暁の巫女は朔の夢を見る

エピソードの総文字数=2,925文字

 強烈な力に引きずられて目を開けると、闇に染まった部屋だった。頬に違和を感じた瑠璃(るり)は、不可解な気分で目を擦る。すると手の甲に水滴がついた。
「あー……また夢? 情けない」
 夢を見て泣く――そんなことが増えたのはつい最近のこと。しかし肝心の夢の内容はほとんど覚えていない。何か深い谷に落ちていくような感覚で目が覚めるのだけが同じだった。
 かさりと小さな音を感じて目をやると、一枚の粗い料紙が(わたいれ)の上に落ちている。その隅にはぞんざいに押された朱印があった。窓辺の文机に置いておいたが、寝ている間に落ちてしまったらしい。
 彼女はそれを大事に仕舞い、肌身離さず身に付けている守り袋を握りしめると目を瞑った。そして今日の幸運を願って「瑞穂(みずほ)の大日の大御神、どうか見守っていてください」とこの地に住まう氏神(うじがみ)の名を呼んだ。
 のろのろと起きだすと、結わえておいた長い髪を一度解いて梳かす。金色の髪が褥の上に川のように広がった。
 腰下まである髪だけれど、この〈瑞穂ノ国(みずほのくに)〉ではそこまで長い方ではない。高貴な身分の女性ならば引きずるほどの長さの髪を持つ。古の仕来りを重視するこの国では髪の長さが女性の美しさの基準であり、それを持たぬものはまず女と見なされないのだ。
 瑠璃の髪の色が淡いのは、父方の先祖が北大陸出身だったからだと聞いている。大陸の東の果てにある、北東を起点に南西に向かって弓のように張り出した八洲(やしま)半島。その中央の山脈で二分した東半分――根元側に瑞穂は位置する。八洲半島はその昔、大海原に浮かぶ八つの島からなっていたが、海底ごと隆起して、北端が大陸と繋がってできたらしい。
 瑞穂は半島の隆起とともに北から流れ込んだ大量の移民を受け入れたことで、大きな文化の変遷を辿った。移民と共に多種多様の文化が流れ込み、それを拒まずに受け入れた国は大きく育った。
 だが、途絶えかけた土着の文化を保護するためにと、昔ならではの伝統に重きを置く傾向も強い。女性の髪の長さや、失われかけている古民族の色――〝黒〟を尊ぶのはその例だった。
 国の中枢である皇都ではその傾向がさらに顕著だそうだが、国の北端という辺境の土地では瑠璃の髪の色も翡翠に似た瞳の色も珍しくも何ともない。黒髪黒眼の方が珍しく貴重だった。
 だが、瑠璃は自分の髪を割と気に入っていた。細くはあるけれど、こしのある丈夫な髪。この長さでも毛先が割れたりせず滑らかで、光に翳すと蜜を零したようにも見える。平凡な色だけれど、瑠璃が誇れるものの一つだった。
 彼女は一瞬自分の髪に見とれた後、手早く髪を項で一つにまとめた。
 小袖の上に草色の(うちき)を羽織り、腰に茶色の(しびら)を巻くと台所へと急ぐ。裏庭へ出ると井戸へ行き、冷たい水で手と顔を洗う。そして鶏小屋で産みたての卵を手早く集めた。かまどの火を起こし、上に乗せた土鍋に水を入れ煮干しで出汁をとる。そこに昨晩の残り物の飯と畑で取れた青菜を入れると採って来たばかりの卵を三つ鍋に割り入れた。
 鍋の中でゆるくかき混ぜて、卵がふわりと飯に絡んだところで火から下ろす。刻んだ葱を加え塩を振れば、質素な朝食のできあがりだ。
 作り置きしておいた山菜の漬け物と頂き物の蜜柑を膳に並べていたところで、納戸の障子が開く。ぼさぼさの髪を掻きながら現れたのは彼女の父是近(これちか)だった。
「おう、今日は早いな。もう朝飯の準備か」
