第2話 マンハッタン計画国立歴史公園の謎

文字数 7,715文字

 あれこれ考えながら渡航管理局の玄関に立っていると、背中で咳払いをする声がした。
 ふと前を見るとタクシーが私の前でドアを開放したまま待っていた。
 タクシーの順番が廻ってきたことにも気付かないほど考え込んでいたのだ。
 後ろで微笑むブロンドの美女に会釈をしてタクシーに乗り込む。
 完全自動運転のこのタクシーはスパシアルモビリティタイプで瞬時に空間を移動する。
 しかしこの手のタクシーは何とも味気ない。
 行き先など告げずとも脳波通信で伝達するだけだから会話どころか、コミュニケーションと言うものが一切ないのだから。
 百年ほど前までは人が車を操縦していたらしく運転手と言う職業さえあったらしい。
 と、そうしたことを考えている途中で早やDOE本部に到着した。
 DOEの本部があるワシントンDCまで空間移動に掛かる時間は僅か一分。
 タクシーを降りるとDOEの新庁舎が暮れなずむ夕陽を受けて鴇色に輝いていた。
 旧アメリカ合衆国DOEから受け継いだ建物を取り壊し、二年前の2118年新しく庁舎を建て替えたのだ。
 何とも壮観な景色だが私の所属するインテリジェンス担当の情報部は地下にある。
   
 せっかくの新庁舎なんだから階上に居を構えればいいものを、選りにも選って地下とは
インテリジェンスを担当する情報部も軽く見られたものだ。
 これが百年前のアメリカ合衆国の時代ならば、秘匿する情報を扱うからのだからその部署は地下に置き秘匿すべしとなるが、今の時代のDOEに秘匿する情報など無い。
 つまり情報部などなくても良いが取り敢えず残しておこう。
 それならば規格外の地下に追いやっておけ、と、言うところか。
 それもその筈でアメリカ合衆国の時代から続いている人種差別は今も健在で、ハーバード出身とは言え私は日本州出身の日本人だし、同様にハーバード出身の部長はコリア州出身の韓国人で、二人共黄色人種なのだからDOEがどんな部署かは言わずもがなだ。
 私達以外のDOE情報部員も黒人か黄色人種で白人は一人もいない。
 そもそもアメリカ合衆国時代のDOE情報部は「核兵器」に関する様々な情報を扱って
いたらしく、それはそれは重要な機関で情報部員も皆白人だったらしい。
 しかし今はもう核などと言う旧式のエネルギーを使っている国は何処にも存在しない。
 発電にしろ潜水艦にしろ最早今の時代に原子
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力と名の付くものは何もない。
 核兵器などと言う言葉も死語となり、そうした旧式の兵器も五十年ほど前に遡らなければ存在さえしない。
 第一今のエネルギー源は、太陽光、水、空気、水素等々総て自然発生的に地球上に存在するものに頼っていて、凡そ人に危害を及ぼすようなものはひとつとしてない。
 無論それ等は兵器に転用できるものではない。
 畢竟エネルギー省の扱う情報にも、中央政府の関わる大それた機密事項などなくなってしまったと言う訳だ。
 否、ないと言うことはない、か。
 先日十億光年離れた惑星に存在する新エネルギーを持ち帰る為、最新式のスパシアルモビリティスターシップがケネディ宇宙センターを出発した。
 この件はユーラシア社会主義国に先駆けて我が国が調査を開始した。
 無論機密事項ではある。
 しかしこのスターシップが地球に戻って来るのは3年も先だ。
 それにその件に広島が関係しているとはとても思えない。
 何と言っても今回私が部長から直々に受けた命令、否、部長が直々に上層部から受けた命令でもあるのだが、これは今迄私の扱ってきた時間潰しのような仕事とは訳が違う。
 この命令を発令した大本は誰なのだろう。
 どう考えても中央政府の拘わる機密事項に匹敵する。
 まさか合衆国大統領本人が発令したものではあるまいが、それでもどうもきな臭い。
 やはり広島に投下された原子爆弾に拘わる機密事項なのだろうか。
 そんなことを歩きながら考えているうちにエレベーターホールへと辿り着いた。
 ここから先は脳波を使うことになる。
 一旦考えを無にしなければならない。
 否、無にするより違うことを考えた方が良いだろう。
 そう言えば明日DNAマッチングアプリの抽出した結婚相手の候補者と、30年先まで夫婦関係を続けたらどうなるかをシミュレートした結果が出ることを思い出した。
 と、言っても私は今のDNAマッチングアプリより昔のものの方が好きだ。
 懐古趣味と言われるかも知れないが、私はありのままの自分を好きになって欲しいしありのままの相手を好きになりたいのだ。
 今の時代のアプリときたら私も相手もそれぞれの好みの容姿に9Dプリンターで立体整形し、多少性格が合わなくとも遺伝子操作を行って完全に思考や好みを一致させるのだから、何
