七乙女

文字数 3,363文字

 カムヤマトイワレビコ。後の神武天皇である。彼が大和(やまと)を治めた時、一つの問題が生じた。それは大后を誰にするかというものである。実はこのイワレビコ、大和平定よりも随分前に、日向(ひむか)の地ですでに后と子をもうけていた。ならばその后を大后とすれば良さそうなものだが、身分故か少々都合が悪いという。イワレビコもまたより美しい娘を望むというので、重臣オホクメノミコトはイワレビコの嫁探しに勤しむのであった。
「まったく、イワレビコ様の女好きにも困ったものよ……」
 などとオホクメノミコトがぼやいたかはさて置き、大和に有力な人物がいることが判明した。名をヒメタタライスズヒメと言う。彼女の父はなんとオオモノヌシノカミであった。オオモノヌシと言えば、かつてスサノオの娘スセリビメを妻とし、出雲及び近隣各地を支配していたオオクニヌシその方である。そのオオモノヌシが大和随一の美女タマクシヒメを娶り、産ませた娘がヒメタタライスズヒメであった。
 ちなみに、ヒメタタライスズヒメの元の名をホトタタライスズヒメと言う。しかしこの「ホト」は女性の女性たる箇所を意味し、そのような名を当人が疎んじたゆえ、ヒメタタライスズヒメと改めたと言う。キラキラネームは古来より続く、日本の伝統的な問題であったと言えよう。
 そのヒメタタライスズヒメに会うべくオホクメノミコトが出向くと、そこには七人の見目麗しい乙女たちがきゃっきゃうふふと戯れていた。しばし眼福とオホクメノミコトが眺めていると、乙女の一人が気付いて声をかけた。
「そこな方。我らに何か御用かえ?」
 黒髪のひときわ艶やかな乙女である。オホクメノミコトは一礼して近づいて言った。
「わしはこの大和を平定されたカムヤマトイワレビコ様の家臣、オホクメノミコトと申す者。こちらにヒメタタライスズヒメがおられると聞いて参ったのじゃ。ヒメはいずくにあるか」
 そう言うと七人の乙女たちは顔を見合わせ、くすくすと笑い、オホクメノミコトを見た。また先ほどの黒髪の美しい乙女が答えて言った。
「オホクメノミコト様。確かにヒメタタライスズヒメは我らの内におります。されど、一家臣に問われてほいほい答えるようでは神の御子としての格が落ちまする。ここはカムヤマトイワレビコ様ご本人が妻問いに参りますのが、筋というものではございませぬか」
 その乙女の言うことも最もであるとオホクメノミコトは感じた。しかし、はいそうですかと帰っては子供の使いにも劣る。彼は彼とて名のある身。なんとかならぬかと頼み込んだ。
「なるほど。オホクメノミコト様にもお立場がある。それもまた道理。しかし道理と道理がぶつかり合えば戦しかございませぬ。そのようなことは我が母も望みませぬゆえ、ここは別の勝負などいたしませぬか」
「勝負、とな」
「左様。我ら七人の内、誰がヒメタタライスズヒメであるかを見破ればあなた様の勝ち。負けたなら潔う帰って、カムヤマトイワレビコ様ご本人がお越しくだされ」
 オホクメノミコトは「それならば」と思った。仮に負けたとしても面目が立つ。イワレビコ様もむしろ楽しんでくれるだろう。
「あい分かった。されど、わしにはそなたらの誰がヒメタタライスズヒメであるのか、皆目見当も付かぬ。何か、手がかりなど無いものか」
「ではこういたしましょう。我ら七人、仮にツバメ、ツツドリ、チドリ、ホオジロ、カラス、ウ、タカと呼びまする。オホクメノミコト様は一つ質問をしてください。ただし、お前がヒメタタライスズヒメかなどという直截な聞き方は禁じ手とさせていただきます。それに準ずると我らが判断した場合も禁じ手となります。我ら一人ずつ、その問いのお答えしましょう。その違いにて、誰がヒメタタライスズヒメであるかをお考えくだされ」
 オホクメノミコトは考えた。この中にヒメタタライスズヒメがいるのであれば、それを絞り込むような聞き方をせねばなるまい。美しいだのと言った曖昧な話をしても確証は得られぬ。改めて七人を眺めまわした。皆、同じ服装に似たような背格好。顔つきでは年齢の差なども分からぬ。見た目で区別するのは至難の業に思えた。
 例えば父親の名を尋ねるというのはどうか。いや、それは直接な聞き方に準ずると思われて終いだろう。親類縁者や住む場所による絞り込みは禁じ手となるに違いない。しかしいったい、どのような質問であれば禁じ手とならずに答えを引き出せるか。
 悩みぬいたオホクメノミコトは一つの秘策を思いついた。それは絡め手とも言えたが、禁じ手ではない。
