第15話 恋人たちの宴

エピソード文字数 6,996文字

「……フェイと会うとは思いませんでした」
 手を繋いで町を歩きながらエフィムが溜息を吐く。エフィムは私が贈った手袋を片方だけ着けていて、私の手を引く方には手袋を着けていない。

「あの……少し待ってください」
 私は片方の手袋を外して、エフィムの手を握った。直接感じるエフィムの体温が温かくて笑みが零れる。エフィムは耳を赤くして、笑顔になった。

 エフィムが向かったのは、布地や糸を扱う店だった。
「……お願いがあります。材料費と製作費は出しますから、私にハンカチを作っていただけませんか?」
 想像もしていなかったお願いだけれど、私は了承した。材料費も製作費もいらないと押し切って、白い布地と刺繍用の糸を買う。

「何か好きな絵柄はありますか?」
「鳥が好きです」
 青空を自由に飛ぶ鳥を見るのが好きだとエフィムが笑う。鳥を刺繍にしたことはないけれど、図案を考えるのは楽しみだ。

「急いで作りますね」
 私の言葉にエフィムは急がなくてもいいと笑う。何枚でも嬉しいと言われて、意欲が湧いた。
「楽しみにしています」
 エフィムの優しい笑顔に微笑み返して、温かい手を握りしめた。


 エフィムは毎日、私と小さな約束を交わす。
「今日はこのタイピンを預かっていて下さい。大事なものです」
 手渡されたのは綺麗なエメラルドが嵌められた銀のタイピンだった。裏には名前らしきものが彫られている。

「……オスヴァルド・ヴァランデール?」
 それはこのカデットリ王国からは遠い、ヴァランデール王国の第2王子の名前だ。貴族向けの情報誌で名前は知っている。確か今は公爵になっている。

「私の命の恩人から頂きました」
 エフィムが少年のような笑顔を浮かべる。とても大事な物なのだろう。大切に扱わなければ。
「外国の王子が命の恩人なのですか?」
「ええ。酒と剣が好きな豪快な方です。長い話になりますから、休暇に雨が降ったらお話しましょう」

「今夜、必ず貴女の手で私に渡して下さい」
「はい」
 毎日エフィムの大事な物を預かるのは、とても嬉しい。私が生きていることに意味があると思える。
 私はタイピンをそっと握りしめて微笑んだ。


 メレフの部屋にエフィムと入ると、メレフが駆け寄ってきた。
「扉っていう言葉を数えたよ!」
 笑顔のメレフを抱きしめると、本当に温かい。昔のダヴィットも温かかった。

「それでは答え合わせをしましょうか」
 エフィムの提案に、メレフが頷く。
「答えは186だよ!」
 いつの間に100以上の数を数えられるようになったのか。ほんの10日と少しの間だったのに、子供の成長は目覚ましい物がある。

「エミーリヤ、答え合わせを」
 私は頷いて、ポケットから正解を書いた紙を取り出して二人に見えるように広げた。

「やったー!」
 メレフが飛び跳ねて喜ぶ。186。何度も数えなおしたので間違いはない。
「ああ……負けてしまいました」
 エフィムはがくりと肩を落とす。メレフとエフィムの対比が面白い。

「仕方ありません」
 エフィムは片手で軽々とメレフを持ち上げて肩に乗せた。メレフはエフィムの首を脚で挟むように座っている。
「うわー!」
 青い目をきらきらと輝かせて、メレフが外に出たいとねだる。背の高いエフィムの肩の上に乗っても天井が高い屋敷では手は届かないけれど、興味を持ってあちこちに手を伸ばす姿は微笑ましい。

「エフィム! この木に穴が開いてる!」
 中庭を散歩していると、メレフが叫び声を上げた。地上からは全く見えないけれど、エフィムの肩の上のメレフには穴が開いているのが見えるらしい。
「春になると鳥が帰ってきますよ。毎年、夏になると雛が生まれています」
 エフィムは毎年、鳥の巣立ちを見守っていたらしい。メレフが目を輝かせている。

 裏庭へ入る場所でエフィムがくるりと背を向けて、また中庭へと戻って行く。私の足はふらりと裏庭へと向かう。トフラの木の向こうには泉がある。……水がある。

「エミーリヤ、そちらには行かないで下さい」
 追いかけてきたエフィムの手が、指を絡めるようにして私の手を握る。ダヴィットと同じ繋ぎ方なのに、エフィムの手は優しい。