「だって今日は〈(まゆみ)〉の靫負所(ゆげいしょ)に行く日だから。父さんも今日は大変でしょ。さっさと準備して!」
 今日は、春の除目(じもく)――地方官の任命を行う日だ。それに併せてこの国、瑞穂の各地では靫負所の入所試験が一斉に行われる。靫負所というのは地方の治安維持を請け負った国の機関で、瑠璃は規定年齢に達した十の歳から男に交じって毎年試験を受けに行っている。今度で六回目。今のところ、すべて不合格だった。
「あー……そうだったか。なあ、おまえもさ、いい加減に諦めたらどうだ」
「諦める訳ないわ。今年こそどんなことをしても潜り込んでみせるんだから。父さんこそ、自分であたしに武術を教えたんだから、諦めたらどう?」
「あのなぁ、俺がおまえに教えたのは、武官にするためじゃないんだぞ?」
 是近はぶつぶつと愚痴を言うと、薄気味悪そうに瑠璃の作った食事を見つめた。腐ったものでも入っているのではないかと思っているようだ。
 そう思われるのも仕方がない理由があるにはある。瑠璃は小さくため息をつくと、彼を安心させる為にひとくち毒味をしてあげることにする。半熟の卵は含んだとたんに口の中で溶け、瑠璃の頬を緩ませた。それを見て是近はようやく安心したようで、座って食事を始める。
「おまえは女だから武官にはなれないって何度も言っているだろう」
 慣例として男のみとなっていることは知っているけれど、靫負所に貼り出された召募符(しょうぼふ)には性別について何も書いていない。だから彼女はめげずに毎年受けに行くのだ。
 駄目なら駄目だとはっきり書けばいい。そうすれば、瑠璃はその制度自体に異議を申し立てるつもりだった。
「女が武官になれないなんて、誰が決めたの、そんなこと」
「そりゃ……主上(おかみ)だろ」
「じゃあ、取り消してもらえるようにお願いするわ。〝東宮(とうぐう)〟に」
 そう言うと、やれやれと是近は肩をすくめる。
「わかっていると思うが、おまえの身分じゃ、お願いどころか宮に入る前に門前払いだ」
「だから、なんとしても靫負所に入れてもらうのよ。どんな下っ端でもいいから。まずは随身(ずいじん)にでもなれれば十分だもの。それから腕を上げていって力を認めてもらえれば、宮仕えの可能性はあるかもしれないでしょ? 最初っから諦めていたら何も始まらないもの」
 瑠璃はにっこり笑う。
「なあ、あかね。この子はどうしてこーなっちまったんだろうな……。きっとおまえに似たんだろうなぁ」
 是近は呆れたように一つの名を呼ぶ。もう十年以上も前に亡くなった母の名を。
 記憶の中の母はたいそう美しい人だった。彼女は、この国では滅多に見ない燃え盛る炎のような赤い髪をしていた。険しい真赭(ますほ)山脈で遮られた隣国――〈蘇比ノ国(そひのくに)〉の方向に沈む、夕日の色だ。そのためか母を思い出すときは、山に沈む夕日が同時に目に浮かんだ。
 母も父のように言うだろうか。女だから諦めろと。そして彼女を諦めさせる為に、あらゆる妨害を行うのだろうか。
(いいえ、母さんはそんなこと、きっと言わない。父さんは過保護すぎるんだわ)
「……だって、あたし約束したんだもの」

『あたし、いつか都に行くわ。今は一緒に行けないけれど、きっと行くから』
『約束だよ。絶対だ――絶対、ずっと一緒だからね』

 色褪せる事のない幼い約束。思い出す度に熱を持つ胸の前で、両手を組む。窓から見える朝日を拝むようにして、小さな声で瑠璃は呟いた。
(さく)――あなたは、あたしがきっと守ってみせるから」

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