文字数 4,832文字

  余命。

 死ぬまでのタイムリミット。

 来世へのカウントダウン。

 目の前の男を見つめる。黒いボロボロの布を纏った、不気味な男。血の気を感じない青白い肌。目を覚ましたら、コイツが居た。コイツは、“死神”と名乗った。寝起きの頭では、死神をただ呆然と見つめるしかなかった。死神は、開口一番にこう言った。

「お前の余命は、あと一日だ」

と。わけが分からなかった。何を言ってるんだコイツは。人の家に不法侵入した上に、“俺は死神”だとか“お前は余命一日だ”だとかほざいて、重度の厨二病にしたってタチが悪い。何度聞いても、脳は受け入れを拒否する。だって余命一日だ。一日。つまり二十四時間。どう考えたって嘘じゃないか。今まで、俺はこれといった病気も怪我もしたことが無い。至って健康だった。夢に決まってる。死神だって、存在するわけがない。

「そんなわけねぇだろ。さっさと出てけ。これ以上ふざけたこと言ったら警察呼ぶぞ」

俺の言葉に、死神は高らかに笑った。その声は酷くおぞましかった。

「好きにするがいいさ。どうせお前の頭を心配されるだけだがね」

 俺はめんどくさくなって布団から這い出る。顔を洗って、歯を磨いて、着替えて。そうやっていつもの日常を繰り返す。でも今日は、ずっと後ろに死神が着いてくる。

「お前は死が怖くないのか?」

「……別に人並みには怖いさ。けど変な男に明日死ぬぜって言われても、だからなんだ?としか言えんだろ。だいたい、そーゆうのって病気でもう長くない人に来るんじゃないのか?俺は何の病気もしてねぇから、怖いも何もねぇよ」

「変な男とは僕のことか」

「お前以外何がいるんだよ」

「だとしたらお前は間違っている。僕は変では無い。お前を見張るために来てやった死神だ。天理からのお告げで、お前はあと一日で死ぬことになっているから派遣されたんだ」

「ハッ、俺が死に損なったら殺してくれるってことかい」

「そうだ。まぁ、そうなることは稀だがな。お前の命は天理が握っている。人間如きのくだらん抵抗でそれを狂わせることは不可能」

「……そうかよ。だとしたらお前らも優しいな。一日の猶予をくれるなんてさ」

  俺はそう吐き捨てて家を出た。死神も、後を着いてくる。死神を引き連れて、朝の街を闊歩する。
  今考えれば、俺の人生は平凡でつまらないものだった。普通の学生時代を過ごし、そこそこの企業に就職し、社会の奴隷として働いて、金と時間だけが馬鹿みてぇに搾り取られて。気付いた頃には俺は空っぽだった。既に美味いものをもっと美味くしようなんて言う傲慢な欲に汚され、甘やかな艶を失った果実の死骸。そんな生活に嫌気がさして三年で仕事を辞めた。学生時代の夢は小説家だった。俺の考える世界を、俺の好きな世界を、一人でも多くの人に知って欲しかった。俺を見つけて欲しかった。でも親や教師に反対され、結局大人を安心させようと実家から近く就職に強いと謳われた大学へ行った。こんなにつまらない人間になるんなら、あの時反抗して、親を泣かせてでも自分を貫けば良かった。その勇気が、自分にあれば良かった。そんな、どうしようもない悔いしか残っていない人生だ。パッと死んで、来世とやらに期待してみるのも悪くない。俺の命は、俺を諦めた時点で終わっている。

「おい」

「…………今の鳴き声は、もしかして僕を呼んだのか」

「そうだよ。お前の名前なんて知らねぇし、興味ねぇからな。俺に残ってる時間は、あと何時間だ」

 俺は威圧的にそう言う。死神は、どこかムッとしたようだった。

「僕にはヒガンと言う立派な名前がある」

「──ッ、わかったよ。ヒガン、俺はあと何時間後に死ぬ?」

「お前の名前はなんだ」

 そう言うヒガンの顔は至って真剣だった。これは俺が折れなければ、目の前の死神とは会話すら難しそうだ。舌打ちを飲み込み、「珱作」と唸るように俺の名を絞り出した。

「オウサク……珍しい名前だな」

「そうでもない。さっさと質問に答えろ。俺は──」

「あと二十三時間だ」

 ヒガンは俺の声を遮ってそう言った。彼の言葉を聞いた途端怖気を震う。冗談だと笑い飛ばそうにも、頬が強ばった。俺の身体が、本能が、“死”というものが少しずつ、確実に迫っているのを感じ取ったのだ。

