Case11 セイレーンの歌声①

文字数 4,640文字

 夜が明けて、朝がやってきて、また夜が来る。スマートフォンのスイッチを押して画面を一瞥する。ヒビだらけの液晶には、『8月11日・午後6時』を示していた。

 結局、世界が終わる日になった今になっても胸の中で燃え続けているこの怒りが収まる事などなかった。相変わらずじりじりとした熱にも似た感覚が、僕の身体の中をうねる様に動き回っている。

 箱庭を飛び出してからもう6日が経った。あれから毎夜を駅前にある安価でボロボロなビジネスホテルで過ごしながら、少しでもこの怒りが紛らわすことが出来ればと様々なところに出掛けていた。

 中学まで住んでいた田舎町にも足を運んだ。僕がいた3年ほど前から時間が止まっていた様な光景と、こんな山と川しかないような小さな町のローカル線の小規模なロータリーにも救いを集めるような爆音を流し続けている新興宗教のクルマ。僕だけしかいないロータリーでスピーカーからくぐもった不快な声を叫び続ける、ここに似つかわしくない白いワゴン車を射抜くように睨みつける。

 結局その後、何時間か歩いたり昼食を食べたりしたのであるが、知り合いなどに会うこともなくそのまま街へと戻ったのだったが。何故か、僕が産まれたこの町で終わりを迎える気は起きなかった。

 むしろたくさんの人で溢れかえりごった返していて僕のことを誰も知らないあの街が、今の自分自身にとって居心地が良かった。きっとただ、それだけなのだろう。

 一度だけ、今まで住んでいた箱庭の近くまで戻ってきたこともあった。小さな木造二階建てのアパートの一階にある金属製のドアが見えるところまで行き、そちらをちらりと見てみると、つい先日まで「竹房」と書かれていたネームプレートは取り外されて何も書かれていない空白が残されていた。

 最初から期待していたわけでもない。いてほしかったわけでもない。もう、この世界が滅びるまで母に、父に会う事は二度とないのだろう。その確信が欲しかったのだ。カーテンも取り外された窓から見える、何もなくなってがらんどうになってしまった部屋を乾いた目で確認した後に背中を向ける。

 産んでくれと頼んだわけではない、と僕を先行投資の物件か何かとしか見ていなかった父親と、それに同調しながら更に認識を歪めていった母親に向かってもう一度怒りを叫ぶつもりは更々ない。

 僕という存在がここにいる自体が奇跡のようなものなので、それに関しては感謝しかないし、貧困や疫病などが蔓延していたり、戦火に晒されている環境などで生まれ育っている、今にも命の灯火が消えそうな子供達に比べるとこの国で寝食の不自由なく俺はどれだけ恵まれていることかと今でも思っている。

 だが、恵まれているかと幸福であるか。貧困に喘ぎながらも自分の心のままに精一杯生きているのと、衣食住が保障されながらも言われた通りに無気力に生きているのが、どちらが幸福なのだろうか。

 笑顔にならなければ満腹になっても意味がないと言う人もいるだろうし、満腹になれなければ笑顔になんかなれないと言う人もいるだろう。相反する二つの答え。その二つのどちらが正しいかということなど
比較することはできないだろう。

 それでも怒りによって産まれたばかりの僕は、今まで歩んできたこの17年間を幸せだとはとても思えなかった。腹の奥で燃え続ける感情をむしろ愛おしく感じながら、もうすぐ空の上から雲を突き破ってやってくるであろう終末まで過ごそうとしていた。いつものように大地を踏み締めながら、夜の街に一定間隔で立っている街灯の影を歩き、昼の街に降り注ぐ太陽の光を睨みながら歩く。

