第1話 気がつけば50手前

文字数 2,682文字

 うかうか実家に引きこもるうちに、いつの間にか30代を大幅に越していた。
 むろん将来を案じ、厚生労働省によりいまでは禁止とされた中途採用の年齢制限が、ゼロ年代半ばまでは35才であって、タイムリミットが近づき悶々としない日はなかったが、実感に即していえば「いつの間にか33、4歳」だったのだ。
 私の祖母は利用するデイサービスの若いスタッフの兄ちゃんに惚れて、80ウン歳で預金通帳と印鑑をそっと手に忍ばせたり、同居する私の父、すなわち実子と喧嘩して家を飛び出し酔っぱらった鳶職人とストリートファイトを繰り広げたり、三日間消息不明で警察に相談しようかと話がまとまりかけた頃にやはり80ウン歳の妹が住む関東の嫁ぎ先に出没し、つまりは公園や女性専用カプセルサウナで宿泊しながら父の悪口をいいたいだけでっ、名古屋から関東某県まで新幹線とバスを乗り継ぎしたのであって、その負の情熱を別の方向に活かせば原子力に頼らずとも電力不足が何とかなるのではないか。
 他にも駅の階段から傑作コメディ映画『蒲田行進曲』の平田満演じるヤスよろしく転げ落ちて腕の骨に(ひび)が入るだけの頑丈さを我々一族に知らしめたり、成人用紙おむつに失禁しそれを家族に知られるのがいやで電気ストーブで乾かそうと試み、老いた脳みそは秒でそれを忘れて十数分後に出火、事態を見て取るや火事だとも何とも家の者に一切告げず、一人小走りで逃げたりと実に豪快にしてセコいひとで、いまではヤングケアラーなどと流行り言葉があるけれども、私は飯を作ったり飯を運んだり背中を拭いたり徘徊して道に迷ったりする彼女の世話を日常的に焼いていて、孫の中ではずばぬけて関わりが深い。
 祖母は例の火事の際に「あそこだけは勘弁してくれ」と口癖にしていた高齢者施設に入所させられ、私はヤングの身でケアの重荷を外した反動により疲れ果て、社会との交わりを断ち、しかし喉元すぎればでパチンコ屋に日参し遊ぶ金を稼ぐ暮らしに明け暮れて彼女のことをすっかり忘れていた。
 忘れたのはこちらの過失で、目の届かぬ高齢者施設で祖母はちゃんと生きており、祖母というくらいだから十分すぎるほどの年寄りで、年寄りだから死ぬ。
 正確には施設で大量の下血をして病院へ緊急搬送され、担当医が「今日明日には」と顔面を曇らせたと仄聞する。
 パチンコ屋でケータイで話を聴いた私は、普段どおり12時間打てば6、7万円稼がせてくれるであろうお宝台をうっちゃり捨てて、車に乗り隣県の病院へと馳せ参じた。
酸素吸入器をつけて意識はないらしいし、見舞いとか今生の別れというよりは、悩まされて憎まされて口喧嘩をする一方で、この世に歓迎されて生まれてきた実感の乏しい者同士として、たしかに労わり合った祖母の最期を見に行った。見物とか物見遊山の誹りを受けても詮方ないが、実際のところはどうだろう。彼女の最期を見届けないわけにはいかない、何か追いつめられた心境だったように思う。
 治療の甲斐がないということだったのか、祖母はICUではなくふつうの個室に入れられ、能の翁の面のようにぽっかり口を開けて寝ていた。
 そこから吐き出される悪臭が室内に充満し、輸血の管につながれているのに顔は白く、癇癪もちの雰囲気が消えていた。つまり、覇気がないと同時に苦しそうではなかった。
 悲しみとかおどろきはなかったように思う。そういう感覚をもてるゆとりはなく、「ばばあ死ぬのか」と視認した事実が頭の中に浮かんでは沈んだ。常にはない穏やかな顔がその事実をゆるぎないものとしているように見えた。
 窓は細く開けられて白いカーテンが風に弱々しく靡き、橙色の夕陽が辺りを染めていた。私は五、六分病院にいただけで帰宅した。
 ところが遠からずこの世を去るはずの祖母は去らない。なんだったら担ぎ込まれたその日の夜中に目を覚まし、ここがどこなのか、なぜ管につながれているのか理解できず、惑乱のうちに入院着を脱ぎ捨てた全裸となって病院から脱走した。すぐに捕獲されたが。しなびた乳房を揺らして夜の(ちまた)を疾走する祖母は大した迫力であっただろうと思う。
 祖母はもち直して週二で見舞いに訪れる私に、「どうしてプリンを買ってこない薄情な孫」と文句をつけて、こちらも「うるせえばばあ他の孫は挨拶にも来ないのに感謝しろラディカルに」と口答えするなどを繰り返し、「ばばあ死ぬの忘れてね?」といぶかった半年ほどの後に我に返ったごとく死んだ。
 祖母の死が私に活力を与えたのは奇妙なことだ。そう易々と総括できぬ思いが幾層にも重なって私のうちに沈殿しているけれども、当時いちばん頭に焼きついた言葉は「どうで死ぬ」であった。どうでひとは死ぬのだから、祖母に倣いやりたいことはやっておきたい。
 徒然に小説らしき物を書いてその中の一本がゲイ雑誌に拾われて、定期的にエロ小説を載せてもらえるようになるのと並行して、私は実家を出た。高速深夜バスに乗り、花の都・大東京の大地に立った。山手線と中央線の区別もついておらず、東京タワーが西にあるのか東にあるのかすらも知らず、緑豊かな八王子市の片隅のマンションに入居した。
 東京といえば新宿、新宿といえば二丁目、新宿まで中央線で一時間くらいなので近いと考えたのだけれども、あれから十数年を経たいまとなっては、近くないと至極まっとうな判断をくだしている。だが八王子周辺は工場系の仕事の求人が多く、エロ小説以外に写真の加工だったり曲がったネジを除ける作業とかに就けたり、収入に不安も不満もない。
ないのだが、借りた部屋のお隣の、ひょっとこにファンデーションを塗りたくったようなご婦人が、クズと一刀彫したような中年男と毎晩怒声飛び交う痴話喧嘩(ちわげんか)を繰り広げて、ある夜にはガラス窓が割れ、別の日は別の部屋の住人が「うるせええええ!」と叫び、繁殖期に入った猫が甘く鳴く夜に、涙声で「あたしの愛を信じてよォ!」とのテレビドラマでしか聞かない叫び声が猫の嬌声を引き裂いたとき、まんじりともせず寝床で天井をにらみながら私は引っ越しを決意した。
 その後、高円寺、調布と引っ越しをして長く続く仕事およびアルバイトが見つからず実家へリターン、東京で阿呆な暮らしをしているうちに母は亡くなり、爾来(じらい)8年ほど父とおもしろくない顔を突き合わせておもしろくない話をしたりしなかったり、その父も逝去、再び花の都・大東京にもどったはいいが、仕事をくれていたゲイ雑誌は休刊、折悪しく新型コロナが蔓延(まんえん)しつまりは求職中で無収入の身。そして、実感に即していえば、いつの間にか50手前になっていた。
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