第36話 日はどっちに沈む③

文字数 2,403文字

 (みやび)正語(しょうご)の前を歩きながら、話し続けた。

「由美子さんって、慰謝料だ養育費だって、さんざん一輝(かずき)さんに要求してたくせに、一輝さんが亡くなった後はピタッと音信不通になったんだよ。葬式にも来ないんだ。変だと思わないかい?」

 そうですねと、正語は気の無い返事を返した。
 秀一(しゅういち)のことで頭がいっぱいだった。怒りが静まった今は、隠し事をされた寂しさで、どうにもやりきれない。

「一輝さんの遺産ったって、たいしてないみたいだけどね。守親(もりちか)じいさんが亡くなった後だったら、この家の財産は全部一輝さんのものだったんだけど」

「守親さんは、一輝さんに全てを遺すつもりだったんですか?」

「だってホラ、この家は灰色の目をした者が総取りする決まりだからね。一輝さんが亡くなった後、守親じいさんは遺言を書き換えたんだよ。一輝さんの弟に全部、遺すことにしたんだ。弟の秀一くんも、灰色の目をしてるらしいよ」

「……長男の高太郎さんは、面白くないでしょうね」

「高太郎は気にしてないよ。ホラ、何とかっていったじゃん、遺言に不満があったら、文句言えるやつ」

「遺留分侵害額請求ですか?」

「うん、そんなふうなやつ。秀一くんって、一輝さんと違って扱いやすい子なんだって。高太郎や智和さんに法律通りに遺産相続しろって言われたら、書類なんか読まずにすぐハンコ押す子みたいだよ」

 (……まあ、あいつだったら、そうだろうな)

 と、正語もこっそり同意した。

「面白くないのは、由美子さんだろうね。養育費もらう相手がいなくなっちまったんだ。子供一人抱えて、女が生きてくのは大変だってのにさ」



 二人は今朝、正語が車を停めた場所までやってきた。

 竹林の奥には例の石を円錐状に積んだだけの結界がある。
 正語はその結界を見ながら車のドアを開ける。
 あれに近づいて真理子に注意されたのはつい数時間前のことなのに、ずいぶん長いこと、この家に足止めされていたような気分だった。

 運転席に乗り込もうとすると、勝手に助手席に座っている雅と目が合った。
 雅は「いい車だね」と、シートベルトを締めている。

「門の外まで送ってよ。近くまでは案内できないけど、一輝さんが亡くなった温室の場所を教えるからさ」

 雅の屈託のない笑顔を見ると、抗議する気にもなれない。
 正語はそのまま車を走らせた。



「人生最後の一日にしては、忙しい日だったと思うよ。一輝さんは朝からケンカして、殴られたんだ」

 竹林の中に敷かれた石畳の上を走りながらも雅の話は続いた。

「一輝さんを殴った相手は岡本さんっていうんだけどね、職人さんで、言葉は乱暴だけど、悪い人じゃないんだよ」

岡本幸雄(おかもとさちお)と一輝さんとの間には、お金の貸し借りがあったんですよね?」

「おっ、さすが! 調べはついてるね! でも原因はお金じゃないよ。岡本さんには、涼音(すずね)ちゃんっていう可愛い娘さんがいるんだけどね、大人しくって、賢い子でさ、猫が好きなんだけど、アレルギーがあるから、さわれないんだよ」

 雅の話は逸れだしたが、正語はそのまま喋らせておいた。

「コータはさ、涼音ちゃんが好きらしくって、一輝さんの温室の前で猫の餌付け始めたんだよ。コータが猫を集めて、エサやったり撫でたりするのを涼音ちゃんが楽しそうに見ててさ、なんか微笑ましい二人なんだよ。『僕の温室の周りは野良猫だらけだ。まるで猫園だ』って、一輝さんも笑ってたよ。一輝さんも、涼音ちゃんのことを気に入ってたんだ……だから、何とかしてあげたいと思ったんだろうね」

 ようやく門が見えてきた。
 やっとこの家から出られる。正語はさすがに解放された気分になってきた。

「一輝さんは、親子の間に割って入っちゃったんだよ」

 それは絶対やってはダメなことだという顔つきで、雅は首を振った。

「涼音ちゃんが、お父さんの事を怖がってるとか、言いたいことも言えずにいるとか、一輝さんは岡本さんに言っちゃったんだよ……でもそういうのを赤の他人から言われて、気分悪かったんだろうね……岡本さん、『俺以上に俺の娘のことを知ってるような口ぶりだった』って、すごい怒ってた」

 それがケンカの原因で金は関係ないと、雅は話を終えた。
 そして、小さくつぶやく。

「よかれと思ってしたことが、裏目に出ることもあるよ」

 ——なんだ?

 雅がつぶやいたこの言葉を、最近どこかで聞いたなと、正語は眉をひそめた。
 記憶をたぐり寄せ、思い出した。

 (……そうだ、一輝の霊が言った言葉だ……)

 母親から一輝のスマホの捜査を頼まれた時、正語は全く気乗りがしなかった。
 『霊媒師がいるなら、一輝さんの霊を呼んで聞いてみればいいだろ』と母親の光子に持ちかけた。
 光子をからかったつもりだった。
 ところが光子は大真面目で、もうすでに真理子に一輝の霊を呼んでもらったと答える。
 そしてその霊が言った言葉とやらが、

 『よかれと思ってしたことが、裏目に出ただけだから、何も詮索しないでくれ』

 だった。

 
 (何が霊媒師だよ。バカバカしい)

 と正語は鼻で笑った。
 真理子は一輝と岡本との間のケンカを知っていただけではないか。

 それにしても。

 真理子の霊能力が偽物だとして、なぜそんな嘘をつく?
 岡本とのケンカに目を向けさせるためか?

 弟が誤って鍵をかけたことを、真理子は認めたがらなかった。
 真理子の弟は心を病んでるとかいっていたが、責任能力を問えない少年の過失にした方が話は簡単に済むだろう。
 この御大層な家の人間はあらゆる人脈を使って、コータを無罪にするだろうし。

(あの高太郎ですら、穏便に済ませてくれと俺に頭を下げてきた)

 それなのになぜ真理子は、頑なに弟はやっていないと言い張るのか?



 門を出るとすぐ雅はここで停めてと、シートベルトを外した。車から降りて、こっちこっちと手招きをする。
 正語は黙って従った。

「ここを下ってくと、一輝さんの温室があるよ」

 と、雅は山道に作られた階段を指した。
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登場人物紹介

鷲宮秀一、主人公の高校生

九我正語(くがしょうご)、秀一の従兄弟、警察官

九我正思(くがしょうじ)正語の父親。人の恋愛感情を瞬時に見抜く特殊能力を持つ。

九我光子、正語の母親。秀一の伯母。

雅、介護士。雅は熟女スナックにいた時の源氏名。本名は不明

夏穂、秀一の幼馴染。秀一に片思い。

涼音(すずね)、秀一の幼馴染

武尊(たける)、秀一の幼馴染

賢人、秀一の甥っ子

真理子、みずほ中学の教師

コータ、真理子の弟、秀一の幼馴染

野々花、パンケーキ店の女主人

岩田、秀一のテニスの師匠

鷲宮一輝(故人)秀一の兄

鷲宮輝子(故人)秀一の母親。正語の母親、九我光子の妹

水谷凛、夏穂の従姉妹

鷲宮智和、秀一と一輝の父親

鷲宮高太郎、智和の兄

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