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か仕組まれたような感じがしてそれを出会いと呼んでいること自体私には疑問だ。
 その上30年先の夫婦生活までシミュレーションするのだから、まったく。
 無論離婚する時に互いに元の姿には戻るらしいがのだが、私はどうも・・・・・。
 そう、この調子だ。
 これでいい。
 この感じで結婚相手候補の女性のことだけを考えていれば良い。
 
 大きくひとつ息を吐き出し、私はエレベータの扉を開けるように脳波を使ってシステムに命令を下した。
 開かれたエレベーターの扉の向こう側に滑り込んだ私は、引き続き結婚のことだけを考えていたがこのエレベーターが非常に旧式のものであることを思い出した。
 思考を切り替えるのには調度良い題材だ。
 エネルギーを統括するDOEだけあってこの地下へ通じるエレベーターの動力だけは百年前と何等変らない旧型の電動式であり、こうした微小なエネルギーで動く動力のことも百年前と同様に省エネ式動力と呼んで尊ぶ。
 そうした役所の習い性は何時になっても変らない。
 ひょっとすると今から百年経っても変っていないかも知れない。
 そう考えると苦笑を禁じ得ない私であった。
 扉が開き漸く地下3階の情報部に到着した。
 エレベーターの扉を閉めるように命令を下した私は部長室へ直行した。
 脳波通信が切れたことを確認し部長へスマートフォンでの調査をすべきかどうか、或いはそのことを部長に報告するかどうか今一度検討してみた。
 恐らく部長も私と同じ考えの筈だ。
 ここは報告するしかあるまい。
 そして報告はいつものようにトイレでするしかない。
 トイレ以外に脳波通信が切れる場所がないのだから致し方あるまい。
 しかしつくづく脳波通信と言うのはやっかいだ。
 私に言わせれば脳波通信など無かった時代の方がずっと良い。
 来る日も来る日も脳を覗かれることを前提で今考えるべきことを選別するのだから。
 畢竟覗かれて都合の悪い話は総てトイレですることになる。
 人に聴かれて不味い話は脳波通信システムの切れるトイレでするしかないのだ。
 胡散臭い話、きな臭い話。
 とにかく臭い話は総てトイレでする。
 とは言えトイレのことを臭いところと言った
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のは百年ほど前の話で、今のトイレは体外へ排泄物が出た瞬間に消毒脱臭を済ませ、色や形或いは臭い迄自分の好みに変換出来るのだから臭いところであっても良い匂いのするところだ。
 水で排泄物を流すのは昔も今も同じことであるが、今の時代にトイレを臭いところと表現するのはどうもしっくり来ない。
 そう言う風だからトイレに行くと私はいつも思う。
 脳内を覗き見られるくらいなら、トイレで用を足しているところを覗かれた方がましではないか、と。
 監視カメラ等で動きは追えるものの、このエレベーターから情報部の入り口迄の短い通路は脳波を使わないので、別に何を考えていてもよかったのだ。
 詰まらないことを考えてしまって時間を無駄にした。
 そう思うと嘆息を禁じ得ない。
 直後再びDNAマッチングアプリのことを考える。
 情報部の前に辿り着き脳波で扉を開けるからだ。
 直ぐに情報部の扉が開く。 

 部長が私のデスクの前で待ち受けていた。
 部長は私がアーチ型の扉を潜ると同時に私の頭に旧式のヘッドセットを装着させた。
「待っていたよロバート。
 これを装着しないと会話が成り立たないもんでね。
 旧式だが互いの耳に入ってくる言葉を互いの理解出来る言語に変換してくれる。
 つまり私の耳にはハングルで、君の耳には日本語で聴けるようにしてある。
 旧式のトランスレートマシーンだが役には立つ。
 と、言うのもここの脳波感知システムが不具合を起こしてね。
 厳密に言うと不具合を起こさせた、と、いうべきだろうが。
 実は今担当の技術者が省外に居ることを知ったんだ。
 今から3時間ほど本部には戻らないらしい。
 つまり脳波感知システムが元に戻るのには3時間ほど掛かる。
 君と何の障害も無く話がしたかったものだからね。
 心配せずに報告してくれ」
 部長の言葉を聴いた私は思わず安堵の溜息を吐いた。
「何だ、そうだったんですか。
 私はてっきりトイレに行かないと話ができないものか、と」
「慎重な君ならそう言うと思っていたよ。
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 だからこそ処置をした。
 しかし君がどうしてもと言うならトイレで話してもかまわんが」
