時を越える転生ラブレター

文字数 4,953文字

『さようなら、ゼフ』

 その言葉を残して黒い光の中へ消えていく一人の少女。その儚くも美しい微笑みを浮かべる少女を何度助けようとしたことだろうか。何度手を伸ばしても、何度喉が裂けるほど叫んでも、少女の最期の時を見送らなければならない。そして、その後には最悪な気分で迎える朝がいつもあった。

 夢を見るようになってかれこれ四十年以上の時が過ぎた。はじめの頃こそ、ただの気分の悪くなる夢だと気にもしていなかった。だが、毎晩の様にその夢をみるようになった私はこれがただの悪夢では無いと思い始めた。
 そもそも、夢に出てくる少女の顔に見覚えなどなく、それに夢の中の私は少年のような容姿をしていて名前もゼフと呼ばれていた。しかし、少女の微笑みを見る度、少女の鈴の音のような声でゼフと呼ばれる度、私の心は震え、そして記憶の欠落による焦燥感が押し寄せてくる。

 思い出せない少女の名前。
 まるで半身を失ったような喪失感。
 そして、助けることのできなかった後悔。

 その全てが、夢を見る度に私の心を蝕んだ。見つからない答えを、救えないその手を求めて何度も夢であがき続けた。

 そんなある日の事。私が住んでいるこのジークリンデンにおいて国教に指定されている聖ルシアン教の大聖堂で、建国二千年を記念して普段は見ることの出来ない聖遺物や祭具が公開されることになった。ジークリンデン建国の伝説はこの国に生きるものであれば幼子から老人まで誰でも知っている。いくつもの国々を飲み込んだ邪龍ヘルムンクを、初代ジークリンデン王となる英雄ガリアスが、聖ルシアン教の象徴として奉られている聖女ルシアンと共に討ち滅ぼし、その遺骸の上に国を築いたのが始まりとされている。が、そんなものは後世に後付けされたお伽噺だろう。

 私は正直な話その一般公開に興味などなかった。しかし、私の姪がどうしても見に行きたいという事と、何故かこの一般公開に行かなくてはならないという脅迫にも似たような感覚が日に日に押し寄せてきた為結局足を運ぶことになった。
 聖ルシアン教の神官見習いの青年の案内で見学コースを歩く私達。姪はジークリンデン建国記にも出てくる聖遺物の数々に興奮気味で、その反応に気を良くした青年も案内の口上に力が入る。

「さて、いよいよ今回の一般公開の最大の見所でございます。聖ルシアン様が綴った、我々聖ルシアン教徒にとって聖典と言っても過言ではない書記でございます。残念ながら、当時の文字に関しては文献が失伝されてしまっていますので、全文の訳はありませんが、一部解読が出来ている部分から推測されるには、ルシアン様が愛について人々に説いた内容との事です」

 幾重にもガラスのケースで保護されている一枚の羊皮紙。解説の話では二千年前の代物だそうだが、はっきりと言ってしまえば眉唾物だ。そもそも、解読が全て出来ていないのにそれをありがたがる意味も理解できないし、なによりこれはルシアンが『人々に』宛てたものではない。

「えっ……?」

 思わず口から飛び出した間抜けな声が静かな大聖堂に響き渡る。なぜ、私はこれがどういった内容なのかを知っているのだろう。

「どうしたの? カイルおじちゃん」
「い、いや……なんでも、ないよ」

 激しく動揺する私を心配そうに見上げる姪のミーシャ。青年はそんな私達に構うことなく熱のこもった解説を続けていく。

「ルシアン様は純粋なる慈愛の精神を以て人々の心を照らしました。それが例え敵国の敗残兵であれ、咎人であれです。そしてその愛に触れたものは皆、心の浄化を受け改心をし、新たなる人生を歩んでいくのです。中でも有名なのが……」

 聖女ルシアンが書いたと言われるその羊皮紙に釘付けになった私の耳にはもはや青年の声は聞こえていなかった。
 聖女ルシアンの書記。否、その手紙の内容をただ必死に、一字一句逃さずに読み進めていった。

