何をしたんだ、友人ちゃん

文字数 3,271文字

 ダサ山草子は、色々あって、完全なるヒキコモリ生活に突入した。

 「安アパート破壊うんこたれ事件」の時、現場に踏み込んだ警察は、とりあえずその場にいた皆から事情徴収した。

 5分置きに水様便を噴射する体質となった六人のスクールカースト(元)上位者たちは口をそろえて、すべてはダサ山草子が悪い、あいつこそ諸悪の根源であると言った。
 また、現場の状況から見て、どう考えても一人だけ無傷(?)で立ち尽くしていたわたしは、最有力容疑者なのだった。

 ぶりぶばと糞垂れ流す六人。
 とりあえず、パトカーで署まで連行される間、車の中が阿鼻叫喚の地獄絵図であった。

 「ダサ山が友人を召喚して、アパートを破壊した」

 うんこ垂れながら、涙と洟をぶしゃぶしゃ放って、六人は言い続けた。
 わたしは。

 わたしは、項垂れて黙っていただけだった。

 ぶびっ、ぶりゅりゅりゅりゅっ。

 (一分につき五回の放屁や、五分につき一度の水様便噴射の発作)
 制服の膝においた手は、自然に拳になった。
 黒ストッキングには、便に塗れた手でつかまれた痕が残っている――臭い。

 ぶるるるるる、げりゅげりゅげりゅ。
 「わっ、またか君たちっ」警察の人の悲鳴。

 「ああもうイヤ、みんなこいつが悪いのよっ」

 ヒステリックな泣き声と、げりげりぶりぶり間抜けな音――ああ臭い。

**

 「あんたをちょっと笑った位で、どうしてあたしたちが、ここまでされなきゃならないのよっ」

 クラスでは、スクールカーストの上位者として、いつも堂々として、顎を突き上げるようにして教室を眺めまわしていた彼女。
 短いスカートから覗く、スポーツ好きらしい、ひきしまった太腿。
 きゅっと細いウエストと、第二ボタンまで外した胸元。
 シャンプーの香りと、彼氏とドコマデイッタという自慢話と、彼女を意識する男子たちの視線。

 「ダサクサ……くすくす」

 わたしを物笑いの種にしてきたコたちが糞便まみれになり、恐らく二度とクラスに現れることができない体質となった。
 汚れた手で、わたしの足を掴んだ彼女の上目遣いの目は、わたしの奥深いところを毒針で突き刺した。

 あんたこそ、放屁とうんこがお似合いのくせに。

 ……呪いの様な言葉は、わたしの僻み嫉みがパンパンに詰まった心の中に溶けた。
 そうだ、わたしこそ、こういうのが似合う。
 屁をたれて、糞たれて、臭くなって、誰からも見放されて一人でいるのがふさわしい。

 ぶりゅぶりゅぶりゅっ、げりゅっ。
 「ひぃぃぃぃぃっ、き、君たち何を食べてそんなに腹を壊したんだねっ」

 「うわああああん、ノリユキにもう会えないっ、付き合い始めたばっかりだったのに、こんなんじゃもう会えないっ」
 「次の試合に向けて頑張って来たのに、試合どころか学校にすら行けねえ、くそおおおっ」
 「死んだほうがまし」
 「死んだほうがまし」
 「っていうかコロセ」
 「殺せええええええ、ぶりゅりゅりゅりゅっ」


 (わたしが、諸悪の根源)

 全部、わたしがやったことです。
 取調室に通されて、刑事さんと二人きりになったわたしは、同じ言葉を繰り返した。
 どうやって、どうしてと色々な質問が繰り出されたが、答えられるわけがない。

 確かなのは、わたしが原因であること。それだけ。

 やがて警察は、わたしから話を聞くことを切り上げた。
 学校と親御さんに連絡したと告げられた時も、わたしは不思議に無感動だった。

 「草子っ」
 髪を振り乱したママが肩を掴んで揺さぶった。ごめんなさいと言うと、ぱしんと頬をぶたれた。

**

 うちに帰ってから、パパとママから問われるままに白状した。

 ずっと、友達なんかいなかった。むしろ、虐められてきた。
 一人ぼっちで今まで生きていた。今では、友達がいないというレベルを超えて、嫌われるくらいの立ち位置である。