 何故、エフィムは止めるのだろう。……私は水に飛び込まないといけないのに。

「今夜、約束しているでしょう?」
 エフィムの言葉で思い出した。そうだ。私は今夜約束している。約束は守らないと。水に飛び込むのはその後にしよう。
「はい」
 私が微笑むと、エフィムも優しく微笑んだ。


 メレフに字を教え、空いた時間は刺繍をするようになった。図柄を考え、一針ずつ刺す作業は、集中しているとあっと言う間に時間が過ぎてしまう。

 最初のハンカチには、白い鳥と黒い鳥を紋章風に配置した。洗ってアイロンを掛けた後、我ながら素晴らしい出来だと嬉しくなって、エフィムに報告する。
「できました!」
「素晴らしい出来ですね」 

 感嘆の声を上げたエフィムが突然跪いた。
「エフィム?」
「ハンカチを私に頂けますか?」
「はい」
 差し出された手に、促されるようにハンカチを渡す。
 
「我は御身の剣とならん。我の心は常に御身と共にあり、あらゆる災厄を退けん」
 微笑むエフィムがハンカチに口づける。

「エフィム? それは?」
「ヴァランデール王国の騎士が、一生を捧げる女性に誓う言葉です」
「誓いの言葉? どうして?」

「ヴァランデールの騎士が、女性が刺繍したハンカチを受け取るということは、そういう意味を持っています」
「でも、エフィムはこの国の……カデットリ王国の騎士なのでしょう?」
「ええ。この国の騎士ですよ。私はエミーリヤ、貴女の騎士になりたい。認めて頂けませんか?」

 跪いたままのエフィムが私の手をそっと握る。まるで貴婦人になったかのような幻想が私の心を満たしていく。
「……はい」
 私が微笑むと、エフィムはそっと私の手に口づけた。


 私がエフィムにハンカチを贈ったことは、すぐにメレフにも知られてしまった。ねだられるままにハンカチに刺繍を施す。メレフのハンカチには、窓から見える海と剣を紋章風に配置した図案を刺繍した。

 毎日エフィムとメレフと小さな約束を繰り返す日々が過ぎていく。夜にはエフィムが私の記憶にあるダヴィットを非難するけれど、それさえ除けば穏やかな時間が私を包んでいる。


 2月が過ぎ、春の温かい風が吹き始めた。辺りを白く包んでいた雪が急速に融けていくけれど、相変わらず私は裏庭には行かせてもらえない。研究室へ行く時には、必ずエフィムが着いてくる。

 ある夜、侍女たちがエフィムの部屋に大きな箱を運んできた。日常接することのない老齢の侍女たちは白髪交じりの髪をきっちりと結い上げ、仮面のように無表情だ。同じ黒い服のせいで魔女の人形のような印象を受ける。

「奥様が、このドレスを下げ渡すとのことです」
「ドレスを?」
 私の不用意な問いにも侍女たちの表情は崩れることがない。

 王女が私を5日後の夜会に連れて行くので、このドレスを着用して待っているようにという指示と、エフィムにも夜会に出る支度をするようにと伝えて、侍女たちは部屋から出て行った。

「……夜会なんて……もしかして、これがフェイの言っていたパーティ?」
 私の問い掛けにエフィムが溜息と共に頷いた。

 箱を開けるときらびやかな淡い緑のドレスが入っていた。ドレスは一昔前の流行の意匠(デザイン)で、膨らんだ袖と幾重にも重なるスカートは透けるように薄い絹と花模様の織物が使われており、高価なレースが袖や襟元に贅沢にあしらわれている。

 子供の頃に憧れたドレスを手にしても喜びは無い。
「……寸法が合わないわ」
 精霊のように細く華奢な王女と普通の私とは、寸法が全く違う。体に当ててみたけれど、合うはずがない。

「急いで仕立てさせましょう。何色が好きですか?」
 エフィムの表情は硬い。私は首を横に振って断った。
「どうせ一度きりですもの。布を足して縫い直します」
 下げ渡されたのだから、ハサミを入れてもいいだろう。私が微笑んでも、エフィムは硬い表情のまま立ち尽くしていた。


 ドレスの身頃の脇を解き、スカートの見えない部分から切り出した布を足して寸法を大きくする作業は手間のかかるものだ。メレフもエフィムもこれは手伝えないと眉を下げる。

 エフィムがメレフに文字や言葉を教えている横で、私はひたすらドレスを縫う。夜会当日の昼になってようやく完成した。

 着用してみたけれど予想通りに似合わない。淡い明るい緑と私の草色の髪の色合いが違い過ぎてちぐはぐだ。宝石は持っていないので、首にはスカートの布で作ったリボンを巻いた。