 自らの言葉に頬を緩める部長同様私も頬を緩めた。
「いえ、ここで結構です」
 言い終えた直後私は緩めていた頬を元に戻し部長を正面に見据えた。
「それでは部長手短かに申し上げます。
 本件を解決するにはスマートフォンを使うしか方法がないかと」
 私の言葉を聴いても微動だにしない部長は淡々と返してきた。     
「私もそのことを考えていた。
 中央政府が規制を敷いている以上他に方法はない。
 しかし解せないのは本件が中央政府の要人によって発令されたものだと言うことだ。
 当然本件を発令した本人は当時の広島への規制があることを知っている。
 しかしそうであれば我々が任務を遂行する上でその規制が邪魔になる旨、一言あって然るべき筈だ。
 なのにそのことについてはまったく触れなかった」
 私は部長の言葉に押し被せるように続けた。
「で、あれば部長、本件を発令した中央政府の要人は我々がスマートフォンを使う以外解決の方法がないことも知っていて言わなかった、否、そんな非合法なこと言えよう筈も無い、と、言うべきかも知れませんが」
 私の問い掛けに部長はひとつ肯いた。
「そう言うことになるね。
 君も知っての通り或る人物が知りたいことをスマートフォンで調査しても、その人物が誰かや、またその知りたいことが何かなどは総て中央政府の与り知るところではない。
 無論政府のAIは察知するだろうがそれは飽く迄も非合法で公式な情報にはならない。
 ところがレジスタンスの連中に取ってはそうではない。
 彼等も政府同様ことスマートフォンに於いてはありとあらゆる情報を把握している。
 我々がスマートフォンを使えばDOEが何を調査したかなど直ぐに察知するだろう。
 そしてレジスタンスはその情報をスマートフォン上で拡散させる。
 脳波通信の感知出来ないところで急速にね。
 悲しいことだが合衆国に於いて今の政府の報道を信じている者は一人も居ない筈だ。
 しかしレジスタンスの情報には信憑性がある。
 少なくとも私はそう思っているし、君もまたそう思っている」
 無言のまま肯く私から視線を逸らせると胸の          - 10 -

内ポケットから電源がオフになったままのスマートフォンを取り出し、部長はゆっくりと傍らのデスクの上に於いた。
「そうしたことから考えると本件の発令者は、スマートフォン上で我々の調査内容を拡散させて欲しいと思っているのだろう。
 君の言う通り中央政府の要人が非合法にスマートフォン上で、調査内容を拡散させろなんて我々に言えよう筈もない。
 しかし調査命令なら出せる。
 我々官吏を使ったところで自らは何のリスクも負わなくて済むからね。
 その上世論を一気に動かせるのであれば調査命令を出さないと言う手はない」
 私は部長の言葉に押し被せるように続けた。
「つまり部長は本件が次期大統領選に拘わっている、と、仰りたいのですね」
 ひとつ肯いた部長はゆっくりと息を吐いてから答えた。
「君の推測で間違いはいない。
 何故ならこれは非公式ではあるが大統領命令だからだ」
 瞠目を禁じ得ない私は言葉を口にすることさえ出来なかった。
 棒立ちとなっている私を尻目に部長は淡々と続けた。      
「そして大統領はこの件の答えを既に知っている。
 知っているからこそ調査命令を出したんだよ。
 出したくとも出せないスマートフォン上での本件情報の拡散命令の代わりにね。
 しかしそもそも私には今回の、『百年前と百七十五年前に起こった戦争を比較し、コロナウイルス ≒ リトルボーイであることを証明せよ』、と、言う調査命令の意図も正解も何もかもまったく見えんのだよ。
 君には何か分かることがあるか」
 部長は腕組みをしてふーっ、と、ひとつ息を吐き出した。
 私は両の掌を天に向けて拡げて見せた後顎を左右に振りながら答えた。
「さっぱりです。
 しかし本件が大統領から発令されたものだとするとひとつだけ確かなことがあります。
 本件の発令は急落した大統領の支持率を取り戻す為のものだと言うことです。
 言い方を替えると共和党の支持率を上げることを狙ってのものか、或いはそうでなければ逆に民主党の支持率を下げることを狙ってのものか、と、言うことになります。
 大統領選を間近に控えた今考えられるのは、そのことしかないかと」
 部長は腕組みしていた手を解きひとつ肯いた。
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「確かにそうだな。
 恐らくは君の言ったうち民主党の支持率を下げることを狙ってのものだろう。
 共和党の支持率を上げるつもりなら何も非合法なスマートフォンを使うことなどない。
 正々堂々と合法な脳波ニュースを使えば良いのだから。
