第7話

文字数 2,274文字

 うるさいってなんだ、バカ。うるさいのはお前らふたりだろうが。近所迷惑なんだよ。苦情きたらどうすんだ。だから嫌だったんだよ。そもそも仲介役なんて俺には向いてないんだよ。なんだよこれ、なんの仕打ちだよ。もう泣きたい。
 なにも持たずに出てきてしまったからカフェで休むどころか、自販機でお茶一本買うことすら叶わない。踏んだり蹴ったりだ。
 仕方なくとぼとぼ土手沿いを歩く。朝方まで降っていた雨の跡がアスファルトに濃く残る。所々にちぎれた芝と泥が混ざったぐちゃぐちゃが貼り付いていて、なんだか汚ならしい。
 ちょっと嫌だな、と思っていると土手の下にこじんまりした児童公園が見えた。そこまで降りていって東屋のベンチに腰かける。屋根のおかげで濡れずに済んでいるさらりとした空間に包まれてやっと心が落ち着く。

 二人は別れるだろう。今は、最後に互いの心にわだかまっていたあれこれを吐き出しているに過ぎない。ただの愚痴の言い合い、悪口大会だ。話し合いなんかじゃない、二人の気持ちは最初から決まっていた。
「だったら巻き込むんじゃねぇよ」
 思わずこぼれる。
 仲介なんて柄じゃないとか言いつつ、自分がいればなんとか丸く収まるんじゃないかってどこかで考えていた。陽介はふわふわだし、久遠あずさは寛容だ。
 だから、今は倦怠期だからちょっと冷静になろうよって感じで保留くらいに落ち着くんじゃないかと頭の片隅で思っていた。
「とんだ思い上がりだな。バカみてぇ」
 ふたりのことはふたりがよくわかっているに決まっている。俺の出る幕なんて、最初からなかった。

 そろそろいいだろ、と頃合いを見て家に帰る。
 施錠されていたら嫌だなと思ったがドアノブを回すとすんなり開いた。ふと、オートロックだったらこうはいかないな、と思う。
 一年前、陽介が転がり込むよりり少し前にここから転居することを考えていた。
 学生時代から住み慣れて愛着があるとはいえ、いい大人が住むにはあまりに頼りない古びたアパートだ。今は収入もそれなりにあるし、そろそろセキュリティ万全で、かつ、リビングの広いマンションに引っ越そうと腹を決め、不動産屋にも足を運んで職場近くの新築マンションに目星もつけていた。
 ところが、思いがけず陽介が転がり込んできてそれどころではなくなり、あれよあれよとルームシェアなんてことになってしまったから計画は頓挫したのだ。
 2LDKとは一見贅沢なつくりだが、実際には備え付けの収納が皆無という不便物件で、一部屋をクローゼット代わりに使っていた。
 そこを陽介の部屋にすべくタンスを購入して服を整理し、不要品を処分し、学生時代に趣味で集めていた映画DVDまでも泣く泣く手放し、人が生活できる空間にしたのだ。せっせと。一生懸命。ミニマリストミニマリストと心で唱えながら。
 あいつは何一つ手伝わなかったけどな、と苦々しく思い出される。
 オートロックだったら絶対ピンポンして陽介に解錠してもらうんだもんな、そんなの嫌だからせめて鍵は持っていくべきだな、と思ってすぐに、いや転居していたらそもそもこの同居はなかったのか、とぼんやりしていると、中から、宏樹?と問いかける声がする。
 気配がするのに一向に入ってこないことを不審に思ったのだろう。
「うるさい、気安く名前を呼ぶんじゃねぇ」
 悪態をつきながら中に入って三和土を踏み鳴らすようにして乱暴に靴を脱ごうとするがうまくいかず、もたつく。
「なんかごめん。感情的になっちゃって」
「そうかよ」
「ごめん」
「で?」
「え?」
「どうなったの」
 靴を脱ぐのを一旦諦めて、壁にもたれながら陽介の答えを待つ。
「ああ。うん。正式に別れました」
「そうかよ」
「うん」
「十二年」
「え、うん」
「向こうはまだ好きだったんだろ」
「え、どうかな」
「そうだろうが。じゃなきゃここまで続くかよ」
「うん。だからこそ、ちゃんとしなきゃって。気持ちに応えられないのにズルズルするの、よくない」
「は、よく言う。取材先で触発されただけだろうが。それまでズルズルしてたくせに」
「うん。ごめん」
「俺に謝ってどうすんだよ。やめろよ」
「うん」
「で、どうなの。久遠さんは」
「大丈夫だと思う。あずさはしっかりしてるから」
「そういうとこだよ」
「え」
「しっかりしてるとか、お前が言うことじゃない」
「そうか。ごめん」
「はーあ、疲れたわ。ベタベタするから風呂入る」
 そういいながら今度こそ靴を脱ぎ、陽介を玄関先に残したまま浴室をめざす。
「まぁ、実際しっかりしてるからな、久遠さん。お前には、もったいないわ」
「え」
「なんだよ」
「しっかりしてる、って」
「俺はいいんだよ」
 それに対して陽介が何も反応しないので反射的に振り返る。
「宏樹、なんでそんなにオレたちのこと気にかけてくれるの」
 陽介の疑念のこもった目が俺を見ている。一瞬たじろぎそうになったところで陽介が言葉を続けた。
「だいたい、いつの間にあずさとそんな親しくなったのさ!」
 今度は恨みがましい目。ふっと脱力すると共にふつふつ小さな怒りが涌いてきたのでそれに任せてぶちまける。
「ふざけんな!発端を忘れたか。お前がタイミング悪く別れ話したせいで俺が巻き込まれたんだろうが!家を訪ねてきた久遠さんをなだめたのは俺だぞ!全然関係ないのに!風呂に入るところだったのに!俺だって口なんて出したくない!!」
「いや。そうだけど、ごめんて!悪かったって!ほんの冗談だよ!」
 突如激昂した俺に驚いた陽介はとたんに弱気になって平謝りした。オレが悪かったごめんと繰り返して。
 いやいや、ほんといい加減にして?
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