十三

文字数 1,896文字


 二人で祝杯を上げてから、十日目が経っていた。
 ひかりも、わたしも、待ちに待ったサロン・ド・室橋からの入金日がやってきたのである。わたしは、社用で出かけるふりをして銀行に赴いた。そしてATM操作をして知ったのは、わたしの個人口座にはサロン・ド・室橋からの入金は一銭もなされていない、ということだった。
 最初、操作の間違いかと思った。しかし、もう一度繰り返してみても、結果は同じだった。ひょっとして、時間が早いのかも知れない。もう少し待ってからにしよう。
 サロン・ド・室橋ではなかったが、以前にあった例では、三時ぎりぎりに入金されたこともあった。わたしは、仕方なく、近所の喫茶店で時間を潰すことにした。
 だが、三時になっても、四時になっても、サロン・ド・室橋からの入金はなされていなかった。
 なにかの間違い、それとも手違い……。
 室橋に対しては、ちょっとしたサイドビジネスを気取っていたので、一日くらいの遅れで、代表取締役である自分が未入金の督促をするのも憚られた。
 がつがつした様子を見せると、足許を見透かされてしまう。
 わたしは思った。ここは二~三日様子を見てからにしよう。そしてひかりには、まだ言わないでおこう。彼女に支払うまでに、まだ四日は残っている。それから話しても遅くないだろう。
 ところが、つぎの日の朝のこと――。
 サロン・ド・室橋は決済日の一夜明けて倒産し、新聞やテレビで大々的に報道されたのであった。まさに青天の霹靂。わたしにとっては寝耳に水であった。テレビのニュース番組によると、同業の鈴鹿コーポレーションに次ぐ大型倒産で、負債総額は百二十四億円に上っているとのことであった。
 くそっ。やられた。わたしは歯噛みした。美貴にはサイドビジネスの件だけは、絶対に秘密にしておかなければ――。
 今度こそ、なにを言われるかわからなかった。室橋自身は、新聞も言うように、どこかへ雲隠れしてしまっていた。あの澄ました細い顔がどこかで、ほくそ笑んでいる気がした。
 もちろん、電話やメールなどが通じるはずもなかった。
 会社へ出向いても、倒産した旨の張り紙が破産管財人の名で堅く閉じられたシャッターのど真ん中に貼り出してあるだけだった。
 インターネットで見てみると、そこでは盛んにサロン・ド・室橋の売り方の酷さや、対応の悪さが取り沙汰されていた。ヒットしたキーワード「サロン・ド・室橋」の数は、百二十万もあった。それだけ反響が大きいということなのだろう。
 しかし、いまとなっては、なにをどう嘆き罵ろうと後の祭。うまうまと乗せられた自分のお間抜けさ加減を嗤うしかない。
 わたしは思った。室橋にしてみれば、二千方円など、ものの数ではなかったろう。ヨシダ・ワークスが振り出した約束手形四通は、すでにどこに行ったかわからなくなっており、取り戻すことは不可能だった。しかも、サロン・ド・室橋が買掛金支払いのために振り出した手形は不渡りとなり、ヨシダ・ワークスは、締めて三千二百八十万円の負債を被ったのであった。
「すまん、ひかり。新聞に出てたとおりや……」
 わたしは、頭をこすらんばかりにしてひかりに詫びた。
 幸い、わたしが因果を含めておいたことを彼女が忠実に守ってくれていたお陰で、前金払いの客はいなかった。したがって、金を払ったのに商品が貰えなかったと文句を言ってくる客はひとりもいなかった。
 彼女にとっても、わたしにとっても、不幸中の幸いというべき事件だった。
「ええよ、パパ。そんなに気にせんでも……」
 ひかりは言ってくれていた。「うち、あんまり根に持たへんほうやし、気にせんといて」
 しかし、一旦ヒビの入った破れ茶碗のように、二人の仲は上手く修復できなかった。彼女とは、ずるずると疎遠になっていった。
 所詮、カネとカラダの関係だった。どちらかがなくなれば、関係は自然に消滅する。わたしには、これまでのように彼女の面倒を見る余力は完全になくなっていた。
 暫くして、京都地方裁判所から破産手続き開始通知書という書類が届いた。もしあれば、ヨシダ・ワークスのサロン・ド・室橋に対する売掛金を書いて出せというのであった。
 だが、京都企業の倒産は一銭も返ってこないのは破産管財人を引き受ける弁護士仲間の間では、常識中の常識だった。
 サロン・ド・室橋への売掛金はもとより、サイドビジネスとして手がけたオルド・パルムの保証金の返還は、まず期待できない。
 わたしは、債権者会議に出ないことにし、必要事項を書くだけ書いて、京都地方裁判所に提出したのであった。
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