第28話武士の一分

文字数 3,122文字

 寝ていた彼に、瀬美が物の怪として捕まったと知らせたのは、泣き崩れるたまだった。錯乱している少女から聞かされた、断片的な情報から全て事実であると分かった蝶次郎は一言「そうか」と呟いた。

「悪かったな。つらい思いをさせて」
「わ、私より、瀬美さんが――」
「大丈夫だ。俺がなんとかする」

 力強くたまに約束した蝶次郎。
 頼もしいと思う反面、どこか悲壮な覚悟を感じ取ったたまは、少しだけ不安になった。

 その後、天道藩の武士が長屋にやってきて、蝶次郎に対し、速やかに出仕するように伝えた。その者はあからさまに蝶次郎を怖がっていて、書状を早口で読み上げて、早々に立ち去ってしまった。ま、当然だろうと蝶次郎は感じた。物の怪が暮らしていた家などいたくもないし、同居していた男と同じ空間にもいたくないだろう。

 蝶次郎は着替えをするから長屋の外で待ちなさいとたまに言った。彼女が出て行くと、箪笥の奥から白装束を取り出した。着てからその上に着物を羽織る。着替えている最中、少し寒いなと彼は感じた。そういえば、いつも瀬美がいてくれたことに改めて気づく。

 長屋の外で待っているたまを呼ぼうと長屋の戸を開ける。
 そこには怪我が治っていないとん坊を背負った源五郎と、悲しい表情をしたおもんとおしろとおちょうが揃っていた。

「なんだ。みんないたのか」
「蝶次郎。お前、本当に城に行くのか?」

 源五郎が皆を代表して、訊きにくいことを訊ねる。

「もちろんだ。殿の命令だからな」
「行ってどうするのですか? その、瀬美さんは……」

 おもんが言いにくそうにしていたので、蝶次郎は「物の怪ではない」と否定する。

「きちんと説明すれば、分かってくださる」
「本当ですか? 信じていいんですよね?」

 おしろが縋るように言う。彼女たちは数日の間、瀬美と親しくなっていた。もちろん、物の怪の容疑で捕らえられたと聞かされたときは、衝撃を受けたけど、彼女はいつだって、丁寧な物腰で話に付き合ってくれた。だからできることなら瀬美の無実を証明してほしかった。

「信じてくれ。必ず戻ってくる」
「……分かりました。私たちは青葉様を信じます」

 おちょうが笑って言ってくれたので、蝶次郎は少しだけ勇気が湧いた。
 固まった覚悟が、ますます強固になる。

「たま。とん坊。また遊ぼうな」

 蝶次郎は二人に微笑みかけて、ゆっくりと歩き出す。
 他の長屋連中も見ていた。声をかけてはこなかったが、瀬美と関わりを持つ者は一様に応援の眼差しを向けていた。

 蝶次郎が長屋を出て、姿が見えなくなると、たまは泣き出してしまった。
 源五郎の背から降りたとん坊が「たま姉さん」と背中をさすってあげた。

「とん坊……! 蝶次郎様、死ぬ気だわ……!」
「うん。着物の上に白装束、着ていたからね」
「分からないとでも、思ったのかな……」

 とん坊は大人たちに「なんで止めなかったの!」と喚いた。
 非難する目を三人の女性は悲しく受け止めた。
 源五郎は「馬鹿野郎」と呟いた。

「あの野郎、既に覚悟を決めてやがった。そんな奴に何を言おうが野暮になっちまう」
「それでも――」
「分かっている。あいつは死ぬだろうよ。でもな、それが武士ってやつだ。あいつは、蝶次郎は、武士の一分を貫こうとしている。瀬美のためだけじゃねえ」

 そして源五郎は蝶次郎が出て行った先を見つめる。

「……やっと羽ばたけたか。遅いんだよ、馬鹿」


◆◇◆◇


「よう蝶次郎。お前、死ぬつもりなのか」
「……蟷螂親分」

 城へ向かう道中。子分を数人連れた蟷螂が蝶次郎に話しかける。
 蝶次郎は「既に聞いていると思いますが」と頭を下げた。

「瀬美を助けるために、俺ぁ命懸けようと思います」
「惚れていたのか? 瀬美さんに」
「分かりません。でも、大切です。大切な――『人』なんです」

 絡繰だと分かっているのに、敢えて『人』と言った蝶次郎。
 蟷螂は「手、貸そうか?」と言う。

「多少、無茶なことをするが、お前が瀬美を助けられるように、城内を混乱させることができる」
「…………」
「安心しろ。脱藩の手引きもしてやる。瀬美さんとどこかで暮らせ」
「それは、俺に逃げろっていうことですよね」

