第13話 瞑想センターでの体験③

文字数 3,162文字

 夜にゴエンカ師の講話のテープを聴く時間がある。
 
 瞑想の解説と、お釈迦さまの物語が聴ける。
 複数の言語の吹替テープが用意されている。希望の言語のテープが流される部屋に各自が向かう。

 私は日本語グループと英語グループのいずれかに、その日の気分で顔を出した。
 日本語版は、日本人女性の吹替の声が実に美しい。内面の静けさが伝わってくる。どんな女性が話しているのかと、想像を(たくま)しくさせる魅力があった。
 英語版の魅力は、ゴエンカ師の(じか)の声である点だ。本人の肉声で、講話を聴ける。加えて、DVD映像付きである。

 講話の時間が楽しみだ。本もテレビもない環境なので、脳が情報のインプットを求めるのだろう。集中して聴ける所為(せい)だろうか、お釈迦様のエピソードに、いちいち感激する。いつの間にか、〈(にわか)・お釈迦さまファン〉だ。

 講話には数々の敵キャラが登場し、お釈迦様を(おとし)めようと躍起になる。攻撃されても、お釈迦様は笑顔だ。メンタルが半端なく強い。伊達(だて)に頭に(こぶ)がある訳ではない。

 お釈迦様の頭は、瘤みたいに2段になっている。あれは〈肉髻(にっけい)〉といって、(かしこ)過ぎて1段では脳みそが収まらないから、2段になったらしい。パソコンのメモリ増設みたいなものだろうか。

〈ブッダ〉は〈覚醒した人〉を意味する。仏教の教えでは、瞑想を積めば誰でもブッダになれる。とにかく瞑想が大事。瞑想修行を積んだ副作用で、頭が2段になったら困るが。似合うヘアー・スタイルが限られる。

 あっ、でも、頭が2段になる頃には、髪質も変化するかもしれない。奈良の大仏みたいな、団子を幾つも貼り付けたようなヘアー・スタイルしかできない可能性が。あの団子ヘアは、〈螺髪(らほつ)〉と呼ばれる。



 10日間コースも中頃になると、アナパナの(ぎょう)に割く時間は減らされる。鼻の穴についてばかり考える日々からの解放だ。アナパナで研ぎ澄まされた感覚で、身体の他の部位にも意識を向ける訓練をする。

 さらに、アディッターナと呼ばれる新たな試練も加わる。〈アダィッターナ〉は〈決意〉の行である。約1時間、微動だにしない決意で座る。

 脚の痛い私には、大変な苦痛だった。全身から汗が流れる。
 15分に一度は脚を組み替えないと、とても座っていられない。周囲の人たちに迷惑にならないよう、そろぉーっと脚を動かす度に、集中が()がれた。
 本当は恰好良く蓮華座を組みたいのに。アディッターナの時間になる度に、「今度こそは!」と意気込むが、結局は駄目。

 脚の痛み以外も、いろいろと気になる。鼻の頭が(かゆ)かったり、頬に当たる髪の毛を振り払いたかったり。そもそも人間は

物な訳で、動かないと、おかしくなる。

「ああ、今回も動いてしまった」と、失意のうちに食堂へ向かったティー・タイムでの話。
 温かいミルク・ティーが出された。加えて、日本のポン菓子のような米菓と、バナナと林檎が配られる。

 おやつはコースの初回参加者にのみに出る。2回目以降の参加者は、飲み物だけ。腹が満たされていると、深い瞑想に入れない。夕飯はないので、ティー・タイムのおやつが、その日の最後の食事。初心者は空腹に耐えられないので、おやつは初回限定での甘やかしだろう。

 茣蓙(ござ)の上にアルミ製の皿を載せて、ゆっくりと味わう。

 開け放たれた入口から、野生の猿が入ってきた。西日を浴び、確固たる足取りで、なぜか私へと真っ直ぐに向かってくる。私の皿から、バナナを分捕(ぶんど)った。猿の手がステンレスの皿を一撃する音が食堂に響く。散乱するポン菓子――貴重なおやつを()られた。

 猿は私のバナナを片手に、悠々と食堂を出る。バナナの消えた皿を茫然と見詰める私。
 目の前に、トングで挟んだバナナが現れた。見兼ねた奉仕者が、新しいバナナを皿に載せてくれたのだ。10代の女の子である。笑いを(こら)え、トングを持つ手をプルプルと震わせている。周囲を見回すと、皆が肩を震わせて笑いを耐えていた。

