サンスベリア

文字数 1,638文字

ひゅうひゅう。
肺に風が吹くような日々。

サンスベリアが枯れた。

たとえば夏であっても、水をあげなくてもぐんぐん伸びて、生命力が漲っていたというのに、サンスベリアの、観葉植物が枯れた。

長らく禁煙していたが、サンスベリアが枯れたのを機に、また煙草を吸い出した。
こころの隙間に、風が吹く、ひゅうひゅう、と。肺が煙で充満すると心地よかった。久しぶりで咽せるけれども、肺を、満たす。

「殺風景だから」
「殺風景?なにが」
「きみの部屋、本だらけで殺風景だから、なんかこう、こころがやすらぐようなものを」
「余計なことを」

春にサンスベリアをくれたのはあなただった。あなたは、私の部屋を久しぶりに見たとき、怖かったのだという。書棚に床に、本が溢れてる。
文字の氾濫。
「本に生活が侵食されてしまって、きみは、本と同化しちゃうんじゃないか、って」
あなたとは大学の同期であったが、あなたは先にまっとうな社会人になり、私は穀潰しを継続、博士課程で表象文化の研究をしていた。
あなたは着々と社会に馴染んでいく。
学生時代に、共に論文執筆に明け暮れ、議論をしたり、刺激的であったのに、あなたは、私の知らない世界へ進む。
明るい清潔な世界。
思えばあなたは暗く鬱屈した私とは正反対に、いつも光を放っていた。
あなたは、いまだに文字と表象に囚われ苦悩する私を心配して、私のアパートを訪れた。
スーツ姿の会社員。
「久しぶり。煮詰まってるね」
「文字に生活が侵されて死にそう」
「これ、お土産」
あなたは、サンスベリアの鉢を小脇に抱えていた。
「これ、観葉植物。サンスベリア」
「は?なんで、いきなり」
「殺風景だから」
「殺風景?なにが」
「きみの部屋、本だらけで殺風景だから、なんかこう、こころがやすらぐようなものを」
あなたらしい、余計なやさしさだ。
「はあ…」
「きれいな空気と水が、必要だ。煙草、吸いすぎてはだめだよ」
きれいな空気と水。
なにが、だ。
私に煙草を教えたのはあなただ。
私のロングヘアがいつも煙草くさいのも、あなたに憧れて煙草を吸っていたからだ。
煙草を吸うあなたがかっこよかったから。

あなたは社会に溶け込んで、清潔になっていく。
けれど、それがまっとうな社会人だ。
私は、サンスベリアを育てた。
虎の尾のような、剣のような、縞模様をしていた。

文字に侵食されながらも、サンスベリアは生命力を放ち、瑞々しい。水をそんなにやらなくても、ぐんぐん育っていた。
やがて、私は不思議とサンスベリアを気に入り、煙草を吸わなくなった。
あなたを思う。
変わってしまったあなた。
でも、変わってはいないのかもしれない。
光に満ちていて、眩しくて。

きれいな空気と水。

私にとっては、それはあなただった。
あなたは私をおかしな、大学時代の女友達くらいにしか感じていなかっただろうけど。

論文執筆に明け暮れた。一心不乱に。
暗闇に光が見えた。
光合成。

私はあなたにメールした。
「この間はありがとう。おかげで論文書き終えたよ」
「それはよかった。あの、実はね」
あなたは、私に、冬に結婚する旨を伝えた。
「この間、きみが大変そうだったから。言い出せなくてね。だけどたいせつな友達のきみに、来て欲しいんだ、結婚式」
あなたはメールでそう言った。
「おめでとう」
まっとうだ。
なんてまっとう。
社会人二年目。
結婚。
おめでとう。

あなたはそのうち子供ができ、家を建て、家族みんなで幸せに暮らすのでしょう?

私はそんなあなたの隣にはいられない。
私は文字に侵食されているから。
こんなことをしていて、いったい何になるんだろうって、思うよ。
思う。
でも、他に何ができるだろう。
本に、文字に侵されていく。

ひゅうひゅう、肺に風が吹く。
しばらくは何も手につかなくて、そうしたら、サンスベリアは枯れた。

たとえば夏であっても、水をあげなくてもぐんぐん伸びて、生命力が漲っていたというのに、サンスベリアの、観葉植物が枯れた。
虎の尾のような、剣のような、縞模様は茶色く、見るも無惨。

ひゅうひゅう、肺に風が吹く。
きれいな空気と水。
くそくらえ。

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