エドワード

文字数 2,043文字

「エドワードがあんまりじっと見るから、あの刑事、不審に思ってた」
 裏路地から足早に遠ざかりながら、黒髪の美女、ディアナが隣を歩く男に言った。
 エドワードと呼ばれた暗い金髪(ダークブロンド)の男は、小さく肩をすくめて答えた。
「人間にも勘の強い者がいるね。刑事だからかな。気をつけないと」
 そういう自分こそ、人間だった頃から特別勘が強かったに違いないとディアナは思ったが、口にはしなかった。
 エドワードは転生して百年にも満たないヴァンパイアだ。
 人狼のディアナは子供の頃、ルキウスという古代ヴァンパイアの居城で暮らしていた。その城はアルプスの奥の、人の足ではおいそれと近づけないような場所にあり、巨大な岩山の中をくり抜いて造られていた。
 ある日、ルキウスの〈子〉である大ヴァンパイアのオレグが、幼いディアナの暮らすその岩城に、瀕死の重傷を負ったエドワードを連れてきた。彼はエドワードをヴァンパイアに転生させるよう、ルキウスに頼みに来たのである。
 エドワードは岩でできた冷たい床の上に横たえられ、ルキウスの手によって人間からヴァンパイアに転生した。
 彼はヴァンパイアとしては比較的若い方だが、数千年を生きた強大な古代ヴァンパイアの血によって転生したため、年齢からは計り知れないほど大きな力をその身に秘めている。
「あの屍体(したい)
 先ほど見た、喉元が()千切(ちぎ)られた男の屍体を思い出すと嫌な想像が膨らみ、ディアナは低い声で言った。
 エドワードは少しの間だけ沈黙し、(うなづ)いた。
「ああ。間違いない。喰種(グール)の仕業だな」
 その声音には隠しきれない嫌悪感が滲んでいる。
 人間をヴァンパイアに転生させる力もなく、死に至らしめるまで血を(すす)ることしかできない〈喰種(グール)〉は、ヴァンパイアたちから眷属とも見なされぬ賤しい存在だ。特に吸血行為で相手の命を奪うことは、上級ヴァンパイアたちにとって非常に野蛮で見下すべき行いだった。
「ロンドンに喰種(グール)が現れたなんて」
 ディアナが形の良い眉をひそめるのを、エドワードがちらりと見遣る。ロンドンのみならず、喰種(グール)など近年のヨーロッパでは滅多とお目にかかれるものではない。
「彼らがどこかから突然()いて出てくることはない。新たな喰種(グール)が現れたなら、それはどこかに〈喰種使い(グールメーカー)〉がいるということだ」
 喰種使い(グールメーカー)は人間を転生させることができる最下級のヴァンパイアである。とはいえ、力の弱い彼らが創造できるのは、次なるヴァンパイアを生むこともなくただ生き血を(すす)り続けるだけの〈喰種(グール)〉のみ。喰種使い(グールメーカー)(いや)しさは、ヴァンパイアにとって神聖であるべき〈転生〉をいとも簡単に人間に施し、大量の喰種(グール)を生み出す点だ。そのため、彼らは彼らの創造物である喰種(グール)と共に眷属たちから蔑まれている。
「ともかく、オレグに報告しないと。ドラッグの件なら私たちだけで何の問題もないけど、喰種(グール)が出たとなると、〈結社〉が追ってくる可能性がある。二人だけで動くのは危険かも知れない」
「そうだな」
 エドワードは(うなづ)いた。
 ヴァンパイアが人間に与える快感に似た作用を持つ薬が出回っている、という話をロンドンに住むヴァンパイアから聞かされたのは一週間前のことだ。エドワードはすぐにオーストリアアルプスの(ふもと)に暮らすオレグの(もと)を訪れ、指示を仰いだ。
 ヴァンパイアの血筋としてはエドワードの兄に当たるオレグは、千年以上を生きた大ヴァンパイアであり、ルキウスの血筋としては人界で暮らす者の最年長である。
 オレグはエドワードに、薬について調べ〈結社〉の関与を確認するよう指示した。そして近年単独で行動することの多いエドワードに、現在はオレグと共に暮らしている人狼のディアナを(たく)した。二人は薬について調べるためにロンドンを訪れていたのであり、喰種(グール)の出現は全くの想定外だった。
喰種(グール)は見つけ次第(しだい)殺せば良いが、喰種使い(グールメーカー)を見つけ出して息の根を止めない限り、奴らはいつまでも増え続ける」
 エドワードが苦々しい口調で言う。
 喰種使い(グールメーカー)のような下賤の者を生み出すヴァンパイアはヨーロッパから殆どいなくなったはずなのに、と彼は思った。
 それに。
 喰種(グール)喰種使い(グールメーカー)もあらかた〈結社〉に狩り尽くされてしまったはずだ。
 その考えが頭に浮かんだ瞬間、エドワードは自分たちの知らないところで何か良くないことが進行しているのを確信した。何が起こっているのかはまだ分からないが、必ずやそれを明らかにし、阻止しなければならない。
 彼の美しい翠色の双眸が、強い意志の力を宿して輝いた。
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