第1話
文字数 1,091文字
太郎は左腕のしびれで目を覚ました。
顔を左に向けると、そこには乙葉の笑顔があった。
「お目覚め?」
太郎の腕の中で乙葉は言った。「あなた、寝顔も可愛いのね。さっきから眺めていたのよ」
「おはよう」太郎が笑顔を返すと、乙葉は顔を太郎の肩にずらしてきた。胸に触れる乙葉の肌が、心地よく官能をくすぐる。
太郎はたまらず乙葉の方へ体をねじって、右腕を伸ばしかけた。が、ゆっくり腕を戻した。いけない、こらえよう。
太郎はめくるめく愛の日を、三日間ここで過ごしている。許されるなら、もっと留まっていたい。
そんな太郎の気持ちを見透かしたように乙葉は言った。
「やっぱり今日帰ってしまうの? せめてあと一日くらい居られないの」
「いや、もうそれは出来ない。家族も心配している。今も待っているだろう」
家庭を壊すつもりはない。
「そうかしら? ……待っていないかも知れないわ」
半身を起こしながら乙葉は言った。
今までなかった意地悪な言葉に太郎は当惑した。
そうか、かなわぬ願いに抗っているのだ。
二人は食卓に向かい合って遅い朝食をとっている。静かな食事だ。
「きみと過ごした三日間、とても楽しかったよ」
沈んだ空気を梳(と)かそうと、太郎は言った。
「あたしもよ。あなた素敵だったわ」
乙葉も微笑んでくれた。蠱惑(こわく)的な笑みだ。これだ、この笑みと姿態。
一夜だけのつもりだった。それが乙葉の色香に惹かれるまま、情に身をまかせて昨夜まで過ごしてしまった。だが溺れるわけにはいかない。今朝はかろうじて抑えることができた。きっぱり出ていこう。むしろ乙葉の方がこれほど恋慕するとは意外だった。それなら美しく残してやろう。
「きみのことは一生忘れない」
言葉に嘘はない。
「嬉しいわ」
乙葉は太郎の顔を見つめた。何か言いたそうな深い眼差しだ。
太郎も、見る――。
先に目を逸らしたのは乙葉だ。
「そうそう、これを」と、脇机から小箱を取り出して食卓の上に置いた。その箱は紐で十字に結んである。「二人の想い出よ。持っていらして」
「奇麗な箱だね。開けていいかい」
太郎は箱に手をかけた。
「まだダメよ、開けるのは……」
乙葉が説明をしようとしたとき、召使が入ってきた。
「姫様、船の乗組員が揃いました」
乙葉はうしろを向いて何事か指示をした。その隙に太郎は紐を解きにかかった。
それを見た召使は慌てて叫んだ。
「あ! 浦島様。そ、それを開けてはなりませぬ」
乙葉も振り返った。そして、驚愕の表情で蓋を押さえようとした。
しかし、遅かった。
立ち昇る白い煙が二人を包んでいた。
【了】
顔を左に向けると、そこには乙葉の笑顔があった。
「お目覚め?」
太郎の腕の中で乙葉は言った。「あなた、寝顔も可愛いのね。さっきから眺めていたのよ」
「おはよう」太郎が笑顔を返すと、乙葉は顔を太郎の肩にずらしてきた。胸に触れる乙葉の肌が、心地よく官能をくすぐる。
太郎はたまらず乙葉の方へ体をねじって、右腕を伸ばしかけた。が、ゆっくり腕を戻した。いけない、こらえよう。
太郎はめくるめく愛の日を、三日間ここで過ごしている。許されるなら、もっと留まっていたい。
そんな太郎の気持ちを見透かしたように乙葉は言った。
「やっぱり今日帰ってしまうの? せめてあと一日くらい居られないの」
「いや、もうそれは出来ない。家族も心配している。今も待っているだろう」
家庭を壊すつもりはない。
「そうかしら? ……待っていないかも知れないわ」
半身を起こしながら乙葉は言った。
今までなかった意地悪な言葉に太郎は当惑した。
そうか、かなわぬ願いに抗っているのだ。
二人は食卓に向かい合って遅い朝食をとっている。静かな食事だ。
「きみと過ごした三日間、とても楽しかったよ」
沈んだ空気を梳(と)かそうと、太郎は言った。
「あたしもよ。あなた素敵だったわ」
乙葉も微笑んでくれた。蠱惑(こわく)的な笑みだ。これだ、この笑みと姿態。
一夜だけのつもりだった。それが乙葉の色香に惹かれるまま、情に身をまかせて昨夜まで過ごしてしまった。だが溺れるわけにはいかない。今朝はかろうじて抑えることができた。きっぱり出ていこう。むしろ乙葉の方がこれほど恋慕するとは意外だった。それなら美しく残してやろう。
「きみのことは一生忘れない」
言葉に嘘はない。
「嬉しいわ」
乙葉は太郎の顔を見つめた。何か言いたそうな深い眼差しだ。
太郎も、見る――。
先に目を逸らしたのは乙葉だ。
「そうそう、これを」と、脇机から小箱を取り出して食卓の上に置いた。その箱は紐で十字に結んである。「二人の想い出よ。持っていらして」
「奇麗な箱だね。開けていいかい」
太郎は箱に手をかけた。
「まだダメよ、開けるのは……」
乙葉が説明をしようとしたとき、召使が入ってきた。
「姫様、船の乗組員が揃いました」
乙葉はうしろを向いて何事か指示をした。その隙に太郎は紐を解きにかかった。
それを見た召使は慌てて叫んだ。
「あ! 浦島様。そ、それを開けてはなりませぬ」
乙葉も振り返った。そして、驚愕の表情で蓋を押さえようとした。
しかし、遅かった。
立ち昇る白い煙が二人を包んでいた。
【了】