第11話 検査結果 進行がん ステージⅢC

文字数 1,447文字

組織の病理検査結果が出た。

左胸の腫瘍は、なんと4・5センチの大きさの癌だった。 他にもいくつか見つかる。

脇の下のリンパ腺に3つ。 良くないと言われている胸の中のリンパ節に1つ。脇の下から全身へ広がるため、胸の中のリンパにもう進んでいるのは良くないのだと言われた。

もしかしたらステージⅡかもしれないと思っていたのがステージⅢになった。胸の中のリンパに転移していたため、数年後ステージⅢの中でもCという最も悪いものだと知った。

乳がんのステージは、腫瘍の大きさと広がり、そして、周辺のリンパ節やほかの臓器への転移の有無などによって、0、Ⅰ、ⅡA、ⅡB、ⅢA、ⅢB、ⅢC、Ⅳ期まで8段階に分けられる。

それによって5年、10年生存率が変わる。ステージⅡとⅢでは当時大きな違いがあって打ちのめされた。

胸骨の内側にも出来かけていて、取れなかった癌もあるらしい。これから抗癌剤で治療していくことになる。

それにしても4・5センチとは……みかんぐらいの大きさだ。そんなに大きな癌だったから触診で見逃されたのだった。

乳がんを触診で発見するときは(小豆大)が多いという。まさか(みかん)のような塊が癌腫瘍だったなんて、ベテランの医者も考えられなかったらしい。

「これは癌ではないと思う、大きすぎるもの」というドクターの声が頭に響く。

胸の半分くらいのゴツゴツした手触りが全部、乳がんだったのだ。

そしてまことしやかにまかり通っていた(癌は痛くない)というのも嘘だった。ズキズキと胸の奥の方から痛んでいた。

母乳が乳管に詰まる乳腺炎になったことがあるのだが、その痛みにそっくりだった。触った感じも似ていた。 母乳なんてとっくに出ていなかったのに、なぜだろうと思っていた。

6ヶ月以上かかる治療のため、夫はハワイの基地へ転勤することになり、ハワイに移り住むことになった。仕事に空きがあったのはラッキーだったと思う。 なんと同じ職場で上司として転勤してくる人の奥さんキャリーも同じくY基地で乳がんになってハワイに来ることになったのだった。

キャリーと私はその後友だちになり、長い闘病生活を支えあった。

キャリーは白人女性だ。長い金髪のカーリーへヤーをそれは大事にしていたので、抗癌剤だけは嫌だと言っていた。

乳がんは残酷な病気だと思う。 女性の象徴を次々に奪っていく。
 
北の在日基地から来ていた女性は、職種のあきがなく、ユタ州へ行くことになった。日本の基地に専門医がいなかったため、まずハワイに検査に来て、本国へ帰って行く。

私は日本に帰りたかった。 日本へ帰ったのは2012年のはじめ。 それまで3年間アイダホ州の田舎に住んでいてノイローゼのようになっていた。 乳がんはここでのストレスではないかと密かに考えていた。
 
アジア人はほとんどいない地区で保守的な場所だった。悲しい思いやつらい思いをした。 
「日本に行きたい、帰りたい」日本への思いが爆発していた。 そうやって頑張った3年間、やっと帰れた日本でこんどは癌が発覚したのだった。

胸に痛みも違和感もあったのに、医師の「癌ではないと思う」という言葉を信じてしまった。それに日本では夫のいない日々が続き、まだ小学1年生だった息子を家に置いて病院へ行けなかった。基地内では当時10歳以下の子供を一人で留守番させるのは違法だったからだ。さらに一台しかなかったマンモグラフィーの機械が壊れていたりして、なかなか病院へ行けずに何か月もたってしまった。

その間に大きくなってしまった気がしてならなかった。

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