葬送

文字数 2,443文字

「それではこれより、キィト氏の消却を行います。彼は男性で、一七五歳でした。生まれたときも男性で、歳は当然ゼロ歳でした。三歳になる年に――」

「先輩、それなんですか?」

 予想通り口上を遮られ、彼はため息をついた。

 もっともこの場合、疑問を抱く新人の方が普通なのだ。これは本来定められている行程ではない。彼が好きで勝手にやっているだけなのである。

「このひとの人生を読み上げてるんだよ。ダイアログで調べたのを」

 かつて地球中を繋いでいたネットが、今は銀河に拡散した人類を繋いでいた。体内のマーブロスサイトを介して自在に電脳空間と接続できる。その場合、個人ごとに割り当てられたIDを使うことになるが、死んだ人間のIDはそのまま残され、公開中のパーソナルページを自由に閲覧できる状態で置かれる。人間を焼いたり土に埋めたりしなくなった今、これが故人の墓標だ。

「いや、意味がわからないです」

 つれない返事の新人を無視して、彼は口上を続けた。薄暗い部屋の中に彼の言葉が響く。部屋が広すぎて光は端まで届かない。

 さすがに担当する死体の経歴を毎回記憶するほどの熱意はないので、ページを目の前に表示して、それを頭の中で経歴という形に直して読み上げている。

 どうやらキィトの人生に波乱というほどの障害はなく、他の多くの人々と同じように安寧の日々を過ごしたようだった。なので彼は、いつものようにこう締めくくった。

「――そして彼は幸福でした」

 この時代、幸福でない者などほとんどいない。

 人類は科学の恩寵を享受し、宇宙での生活を謳歌している。あらゆる(やまい)を克服し、事故と寿命以外に命を奪うものはない。その寿命も伸び続けている。

 しかも、だ。

 今は医療処置で平均寿命を更新しているが、あと百年もすれば半永久的に動く肉体を完成させ、悠久の時を生きるようになるだろうと言われている。

「先輩、終わりですか?」

「ああ、やるか」

 二人は壇の上に横たわっていた細長い箱を持ち上げた。死体の入ったこの箱は、地下の安置室から昇降機で運ばれてくる。

 上半身につけた簡素な筋力補助装置が箱の重さを支えている。その動作はともすると、生者を扱うよりも丁重だった。新人でもベテランでも自然とそうなるのだ。軽口を叩くのが大好きらしい今日の新人も、その例外ではなかった。

 二人は妙に広い、広大とも言える部屋の中を歩き、融解炉へと運んでいく。部屋の中心に昇降機があり、その()に死体の箱が乗って上がってくる。彼らはそこから部屋の奥にある融解炉まで二十メートルは肉詰めの箱を運ばなければならない。

 こんな作業は単純なロボットで間に合う。実際、死亡が確認されてからこの部屋までは全自動で運ばれてくるのだ。なのになぜここで人間の手を使う必要があるのか、初めてこの仕事をしたときからずっと疑問だった。同僚はもちろん、たまたま会う機会のあった上役に聞いてみても曖昧な答えしか返ってこなかった。

 結局のところ、この会社の誰にもわからないのだ。この職場が生まれた当時そうしたほうがいいだろうという感覚があって、その感覚が失われた今でも形だけが残っている。

 半分ほど進んだところで、沈黙に耐え切れなくなったか、新人が口を開いた。

「先輩、人間の死体見たことありますか?」

「ある。飛び降り自殺でな。黒血球(マーブロスサイト)もどうしようもなかった」

 花のように広がる鮮やかな赤い色を、彼は思い出した。宿主の健康管理からネット接続までこなす便利なナノマシンも、あの赤い花には手が出せなかった。

「自殺っすか、珍しいですね。てっきりこの蓋開けて死体を見たのかと思いましたよ」

「開けちゃいけないのか?」

「いや……駄目でしょう、それは」

「どうして? なにかまずいのか?」

「どうしてって、さあ……プライベートだから、かな」

 なるほど、と思った。死んだ人間は(おおやけ)ではなくなる。そうかもしれない。蓋を開けてみるかと意地悪な質問をするつもりだったが、それはやめておこう。

「でもな、実は開けちゃならないとは決められてないんだ。それを遮るシステムは物理的にも電子的にも存在しないし、規則にもない。死体に触っちゃならないとは規定されてるが」

「へえ、そうなんですか」

 目的地に到着した。二人は箱を融解炉に投げ込んだ。緑色の光が彼らの顔を照らした。

「……死体って、どんな感じでした?」

「そうだな……人間は死ぬと自然に戻る」

 そう言ってから、誤解を招く表現だと気づいて言葉を捻り出す。

「環境学みたいなことを言いたいんじゃない。なんというか……生きてるときの人間は好き勝手動いて、さも自分が世界の中心だというように振る舞ってるが、それが動かなくなると、人間も自然の造形物のひとつなんだと思い知らされるんだ。モノに過ぎないってことを」

 死体を見たときに感じたあの不思議な気持ちこそ、この仕事に就いた理由だった。いまどき労働の義務もないが、普通に生活していては人間の死体と出くわす機会なんてない。死体と関わりのある仕事でもっとも簡単に就けるのが、この倉庫作業めいた前時代的な業務だった。

 当然、箱の蓋を開けてみたこともある。しかし死体が見えているかどうかはあまり意味がないとわかった。重要なのは、死体がそこにあるかどうかのようだった。

 少し熱弁してしまったが新人は、へーえ、とだけ言って会話を終わらせてしまった。

 新人は融解炉に向かって軽く腰を折るように頭を下げてから、元来た道を戻った。昔誰かが同じような仕草をしていたのを見た気がするが、どういう意味なのかはわからなかった。

 彼はしばらく音もなく動く融解炉を見つめていたが、やがて向きを変えて歩き始めた。

 キィトの身体は、既に跡形もなく消えているだろう。
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