第1話

文字数 2,000文字

 そろそろ梅雨入りするのか、毎日雨が降っている。
「知ってる? 入学してひと月以内に彼が出来ないと、卒業まで彼は出来ないって」
 すでに六月。今さら聞かされてもどうにもできない。
「じゃあ、だめじゃん」
 よりによってこんな日に、なんでそんな話をするのかなあ。
 机に倒れこんで、男女混合の華やかな一軍に目を向ける。そこには去年まで一緒の部活で、まっ黒に日焼けしてテニスコートを走り回っていたあの子がいる。まさか、高校で一軍入りするとは思わなかったな。
 わたしは、ベリーショートの髪をいじる。
「髪、伸ばそっかな」
 中学生は、地面を這うイモムシだと思う。みんな同じ地面の上で、どんな蝶になれるかなって、のんびり話をしている平和な時間。
 高校一年生は、いきなり蝶になる人がいる。コンタクトにヘアメイク、驚くほどに姿が変わって、華麗に空を飛んでいく。
「みー。無駄なあがきはやめよう」
「そうそう。どうせモテないわたしたちは、部活に生きるしかないのよ」
 横目で様子を伺う。けど、わたしたちの存在なんて、一軍には価値すらない。まだ始まってもいない期末テストの打ち上げを、どこにするかで盛りあがっていた。
 わかってはいるけど、やっぱり寂しい。
(引退試合の日に、誓い合ったのにな)
「わたしたちは最強。高校に入っても、絶対にふたりで組もう」
 県大会に行くどころか、地区予選のベスト8止まりだったけど、でも、顧問の先生だって、高校に行って本気でやれば、もっと上に行けるって言ってくれたのに。
 永遠を誓い合って交換したマスコットは、今はわたしのカバンにしかついていない。
 朝から降り続けている雨は、さらに強くなっている。雲はさらに黒さと厚みを増し、遠くでは雷鳴も轟いていた。わたしの気持ちは、空にかかるどの雲よりも暗く、重い。
 ようやくホームルールが終わり、ひとつ伸びをする間に、教室から人の気配があっという間に消えていく。
「せっかくクラブが休みなのに、この雨じゃ、どこにも寄れないね」
「今日は真っ直ぐ帰りますか」
 奈子と香澄とは、高校で仲良くなった。だから、今日がわたしの誕生日だとは知らない。ふたりが帰る気になっているのに、実はと打ち明けるのはなんだか気が引けた。
「わたし、図書室に寄ってから帰るから」
 真っ直ぐ帰りたくないわたしは、行く気のない図書室に向かう。ただ寄ったという事実さえ作れればいいので、テニスに関する本でも借りてしまえばいい。
(お母さん、この雨でもケーキくらいは買ってきてくれるかな)
 雨で歪んだ世界を見ながら、ぼんやりと考えていた。
「みー」
 激しく叩きつける雨の中、クリアに響く懐かしい声。
「これ」
 さーやが投げてきたのは、交換したマスコット。これをよこしたということは、今日で関係を終わらせるつもりなんだろう。なにもこんな日にと思いはしたけど、期待し続けていた気持ちを早めに断ち切ってくれたのは、有り難いともいえた。
「誕生日、おめでとう」
「は? なにそれ」
「しょうがないじゃん。プレゼント買いに行く時間がなかったんだから」
 さーやは一軍では下っ端で、仲間外れにされないために、必死なんだと笑う。
「そうだよ。そんなの友だちじゃないよ。でも、みーとはもう一緒にいられないから」
「どうして」
「だって、才能ないから」
「なんでさ。先生言ってくれたじゃない」
「みーだけにね」
 さーやは、涙を滲ませた。
「わたしだって、ふたりなら最強だって思ってたよ。でも、言ってくれなかったんだよ。それってそういうことでしょ」
 雷鳴が、さーやの歪んだ顔を照らす。
「高校入って、どんどん差が開いて、みーを妬んで、恨んで、嫌いになって。そんな自分をもっと嫌いになるかもって考えたらさ。もう一緒にいられないって思っちゃったんだよ」
 さーやは、俯いて涙を落とす。
「だからさ、全部みーに任せる。わたしはもう、テニスはやらないから」
 わたしの返事を遮るように、地面を揺らしてすぐそばに雷が落ちた。
「伝えるのが遅くなって、ごめん。じゃ、そういうことだから」
 さーやの言葉を受け止められず、立ち尽くすわたしを、雷鳴と激しい雨が、窓の向こうであざ笑っていた。
 あれから三日。
 いつものようにジャージに着替え、玄関を開ける。空気はひんやりとしていて、空はようやく白みがかったところだ。朝刊を取り出すと、中にもう一つ封筒があるのに気づく。分厚いものが入れてあるらしく、四隅にしわが寄っている。
 中にはカードが一枚。さーやからのメッセージだった。
 あれから勇気を出して、相談してみた。そしたら、すごく真剣に考えてくれてさ。これがいいんじゃないかって勧めてくれたんだ。
 なんだ。わたし、ちゃんと友だちだったんだって、自信が持てた。だからさ。そっちもそっちでがんばって。
 同封されていたのは、今まさに空を染めている茜色をしたリップと、朝露のように輝くグロスだった。
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