第1話

文字数 1,580文字

「A班、六名クリア、〇五、一名失敗。大月、負傷の可能性あり、戻ります」
「了解」
「チーフ、すみません。コーヒーかけられました」
 先ほどとは違う、低めの落ち着いた声が応対する。
「手当てしてあげるから、早くもどってらっしゃい」
 十畳ほどの小さなフロアには、女性が三人と、四分割にされたモニター二台が、街並みを映していた。
 中央に据えられた机の上には、いくつかのブロックに分けられた、履歴書が乗っている。
 傍らでは、パソコンに向かう女性が、無言で無線とのやり取りを記録していた。
「B班、〇五を確認次第、ソフトクリームを投下」
 先ほどチーフとよばれた女性が、履歴書をなぞりながら指示を出す。
「んー、ちょっと待って。〇五は、運動神経がいいみたいだから。鳥のフンに変更して」
「了解です。B班、〇五、鳥のフンに変更」
「B班、了解」
 チーフが、ふたりに声をかける。
「ちょっと、休憩にしましょうか」
 壁に掛けられた時計も、書類棚すらない、殺風景なフロアに、ガサガサと乾いたビニールの音が響く。コンビニのロゴが印刷された袋から、ペットボトルと小ぶりのパフェを取り出した。
 甘い匂いに誘われたのか、靴音を響かせて何者かがこちらに近づいてくる。音は加速し続け、突風のようにドアを開けた。
「チーフ、聞いてくださいよー」
 顔を真っ赤にし、涙目になって入ってきたのは、カフェの制服を着た大月だ。右肩にはべっとりと、コーヒーの染みがついていた。
「あー、ずるいー。チーフたちだけ、ずるいー」
 大月が、成人前の丸みの残るほおを膨らませ、チーフをにらむ。
「はいはい、どうぞ」
 チーフが眉尻を下げ、大月にパフェを差し出すと、救急箱を取に向かう。
「火傷した? 痛くはないの?」
 ふり返るチーフの目には、きょとんとして、バフェを頬張る大月の顔が映った。
「あ、大丈夫です。冷めてたんで」
 肩の染みを見て改めて怒りが湧いたのか、大月が一気にパフェをかきこむ。最後のひと口を盛大にのどに流し込むと、大月は早口でまくし立てた。
「チーフ、チーフ、聞いてくれます? こっちは、仕事でコーヒー零してるんですよ。ね? なのにですよ。あっちは、いきなり席を立って、ほかの人が飲んでたコーヒーを、いきなりぶちまけてきたんですよ。信じられます? そんな人、普通いませんよね」
 チーフに向かってペットボトルを指さし、頷くと同時に、お茶を飲みこむ。
「あんな新人、会社だってお断りですよ。迷惑ですって。もう、いっそのこと、社会的に抹殺しちゃいましょうよ」
 大月は鼻息を荒くして、ペットボトルを叩きつけた。
「こら、そういうことは言わないの」
「だって、ウチの会社、新人スナイパーなんですよね。会社にとって、いらない人間か判断するためにやってるんですよね」
 ひと昔前、社員のストレス耐性を見極めるために、圧迫面接が行われていた。しかし、パワハラが社会問題となると同時に、下火になった。
 会社からすれば、社員のストレス耐性を知ることは、長期雇用できる人材かどうかの見極めには欠かせない。
「ちょっとしたことで爆発する間なんて、いらないじゃないですか」
「確かに、そういう一面もある」
 チーフは、口を真一文字に結ぶ。
「でもね、本当は逆なの。面接を受けに来る人、研修を受ける人たちが、どこまでならストレスに耐えられるかを見極めて、これ以上のストレスをかけないでくださいねって、報告するのが仕事なのよ」
 大月は、自分が正義の味方になれると思って、この仕事を選んだ。
「嫌な人を野放しにするのが、スナイパーなんですか?」
 不服そうに、反論する。
「人を殺すだけが、スナイパーじゃない。わたしたちは、殺されないギリギリを見極め、人の命を助けるのが仕事。わかったら、とっとと着がえる」
 チーフは、大月の背中を軽く叩くと、近所で一番安いクリーニング店を探し始めた。
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