドに腰掛けた。
「………」
そして、なんとはなしに、足許を見つめ、ぷらぷらと揺らしてみる。
「…エニル、かあ…」
呟いてエニアは、ぼーっと宙空を眺めていた。
エニアは旅に出てから、たくさんの人に会い、色々なことを話した。経験の多い大人達の話は勉強になり、小さい子達の話は、目線が違うからかとても新鮮で面白かった。
でも、同世代の子達とは、あまり話す機会がなかった。
それはそうだろう。何せ、エニアと同じ年頃の子達は、学校に通っているか、働き始めて日が経っていないのだ。エニアのような旅人とゆっくり話している暇など、みんな持っていない。話しかけるどころか、あまり会うことも無かった。
しかし、今日会ったエニルは違った。まぁ、出会い方が普通じゃ無かったからかもしれないが、エニアにとって、久し振りに話せた同じ年頃のエニルとの会話は、なんだか懐かしくて、嬉しくて、とても楽しかった。

ふっと目を瞑り、ぽふっと、そのまま仰向けに倒れる。そのままエニルの泊まる部屋がある方へ、顔と視線を向ける。

「パァブの実…嫌いじゃないかなぁ…」

エニアはそう呟いて微笑むと、、また、そっと目を閉じた。



− 続く−
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