ニートのお正月

文字数 3,586文字

 ブラック企業だった。辞めたった。
 むしろ四ヶ月もよく持った。偉いぞおれ。
 新卒で入社して、八月にはニートになった。今までくたくたになるまで働いていたんだから、しばらくは休息して、それからゆっくり次の仕事を探せばいい。口に出したわけじゃなかったが、家にはそういう空気が流れていたし、おれもそうするつもりだった。
 ところが仕事漬けだった反動は大きく、録画した番組は溜まっているし、プレイできてないゲームもたくさんある。漫画だって山積みだ。久々にお菓子も食べた。テレビを見ながら寝転がって食うポテチの旨さを思い出し、感動すら覚えたほどだ。
 そうしておれは長い自由時間を謳歌するあまり、すっかり抜け出せなくなってしまった。
 働いていた頃は、いつも終電で帰ってきて目も死んでいたので、多少の自堕落にも両親は理解を示していたが、最近は「さすがにお前そろそろ働けよ」という空気が充満している。
 平日の昼間は気が楽だが、夜になって親父が仕事から帰ってくると気まずさが一気に増す。休みの日なんて尚更だ。
 特に今みたいに正月休みなんてことになると、居づらさが頂点を極める。家の廊下ですれ違うだけでも妙な緊張が走るのに、特に趣味もない親父はずっと家にいるからだ。世間一般じゃニートは楽そうに思われるが、ニートはニートの気苦労があるんだと知った。
 元旦の朝、遅めに起き出したおれは、餅を食ってから家を出た。
 ニートといっても引きこもりではないので、コンビニや本屋くらいなら行く。しかし今日はやはり空気が違うようだ。
「あけましておめでとー」
「おめでとー」
 どこに行ってもそんな声が聞こえてくる。新年の爽やかな雰囲気に包まれながら、誰も彼も同じことばかり言う。
 まったく何がめでたいのか。お前ら本当に説明できるのか。何も考えていないなら、頭がおめでたいの間違いじゃないのか。
 実際ニートになってわかったが、ニートというのは働いていないくせに口だけは一人前である。その上毒を吐く。困った奴らだ。
 どうせなら盛大に冷やかしてやろうと思い、おれは近所の神社に行くことにした。大して名もない神社だが、遠出を嫌って近場で初詣を済まそうとする輩がいるに違いない。
 十分ほど歩いて神社に着いた。
 案の定、人はそれなりにいた。甘酒を買って、古木の下に立つ。まったくご苦労なことだ。家族連れ、学生の集まり、老夫婦。道行く人を眺めていると、どいつもこいつも浮かれて見えた。
 ……おれだって本来はそうなんだ。
 このままじゃいけないのは、自分でもわかっている。
 多分、長い間ぬるま湯に浸かってふやけた身体では、何もかもがくだらなく感じるんだと思う。それを解消する術が労働だけとは思わないが、いくらか世界がマシに見えるかもしれない。
 今の生活がそれほど楽しくない自覚はあるし、確実に貯金が減っていく現実は迫っているのに、なんでおれは動かないんだろう。
 自然とため息が出た。最後におみくじでも引いて帰ろうと思い、列に並んだ。
 順番が来て、財布を取り出そうとしたおれの目に飛び込んだのは、巫女さんだった。
 か、可愛い……。
 いや、え、嘘だろ。なん、でこんなそんな。
「ぅおみくじを……」
 自分でも声が震えていてまずいと思ったが、巫女さんは満面の笑みで応えてくれた。
「はい、二百円になります」
 その笑顔はダメだ! きらきらとした大きな瞳から放たれる光の空気に、さっきまで悪態をついていたおれの姿など消し飛んでしまった。
 おれはかちこちになった体で、みくじ棒を引いた。彼女からおみくじを手渡される時も、その手ばかり凝視して、目は合わせられなかった。
 関節の壊れたロボットみたいな動きで、古木の下まで戻ってきた。
 いや、あれは、ダメだろ。
 何もダメではないが、とにかくそう思った。
 肩までの黒髪はさらさらで、あくせく働いているせいか、白い肌がほんのり上気していた。年下と思しきも、すこし垢抜けているから、おそらく大学生のバイトといったところか。なんにせよ新年早々なんてこったい。
 身の程知らずなことを赤裸々に述べると、すごくお近づきになりたい。隣り合って歩ければ、どれだけ幸せなことだろう。
 しかしまた同時に、現在ニートという負い目がおれに二の足を踏ませる。ただでさえ初対面なのに、こんなのバレたら一発退場だ。
