前編

文字数 3,570文字

【一】

「お清、なんで、なんで死んじまったんだよお」
 
その日、辰吉は一晩中泣いていた。
三日前に彼の伴侶、お清が亡くなったのだ。もともと病気持ちだったが、薬や祈祷のおかげか、ここ何ヶ月かは元気だった。それがこの夜体調が急変して、とうとう帰らぬ人となってしまった。
まだ子供もいなかったし、一緒にやりたいことも沢山あった。神様というのは冷たい存在だ。こんなにも早くお清を連れて行ってしまうとは。あまりの悲しさに飯も喉を通らない。そんな状況が二日も続いた。
「辰吉」
仕事仲間の与作が彼の家にやって来た。辰吉と与作は木こりで、その日も木を切りに出かけていたのだ。雪の降る、それはそれは寒い夜だった。そのため帰るのも普段よりかなり遅くなってしまったのだ。

あのとき、もっと早く帰ってくればまだお清は生きていただろうか。いや、それよりも、あの日仕事に行かなければ、お清を助けることが出来ただろうか。

自分を責め続ける辰吉を、与作はどうにか宥めようとしていた。
「その、お清さんがあの世に行っちまったのは、本当に、本当に残念だった。だども、それはおめぇのせいでねぇ。おめぇを誘ったのはオラだし、オラにも責任がある」
「気にせんでええよ、与作さん。お清が逝っちまうことは初めから決まってたことなんだぁ。神様の決めたことなんだぁ」
辰吉は俯いたままそう答えた。声も小さいし、たくましい体も今は野うさぎのように小さくなっている。
「そ、そうだぁ! 家から美味ぇ酒持って来たんだ! 一緒に飲もうや!」
返事はない。励ますつもりだったが逆効果だったかもしれない。
「そうだよなぁ、そんな気分じゃねぇよなぁ。じゃあな、また来るからよぅ」
とりあえず持って来た酒を置いて、与作は辰吉の家をあとにした。
静かになった家。たき火の音だけが室内に響き渡った。

◇◇◇

いつもなら、家に帰ってくるとすぐにお清が「おかえり」と言って跳びついてくる。彼女は辰吉よりも少し年下なのだ。綺麗で長い髪を撫で、お清を優しく引きはがす。帰りに狸や兎なんかを捕まえてくると子供みたいに喜んだ。晩ご飯のときはお清の話を聞いてやるのだ。辰吉が出かけている間にあったこと、彼女の地元で伝わる不思議な話、それから、お清が見たという不思議な生き物の話。

「それでね、あたしがパッて前を見だら、そこに小さな男の子が立ってるの」
「へぇ」
「その子を呼ぶとね、『はぁい』って言ってゆっくりと振り返るの。それで、その子の頭には、大きな目が1つあるだけなの!」
「へぇ」
「あぁ! 信じてないでしょう?」

こんな話を毎晩していた。どれもお清が自分で考えたのだろうが、辰吉は家に戻ってから彼女の話を聞くのが楽しみだった。奇妙奇天烈な話に耳を傾けながら「お清なら最高の母親になれる」とも考えていた。

暑い日も、寒い日も、寝るときはいつもくっついて眠っていた。別に密着しなくても良い。肩なんかがくっついていればそれで幸せだった。
朝はお清の方が早くて、辰吉は毎朝体を揺り動かされた。それでも嫌な気はせず、むしろ早起きしたほうが彼女と過ごせる時間が増えるから嬉しかった。

朝も夜と同じで、お清の話を聞く。すると何日かに一回、お清が辰吉の話を催促してくる。辰吉は特に珍しい経験などしたことがないから、親から教えられた話なんかを聞かせていた。そんなこんなで時間が過ぎて、仕事に行く時間になると、お清はつまらなそうな顔をする。
「何だぁ、そんな顔して」
「何でもねぇ。何でも」
 出来ることならこのままずっと一緒にいたいが、仕事をせにゃ生活が苦しくなる。辰吉は出かける前にお清を優しく抱き寄せて、「必ず戻る」とささやく。あまり強く抱きしめると、病気持ちの彼女を苦しめてしまう。その儀式が終わってから、辰吉は仕事に出かけるのだ。
彼の姿が見えなくなるまで、お清はずっと外で見送ってくれる。辰吉にとってそれはどんな御札よりも強い御守りだった。

◇◇◇

「会いてぇよぉ、お清に会いてぇよぉ」
思い出せば思い出すほど、辰吉は胸が締め付けられるような思いになった。何としてでも、あの楽しかった日々を取り戻したい。お清と一緒にいたい。これからもずっと。
そうだ、村はずれの古い小屋に住む、どんな魂でも呼びよせることが出来る“まじない師”とやらに頼んで……いや、呼び寄せるだけでは駄目なのだ。今まで通り、ここで暮らしたいのだ。
「神様ぁ! オラの命を削ってもいい! だから、だから、お清を返してけれぇっ!」
外に出て、夜空に向けて吠える辰吉。その声はやまびこのように森中に響き渡った。

