継承

文字数 756文字

「後はよろしく」 
 託された側の気持ちというのは、複雑かつ明快なものだ。複雑であるということがはっきりとしている。1年間、このチームは前田先生のものだった。すべての判断基準がこの男の下で行われ、生徒もそれを基準に突き進んでいた。

「楽しかったです」
 俺はそう答えた。本心だった。前田先生との1年間はつらく厳しい時もあったが、勝利や敗北を共に分かち合った日々は、振り返るときらきらと輝いていた。
 
 車を降りて歩く自分の目からは涙がこぼれていた。何の涙かわからなかった。ただ、新しい何かが始まったということだけが実感として残った。これから自分の力でチームを率いなければならない。その重責とプレッシャーが肩に重くのしかかっていた。
 その先には、前田先生との1年間が光る湖面のようにぼんやりと漂っていた。


「気を付け、礼、お願いします」
 生徒の声がグラウンドに広がる。いつも通りとも思えるが、少し不安が入り混じっているようにも思える。顧問は本当に矢島で大丈夫なのか。生徒からそう品定めされるような目で見られているように感じた。杞憂なのか、本当に思っているのかはわからない。ただ、自分の心の中からそう見られている意識を消し去ることはできなかった。

 前田先生からは、練習前に新しい体制になっての決意や思いを最初に話してから始めるのがいいと言い渡されていた。でもそれはできなかった。自分の決意が薄かったからなのか、穏便にいつも通りのペースで練習を始めさせたかったからなのかは自分でも分からない。迷っているうちに時間は過ぎ去り、練習がスタートしてしまった。

 その日の練習は可もなく不可もなくといった内容だった。ただ、徐々に緊張感が薄れ、チームの基盤が崩れてしまっていくのではないかという不安が、どうしても自分の中から抜けなかった。

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