 どんな時間にも、どんどん増えていく新興宗教の言葉を叫び続けていたクルマが祈りを捧げよ、これは試練であり信じる者だけがこの試練に耐え切り生き延びることができる。信じよ。と備え付けられたスピーカーからとんでもない音量で延々と聞こえている。まったく馬鹿馬鹿しいと思いながら通り過ぎていたが、これが当日、それもあと5時間もせずに終わりの時を迎えるのだから、街で走り回るその街宣車の数のあまりの多さに流石に辟易としていた。

 そして今日も相変わらずホテルの窓から見える街並みのなかに、喧しい声をがなり立て続けている騒音発生車の姿を何台も確認できてしまい、若干げんなりしてしまう。今、僕がいるのは5階の一室であるのだが、ここからでも激しく聞こえてくる聞き飽きたくぐもった声に、ずっと僕の身体を動き回るものや、母に向かって投げつけたものとは別の種類の怒りが後頭部の少し下あたりから高速で飛びかかるようにやってくる。

 こういう種類の怒りもあるのかと自分自身の感情に感心しながら、ホテルの部屋を出て廊下を歩く。もう終末までの料金はとうに支払っていて、当てがわれた部屋も定期的に掃除をしてくれていたのでとても居心地がよかった。流石に食事は出ないので外で済ます必要があるのだが、そこは些細な問題だった。いつもすぐ下にあるコンビニで適当に済ませたり、出かけたときはチェーン店の牛丼やカレーなどで手早く済ませる程度で過ごしていた。プライベートやプライバシーの欠片もなく、ひたすらに窮屈な生活をしていた箱庭に比べて、なんと自堕落なことか。

 振動がやたらと多いエレベーターに乗り、ロビーを抜けて外に出る。外は相変わらず街灯が今し方ようやく造られはじめた闇を憎々しいほどに激しく照らし、排気ガスとゴミと僅かな汚れきった磯の匂いが混ざり合った醜悪な臭いの生温い風がビルとビルの隙間から吹き抜けていた。

 僕が子供の頃には使い続けていればすぐに無くなってしまうと授業で教わっていた、限りある資源。それを地球の運命と共に使い切ってしまおうと自棄になったとしか思えないほどの激しいエネルギーを浪費して、街中に配置された街灯たちが放ち続けているLED特有の人工的な眩しさと、生まれ育った田舎町の澄んだ空気と根本的な何かが違う都会独特の淀んだ空気の相乗に思わず眉を潜め、人と人が川の流れのように進む路地を逆らうように歩いていく。

 人々が歩き続ける今のこの街はなんだか異様な光景だ。お祭り騒ぎになるわけでもなく、厳かな空気にもなるわけでもない。アッパーとダウナーが混ざり合って結局はあまり変化が無くなってしまった街をどこか浮つきながらも歩を進めていく。ところどころ肩がぶつかり、睨みつけられるがそんな事は知ったことではない。喧騒と騒音と罵詈雑音をバックにこの腐り切った世界の縮図であるようなこの街をゆらゆらと練り歩いていく。

 特に目的などない。この愛おしい怒りとともに混沌が渦巻くこの街で世界の終わりを迎えていきたかった。僕が僕であることを認識しながら、この地球に根源的な感情を向けて叫びながら運命を共にしたかった。握り締めた拳を振り下ろす術を知らずに、この胸の中の感情は永遠だと滑稽に言い張りながら奥歯をすり減るほどに噛み締めたままに、跡形もなく吹き飛んでしまいたいのだ。

 僕がこの世界ではじめて上げた産声は、怒りの叫びだった。涙の代わりに流れるのは、食いしばった歯から流れる自身の血液だった。

 そして、その怒りを生むことになったのは世界の終わりを告げるあの隕石だ。あの隕石がなければ、僕は僕であることをまるで認識できないままに両親に搾取され、世界で一番力のある国が入植時代の初期頃、北側で扱われていたアフリカ系の人々のように理不尽に不条理に一方的に虐げられる事に自覚さえ出来なかったかもしれない。