【二】

翌日。辰吉はいつもより遅く目覚めた。
外から与作が彼を呼ぶ。もう仕事の時間か。仕事の準備をして、辰吉は慌てて外に出た。雪が降り積もり、地面は真っ白く染まっている。
「おめぇ、大丈夫か?」
「ああ、問題ねぇ」
「そうかぁ? 目ぇ真っ赤だど? そんなこと今までなかったろうに」
与作の言うとおり、泣き腫らした辰吉の両目は真っ赤になっていた。確かにまばたきをすると微かにひりひりする。
それ以外に不調は出ていない。腕も足も充分動く。この日も与作とともに近くの森に出かけていった。

森の木を切って、それを町で売る。寒さ対策の為にたき火が重宝されるこの頃、木はよく売れるのだ。
森につくと、辰吉と与作は別れて仕事を始める。何本も切って良いというわけではなく、成長途中の木は切ってはならない。一度に大量の木を切ることも御法度だ。
いつものように、辰吉は一本の木に目をつけて斧を振りかざす。
だがその瞬間、思いもよらぬ事態が巻き起こった。突然めまいがして、辰吉はその場に倒れてしまったのだ。起き上がろうにも体に力が入らない。加えて地面を覆う雪の冷気が彼から体力を奪う。
「ああ、よ、与作」
声もろくに出せず、助けを呼ぶことも出来ない。

このままここで凍え死んでしまうのかもしれない。
それでも良かった。またお清と一緒になれるのなら死んでもよかった。
「お清、お清……」
 辰吉はそのまま気を失った。

◇◇◇

それからどれくらいの時が経ったのだろう。空はまだ明るかったから、昼過ぎだろうか。辰吉は何者かに頬を強くはたかれて目を覚ました。目を開けると、そこには与作がいた。
「馬鹿野郎! 死ぬとこだったんだぞ!」
「おめぇ……何でオラを起こしたぁ! このまま死なせてくれれば、あの世でお清に会えたんだどぉ!」
「なぁに言っとる! お清さんがそんなこと望むと思うか、ああ? おめぇ、どうかしとるぞ!」
友人に諭され、辰吉はようやく我に返った。三途の川の向こう岸で(しか)めっ面をするお清が目に浮かぶ。
だが、子供のような性格の彼女のことだ。寂しくて、一人あの世で泣いているに違いない。仏様に諭されても、その場から動かないで泣いているに違いない。そう思うと、辰吉も何だか悲しくなって目に涙を浮かべた。
「お、おい! オラが悪かったよ! 今日は帰ろう。栄養つけた方がえぇ! オラが煮汁作ってやっからよぅ」
与作に肩を貸してもらい、辰吉は立ち上がった。幸いここから辰吉の家まではすぐだ。二人は日が暮れる前に家に戻った。

与作は家の中に入ると、早速得意の煮汁を作り始めた。その間辰吉は外をぼんやり見つめていた。今日も雪が降っている。白く輝いていて奇麗だ。この景色を、せめてお清と並んで見ていたかった。
「そうだ」
あることを思い立った辰吉は、外に出ると雪をかき集めた。中で晩ご飯を作っていた与作は、とうとう頭がおかしくなったかと不安になった。与作の視線にも気づかず、辰吉は無心であるものを作っていた。

完成すると、辰吉はそれを大事そうに両手で持って家に戻ってきた。彼の手の中にあったものは、雪で出来た小さな人形だった。
「そりゃ、何だ?」
「お清だ」
「お清さん? 雪の塊がかぁ?」
「少しは気がまぎれる。誰も居ないんじゃ、寂しいから」
そう言うと、辰吉は雪のお清を入り口のあたりにそっと置いた。

その晩は与作の作った汁物を美味しくいただいた。栄養満点、疲れも癒えた。あまりに美味しかったので何度もおかわりした。食欲が戻ってきたところを見ると、与作は満足そうに微笑んだ。
食事が終わり、与作も自分の家に帰ることにした。彼にも家族がいる。彼等を心配させるわけにはいかない。それに彼の母親は大病を患っていて、与作が食事を作らないと弟達は腹を空かせてしまうのだ。
「んじゃ、オラは帰るからよぅ」
「いろいろと世話かけたな」
「いんや、仕事仲間さ死んじまったら、それくらい悲しいこたぁねぇからよぅ。じゃ」
与作は足下に気をつけて外に出た。入り口に雪のお清が立っているからだ。
「じゃあな」
辰吉は戸を閉めた。
そして雪人形を見つめると、小さな声で「おやすみ、お清」と言った。
熊の毛皮を持って来て、たき火を消した後、辰吉は毛皮を被って横になった。
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