 しかし大統領は斯くも重要な本件を連邦捜査局FBIでもなく、中央情報局CIAでもなく、また国家安全保障局NSAでもない、この何の権限も持たないDOEに発令したのは紛れもなくマートフォンを使用させる為だ。
 我々DOEは独自にビザを取得する権限を持たない。
 だからスマートフォンを使用するしかない、と、踏んだのだろう」
 言い終えるや部長はスマートフォンを胸の内ポケットに再びしまい直しそして続けた。
「ならばスマートフォンを使うのはよそう。
 大統領にビザを発給してくれるよう申請してみるのはどうだ。
 君が一旦広島に飛んで時間を掛けるなどそんな回りくどいことをするくらいなら、我々
への調査命令を取り消して他に命令を振り替えてくれると思うのだが」
 そう言い終えた部長は小首を傾げながら私を正面に見据えた。
 部長の視線を受け止めた私は胸の内ポケットの中から、旅行代理店で貰ってきた立体パンフレットを拡げて見せた。
 量子マイクロチップを埋め込んだこの印刷物は、旅先であるその時代の風景や人物を立体映像で見せてくれるのだ。
「部長これは今のところ単なる私の推測に過ぎませんが、本件にはマンハッタン計画国立歴史公園が絡んでいるような気がするのです。
 実は百年前のコロナ戦争の調査に際し先ずは目的地を百年前のアメリカ合衆国にし、そこからコリア州の前身である韓国と日本州の前身である日本へ行こうと思っていました。
 無論百七十五年前の広島行きのパンフレットは渡航制限の為に存在すらしていません。
 それに引き換え百年前のアメリカリカ合衆国行きのツアーは星の数ほどあります。
 立体パンフレットも然り。
 但し奇妙なことがあります。
 今部長がご覧になっているのもマンハッタン計画国立歴史公園の施設のひとつ、ニューメキシコ州のロス・アラモス研究所に立ち寄るツアーのものなんですが、外観を眺めるだけで内部は見ないことなっているんです。
 その他にも何種類かのツアーがあるのですが、それ等総てのマンハッタン計画国立歴史公園の施設に立ち寄るツアーが外観を眺めるだけ
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なんです。
 おかしいと思いませんか」
 脳波通信の切れているせいで何をするにも口頭の旧式OSを利用しなければならない。
 部長が事務所内のAIに口頭で指示を出すと旧式の音声認識装置が作動し、現在のマンハッタン国立歴史公園内部の9D映像が立ち上がった。
「当時の展示内容を政府はこの時代の旅行者に見せたくないのだろう。
 見てくれロバート。
 今は館内に戦争と呼ばれる戦争は総て展示をしている。
 マンハッタン計画国立歴史公園が通称戦争博物館と呼ばれていることも周知の事実だ。
 第一次大戦、第二次大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラン・イラク戦争、それに今回調査命令の出ている太平洋戦争やコロナ戦争までありとあらゆる戦争の展示をしている」
 言い終えた部長は次いでマンハッタン計画国立歴史公園の来歴を表示するよう、口早に指示を出した。
 するとマンハッタン国立歴史公園がアトミックヘリテージ財団の推進により、当時アメリカ合衆国大統領であったバラク・オバマの署名で設立されたこと。
 その設立が今から105年前の2015年であること。
 それ以降アメリカ合衆国時代は元より我が環太平洋合衆国に於いてもこれをバラク・オバマ或いは民主党のレジェンドとして受け継いで来たことなどが、次々と9D立体映像によって紹介されていった。
 次いで部長の指示通り今度はコロナ戦争についての映像が立ち上がった。
 それ等の映像を見ていた私は、ふとあることが脳裏を過り部長の顔を正面に見据えた。
「はっきりとした理由は何か分かりませんが、
百年前のアメリカ合衆国に於いてのマンハッタン計画国立歴史公園では、文字通りマンハッタン計画即ち原爆投下の件についてだけ展示していたのではありませんか。
 きっと我々は大きな勘違いをしている。
 我々の常識ではマンハッタン計画国立歴史公園は、世界中で起こったあらゆる戦争を扱っていますが、百年前はそうてはなかった。
 アメリカ合衆国に取ってのマンハッタン計画とは、彼等に取って後ろ暗い何かを引き摺った存在だったと仮定すれば、今回の大統領命令が発令されたことも肯ける。
 そして再選を狙う現大統領は、そのことを世間に晒して民主党を追い落としたいのでは?」
 わたしの言葉を聴いた部長は大きくひとつ頷いた後、私を指差しながら言った。
「それだよロバート」
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