序 放課後

文字数 2,526文字

(かみ)(ぬま)先輩って、あのひとと付き合ってるんですか?」
 格技場の隅、剣道部の更衣室。
 剣道着から制服へ着替え終わり、あとは格技場の鍵をかけて帰るだけ、というタイミングで突然放たれた質問に、わたしは狼狽え、脳裏に浮かんだ人物の顔を急いで消去した。
 そして質問を口にした(かしわ)()()(さき)を睨みつける。
 長い髪を後ろで束ねたポニーテール。どちらかと言えば小柄だが試合では敏捷な足さばきで魅せる。そして怯むことなく戦いを挑む姿勢に、団体戦では一番最初――先鋒を任せていた。
 そんな彼女が、いきなり言葉の切っ先をキャプテンであるわたしに向けてきたのだ。
「あのひとって誰のことよ」
「決まってるじゃないですか、()(とう)先輩です」
 消去したはずの顔が、脳内に甦る。
「何でそんな話が出てくるの」
「だって遠野中学校出身の、同じクラスの友達が見てたんですよ。神沼先輩がデートしてるとこ。遠野駅で氷藤先輩と待ち合わせして、そのあと図書館の方に歩いていったって。氷藤先輩もそれなりに有名ですからね。見間違えるはずはありません」
 まさか、あのとき一緒だったのを誰かに見られていたなんて……多少ひとの目を気にしてはいたけれど、同じ学校の生徒に見られるなんて不覚にもほどがある。
「まじめで剣道一筋な先輩がまさかって思いましたけど、友達は嘘をつく子でもないし、本当なのかなって。氷藤先輩って、名探偵(あの)一家の生まれで有名なことを抜きにしても、保護欲をそそられるじゃないですか。この前なんか、廊下の何もないところで躓いていたんですよ」
 わたしは思わず言い返す。
「何もないんじゃなくて、(こう)()にとっては〝何か〟があったのよ」
「あ、やっぱり庇うんですか。そっかあ。本当だったんですね。友達には口止めをしておきましたので、その点はご心配なく」
 わたしはため息をつく。
「彼と付き合ってはいない。断言する。あのときはほかの友達も来る予定だったんだけどキャンセルになって、仕方なくふたりでもともと行く予定だった図書館に……」
「じゃあこれから付き合う予定は?」
 ここまで言う子だっただろうか。もう少しおとなしいイメージがあったんだけど。
 いや、そうだ。この子は剣道の試合でも、自分が有利なときは強気で攻めてくるのだった。たとえ格上の相手でも。それが試合以外で現れることはなかったから忘れていたけれど、そういう子だったのだ。
 わたしは苦し紛れで、嘘にならない程度に答える。
「未来のことは……わからない。でも今のところ付き合う予定はないから」
「へえ。今のところは、ですか。確かに釜石南高校(かまなん)では、男女交際が禁じられていますからね。でもたいていの生徒はそのルールが単なる建前であることを知っていますし、実際に付き合っているカップルもたくさんいる。付き合っていないのは告白する勇気がないひと、受験優先のひと、そもそも好きな相手がいないひと、くらいです。
 まじめな先輩たちが付き合うのは、受験が終わってからですか?」
「さっき言ったでしょ、未来のことはわからない、って。それに無駄話なんかしてないで帰るわよ。実咲だって家は青笹だから、電車の時間があるんでしょ?」
 わたしはそう言って彼女に背を向ける。
 意味のない仮定の会話を続けるつもりはなかった。わたしは女子剣道部のキャプテンで、格技場の施錠を行い、鍵を顧問に渡す仕事がある。いつまでもここでお喋りをしていたら顧問の印象が悪くなる可能性があった。それは避けたい。
 わたしは窓の施錠確認を始めようとした――が、
「実は、先輩たちにお願いがあるんです」
 え、先輩……たち?
 わたしは振り向くと再び彼女を見つめる。
「実は私の祖父……ずっと元気だったんですけど、還暦直前に足をケガしてほとんど歩けなくなってしまって。それ以降、一気に老けてしまっていたんですが、最近、子供のころに出会った不思議な出来事を思い出したらしいんです。その日のことを書いた日記も発見されました。両親も私も詳しい内容を聞かされたんですけど、とても不思議な話で。
 実際に座敷童子がいたとしか思えないんです」
「座敷……わらし?」
「はい。家にいると裕福になり、出ていくと不幸になる――アレです。話を信じる限り、祖父は座敷童子に出会った――祖父もそう考えたし、私もそう思うんです。だって、四人で遊んでいたらいつの間にか五人になったらしいんですから」
「ああ」わたしは頷く。「なんか、わかったわ」
 そこまで話を聞けばわたしにも実咲の言いたいことがわかった。その不思議な出来事を解決してほしいのだろう。
 氷藤洸司(あいつ)に。
 実績と信頼――はあまりないかもしれないが、氷藤洸司はそれなりに謎を解く能力に長けている。なによりあの氷藤家の末裔だ。そして大学で民俗学を学ぼうとしているわたしがいれば、彼女としても一石二鳥ということか。 
 ――仕方がない。
 秘密を握られているわたしに、もとよりほかの道は存在しない。
「わかった。わたしは了解した。でも洸司が関わるかどうかは彼自身が決める。それでいい?」
「はい、わかりました。
 それでおふたりともオッケーなら、私の家に来て、直接祖父から話を聞いてほしいんです。ほ、ゴールデンウィークに遠野高校との練習試合があるじゃないですか。そのあと、夕方ごろにちに来てご飯を食べつつ、祖父から話を聞いていただければ……。夜はうちに泊まってもらってもかまいませんし、翌日は休みなので、祖父の話に出てくる場所までご案内します」
「仕方ないわね」眉間に皺を寄せる。「とりあえず洸司のところまで話を持っていってあげる。断ると、とんでもない噂を流されそうだし、ね」
 そう言ってわたしはさらに苦々しい表情をして見せた。
 その翌日、探偵助手――(まつ)(はし)(あきら)に頼んで依頼の概要を洸司に伝えて貰うと、迷わず依頼を受けると決めたらしい。どうやら氷藤家の人間であることを自覚し始めたようだ。きっと……たぶん。すでに腹を(くく)っているのか、まだ深くは考えていないのか。
 いずれにしろ、わたしと彼は再び遠野へ旅だった。
 今回は青笹が舞台、そして登場するのは座敷童子。
 彼は彼で自分の役目を務めようとするのだろう。
 わたしは自分の役割を果たす、そう心に決めた。
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