「なんだ、怖くなったか?」

「……初めから怖くないなんて言ってない。俺だって人並みには死が怖い。それにタイムリミットがついてみろ。怖くないわけあるか」

 あと二十三時間。これが事実かどうかはもはやどうでもいい。ただ、突きつけられた運命を無視しておきながらこのままうじうじ残りの時間を浪費するのはナンセンスだ。俺は人知れず覚悟を決め、少し軽くなった足で百貨店へ向かった。
 俺が幼い頃からある百貨店。そこの小さい文具屋。店内には最近流行した楽曲のインストルメンタルが流れている。それを聞き流しながら俺は革表紙のノートと万年筆、インクを購入した。ずっと昔からやりたかったことだ。最後くらい自由にしたって、誰も咎めやしないだろう。俺はそのまま家には帰らず、適当な近くの河川敷へ行き木製のベンチに腰を下ろした。残された時間で、諦めきれず暇ができては考えていた物語をものにする。一度捨てた夢を、少しずつ拾い集めて。物語は、子どもの夢を守る夢守と、子どもの夢を喰い壊す夢喰が“不滅の夢”を見つける旅に出て、子どもの持つ純粋な夢の儚さを知る話。タイトルは……最後でいいだろう。新品のくせ異様に手に馴染む万年筆を、白紙のノートに滑らせた。

 無題

  また、夢が死んだ。夢喰(ユメクイ)に喰われて、殺された。
「子どもの夢ほど美味なものはこの世にない」
 皆に恐れられる夢喰の、口癖だった。夢を喰らい、破壊するバケモノの。彼にとって、夢喰いは生活の一部であった。生きるという行為には欠かせない、ただの“食事”。
  無論、夢喰が好き勝手“食事”できた訳ではなかった。子どもの夢を、守る者も存在した。危険を顧みず、子どもを、その子どもの両親を、夢喰という悪から守る正義のヒーロー。人々は彼を夢守(ユメモリ)と呼んだ。夢守は相応の報酬と引き換えに、夢喰から子どもの夢を守った。彼にとって夢守りは生活の一部であった。生きるための資金を集める、ただの“仕事”。
  ある日、彼に救われた子どもの母親が、彼に問うた。「なぜあなたは、そこまでして見知らぬ子どもを救ってくださるのですか」と。彼はこう答えた。
「私は子どもの夢を守ること以外、何にも興味が無いのです」
その言葉を、誰一人として理解できたものは居なかった。何に対しても愛着は湧かず、子どもの夢にのみ病的な執着を見せる。まるで、彼は忘れ去られた幼少の夢を探し求めている亡霊のようだと、遂に人々は噂した。

「やぁ、夢守さん。人間との仲良しごっこはどうだい?」
腹を空かせた夢喰が、夢守にそう言った。夢守は動じず答えた。
「僕に負けたからと言って直接嫌味を言いに来るとは、随分と粘着質な方ですね」
夢守の言い分に、夢喰は顔をしかめたようだった。
「お褒めの言葉、感謝するよ。誰かさんの邪魔が入った所為で俺は腹ぺこなんだ。嫌味の一つや二つ、受け取ってくれてもいいんじゃないのか?」
「……別に受け取りを拒否したつもりはありませんが」
「ハハッ、めんどくせぇ男だな、アンタは」
 平生、夢を巡って戦闘を繰り返している両者の会話。飛び交う言葉には毒があるものの、そんな二人が武器を交えず、時にその顔に笑顔を浮かべている。その様子は、人々から見て異質だった。