「では問おう。そなたら一人一人、ヒメタタライスズヒメの見た目、どこが人に優れて美しいか。目、鼻、口、どこでも良い。各々の思うところを言ってみてくれ」
「そのようなことで、構わぬのか?」
「ああ、構わぬ」
 ならばと各々語り始めた。ツバメは目がひときわ愛らしいと言った。ツツドリは髪の艶が何よりと語った。チドリとホオジロは共に肌の白さを。カラスは口元。ウは声の響きが美しいと言い、タカはしぐさがひと際上品であると告げた。
「して、誰がヒメタタライスズヒメかご確認できましたかな」と言ったのは、はじめから応答をした黒髪の艶やかな乙女、ツバメである。
「うむ。答えはカラス、そなたじゃ」
 言われたカラスは驚きを隠せぬ様子であった。ツバメも感心した様子でオホクメノミコトに言った。
「なんと見事な。先ほどの応答でいかにしてその答えに辿り着きなさった」
「はっきり言えば応答そのものに意味は無い。さきほどの質問をしたのは、そなたらに当人を観察してもらうことが狙いじゃった」
 つまりオホクメノミコトは質問の答えそのものではなく、乙女らの目線を追うことに集中していたのだ。どこが美しいかと問われて、まずその当人を見てしまうのは仕方のないことであろう。皆が皆、カラスの容姿をちらりと見ていた。それをオホクメノミコトは見逃さなかった。
 ツバメは感心して歌を歌った。
「あめつつ ちどりましとと などさけるとめ」
 アメツバメ、ツツドリ、チドリ、ホオジロのようにどうしてそんな大きな目なの、という意味である。オホクメノミコトはこれに返して歌った。
「おとめに ただにあはむと わがさけるとめ」
 乙女を見つけようと大きな目になったのだという意味である。これを受けてツバメは「お仕えしましょう」と約束した。その約定を持ってオホクメノミコトはカムヤマトイワレビコに報告をしに戻って行った。
 さて数日後のこと、カムヤマトイワレビコを待ち受けていたのは、あの七人の乙女たちであった。オホクメノミコトはカラスの乙女へとカムヤマトイワレビコを連れて行こうとした。するとカムヤマトイワレビコは一人、ツバメの乙女に向き合い言った。
「そちの名を述べよ」
「ヒメタタライスズヒメと申します」
 その光景をあっけに取られて見ていたのはオホクメノミコトであった。周囲の乙女たちはくすくすと笑っている。完全に謀られた形であった。ツバメがオホクメノミコトに語り掛けた。
「これは我らのお遊びなのです。評判の姫を見たいという者が後を絶ちませぬゆえ、相手をけむに巻く算段にて、オホクメノミコト様も騙させていただきました。されど、カムヤマトイワレビコ様のお申し出とあらば否も無し。そして期待通り、この方は我を一目で見初めてくださいました」
 実のところ『古事記』においてカムヤマトイワレビコは一目でヒメタタライスズヒメを見分け、その者への求婚にオホクメノミコトを向かわせたのだ。隠しきれぬ神威があったのやもしれぬ。
「なんと。ではそなたらの目くばせも」
「全て手はず通りに。我の役を誰がするかは鳥の名で決めておりました。案外、その程度の示唆で釣られる方もおりますので」
 言われてオホクメノミコトは気づいた。ヒメタタライスズヒメの母はタマクシヒメ。その父親はカモタケツヌミノミコト、通称ヤタガラスであった。
 まんまと欺かれたオホクメノミコトであったが、不思議と晴れやかな心地さえした。これほどの才気ある大后であれば、必ずやカムヤマトイワレビコの力になってくれるに相違あるまい。そのように確信が持てたゆえであった。
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登場人物紹介

【ヒメタタライスズヒメ】

ヒメタタライスズヒメ(媛蹈鞴五十鈴媛)は、『日本書紀』に登場する人物・女神で、初代天皇神武天皇の皇后(初代皇后)。『古事記』のヒメタタライスケヨリヒメ(比売多多良伊須気余理比売)に相当する。

【カムヤマトイワレビコ】

神武天皇(じんむてんのう、庚午年1月1日 - 神武天皇76年3月11日)は日本の初代天皇(在位:神武天皇元年1月1日 - 神武天皇76年3月11日)。諱は彦火火出見(ひこほほでみ)あるいは狭野(さぬ)。

【オホクメノミコト】

カムヤマトイワレビコの大后探しに奔走する苦労人。

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