 だからこそ、宇宙の彼方から遅れてやってきた1999年の7の月の権化かもしれないこの大きな隕石に対して、僕はこの燃え盛る怒りをもって盛大に歓迎しよう。僕が僕であることを教えてくれることになったこの隕石を。産まれたばかりの僕を殺してしまう、この隕石を。

 夜の街をひたすらに歩く。あと3時間ほどで全てが終わる。逃避するように照らされている眩い照明のせいで空は見づらく頭上の空は曇ってしまっていて現在の空の上がどうなっているかは窺い知ることができないが、西の方の空だけ僅かに夜空が見えていて人工的な光に上書きされそうな星達が消え入りそうではあるが確かに瞬くように煌めいていた。

 もしかしたら、西側にある地元の田舎町では人類最後の天体ショーを拝むことが出来るかもしれない。僕の記憶が正しければ、この時期は毎年この時期にやってくるペルセウス流星群がピークを迎える頃だろう。今まで箱庭にいた頃は両親の過干渉と束縛によって夜に家を出るなんて事は叶わなかったので実際に見た事は一度もない。あくまで中学の授業で習った知識の一端である。

 流星と共に隕石が落ちていく光景など、まるで安っぽい映画のエンディングのようだ。皮肉めいた乾いた笑いを小さく上げているうちに、駅前のメインストリートから外れたところまで来てしまったようだ。都会の喧騒もやや落ち着き、ねっとりとした熱を帯びた風が僕の肌を通り過ぎていく。流石にここまでくるとあの忌々しく喧しい声を上げるクルマはここまで来てはいないようだった。ようやく訪れる若干の静寂に、ホテルの自室と戻ってきたような安堵感に近い感覚を覚えた。

 メインストリートとは比較にもならない静寂とも言っていいほどのざわめきの中ではあるが、それでも地元よりずっと人が多い。その中を這いずるようにゆっくりと歩いていく。メインストリートに比べると人通りもまばらで、同じ街とは思えないほどの差に驚きすら感じていた。

 そして、その中に明らかに場違いな音が聞こえていた。この滅びゆく世界の中に似つかわしくない、まるでデタラメにしか聞こえないアコースティックギターの旋律だ。適当に指を動かし、適当に弦を掻き鳴らしているとしか思えない馬鹿馬鹿しい音色。世界の滅亡の直前に頭がイカレてしまったのかとしか思えない音と音の羅列であったが、どうにもこうにもこの音色が気になってしょうがない。それこそ、胸の中の炎の勢いが少しだけ弱くなるほどに。

 セイレーンの歌声に吸い寄せられる船乗りのように、デタラメな音の方向に向かって歩いていく。世界が滅びる前の人生最後の気紛れがこんな事になるとはとても想像すらしていなかった。音の発生源に向かって歩く。それは、思ったよりも近かった。アコースティックギターの6本の弦を激しく震わせながら滅茶苦茶なメロディを奏で続ける女性。

 コンクリート製の地に直接座り、何も考えていないような旋律を発し続ける彼女のすぐ近くには、無骨な印象をした大きなギターケースが開かれて置かれていた。通常はチップというか投げ銭というか、とにかく小銭などが入っているであろうスペース。そこにはスケッチブックに油性マジックで殴り書きされたメッセージしか入っていなかった。

『【星浜 結】です! ヨ・ロ・シ・ク!』

 それがあの女性の名前なのだろう、僕の訝しむ視線を無視するように、星浜と名乗る女性は旋律を奏で続けていく。その旋律は僕にとって何をもたらすのか、まるでわからない。むしろ耳障りにも聴こえているこのメロディが、なぜか僕の胸の奥の炎を和らげたり増したりさせて、どうにも不安定にさせていく。

 どうにも味わったことのないこの不思議な感覚に、内心で首を傾げながら耳を傾けていく。街灯から放たれる、メインストリート程ではないが確かに強い光が彼女の奇抜な赤い髪の毛をまるで昼間のように鮮やかに照らしていた。
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