その6

文字数 4,992文字

「……赤の天使と黒の天使は、そうして他の天使たちとも仲良く雲の上で暮らしていました。しかし黒の天使のお師匠様が人間の悪の心に襲われてしまい、世界を憎む悪魔となってしまったのです。
 黒の天使は人間を助け、自らの翼をお師匠様に捧げることで天使の姿に戻してあげました。しかし翼を失くした黒の天使は、雲の上で生きることができません。お師匠様を助けることで深く傷付いた黒の天使は、天空を真っ逆さまに落ちてしまいました。
 赤の天使は黒の天使がいなくなったことを悲しみました。『心優しき、かけがえのない友よ。どうか返事をしておくれ』そうして赤の天使は雲の上で、今も神様に祈りを捧げるのです……」
「ツバキおにいちゃん、つづきは?」
「ないよ、真っ白なのを見れば分かるだろ?」
 ツバキは絵本の白紙のページを、十人ほどの子ども達の目の前で広げた。
「どっちのてんしさんもかわいそう〜」
「ほら、もうお迎えが来る時間だよ。今日はおしまいさ。これ以上の罰ゲームは勘弁してくれ」
「はあーい」
「ツバキおにいちゃん、またねー」
 揃って返事をした子どもたちが、競走でもするかのように次々に部屋を飛び出していった。
 キッチンの隣、仕切り扉の奥は子ども用の遊戯室となっていた。ツバキが円く並べた子ども用椅子を壁際の倉庫に戻していると、ガトーが声を掛けてきた。
「助かりますよツバキさん。やはり遊んでくれる大人が一人増えると、子ども達の笑顔も増えますね」
「まさかこの歳で絵本の読み聞かせをするとは思ってなかったよ」
 ツバキはため息をついた。普段の対人関係は大人を相手にすることが多かったため、純真無垢な子どもを見るだけでも久しく、そして気疲れを感じた。
「仕方がないですよ。フルーツバスケットで負けちゃったんですから」
「やれやれ、正直に椅子から立ち上がるんじゃなかったな」
「けれど嫌いだと言う割には、子どもと遊ぶのが上手でしたよ。慣れているんですか?」
「弟がいたものでね」
 部屋の隅にある本棚に戻そうとしたところで、もう一度ツバキは読み聞かせをした絵本のページをめくった。
「これが彼の実話だなんて、にわかには信じがたいな」
「少なくとも私たちは信じていますよ。ただの外国人である私達に嘘をつく理由もありませんし」
「わたしは日本人だよ〜ガトー」
 子ども達のお迎えや保護者の応対から戻ってきたのか、ツバキの背後からガトーと同じ年頃の少女が近付いてきた。名前はユッカと呼ばれている。先程のフルーツバスケットにも、ガトーと共に参加していた。
「そうでしたねユッカさん。ごめんなさい、その髪色を見るとつい」
「いいよ〜。気にしないで〜」
 おっとりとした口調で話すユッカは、菫色の髪をポニーテールに結び、ガトー達とは色の異なる祭服に身を包んでいた。そんな姿で本名は「有山優花」というのだから、紹介をされた時にツバキが驚いたのも無理はなかった。
「わたしが絵を描いているのよ。どうかな〜」
 少女は細い首を傾げてツバキに尋ね、それに対して彼は気取らずに素直に述べた。
「総じて良い絵だね。温かなタッチで子どもにも親しみやすい。黒の天使がナナセであるなら似ていると思うよ。ただね、この赤の天使が気に食わない」
「あら、どうして〜?」
「僕の主観だけど、赤の天使の自信に満ちた顔や喋り口調がいけ好かないね。会ったことはないが、こいつとは性格が合わない気がするよ」
「ふふ、そうなんだ〜」
 ユッカは絵に対する苦言を気にしていないようだった。
「……さて、雲の上にいる天使からの電話が来ないだなんて、どう解決したものか」
 ツバキは聖堂の様子を思い返しながら、与えられた本題を考えようとした。
「そもそも、その雲の上の友達は黒電話の番号を知っているのかい」
「一度連絡して教えたとナナセさんは言っていましたね。……島外との連絡手段がないのに、どう解決したのかは謎ですが」
「天使様同士の不思議な力で伝えることができたって?馬鹿馬鹿しい」
「やっぱり信じていませんか?ナナセさんのこと」
