第1話 一話完結

文字数 1,998文字

 同じ長屋の住人の源太と松五郎が、松五郎の家で飲んでいた。
 松五郎は、源太の猪口に酒を注ぐ。
「源太、何か面白い話はねえか?」
「そうですね……、南町奉行の大岡様が見事なお裁きをしたそうですよ」
「ほー、どんな裁きだ?」
「三両入りの財布を拾った金次が、落とし主の平七に届けたんですが、平七は『懐から勝手に出て行った金だ。もう俺のものじゃねえ』と受け取らなかったんです。金次も江戸っ子、『金が欲しい訳じゃねぇ』と言って聞かない。受け取れ、受け取らないの大喧嘩になり、奉行所で決着をつけることになったそうです。両人の話を聞いた大岡様は自分の懐から一両出し、金次と平七に二両ずつ渡して、『平七は三両戻るはずが二両しか戻らず一両損。金次は三両貰えるはずが二両しか貰えず一両損。越前は裁きのために一両出して一両損。これを三方一両損と申す』と言って、丸く収めたってことです」
「三方一両損か、上手いこと言うじゃねえか」
 源太が身を乗り出す。
「仮にですよ、松五郎さんが落とした三両を、おいらが届けたら、松五郎さんはどうします?」
「礼を言う」
 源太は猪口を落としそうになった。
「突き返さないんですか」
「俺の金だ。何でお前にやらなきゃならねんだ」
「取りあえず、金を突き返すとしましょうよ。突き返されれば、おいらも江戸っ子、受け取る訳にはいかない」
「そんなことある筈ねぇ。お前なら、喜んで懐にしまい込むに決まってる」
「仮の話ですから、受け取らないってことにしてください。そうなると、三両の行き場がなくなる。それで、『恐れながら』と三両を奉行所に届けたらどうなります?」
「大岡様が一両加えて、俺とお前に二両ずつくれる……」
 松五郎は膝を叩いた。
「分かったぜ。お前は三両拾ったことにして、一儲けしようてんだな」
 源太はうなずく。
 松五郎は財布を出した。
「三分しかねぇ。お前は幾ら持ってる?」
 源太も財布を出した。
「一分しかありません。面目ない」
 源太は頭を掻いた。
「二人合わせて一両か……」
「大岡様が二分出せば、三方二分損になるんじゃ」
「二分の儲けか。よし、やるぜ」
 二人は計算違いに気付かぬまま奉行所へ行くことにした。

 翌日、源太と松五郎は一両を持って南町奉行所を訪れた。いざとなると尻込みして入れない。
「源太ではないか。何用だ?」
 町方同心の原田十内だった。
「原田様、ご無沙汰しています。実はここにいる松五郎さんと揉めまして、お奉行様に裁いてもらおうとやって来た次第です」
「お奉行の裁きを受けるには、手順がある。某がまず話を聞こう」
 源太は財布を取り出した。
「おいらが松五郎さんの財布を拾って届けたところ、『落とした金は、もう自分の金じゃねぇ』と突き返されまして、そんなことを言われて『はい、そうですか』と受け取る訳にはいきません。意地の張り合いで、財布の押し付け合いになり、どうにもならなくなりました。同じ長屋に住む者同士がいがみ合っては、他の住人の迷惑。それで、お奉行様に裁いてもらおうということになった訳です」
「話はわかった。その財布には幾ら入っているのだ」
 源太は「一両です」と言って、財布を渡した。
「これは、某が貰っておく。それで解決だ」
 松五郎は慌てて訊く。
「原田様、そりゃねぇ。何で解決なんでぇ?」
「この金の行き場がなくなり、困っていたのだろう。某が貰えば、金の行き場が定まり、解決ではないか」
「お奉行様に裁いて欲しいんです。だから、その金は大岡様にお渡しください。なあ、松五郎さん」
「おう、そうでぃ」
 松五郎も源太に同意した。
「大岡様に渡せと言うのだな。よし、分かった。この金は大岡様に渡そう。ただし、大岡様は寺社奉行になられたから、裁定は下されん」
「それでは、無駄じゃありませんか」
「無駄ではないぞ。町人からの昇進祝いとして渡してやるから安心しろ。大岡様は、さぞお喜びになるであろう」
「お裁きがねえんじゃ、その金を返してもらいてぇ」
 松五郎が食い下がった。
「要らないと言っていた金を返せと言うのか。それでは、元の木阿弥ではないか。まさか、奉行所を謀ろうとしたのではあるまいな」
「滅相もございません。ただ、胸のすくようなお裁きをしてもらいたいだけなんです。そうだよな、松五郎さん」
「そ、そうでぃ。感服するようなお裁きをしてもらえれば、それでいいんでさ」
「そういうことならば、既に解決しておる」
 源太と松五郎はお互いの顔を見合わせた。
「分からぬか。松五郎は落とした一両が戻らず、一両の損。源太は拾った一両を某に取り上げられて、一両の損。某は取り上げた一両を大岡様に渡す羽目になり、一両の損。これを三方一両損という。これにて一件落着」
 原田はそそくさと奉行所の中に入って行った。
 源太と松五郎は諦めて帰るしかなかった。夕日に向かって飛んで行くカラスの鳴き声が、二人には「バカァー、バカァー」に聞こえた。

<終わり>
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