 ゼフへ 
 貴方がこの手紙を読んでいるということは、残念なことだけれど私はヘルムンクの力に飲み込まれたか、良くて相討ちになってしまったということでしょう。でも、私は後悔はしません。何故ならこの使命を全うすることこそ聖女として生を受けた私の本懐なのですから。
 なあんて、書いてみたけどやっぱりダメね。皆を救うことが出来て、故郷の敵を討てるのは嬉しいことだとわかっていても、やっぱり死ぬのは怖い。怖いの、ゼフ……
 あのね、皆には絶対言えないけど、私本当は聖女なんてなりたくなかった。
 みんなで畑を耕して、泥まみれになって、馬鹿やって。それから、幼馴染みと恋をして。ただそれだけ、それだけのつまらない人生を送りたかった。
 ねぇゼフ、覚えてるかしら。ゴルダの丘で見た美しい夕日を。もしも、ヘルムンクとの戦いに二人とも生き残れたら、一緒にピクニックに行きましょ。そしたら伝えたいことがあるの。
 やっぱり、ダメね。この手紙をゼフが読んでるってことはつまりそういうことだもん。でも、私は諦めていないから。いつか、みんなでまた一緒に笑える日が来ることを。それじゃ、この手紙をゼフが読まないことを祈ってる。でも、もし読んじゃってたら……ごめんなさい、最期の想いをこの手紙で伝えます。
 好きよ。愛してる。さようなら、愛する私のイグナーゼフ。

 最後までその手紙を読み終えた時、私の頭の中で何かが弾けるような感覚と、記憶の奔流が溢れだした。

 見たことの無いはずなのに懐かしさを感じる街並み。
 緑溢れる小高い丘で眺めた美しい夕日。
 隣で微笑む少女。
 そして、天と地を揺るがす漆黒の龍の咆哮。
 燃え盛る火炎。
 逃げ惑う人々。
 光の中へと消える少女。

 封印の中へ消え行く黒龍はどす黒い血を吐きながら嗤う。

『二千年の後、我は必ず戻ってこよう。それまで仮初めの安寧の中、震えて眠るがいい……』

 気がつけばその場に蹲り、涙を流しながら叫び声をあげていたようで周りに多くの人が集まってきていた。
「大丈夫ですか!? 神官長様が直ぐに駆けつけてくださりますので……」
 心配そうに肩を掴んできた青年の手を振りほどき、()はゆっくりと立ち上がった。今日が建国記念の日であれば、あの日からちょうど二千年後の約束の日となる。奴はその約束を違える事はないだろう。

「君、名前は?」
「わ、私ですか? 私の名前はヨハンと申します」
「ヨハン、一つ聞きたい。『絆の碧』は何処にある」
「え!? な、なんで貴方が『絆の碧』のことを知ってるんですか! あれは……」
「そこの神官見習いの者、下がりなさい」

 突然聞こえてきた老人の声。その声の主は人々の壁を割りながら近づいて来た。三人の高位の神官らしき人物と、その中心に立つ明らかに位の違う、ある種の神々しささえ纏う老人。
「きょ、教皇猊下……!?」
 直ぐ様膝を付き頭を垂れる人々。その中で僕だけが一人教皇と呼ばれた老人と真っ直ぐに対峙していた。
「お待ちしておりました、ガリアス・イグナーゼフ陛下。かつての盟約に従い、『絆の碧』をここに……」
 教皇が差し出したそれは柄から刀身まで全てが澄み渡る空の様な青い短剣であった。これこそが、エリュシアンを救い出すためにあらゆる呪法と技術をかき集め、盟友たる聖ルシアン教の初代教皇イリスに託した対ヘルムンク用の切り札『絆の碧』であった。

 邪龍との戦いの後、僕は世界を飛び回りエリュシアンを救う術を探した。その結果、ヘルムンクと同等の力で邪龍の呪いを相殺するこにより、封印の為にその身を捧げたエリュシアンを救うことが出来るということがわかった。
 しかし、その為には膨大な祈りの力が必要であり、それを叶える為には長い年月を要した。そこで僕は絆の蒼の完成を未来へと託し、自分自身に転生の秘術という呪法を施した。自分の命が尽きたとき、その記憶と肉体を子孫へと転生させる禁断の秘術。そして、かつての後悔と覚悟を思い出すようエリュシアンの最期の手紙を見ることを目覚めの鍵としていたのだ。
 僕は短剣を受けとると、握りしめて天井を睨み付ける。その直後、大地が激しく揺れだし、天を穿つような咆哮が響き渡った。
 崩れる建物。隆起するジークリンデンの大地。激しい揺れと耳をつんざく咆哮と共に、地中より巨大な漆黒の龍がその姿を表した。