 ──時期は巡り、彼らが再び夢守と夢喰として争っていた時、二人の元にある共通の依頼が舞い込んだ。

 『二人で“不滅の夢”を探す旅に出よ。』

 送り主の名はなく、今まで敵対していた二人は揃って首を傾げる。先に口を開いたのは、夢喰だった。
「なんだよ、これは。誰がこいつと」
夢守は目を伏せて言った。
「“不滅の夢”とはなんでしょう。そんなものがあるのなら、是非見てみたいものです」
「は?おい夢守、まさかアンタ、本気で行こうってのか?」
夢喰の裏返った声の抗議に、夢守は真面目な顔で答える。
「だって、不滅ですよ。永久に無くならない夢。僕はあなたこそ興味を持つのかと思いましたが」
「……あのな夢守、俺が夢なら何でも好んで喰うと思ったら大間違いだぜ?俺にだって好き嫌いはある。俺は子どもの、純粋で新鮮な夢が好きなんだ。“不滅の夢”だなんて言う腐りきった夢なんざ喰うもんじゃねぇ」
「ふむ……あなたにも好き嫌いがあるんですね」
「ったりめーだ。俺は行かないからな。行くなら一人で行けよ。その間、俺は心置きなく食事を楽しんでおくからさ」
夢守は、こてんと首を傾げて言った。
「なぜ、僕一人で?」
「ああ!?まだ分かんねぇのかバカ!俺はわざわざ嫌いなものを喰うための旅なんざ行かねぇっての!」
頭を掻きむしり、夢喰は声を荒らげる。彼の様子に、夢守は更に困惑の色を強めた。
「僕は夢守ですよ?あなたが嫌いなものであろうがなんであろうが、夢を食べさせるわけないじゃないですか。無論、僕が不在の間あなたが好き勝手するのなんてもっと許しません。これは僕とあなたに来た依頼ですから、僕とあなたで行くべきです。そうでしょう?それと、バカと言わないでください。僕は──」
「ああああっ!わかった、わかったから黙れ夢守!」
くどくどと、夢守の落ち着いた声で語られる小言を、夢喰は大声で遮った。彼の大声に迷惑そうに耳を塞ぐ夢守に、とうとう夢喰は折れた。三日後、二人は“不滅の夢”を探す旅に出ることとなった。



 妙に、手が滑らかに動いた。脳内に浮かぶ物語を、何かに憑かれたように綴っていく。世界の創造神にでもなった気分だ。この世界は俺にしか創れない唯一無二の芸術。俺がこの世界に生きる全ての命を握っている。絶対という快楽に溺れ、重ったるい唾液を飲み下す。ヒガンの言う“天理”というのは、こんな気分を味わっているのだろうか。存在すら幻想のそれに幼稚な思いを馳せる。

「……楽しいか?オウサク」

頭上から、退屈そうな死神の声がかかる。少し考えてから、死神、ヒガンを見上げて答えた。

「楽しいよ」

「そうか」

ヒガンは微妙な表情で呟く。その声色が放置されて拗ねた飼い犬のようで、おかしかった。怪訝な顔をするヒガンに構わず、俺は隠す気もない笑いを零しながら言う。

「かまって欲しいのか?」

「そんなわけあるか。僕はお前と遊ぶために来たんじゃない」

フン、と鼻を鳴らし、ヒガンは目の前の川に目をやった。日光を受けた水は眩しく輝き、涼しげな水音を奏でながら緩やかに流れていく。幼い子どもは川辺を走り回り、親が幸せそうな笑顔で子どもを見守る。いっそ壊してしまいたくなるほど、目前で起きている日常は平和そのものだった。いつの間に隣に座った死神が、俺の名を呼ぶ。

「いいのか、お前はもうすぐ死ぬんだぞ。それなのに、誰にも会わないのか」

「……ふは、いいさ、別に。会いたいほど仲良い友達なんていねぇし、家族だってもうずっと会ってないからな。最期に顔を見せに行けるほど、俺は心が綺麗な人間じゃない」

ヒガンは黙っていた。この死神にも、“心”というのがあるのだろうか。俺は、目の前の平和から目を逸らしたくなる。あちら側に行こうとすることができなかった過去の醜さが、その輝きに反射するのが酷く苦しい。隣にいる死神は、この平和を見て何を思うのだろう。

「……ヒガン、俺の死因は知ってるのか?」

 ヒガンにすら聞こえないような、そんな小さな声で言った。どうやらそれは聞こえたようだった。

「知らない。推測しようにもヒントがないからな。なぜそんなことを知りたがるんだ」

「──別に、ただ単純に気になっただけだ。俺は痛いのも、苦しいのも嫌だからな。どうせ死ぬなら、死んだのにすら気付かねぇくらいにすぅっ、て死にてぇんだよ、俺は」

 言いながら、ヒガンの言葉に安堵する自分を恥じる。ここまで来て、なお死を拒む自分の身勝手さに嘲笑が漏れた。
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