宵闇に紛れて

文字数 2,253文字

 実家に帰ると、青太郎の姉――青香(せいか)がキッチンに立っていた。ラフなスウェットに身をまとい、フライパンに冷凍ごぼうと千切りした人参を入れて火にかけていた。

「おかえり」
「……た、ただいま」

 青太郎が立つ場所から、彼女の表情を確認することはできない。わかるのは、調理中の彼女の後ろで揺れる金髪ポニーテールだけ。

「明日の弁当作ってるんだけど、アオタもいる?」
「いや、いい」
「そっ」

 青太郎は自室に行ってリュックを部屋に放り投げ、キッチンに戻った。
 この間、青太郎は口を閉ざしていたが、内心驚いていた。今日帰省することは母にしか伝えていないし、姉はフライパンから目を離していなかった。にもかかわらず、あの反応速度。まったく恐れ入る。

 青太郎は食器棚からグラスを取り、冷蔵庫にある炭酸を注いだ。白い液体がグラスとの境目で泡を吹く。

 ゴク、ゴク、ゴク……。
 冷たい、と青太郎は思った。喉が痛い、焼かれる。白は嫌い。
 グラスを流し台にいれ、隣を見る。
 青香は数種類の調味料を混ぜ、それをフライパンに回し入れたところだった。

「……姉貴、きんぴら作ってる?」
「あたり。向こうでもご飯作ってたんだね」
「一応は。それより聞きたいことあるんだけど」
「何?」
「姉貴は、車、持ってる?」
「持ってるけど」
「明日、借りていい?」

 青香は、このときようやっと青太郎を視界に入れた。

「何言ってんの?」

 彼女の顔には、信じられない、と書いてあった。



 ○



 翌日、功は閉店作業中、電話に出た。

「はい?」
『バーガーを買いすぎたんだ。手伝ってくれ』

 功は耳から携帯を離し、名前を確認した。青太郎だった。電話越しでは、昨日の覇気は感じられない。

「急にどうしたの」
『あー……、悪い、やっぱいい』
「なんで」
『冷めきってるから。じゃあな』
「待って、行く……。冷めてるバーガーも好きなんだ」

 電話を切った後、功は仕事を片づけ、本屋と同じ敷地のバーガーショップに向かった。

 バーガーショップの奥の席で、青太郎がテーブルに突っ伏していた。テーブルの上には、山盛りのバーガーが置かれている。

 青太郎の向かい側には、携帯を触る金髪女性が座っていた。
 足を組んでおり、グレーのスーツにシワが入っている。しかし浮き毛なく背中まである金髪、清潔感のある白インナー、高いヒール、鎖骨下に光るネックレス。それらから年上の雰囲気を功は感じ取った。
 
「どちら様ですか」

 彼女は携帯から目を離した。

「私は青太郎の姉の青香です。あなたが春口さんね?」

「そうです」

「来てくれてよかった。絶対食べきれる量じゃないもの」

「お姉さんも手伝いに?」

「いやいや。弟が突然、運転するって言い出したの。さすがにペーパードライバーに車貸すのは怖いじゃない? 久々にドライブしたい気分だったし、私が代わりに運転したの」

「なるほど」

「でも、どうやら弟は、あなたに会いたかったみたい」

 青香は立ち上がる。すれ違い様、「アオタのこと、よろしくね」と残し出ていった。

 功は声も出なかった。店員の「ありがとうございましたー」の声で我に返り、青太郎をじっと観察する。寝息を立てているようにも見え、顔を近づける。

「大丈夫?」
「……」
「ねえってば……。とりあえず一個もらうね」

 功は、先ほどまで青香が座っていた席、すなわち青太郎の向かい側に座り、チーズバーガーにかぶりついた。
 なんだ、おいしいじゃないか。

「まったく姉貴は、すぐ余計なことを言う。そもそも車を貸してくれていたらこんなことには……」

 功が食べていると、青太郎のつぶやきが聞こえた。

「さすがにお姉さんが正しいと思うよ」
「そうかよ」

 わずかな沈黙の後、青太郎は上半身を起こした。
 目は合わなかったが、

「昨日は悪かった」

 と謝罪する声が、たしかに功の耳に届いた。

「君が帰った後、僕も考えてみたんだけど、毎日をこなすのに精いっぱいで夢を忘れてた気がするよ」
「それでいいじゃないか。夢をかなえることだけが正義じゃない」

 青太郎は、消え入るような声で言った。

「昨日とは正反対なこと言うんだね。本当に青太郎?」
「んだよ、それ。冷静に考え直しただけだ」
「そう……。そっか」

 功はうなずき、バーガーを食べた。
 青太郎は、おもむろに携帯を取り出した。しばらくして功の携帯が鳴った。携帯を開くと、画像が送られてきていた。

「この画像は……」
「出向中に行った本屋の写真。参考になるかと思って撮っておいた」
「こんなに? 都会は違うなぁ、すごい」

 功が夢中になって画像や映像を見つめていると、青太郎が席を立った。

「帰る」
「もう?」
「ああ。残りは持って帰る。手伝ってくれてありがとうな」
「どういたしまして」

「先に出てて」と青太郎に言われ、功は外に出た。先ほどよりも夜風が肌寒く感じられた。
 駐車場に停まる赤い車の窓が開いた。
 青太郎の姉、青香だ。

「どう? 弟とは話せた?」
「はい。出向中の写真も見せてもらってよかったです。ありがとうございました」
「……出向? 何の話?」

 姉が首を傾げた。

「青太郎は五年間、出向してたんです」
「ふぅん……」

 青香は、ほおづえをついて微笑を浮かべた。笑わない目もとは青太郎によく似ている。

「それウソ。アオタは養成所に行ってたのよ」
「え。何の?」
「声優の養成所。高校のとき親に反対されていたけど諦めきれなかったみたい。五年前、突然仕事やめて東京に……。おや、タイムリミットだ」

 青香は遠くに目をやった。彼女の見つめる先を追いかけるように振り返ると、青太郎が立っていた。

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