第5話

文字数 1,386文字

 もうどれくらいヒメちゃんはこの家で過ごしているのでしょうか。室内にいるハムスターであるヒメちゃんには、季節の流れはよくわかりません。部屋は常に安定しているからです。

「ヒメちゃん」

 飼い主さんがケージの前に来て、そう言いました。ヒメちゃんは寝ていたのですがその声を聞くとすぐに起き上がり、

「ご主人しゃま~!」

 巣箱から出て、扉の前で手を振って、聞こえていることをアピール。すると飼い主さんは笑顔で扉を開けて手を入れました。

「ご主人しゃま!」

 その手にヒメちゃんは乗りました。もちろん指を舐めて毛づくろいをします。

「ん?」

 何と飼い主さんは、ヒメちゃんをリビングのカーペットの上に下ろしました。

「ひ、広いでち……」

 その広大さに、唖然。しかし、無理もありません。

 ヒメちゃんは今まで、狭い空間でしか生きてきませんでした。ブリーダーが育てている母親に産んでもらった時も、ケージの中でした。ペットショップにいる時も、ケージの中でした。そして飼い主さんが購入しこの家にやって来た時も、ケージの中でした。
 だからヒメちゃんは、外の世界がとても広く、その端っこが見えないことを知りません。今は家の中ですので壁が見えますが、ヒメちゃんにとっては初めて見る世界です。

「ここを走っていいでち?」

 恐る恐るヒメちゃん飼い主さんに問いかけました。言葉はわかりませんが飼い主さんも、いいよ、と言った気がします。

「行くでちよ!」

 ケージの中で回し車を回すよりも、ここを走り回った方が心地よいに決まっています。ヒメちゃんはカーペットの上をスーっと走り出しました。

「広いでち! すごいでち!」

 ハムスターは自分の匂いがない場所は警戒するのですが、この時のヒメちゃんにとってはあまり関係のないことです。何故ならこの部屋はいたるところから、飼い主さんの匂いがするのです。安心できる人の匂いがあるということは、ここは危険ではないということ。思う存分部屋の中での散歩を楽しめます。

「ヒメちゃん」

 飼い主さんが呼びました。この時ヒメちゃんはカーペットの端の方を歩いていました。きっと、物陰に入られたら大変だと思ったのでしょう。しかしヒメちゃんは、

「かくれんぼでち? やるでち!」

 と言って、何と棚の後ろに入り込んでしまいました。

「ヒメちゃん、ヒメちゃん!」

 飼い主さんの慌てた様子の声が聞こえます。

「冗談でちよ!」

 すると、ひょいっと顔を出すヒメちゃん。心配した飼い主さんは急いでヒメちゃんを拾い上げました。

「大丈夫でち! 怖くないでち! 楽しいでちよ~!」

 満足気な顔を見せます。飼い主さんも一安心し、またヒメちゃんをカーペットの上に下ろしました。

「心配でち? なら、側にいるでち!」

 今度はヒメちゃん、飼い主さんの側から離れません。座っている飼い主さんの隣にくっついています。ちょうど、手が伸びてきて撫でてくれました。

「嬉しいでち~! 気持ちいいでち~!」

 お礼として、もちろんヒメちゃんは飼い主さんの指を舐めます。するとまた飼い主さんは撫でてくれました。今度はヒメちゃんは、飼い主さんの手に頬ずりをして返します。

「本当にヒメちゃんは、幸せものでち~!」

 ヒメちゃんはこの至福な時間をたっぷり味わい、その後ケージに戻されました。

「また、期待してるでちよ~!」

 飼い主さんに手を振り、この日は巣箱に戻りました。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み