第3話 雪あそび

文字数 3,007文字

 午前三時。

 卓上仕事はほぼ終わった。

 書類を纏めつつ、窓の外を見る。雪はすでに止んで。

 構内の方を見ると、二、三センチほど雪が積っていた。

 列車の運行に支障は無いだろうが、乗客が滑って転ぶようなことがあってはいけないので、雪かきをする事にする。

 ロッカーから雪かき用の道具を取り出す。シャベルのすくう部分をを平べったくした様な形状をしている。

 手袋を嵌め、雪掻きを持って外に出る。手始めに、改札口の外から雪かきを始める事にした。

 
 午前四時。

 空がほんのり、明るくなって来ていた。

 少し熱が入りすぎて、駅前広場のみならず、広場の横にある歩道までやってしまった。

 そろそろ切り上げて、構内の雪かきを始める事にする。

 しかし、その前に身体が結構冷えてしまっていたので、一旦駅長室に戻り、お茶を飲んであたたまる事にする。
 
 ヤカンに水を注ぎ、仮眠室に向かい、ストーブの上に乗せる。

 そうだ、まだりんちゃんは寝ているだろうか。軽く様子を確認する。

  ――ベットの中は誰もいなかった。

 帰ってはいないはずだ。この駅に改札口は一つしかなく、自分はその前の広場にずっといたのだから誰か通ればすぐ気付く。

 トイレにでも行っているのだろう。そう考えて、戻ってくるのを待つ。

 ……五分ほど経った。

 まだ彼女は帰ってきていなかった。少し心配になってきた。

 気になって駅長室と仮眠室を少し探してみる。ただ、子供一人が隠れられる様なところはあまり無く、ベットや机の下、あるいはロッカーの中ぐらいしかない。全て探したが、見つからない。

 もしかしたら、と思い構内にでて、あたりを見渡す。

 よく見ると、改札口を挟んで駅長室の向かい、奥のほうに彼女がしゃがんでいるのが見える。パーカーも着ずに、寒いだろう。

 何故あんなところに、と思ったがその疑問はすぐに氷解した。

 我々大人は雪が降ると大抵嫌悪感しか抱かないが、子供の場合はむしろ好奇心が先に出るのを思い出したからだ。

 その好奇心は、寒さを忘れてしまうほどに。

 僕はお湯が沸くのを待ち、パーカーとお茶を湯のみに入れて彼女の所へ持っていった。

 彼女は僕の予想した通り、雪で遊んでいた。その目は好奇心で輝いているようだった。彼女の前には小さい雪だるまが二つ、並んでいた。よほど熱中していたのだろう、僕が近くに来ても気がつかないほどだった。