「手段や過程は置いといて、事実である結果だけはひとまず信じてやるけどね。……彼が天使なのか悪魔なのか、どうでもいいというのが僕の本音さ。神に尽くす君達にとっては、気分が悪いことかもしれないけどね」
 ツバキはあらかじめ注意を促した上で意見を主張した。
「僕は神に祈ることはあっても、心の底からその存在を信用しちゃいない。絶大な力を持っていても、ろくな使い方をしていないだろうからね」
「それは何か根拠があるんですか?ツバキさんなりの」
 ガトーの質問に、その日初めてツバキの顔から微笑みが消えた。しかしその深刻な表情も一瞬のことで、「勿論」と絵本をぱたりと閉じた時には、またいつもの親しみやすい笑顔に戻っていた。
「プライベートな話は控えるけどね。相次ぐ事件で誰それが亡くなったなんて話を見るといつも思うことがあったよ。関係者から話を聞けば、「あの人は優しい人だった、真面目な人だった……」善良な人間の数が予期せぬことで減るのは、社会にとって見逃せない損失さ。それに対して、罪を犯した人間の言い訳は大体が「誰でも良かった。どうでもよかった……」。本当にそう思っているのか、僕には甚だ疑問だね。自分が殺した人間は優しそうな見た目だったし、きっと善良な人間だろう。だから後で自分の罪を許してもらえる。そんな馬鹿げた考えがきっと、最低な人間にはあるのさ」
 ツバキの持論を、少年少女は口を挟むことなく聞いていた。……有無を言わせぬ何かが、遊戯室の中を漂っていたからだ。
「それを『運命』という名のもとに神が選別しているというのなら、一言だけ僕は神様とやらに言わせてもらうよ。『君は生きるべき人間と、死ぬべき人間を選ぶセンスがない』とね」
 本棚に絵本を戻し、しばらく三人はすべき仕事を淡々と行った。そしてある程度片付けると、ツバキはガトー達に尋ねた。
「ところでナナセが目の前で待つという電話は、聖堂の黒電話のことでいいんだね?」
「ええそうです。元々は使っていない物だったんですけどね。食堂の電話が鳴る度にナナセさんが気落ちするのがいたたまれず、物置から掘り出して彼専用にしたんですよ。そしたらあんな目立つ場所に置いちゃって」
「優しい仲間に囲まれて結構なことだ。君達だけで彼も満足してくれたらいいのに」
「駄目ですよきっと。仲良くしてきた年数が違いますから」
「百年ぐらい仲良くしてそう〜」
 真実なのか分からない話は無視し、ツバキは手に入れるべき情報を求めた。
「いつからその電話を聖堂に置くようになったんだい?」
「六月あたりですかね。けれどナナセさんが騒ぎ出したのはその少し後だったんです。いつだったかな……。普段はそんなことを気にする人じゃないですけど。ええっと……」
「八月あたりだよガトー。お祭りの花火を見て、お空のことを思い出したって言っていたから〜」
 ユッカが助け舟を出した。つまり三ヶ月前から、聖堂の黒電話は便りも知らせずあのままということになる。
「聖堂に設置したばかりの時、黒電話がちゃんと動くか確認はしたのかい」
「ええ、試しに食堂から掛けてみました。ちゃんと繋がりましたし、会話もできましたよ」
「食堂ね……。今朝にご馳走になった時は見かけなかったな」
「丁度、ツバキさんやサクマさんが食べていた席の後方でしたからね。その上、普段は埃を被らないように布を掛けてありますから」
「それは黒電話と同じもの?」
「いいえ、最新式のものです。なんと親機にも子機にも光る画面が付いていて、使い勝手がいいんですよ」
 それは今の時代当然ではとツバキは思ったが、どうでもいいことなので口にはしなかった。この島はところどころで文化の発達が廃れているように感じる。それもあの魔女のせいだと彼は考えていた。
「最近、この周囲で問題はなかったのかい。電話じゃなくとも何でもいい。例の制裁対象が見つからないとか、魔女に先を越されたとか」
「見回りは大丈夫でしたよ。ねえユッカさん」
「でも一人だけ紫帆に先駆けされたじゃない〜。シマキカナコって女の人」
「ああ、そう言えば……」
 言われてガトーはがくりと頭を下げた。