「綺麗ですよ」
 エフィムは私を見てそう囁いたけれど、ドレスの色が似合っていないことは分かっているので、落ち着かない。
「……エフィムは素敵です」
 黒い夜会服に身を包んだエフィムは凛々しくて、隣に立つのは少し恥ずかしい。

 結い上げた髪に、そっと白い薔薇を飾られた。
「ありがとうございます。薔薇はこの時期には珍しいですね」
 エフィムは故郷の家族に送ってもらったと耳を赤くする。故郷では、女性に白い薔薇を贈ることには意味があると笑う。

「どんな意味があるのですか?」
 私が問い掛けると、ますます耳を赤くして、エフィムの視線が落ち着かない。
「……あの……その……その話はまた、後日にします」

「後日教えて下さいますか?」
「はい。約束します」
 エフィムは優しくて温かいけれど、約束が終わったら、私は冷たい水に飛び込まなければ。
 私が微笑むと、エフィムは私を抱きしめた。


 王女から先に行くようにと指示をされた馬車は、町の劇場へと向かっていた。二階建ての豪華な建物が、魔法灯で照らされて煌めいている。昼間は太陽の光を吸い込むような黒さの石は、魔法灯の強い光を乱反射させて輝いていた。おそらく、この劇場は夜に見る為に建てられたのだろう。

 門を閉じていた太い鎖や大きな錠前は取り去られ、大きく開いている。何台もの黒塗りの馬車が玄関前で客を降ろしているのが見えた。

 黒く塗られた鉄柵の中に広がる庭園のあちこちに魔法灯が吊るされて、春に咲く花が陰のある怪しい姿を見せている。夜の庭園は艶めかしくて美しい。

 馬車が停まり、扉が開いた。エフィムに手を取られて降りる。色とりどりの花や光沢のあるリボンが飾られ、黒い石で彫られた魔物の像が並んでいる。周囲の美しさは、どこか陰を含んでいて、美しいけれど怖ろしい。震えるとエフィムが私の肩を優しく包む。

「エミーリヤ、何があっても必ず護ります。私は貴女の騎士ですから」
 エフィムの微笑みがいつもよりも硬い。フェイは危険があると言っていたけれど、エフィムと一緒ならきっと安全だ。
「はい。お願いします」
 微笑んでエフィムに寄りかかると、そっと抱きしめられた。

 エフィムは劇場に入る際に、武器を持っていないかどうか念入りな身体検査を受けた。ホール内には、黒い夜会服を着た男性客ばかりだ。数名単位で話し込んでいて、外国語も聞こえてくる。

 歩いているとようやく女性の姿も見えた。私と同じでドレスを着慣れていないのだろう。裾を気にして頻繁に下を見ながら歩いている。横に並ぶ男性も借り物のような夜会服を着ていて落ち着かない。

 劇場の内部は黒く艶やかな色で塗られていて、何故か魔法灯で煌めく黒色が血のように思えてならない。

「エミーリヤ、疲れていませんか? どこかで休みましょう」
「大丈夫です」
 黒く塗られた椅子に座りたくない。正直に言うとエフィムが苦笑する。抱き上げましょうかと囁かれて、私の顔が羞恥で赤くなる。

「か、からかわないで下さい」
 私が抗議の意味を込めて睨むと、エフィムがますます笑顔になって私を抱きしめた。
「可愛らしいですね」
 エフィムの声が笑っている。私がぺちりと腕を叩いた時、従僕に声を掛けられた。

 仮面を被っているのかと錯覚する程、従僕には表情がない。整った顔立ちが人形のように思えて怖い。
「大丈夫ですよ」
 エフィムが私を抱きしめる腕を強めて、私は安堵の息を吐いた。

 従僕に案内されたのは、初めて見る円形劇場の舞台上だった。舞台を取り囲むような傾斜に客席が設けられていて、客席から舞台を見下ろす形になっている。さらに高い場所には豪華なカウチやソファが設置されていて、貴賓席と思われる。

 舞台には私たちを含めて8組の正装姿の男女が案内された。全員、正装は着慣れていない様子で、寸法があっていない服や、古い服、素人の手作りとわかるドレスを見ると平民なのだと思う。
 周囲を取り囲む薄暗い客席には、男性客の姿ばかりで、女性客の姿は一切ない。高い場所はよくは見えないけれど100名以上は座っているだろう。