 「ねえ」とそっと声を掛けると少しおどろいたという反応を見せ、こちらを見た。

 「お茶を持ってきたんだけど、飲む?」と聞くと、少し首を横にふりかけて、こくん、と首を振った。

 彼女は湯飲みを受け取り、再び首を、と言うよりは背も曲げてお辞儀をした。

 それはありがとう、と感謝の意味を表しているのだろう。礼儀正しくてえらいな、と思った。
 
 そしてベンチに座って、ふうふうと覚ましながら飲み始めた。

 身体はやはり寒さを感じていた様で、小刻みに震えていた。僕はそっと、パーカーをその小さい身体にかけてあげる。

 りんは早く雪で遊びたいようで、雪だるまの方をチラチラと見ていた。

 「りんちゃんのお家は何処にあるの?」

 彼女は僕の方を見る。

 「ここの近く?」彼女が答えやすいように質問してあげる。

 首を横に振る。

「遠くの方にあるの?」

 こくん。首を縦に振った。

「ここからどの位かかるの?一時間?」

 横に振った。

「じゃあ二時間ぐらい?」

 ちょっと首をかしげ、小さく縦に振る。

「一人でここまで来たんだよね」

 こくこく。二度縦に振る。

「すごいね」と僕は言った。

 彼女は「そうかな」と言うように首を少し横にかしげた。

 「その、りんちゃんが住んでいる所には雪とか余り降らないの?」

 こくり、頷く。

 それなら彼女の雪に対する反応も頷ける。彼女はお茶を飲み終わり、僕の方へ湯飲みを渡してきた。そしてふたたび雪で遊び始めた。

「手、寒くない?」彼女の手は冷たさで結構赤く腫れていた。

 少し頷く。はー、と両手に息を吹きかける。

「よかったら、コートと手袋貸してあげようか?」

 彼女は僕の方を見て「いいの?」と言うように見上げてきた。

「構わないよ」

 彼女は立ち上がり、大きくお辞儀をした。お願いします、と言う事なのだろう。

 僕は駅長室に戻り、ロッカーの中から手袋を探してみる。

 サイズは色々あったが、彼女にピッタリ合うというのは無さそうだった。

 それでも一番小さいサイズを探し出す事が出来た。少しゆるそうだが、外れるというほどでも無さそうだ。中を裏返してみる。カビは生えていない。


 彼女に渡しに行こうと振り向くと、「ごん」と肘が何かにぶつかる。

 下を見ると、彼女が頭をおさえてうずくまっていた。

 どうやら彼女は僕についてきていて、僕の後ろに立っていたらしい。そして僕の振り向きに対応できず、肘が頭にぶつかってしまったようだった。

「だ、大丈夫?」僕は慌てて彼女の元にしゃがみ込んだ。相当痛いはずだ。ぶつけた僕の肘も少し痺れているのだから。

 彼女はおでこの少し上の部分をおさえ、小さく震えていた。

 「ごめんね、後ろにいるとは思わなくて」

 彼女は頭をおさえつつ、ゆっくりと立ち上がった。その目には涙が溜まっていた。あとちょっとで流れ落ちそうなほどに。

 彼女は首を縦に振った。大丈夫、と言う意味らしい。

「本当に大丈夫?」

 彼女は少しの間を空け、首を小さく横に振った。やはり痛いらしい。

「休む?」

 こくり。

 僕は椅子を持ってきて、彼女をそこに座らせた。そして、氷嚢に氷と水を入れてタオルを巻き、彼女の頭の所にそっと当ててあげる。

 彼女は首を小さく横に振り、氷嚢を両手で押さえた。自分で出来る、という事らしい。

 彼女の目にまだ涙が溜まっていたので僕はハンカチを取り出し、優しく拭いた。

 「本当にごめんね」と僕は彼女の前で地面に正座をして、頭を下げる。

 彼女は目を丸くさせ、首を横に振る。そんな事しなくていいよ、という風に。そして首を縦に振った。其の意味は正確にはわからないけれど、気にしてないよ、というように思えた。

 僕は彼女に断わって、肘がぶつかった部分を触らせてもらった。やはり、少し腫れている。けれどそれ以上の外傷は無さそうだった。

 彼女は身動ぎせずじっとそのまま座っていた。僕は彼女の横に椅子を持ってきて座る。雪かきはあとでもいいし、何よりこのままほっといて仕事をするのは彼女に申し訳ない。

 五分ほどして、彼女が僕の方へ顔を向け、じっと見つめてきた。

 何かいいたいことがあるのかな、と僕ははじめ思ったのだが、そうではないようだ。

 僕は彼女から目を逸らす事はせず、見つめ返す。

  彼女の目は一見、無邪気な子供の目をしていた。けれどもその奥に、なにかの違う感情があるように見えた。

 しばらくして、彼女は頭から氷嚢を外し、頭をさすっている。痛みは治まったようだ。

 再び、彼女に断わって頭を触ってみたが、腫れはほとんど引いていた。

「もう大丈夫?」と聞くと、こくり、と首を縦に振った。

 僕は手袋を渡した。彼女はそれをはめた。やはり少し緩く、何かの拍子に抜けてしまいそうだった。僕は手首の所にある紐を引っ張って結び、きつくない程度に調節する。

 彼女は自分で手袋の指先を引っ張り、外れない事を確認する。

 コートもロッカーにあった一番小さいサイズのを着せてあげる。

 ぺこり。彼女は深いお辞儀をして、ホームの奥へ駆けて行った。
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