夜更け

文字数 1,593文字

「——、読み終わったよ。昔よりうまくなってるじゃん。私は好きだよ、こーゆーの。気になるとこはないこともないけどさ。

 まぁ、君が私に見せたくない理由はなんとなくわかった、恥ずかしがり屋さんだね」

 それが今のぼくの評価だった。高校時代から進歩はしているけど、退化もしてる気がする。

「なんていうか、顔を色をうかがうよな文章な気がした。読者のターゲットを決めるのはいいんだけど、狙いすぎて逆にスベる一発芸みたいに見苦しい感じのところがある、気がする。
 もっと純粋な気持ちで、そう、高校の時みたいにまっすぐな気持ちで書いたら完璧だと思うよ。」

 私は逆に、好きに書きすぎて話がわけわかんないって言われたんだけどね、と笑った。どうやらぼくらは対照的な問題を抱える決まりがあるらしい。

 でも、少なくともこの瞬間、部分的ではあっても他人に、それも身近ながら大きな存在に自分の作品を認められたのだ。それがうれしかった。


「——それでさ、編集さん、——山本さんっていうんだけど、——が細かい整合性までちゃんとしようとしてきて、そこはもう完成したとこなのぉ…ちょっと、聞いてる?」

 Nの話はぼくのアドバイスから自分の作品の自嘲に移り、気が付けばぼくに愚痴を吐いていた。
 よく見ると、Nは缶チューハイを三本も空けている。ああ、そういえば読みながらも飲んでたな。もうすっかりお酒に飲まれてるし。
 
 ぼくは適当に相槌を打ちながら、あのときのNの小説を思い出す。Nには珍しいボーイミーツガールのラブコメディだったそれは、そのまま本にしたら売れそうなほど面白かった。

 専門学生時代に一つの目標として、あれを超えることを掲げていたくらいには。結局、部分的には越えられても、ぼくにはあの話よりも面白くて読みたくなるような物語は書けなかったけれど。


「——なんで、私のこと気づかなかったのぉ…、私は後ろ姿で分かったのに、——。」
 Nは絡み酒だった。いくら旧友に会えてうれしいからって飲みすぎじゃないか。

 やがて、Nは深夜の境内で僕に説教をかましながら眠ってしまった。

  ***

 Nに肩を貸して、実家まで送った。家がすぐ近くでよかった。いろんな意味で。

 Nのお母さんにひとしきり謝られてから、ふらふらと誰もいないうちへ帰る。

 当然、家は真っ暗で人の気配はない。まぁ時間が時間だから、親がいても真っ暗だろうけど。

 溜まりに溜まったお袋からのラインは二十三時になる少し前に来た「おやすみ、あんたもあんまり遅くまで起きてると明日に響くからほどほどにね」で締めくくられていた。

 ごめん、母さん、まだ眠れない。

 時計を見ると、短針は「2」の字を追い越そうとしてしていたけど、ぼくは母が来客用に取っておいてあるドリップコーヒーを持ち出して、再びパソコンを立ち上げる。

 今しか、このまっすぐな気持ちを文章にはできない気がしたから。

 Nは読者の顔を窺いすぎだといった。学生時代にもらった選評と真逆。もしかすると選評の言葉を意識しすぎたのかもしれない。

 自分の文章をつまらないゴミにしていたのは紛れもないぼくだった。このことがわかっただけで目の前が開けた気がした。

 甘いナッツのようなコーヒーの香りが鼻を抜け、アルコールの回った脳を刺激した。

 ふう。

 淹れたてのコーヒーの熱さで酔いも少しは醒めてきた気がする。

 きっと明日読んだら、脈絡のなさに辟易とするんだろうなぁ。

 でもそれでもいい。読みなおして書き直せばいい。

『何もかも嫌になって、書きかけの「無題のドキュメント(5)」を削除する。――』

 夜はさらに更け、東の空にはうっすら光が差そうとしている。

 夜の光に騙されて鳴き喚いていた蝉の声はもう聞こえなくなっていた。


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