 瞑想修行中は、他人を気にしたら駄目だ。が、参加者の多くは、箸が転げても可笑(おか)しい年頃である。笑いたい気持ちと、戒律を守りたい自制心との狭間を揺れている。

 私も、可笑しいやら恥ずかしいやら。込み上げる笑いをバナナと一緒に呑み込んだ。

 猿のお陰で、少しばかり気持ちが楽になった。あれはきっと、英雄譚(えいゆうたん)『ラーマーヤナ』に登場する猿の将軍ハヌマーンの化身だろう。

 アディッターナの行がクリアできなくても、自分のできる範囲で取り組めばいいや、と。初めてなんだから、完璧にはいかない。

 夕方の瞑想と講話の時間を終えて、宿舎に戻る。

 廊下の隅で、女の子の2人組が声を潜めてお喋りしている。寝室では、別の女の子が布団の中でチョコレートを食べていた。うっかり私と目が合って、気まずそうに笑う。

 皆、そんなものだ。
 厳しい規則は、急には守りがたい。少しずつ、できる範囲で。

 コースも終盤に差し掛かったある日、グループ・インタビューがあった。生徒が5人ずつ、指導者の元へ呼ばれる。

 私を含む外国人女性グループの番になった。

 いつも私の前に座っている西洋人の女性は、喋れる機会が嬉しくて堪らない様子だ。
「座り続けるのは、本当に大変。でも、ここまで頑張れたんだから、あともうちょっと、いけるかな、って。指示どおりの瞑想ができているか自信がないですけど、やっぱり……」
 一言でも多く喋ろうとする。この機会が終わったら、再び沈黙に戻らねばならない。

 私の発言の番が回ってきた。
「脚が痛くて、瞑想どころではないのですが」なんとも低レベルな質問。

 指導者は静かに頷く。
「痛みがある現実を認めつつも、痛みは痛みで置いておきなさい」
 安易に痛みが消える方法を模索するのではなく、痛みを感じつつも瞑想に励め、と。

 痛みにも冷静であれとは、かなりハイレベルだ。できるようになれば、人生にはプラスだろうが。生きていれば、苦難に遭遇する。痛みは避けられない。過剰反応せず、冷静に受け入れられれば、いつしか消えていく。

 結局、アディッターナには一度も成功せず。それでも、身体の隅々までの感覚を点検していく作業を通し、得難い学びがあった。

〈ヴィパッサナー〉とは、〈ありのままを見る〉こと。

 固定観念で()じ曲がった過去に悩まされたり、色眼鏡で現実を見たり、起こってもいない将来に思い(わずら)う悪癖を捨てる。身体の感覚をとおして、ただ現実だけを、ありのままに見詰めていく。

 苦痛を伴う10日間だった。

 最終日は、世界の生きとし生ける者の幸福を祈る時間と、お喋りOKの時間が設けられる。コースの間に、心の深部に手術を施した。刺激の多い外の世界に出るためには、リハビリが必要だ。

 ホールで私の前に座っていた西洋人の女性は、瞑想中とは打って変わって穏やかな表情を取り戻している。

 瞑想中は、彼女が目の前で動くたびに苛々させられた。彼女ではなく、私の問題だ。きっと座る場所にも意味がある。外界の刺激にも動じないよう、心の訓練をするために、彼女の近くに座ることになったのだ。〈偶然に起こる偶然〉はない。

 彼女だって瞑想を体験したがるぐらいだから、もともとは物静かな性格なのだろう。庭を散歩中の私と目が合うと、笑顔で「脚の具合は、どう?」と、気遣いの言葉を掛けてくれた。

「ありがとうございます。結局、座っている間はずっと痛かったです。でも、あんなに痛かったのに、座るのを()めたら、すぐに痛みが引っ込みます」

 痛みは、挑戦しているからこそ。生きている証拠だ。

 彼女は目を細めて軽く頷いた。「きつかったよねぇ、私は、もう()()り」と笑って、私の横を通り過ぎる。

 遠のいていく彼女の後ろ姿を、目で追う。日の光を受けた明るい(だいだい)色の髪が肩の上で揺れる。サクッ、サクッと土を踏む小気味よい音が、徐々に小さくなっていった。

 
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登場人物紹介

リカルド

クラスメイト

メキシコ人

40代半ば(当時)

神話やインドの文学に興味があり、『ラーマーヤナ』(インドの代表的な文学作品。ラーマ王子の英雄譚)を原文で読みたい

きっちりした性格

ダニエル

クラスメイト

イスラエル人

30代半ば(当時)

アメリカでカメラマンをしていた際、ヨーガを学び始める。精神世界・瞑想に興味ありいずれはサンスクリットでヨーガ・スートラ(ヨーガの経典)を読みたい

大の甘党。ディスコでの夜遊びがやめられない

篠田さん

クラスメイト

日本人

65歳(当時)

ヨーガ、瞑想の(自称)エキスパート。日本の某私立大学の英語講師を25年に亘り勤め上げた。サンスクリットを学んで教本を出版したい

本人曰く、動物をも感動させる歌声を有し、森で鹿を泣かせたことがあるらしい

ディーパ

教師

ネパール人

25歳(当時)

幼少の頃から英才教育を受け、サンスクリットをマスターした才女

3児の母でもある

宏美(私)

日本人

27代半ば(当時)

大学1年生の時にインド旅行で衝撃を受け、インドの虜に

基本的にボーっとしてる

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