第3話 地獄裁判①

文字数 2,164文字

「ううん…うん?」体の疲労感とともに正太郎の意識が覚醒する。
「おっ、どうやら目が覚めたようですねぇ」目を開けると、鮮やかな紫髪の少女が正太郎の顔を覗き込んでいた。と言っても、少女の前髪は長く、目が隠れているので見えているのかは不明だ。
「こんにちわぁ、人間クン」軽快に手を振り、唯一見える大きな口元には笑みを浮かべている。目元が隠れているので表情は分からないが、正太郎の覚醒を喜んでいる、というよりは、好奇の目を向けられているといった方が正しいだろう。
「閻魔ちゃ~ん、彼起きたよぉ」と、くるりと後ろを振り返る。
「…あっ!」紫色の少女が離れ、視界が開けた正太郎は、自らのいる場所が執務室であると理解した。暗い赤を基調とした室内には、壁一面の蔵書、漆が塗られた重厚な作業台があつらえてある。その上には墨や筆などの筆記用具から、おそらく目の前に座っている”閻魔様”と呼ばれた少女のために作られたものだと推測できる。
「あ!」ようやく彼女を視認した正太郎は、ほっと胸を撫でおろす。大丈夫だったのか、と正太郎が身を乗り出そうとすると、首元には冷たい感触が走った。ゆっくり自身の体に視線を向けると、体は縄で縛られて身動きが取れないまま膝をついていた。冷たい感触の正体は、鉈のような鋭利な刃物で、しかも2振り、正太郎の首元で光っていた。ソレを正太郎に向けているのは、あの浴場で見たスーツ姿の男女2人だ。
2人とも背が高く、筋肉質。そしてあの時は湯気であまり見えなかったのだが、2人とも頭にはツノが2本生えていた。
(——鬼だ)
まさしく、漫画や昔の巻物で見るような、絵に描いたような鬼だ。違和感があるのは、正太郎にも馴染みのあるスーツを着ているくらいだろうか。
「動くな」若い女性の声だ。刃物を、正太郎の皮膚にわずかに食い込ませる。つり目が特徴的な美女だが、その逞しい美しさは、ギリシャ神話に登場する狩猟部族・アマゾネスを彷彿とさせる。
「もうよい、瑠璃。ソレを仕舞え」閻魔に命令された女性——瑠璃はしぶしぶ正太郎の首元から鉈を離す。「アホ、お前も仕舞え」瑠璃は隣の男——阿傍という名のようだ——を睨む。
「俺は仕舞えと言われていない」ぶっきらぼうに屁理屈を言う阿傍に、瑠璃は「ハァ!?」と呆れた声を挙げる。目つきの鋭い阿傍の視線は、純粋な敵意をもって正太郎を捉えたままだ。
「…阿傍、お前もだ」呆れた表情でため息をつきながら、閻魔が”命令”すると、短く舌打ちをしてそれに従う。こちらも納得は行ってなさそうである。
紫色の少女は「あはは、相変わらず2人とも忠誠心の高いことでぇ」その様子を見て、にやにやと笑う。獲物は仕舞っても、警戒心は解けてはいないのだろう。選択肢を間違えると確実に死に向かうことだけは、正太郎でも理解できた。
「さとり」閻魔様に名を呼ばれた紫色の少女——さとりは、「はぁい」と声をあげ、巻物を手渡した。
(この人にはツノとかないけど…何かの妖怪?)刃物の緊張感はなくなった正太郎は縛られたままではあるが、少し落ち着きを取り戻していた。
「おぬし、名は?」真っ直ぐと正面から見つめられ、凛とした声が正太郎を呼ぶ。ようやく喋る許可が降り「さ、佐藤正太郎、です!」と精一杯の声が執務室に響く。
閻魔は、手元の巻物に視線を落とす。細くしなやかな指は、撫でるように巻物を辿る。
「どうですぅ?名前ありますぅ?」鬼2人の威圧感と対照的に、さとりは手が隠れるほど長い着物の袖をぶらぶらさせながら呑気に話しかけている。
「……ないな」
「では、やはりこの者は…」と呟く瑠璃の言葉に頷く閻魔。正太郎以外の全員の空気がわずかにピリっと強張る。
「えっ、何?何?」正太郎はきょろきょろとそれぞれの顔を見渡す。最後に閻魔の方を見ると、視線がかちあう。

「佐藤正太郎、といったな」
「あっ、ハイ!」椅子から降り、正太郎の前に立つ。華やかな香りが鼻をくすぐる。
「まずは、溺れかけていた吾を助けくれた事、礼を言おう」ペコリ、と丁寧なお辞儀をされる。
「そこの阿傍は吾の部下だ。用心棒でもあるので、反射的におぬしを殴ってしまったのは許してほしい」
まったく大丈夫ではないが、「だ、大丈夫です!」と慌てて顔をあげるように促す。
(横の2人に殺されそうだから…!)言葉では言わないが、案の定突き刺すような黒い視線を左右から感じる。
「おぬしの処遇についてだが…」ごくり、と喉を鳴らす正太郎。既に死んでいることを受け入れたくはないが、その言葉を待つ。
(こんなにあっけなく終わるのか…)
(短い人生だったな…)
それなりに楽しく生きていたと思っていたが、いざ死を自覚すると、どうもやりきれない。
(…もうすこし、貴之や木戸さんと…)幼馴染と初恋の人に思いを馳せた。

「————おぬし、現世に戻る気はあるか?」閻魔からの意外な答えに、「へ?」と間抜けな顔を晒した。
「ちょ、ちょっと待ってください。俺、死んでるんじゃないんですか!?」慌てる正太郎の言葉を、閻魔はゆっくりと首を横に振って否定する。
「佐藤正太郎、おぬしは——」閻魔は、至って冷静に正太郎に宣告する。

「おぬしは、生きたまま、地獄に落ちている」
「……はぁぁぁぁぁぁ!?」

生まれてこのかた大声を出したことのない正太郎の、腹の底からの大声が地獄の執務室に響き渡った。
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