 呼んだら助けに来てくれる友人ちゃんの話をした時、ママとパパは顔を見合わせて沈黙した。

 「学校には連絡したから、しばらく休学しなさい」
 良い病院を探すから、それまでおうちで休んでいなさい。

 なんでも好きなことをして良いから。草子、今まで気づかなくてごめんね。


 パパとママはわたしを部屋に閉じ込めた。
 優しい両親。居心地の良かった家の中が、いきなり寒々しくなった。
 二階の部屋のベッドで蹲っていると、パパとママが言い争う声や、ママの号泣が聞こえてくる。

 (友人ちゃん、友人ちゃん)


 今は、出てこないで。
 わたしは、罰を受けなくてはならない。
 生きていてごめんなさい。生まれてきてごめんなさいと、心身に十分に刻み込まなくてはならないのだから。

 パパもママも寝てしまって、しいんとした真夜中。
 わたしは闇の中を見つめていた。
 目を閉じて、体育すわりの膝の間に顔をうずめていたら、ふいに懐かしい香りが漂い、ふわっと後ろから温かな腕に包まれた。

 息が頬に当たる。

 「なりたい自分になれる魔法をかけるよ」
 きゅぴん。

 俯いたまま目を開いた。
 柔らかなショートヘア―や、端正な横顔が近くにある。
 こんな至近距離で、友人ちゃんの瞳を見たことは、今までなかった。

 長いまつげと、澄んだ綺麗な目。目の奥には、確かに虹色の渦巻きが煌めいている。
 ぐるぐる。ぐるぐる。アナタハデキルアナタハヤレル――虹色催眠ぐるぐる。

 スーパーヒロインになりたい。

 子供の頃に見たアニメでは、可愛くて、もてて、運動が得意な女の子が、魔法少女になって活躍していた。
 ちょっとドジだけど明るくて、大食いだったり、勉強ができなかったりするけれど、それは御愛嬌。
 活発で人気者で好きな男のコとは両想いで。

 ふわふわの短いスカートと、可愛いステッキで悪と戦う。毎回必ず勝利して、変身が解けた後は、また楽しい日常に戻る。

 そうなりたかった。
 だからこそ、悔しかった。

 現実の世界では、魔法少女になる資格がありそうなコは皆、スクールカースト上位者で、キラキラしていて楽しそうで――いつだってわたしには、イジワルだった。

 わたしは、スーパーヒロインになりたい。
 でぶでぶのお腹と、ニキビだらけの三重顎と、膝のところがダブついた足。
 いつも俯いて、喋るのが怖くて、人と視線を合わせると変な汗が出る。

 ……だけど、いつだってわたしは、スーパーヒロインになりたかった――なりたい。

 友人ちゃんの手が、俯くわたしの顔を上向けた。
 きゅぴんと、闇の中で虹のオーラを放つ魔法ステッキが、目の前に来る。
 くるくる回りながら輝くお星さまが付いた、可愛い不思議なステッキ。

 きゅぴん。
 レインボーの光線がステッキのお星さまから放たれて、わたしのオデコに当たった。

 「これで、草子ちゃんはスーパーヒロイン」
 耳元で囁く友人ちゃんの声は、中性的で、甘い。
 腕を離される。はっと振り返ると、微妙に輪郭がぼやけた友人ちゃんが、にっこりウインクしながらベッドの縁に座っていた。

 「もう、わたしは必要ないね。草子ちゃんがスーパーヒロインだから」

**

 瞬きしたら、部屋は完全なる闇の中だ。
 柔らかな香りが漂っている。けれど、友人ちゃんはどこにもいない。

 どこにも、いない。

 ……ケテ。タスケテ。

 すすり泣く声が聞こえた。
 どこか、遠い場所だ。
 闇の中でわたしは目を凝らし、声の主の居場所を突き止めようとした。

 ここから東に5キロの地点。
 マンションの一室。
 小さい男の子が、ロープで縛られているのが見える。

 「ママー、えーんえーん」
 「黙れ煩い、おまえのママが一億円持って来たら、逃がしてやるよ」
 「えーんえーん、一億円って何、食べられるの、僕わかんないよー、えーんえーん」
 
 誘拐事件だ。
 自分になにができるのか、どうするべきなのか、考えるよりも早く体が動いて、わたしは立ち上がった。

 体が軽い。メタンガスのように軽い気がする。ここは二階だけど、屁でもなく窓から飛び立つことができるだろう。
 わたし、80キロ以上あるのに。
 逆上がりすらできないのに。

 (なにこの自信)

 今のわたしは、身軽なデブ。 
 (友人ちゃん、何をしたんだ)
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