「救えませんでしたね。……僕たちのも勿論そうですが、どうしてこんなことをしなくちゃいけないんでしょう。正直に言うと僕は嫌なんですよ。見回りが」
「ええ〜、駄目だよガトー。紫帆ちゃんは優しいし、良い人だよ〜」
「ユッカさん、しかしですね。いくら僕達が堂島さんのお気に入りだと言っても、こんなことを頼んでくるのはおかしいですよ」
「必ず誰かがやらないといけないことでしょ〜?頼ってくれているからいいじゃない〜」
「ユッカさんは優しすぎます!そういう問題じゃないんですよ。倫理観や道徳観とか、そういう大切な話なんです」
 ガトーはユッカに説得するように語りかけた。「七瀬」に「我藤」、「番地」に優花。四人の聖職者でも考え方はそれぞれだとガトーから聞いた。しかし見回りの仕事がこの島独特のものであるという認識は全員共通しているらしい。四人の考え方は、要は仕事を頼んでくる紫帆への印象の表れでもあった。
「魔女に対する愚痴ならいくらでも聞くよ。僕も彼女にはほとほと迷惑しているからね。けれどそれは今じゃない。他に何か問題は?」
「他ですか?そうですね……。そういえばここ最近、停電が起きるんですよ」
ガトーはぽんと拳を叩くとそう言った。
「停電?僕の住む辺りではなかったけどな」
「この教会と周囲だけなんですよツバキさん。繁華街も平気なのに気味の悪い話でしょう?子どもたちと三時のお菓子を食べている時に停電したときは、お化けだ幽霊だと怖がってしまって」
「確かにあの時は困ったよね〜。ただでさえ島に漂着して大変な思いをしているというのに」
 聞けばさっきまで世話をしていた子ども達は、家族と船旅の途中で遭難してこの島に辿り着いたらしい。島民の誰もが好き好んで六稜島に来ているわけではないようだ。ユッカは続けて話をした。
「でもその繁華街の方では最近、浮浪者がうろついて大変だって言っていたわ〜。空き巣に入られたり、窃盗ついでに襲われたり。……噂では、島の北部で抗争でも起きたんじゃないかって。怖いものが多いわよね〜」
「北部ですか。堂島さんが危険だから入るなって言う無法地帯ですよね。でもこの教会は北部からかなり離れた位置にあるし、直接の関係はなさそうですけど」
「あ、そっか。ここで起こったことを聞きたいんだったっけ〜」
 ユッカのとぼけた発言に、ツバキは「六稜島の北部ねえ……」と呟くだけだった。
 六稜島には、魔女も恐れる未知の領域がある。ツバキがそれを知ったのは、自身の調べ物ついでに図書館で情報を漁っていた時だった。
 六稜島は上空から見下ろせば、外周は見事な六角形になっているという。しかし実際は完璧な六角形ではなく、北を向いた上部が三日月型に分断しており、島の大陸は小さな北部と残り半分以上を占める南部に別れていた。
 魔女が全権を握る南部は多くの人を島民として迎え、この島の主要部分としてそれなりに栄えている。一方で北部は未だ魔女が開拓しきれていないのか、彼女のお気に入りの人間でも立ち入ることは許されない。つまりは島民の誰もが入ったことのない場所だった。そのため北部には禁じられた神話生物がいるだの、死んだ人間の悪霊が住み着いているだのという根も葉もないオカルトや、ギャングが根城にして毎日密貿易をしているといった噂が好き勝手に飛び交っていた。
 南部では魔女の機嫌さえ取っておけば平穏無事な生活が送れる。だから呑気な島民の中で不審な出来事があれば、その責任を閉ざされた北部に擦り付けるのは当然のことだった。
「……もう一度聖堂が見たいな。例の黒電話を確かめたい」
「分かりました。では片付けも終わったことですし、上へ行きましょうか。そろそろナナセさん達も帰ってくるかと思うのですが……」
 言いながら三人が遊戯場を出ると、聖堂へ続く階段の途中でナナセに出くわした。ツバキ達から見れば逆光だったが、息遣いから少し疲れた様子である。
「どうしたんですかナナセさん?」とガトーが尋ねると、彼は相変わらずの無愛想な表情で淡々と述べた。
「ガトー、やらかした。見回りの途中でサクマが卒倒した」
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