 蝶次郎は「それはできないです」と笑った。
 死にに行く者の笑みだと蟷螂は感じた。

「今まで散々、姉の教えから逃げてきたんで。最後くらいは守ろうと思います」
「姉の教え?」
「ええ。『逃げてはならぬ』という教えです」

 蟷螂は「逃げることも立派な行ないだ」と諭した。

「一度退くことで勝機を見出した奴もいる。勝ち目も無いのに突っ込むのは、勇気じゃねえ――蛮勇だ」
「そうじゃないんです。姉が言いたかったのは、そうじゃない……」

 死に近づいた今の心境だから蝶次郎には分かる。
 姉のさなぎが、本当に言いたかったことを。

「苦しいことやつらいことから目を逸らさない。そして大切なものを守るために戦う。当たり前のことだったんです。だけど、俺はできていなかった。何もかも失った現実から逃げていた。でも、そんな俺を――瀬美は変えてくれた」

 それだけで命を懸ける価値がある。
 言葉に出さなかったけど、蟷螂には伝わった。

「何を言っているか分からないと思いますが、俺は行きます。手出しは無用です」
「…………」
「蟷螂親分。最後にあなたと話せて良かった」

 お辞儀をして蝶次郎はその場を去った。
 蟷螂は「けっ。恰好つけやがって」と吐き捨てる。

「ああいうのが早く死んで、俺みたいな屑が生き残るのか。ままならないぜ――」


◆◇◆◇


 城に着くなり、蝶次郎は縄で縛られた。
 そして姫虫城の大きな広場――訓練場に連れていかれた。
 そこは二十年前まではよく天道藩の武士たちの武芸を披露する場となっていた。しかしある日、先代藩主の天道馬虫が『二十年前の物の怪』に殺されてから封鎖されていた。

「二十年前。私はここで武士たちの試合を見ていた」

 時刻は昼過ぎとなっていた。
 蛾虫は蝶次郎だけではなく、家老の光原を筆頭に、集められた百二十三名の武士に言い聞かせていた。
 蛾虫の傍には磔を行なう磔柱が寝かされていた。自分はこれから磔になるのかと蝶次郎は身震いした。

「今でも思い出す。眩い光とともに現れた、黒い物の怪を。身体中から、まるで蝉の鳴く声がして――」

 言葉を切ったのは、蛾虫が思い出して気分を害したからだった。
 吐き気を堪えて、蛾虫は続けた。

「私が夏を恐れているのは、蝉が鳴くからだ。鳴き声を聞くたびに、私はあの時を思い出す。父を失い、妹を救えなかった、あの日のことを」

 蛾虫は「貴様が物の怪を飼っているとは思わなかったぞ」と険しい顔で蝶次郎に言う。

「どうするつもりだったんだ?」
「殿。瀬美は、物の怪ではありません」

 蝶次郎は必死になって蛾虫に訴える。
 しかし蛾虫は「ほらを吹くな!」と怒鳴った。

「あの女、いくら痛めつけても痛がりもせん。それどころか、傷も負わない」
「……拷問したんですか! 瀬美を!」
「ああそうだ! だが確信したぞ。あの女が物の怪であると!」

 蛾虫は顎をしゃくって、合図をした。
 数人の武士が縄で縛られ身動きが取れない状態の瀬美を連れてきた。

「瀬美……!」

 瀬美の着物はところどころ破れていたけど、傷は無いようだった。
 彼女は蝶次郎の姿を確認すると「申し訳ございません」と言った。
 それは誰の目にも機械的な謝罪に見えたけど。
 蝶次郎だけは深く後悔しているのが伝わった。

「瀬美とやら。ここで貴様を殺す」
「ノー、それは困ります。蝶次郎様を守れなくなります」
「もし拒めば、青葉蝶次郎を殺す」

 蛾虫は磔柱を指さした。
 そして容赦のない、冷酷な声で言う。

「お前が抵抗せず死ねば、蝶次郎は生かしてやる。さっさと決めろ」
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