『約束の日は来た……さぁ、人間共よ、最期の時だ……!!』

 大聖堂の外にでると、ヘルムンクのその三つの瞳が真っ直ぐとこちらに向いていた。

『おぉ……その反吐が出そうになる気配……久しいな人間。我はこの時を心待にしていたぞ。さぁ、どう料理をしてくれようか』
「待ちわびたのは僕も同じだ、ヘルムンク。二千年の時を越え、エリュシアンを返して貰うぞ!」

 既にかつて英雄と呼ばれていた時代の記憶を取り戻し、あらゆる術式や武術の知識を取り戻した僕はヘルムンクと対峙する。装備は手に握られた一本の短剣のみ。だが、それだけで十分だ。
 二千年の時の中に込められた人々の願い、人々の想いを体現したこの奇跡があればこんな少しばかり身体がでかいだけのトカゲ風情敵ではない。
 ヘルムンクが腐食の吐息を吐き出す為の予備動作に入ると、僕は短剣を構えて大地を蹴った。


 そうして、数刻にわたる激闘の末。全身から血を流しながら倒れ伏したヘルムンクが大地を揺らす。

『グゥゥゥ……何故だ、何故貴様は力尽きぬ。何故そんな小さき刃で我を傷つけることが出来る!』
「二千年寝坊助してたトカゲには解らんだろうさ。これが、人間の想い、人間の力だ!」

 幾重にも繰り出された剣戟により、堅牢なヘルムンクの体表は傷まみれになっていた。無論僕も無傷ではないが、応援に駆けつけた聖ルシアン教の神官戦士の治癒により、なんと自分の足で立っていることが出来ていた。
 地に伏して呻くヘルムンク。僕はその額にあるマナの源である第三の眼の前に立つと、絆の碧をその眼に突き立てた。

『グアァァァアアァァァァッ!!』

 悲鳴にも似た咆哮と共に、黒い煙となって四散していくヘルムンク。その煙の中心に淡い光に包まれた一人の少女、エリュシアンが横たわっていた。
 エリュシアンの側に駆け寄ってゆっくりと抱きかかえて様子を窺うと、静かに息をしているのがわかった。そうしてエリュシアンの顔をしばらく眺めていると、小さな呻き声と共にゆっくりとその双牟が開き、空を閉じ込めたような蒼い瞳が僕の姿を捉えた。

「ぜ、ふ……? ゼフ、なの?」
「あぁ、あぁ……! わかるか、エリュシアン」
「当たり前じゃない……ふふ、ゼフったら顔に皺がいっぱいね」
「そうだな。君は美しいままだね。遅くなってすまない」
「いいわ、ちゃんと迎えに来たから許したげる。ねぇ……あの手紙、読んだ?」
「あぁ。ゴルダの丘に、ピクニックに行こう。そしたら僕からも伝えたいことがあるんだ」
「うん……でも、その前に」

 僕の手を握りよろよろと立ち上がるエリュシアン。そして、振り返ったその視線の先には空中に浮かびながら揺らめく黒い靄があった。

『まだだ……我はこの程度では滅びぬぞ……!』
「いいや、お前はここで終わりだ。神器解放、『永遠の蒼』」

 エリュシアンと共に短剣を握り、靄へと向かいその切っ先を向ける。すると短剣は光と共に形を変え、一本の蒼い槍となった。僕はそれを投擲して靄へと突き刺す。
 悠久の時と共に凝縮された祈りの力は、神の力をも降ろす器、神器となる。この解放状態こそが、対ヘルムンク用の切り札である『永遠の蒼』であった。

『グォォォ……我は、かな、ら……ず……』

 蒼い光が靄を封じ込め、その穂先が大地に突き刺ささるとそのまま色を失い石柱となった。

ーーこうして幕を閉じた邪龍と囚われの聖女の物語は、ジークリンデンの人々に長く愛されることとなる。しかし、その戦いの後、邪龍を討った英雄と救いだされた聖女、そしていつの間にか大聖堂から消えていた聖女が記したと言われる書記の行方を知るものは、誰一人としていなかった。
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