 まるで見世物だ。私はそう思った。一体これから何が行われるのか、全く説明はされていない。ただ、待つようにと言われただけだ。震える肩を、エフィムの温かい手が包む。

 その温かさに息を吐いた時、短い音楽が鳴り響いた。高い場所にある扉の横に立つ男性が声を張り上げる。
「ヴェーラ夫人! フランシス・ウルマン様!」

 貴賓席の扉が開き、姿を見せたのは零れ落ちそうな豊かな胸で細い腰の、金髪で青い瞳の年齢不詳の美女だった。赤紫色のドレスには黒いレースがふんだんに使われている。豪華な黒いレースの扇を持つ姿が、何故か女王蜂を連想させた。

 隣に立つのは愛人だろうか。淡い金髪に水色の目の、細身で美しい男性が夜会服で寄り添っている。

「スヴェトラーナ王女! パストゥホフ公爵様!」
 続いて入場してきたのは、王女とダヴィットだった。王女は銀色の刺繍がほどこされた水色の豪華なドレスを着用している。最新流行の意匠だ。

 黒い夜会服を着たダヴィットを見て、嬉しいと思うと同時に不安になった。私はまだ水に飛び込んでいない。そのことをダヴィットに知られたら、また怖いダヴィットが現れる。足が震える。

「エミーリヤ、大丈夫。私がいます。私を見ていて下さい」
 エフィムが私のあごを持ち上げて自分の方へと向ける。顔を見ると足の震えは止まった。

 唐突に、おそらくは舞台の下にある楽席から音楽が流れ始めた。
「……踊ったことはありますか?」
「ありません」
 きっと平民の下手なダンスを見世物にしようというのだろう。ようやくこの夜会の趣旨がわかったような気がして、私は息を吐く。

「……わかりました。私の靴を踏んで下さい」
「え?」
 意味がわからない。急かされて、考える間もなくエフィムの靴の上につま先を載せるとドレスの裾が隠してしまう。

 片手を取られ、腰を支えられてダンスがゆっくりと始まった。エフィムの技術のおかげなのか自分の体重を感じない。ふわりふわりと飛んでいるような気分だ。

 見上げるエフィムの深い草色の髪と緑の瞳が魔法灯の光を受けて輝く。
「私、踊ってる?」
「ええ。上手ですよ」
 エフィムが、ようやく柔らかな笑顔を見せて、私の心は安堵する。くるりくるりと回転すると、ドレスがふわりとひるがえる。

 他の参加者は踊っている者もいれば、慌てふためいている者もいる。2曲、3曲と踊るうち、何となく音楽に合わせて全員が踊っているように見え始めた。

 見物している客たちは落ち着かない。苛つくように足を鳴らす者や、下卑た掛け声を叫んで、周囲の客にたしなめられる者もいる。

 5曲目が静かに終わり、音楽も消えた。
 大きな音が鳴り、一際強い光が貴賓席に座る二人へと向けられる。

 ダヴィットが手を差し伸べ、王女が優雅に立ち上がった。魔法灯の光を浴びて並び立つ二人は、金色の精霊王と銀色の精霊のようだ。

「今宵はわたくしが主催する〝恋人たちの宴〟へようこそ」
 美しい王女が言葉を発すると、劇場内が静まり返った。王女は扇で口元を隠し、青い瞳は弧を描く。

 王女はゆっくりと劇場内を見回した後、扇を下げた。美しい顔が強く輝いている。
「今からこの舞台で演じられるのは、悲劇であり喜劇。想い合う者たちを引き裂き、その嘆きを悲劇の歌として楽しみ笑いましょう。愛し合う恋人たちを踏みにじり、絶望の叫びと怨嗟の声を奏でましょう」

「この宴では倫理や道徳は意味を成さない。男は手と足を斬り落とし、その目の前で、女を死ぬまで犯してしまいなさい」
 美しい銀の精霊の口から発せられる言葉は、恐ろしいとしか思えなかった。

「さぁ、〝恋人たちの宴〟の始まりよ! 皆さま、お楽しみになって!」
 楽し気な王女の声は高らかに劇場内に響き渡った。

 これが現実とは思えなかった。
 舞台を取り囲む夜会服姿の男たちの手には、剣や短剣、武器が握られている。

「いやぁあああ!」
 女性たちの悲鳴と服を引き裂く音、男たちの興奮した笑い声が私の心を恐怖で満たした。
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