 葛藤の最中、そういえばおみくじを確認していなかったのを思い出した。
 大吉。
 待ち人、近くにあり。
 ここでおれは天啓を得た。
 そもそもニートかどうかはすぐにバレない。バレたとしても求職中ということにすれば傷は浅いだろう。しかもその求職中というのも本当にすればいい。
 そうだ、おれに必要なのは頑張って働く理由だったのだ。愛する人のためならいくらでも頑張れるに違いない。
 よし、そうと決まれば接触を図ろう。おれの見立てが正しければ、長くて三が日ぐらいまでしか、彼女はここにいないだろうからな。
 おれは再び列に並んだ。絵馬を買った。後ろから押し寄せる人に、接触失敗。
 再挑戦。根付を買った。忙しい列に彼女がヘルプに行ってしまい、接触失敗。
 やはり人がたくさんいて難しい。ただ諦めずに繰り返せば、いつかおれのことを認識してくれるはず。そう信じておれは通い続けた。
 そしてやや人の少なくなった昼過ぎ、とうとう転機が訪れた。
 彼女が、ぱあっと顔を明るくしてみせたのだ。その視線は、列に並ぶおれにまっすぐ注がれている。しかも手まで振ってくれた。これは間違いない。ようやく心が通じたのだ。これこそ愛のなせる業。
 おれは意気揚々と前に出た。
 そのおれの前に出る人物が一人。長身の男だ。
 邪魔だなあと思い、横からひょいと顔を覗かせると、彼女はその男に向かって話しかけていた。
「来てくれたんだ!」
 その瞳は先ほどとは比べものにならないほどのときめきに満ちていた。大多数の参拝者に向ける笑顔とは明らかに種類が違っていた。
 彼女はおれなんて見ちゃいなかった。おれの後ろにいた彼氏を見つけて喜んでいたのだ。
 ……ゾンビのような足取りで古木の下に戻った。
 うん、いやまあ、わかってるよ。おれが一人で舞い上がっていただけってことは。わかってたけどさ……。
 あーーもうダメだ。これこそダメだ。希望を持つから絶望するんだよ。だったら働かなくてもいいんじゃねえか。ふざけんなよ。
 その考えも間違いだと知ってる。知ってるが、そう思わないとやってられなかった。
 木にもたれて、そのままずりずりと座り込んだ。道行く人が一層幸せそうに見える。
 と思ったら、隣りに泣いている女の子がいた。十歳ぐらいだろうか。
「なあ、どうしたんだ」
 普段なら声なんて掛けないが、すこし自暴自棄になっていた。女の子は驚いてこっちを見て、でも逃げはしなかった。多分おれの方がひどい顔をしていたからだろう。
「……おみくじが凶だったの」
 泣くほどのことなのかと思いながら、なんとなく慰めてみる。
「そうか。でもおみくじなんて占いみたいなもんだ。おれも全然結果と現実が合ってなかった」
「違うの、このままじゃ拓海くん取られちゃうの」
「んん? どういうことだ」
 少女は目をこすり、涙ぐんだ声で説明してくれた。
「クラスに拓海くんって子がいて、梨花ちゃんが拓海くんのこと好きなの。でもわたしも拓海くんのこと好きで、そしたら梨花ちゃんが、おみくじで良い結果が引けた方から告白できるようにしようって言って、三学期が始まったら見せっこするの。でも」
「凶だったんだな」
「そうなの。拓海くん、わたしとも話してくれるけど、梨花ちゃんと話してる時もあるの。だから梨花ちゃんが先に告白しちゃったら拓海くん、拓海くん……」
 また涙が出てきて、少女は頬をぬぐった。最近の小学生は進んでるらしい。というか小学生ですらこんな感じなのに、おれって一体……。
 呻き声が漏れる。おれはポケットからおみくじを出して、少女に渡した。
「これやるよ」
「え? でも」
「いいんだよ。おれにとっちゃ、もう紙切れなんだ」
 おれは立ち上がって、出口に向かった。新年早々やってられん。帰って正月特番でも見よう。
 その時、後ろから声が飛んできた。
「ありがとう!」
 びっくりして振り向くと、少女が目一杯に手を振っていた。泣き顔を晴らし、おれに向けて笑っていた。
 おれは手を振り返さず、境内の階段を降りはじめた。
 ありがとう。
 そんなこと言われたの、いつぶりだったかな。
 おれはため息を吐き、呟いた。
「……帰ったら求人サイトでも見るか」
 雲のない空は高く、空気は冷たいのに日差しは熱く感じられた。
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