第2章 第2節 「医者が従う絶対ルール」

文字数 21,842文字

 平成18(2006)年5月──。
 年次総会の日までたどり着くと、年度替わりの忙しさにも一息つく。この日は夜に備えて外科は手術予定を入れていないので、朝回診が終わり外来業務の担当曜日でもないとなると、ヒマだった。医者がヒマであるということは、苦しんでいる人が身の回りにいないということだから歓迎すべきことなのだが、常在戦場の臨床医にとってヒマという感覚は罪悪感に近い。しかしながら、休めるときに休むのも臨床医には必要不可欠だと割り切って、これ幸いといつもの場所で葦原はうっとりと光合成していた。
「そこでなにをしてるんですか、葦原先生」
 不意を突かれて焦った。久斯だった。咳払いして答えた。
「いい天気だから外を見てたんだよ。電子カルテ(でんかる)とか術野とかばかり見ている目の保養だ」
「ふうん」
「さーて、そろそろ戻るかな」
 総合医局に戻る道中、ついてきた久斯に葦原は言った。
「そろそろ、久斯も執刀しないとな。虫垂炎(アッペ)痔核(ヘモ)脱腸(ヘルニア)か」
 先月末にアッペ疑いを逃しはしたが、初期研修医は外科系診療科ローテート中に必修項目として1例は執刀しなくてはならない。もちろん、外科入門的な難易度の手術を対面二人羽織的に指導医がやらせるだけなので、患者側に危険性はない。ただ、そういった手術は他の病院でもやれるから、市民病院でやろうとすると、この辺の外科事情に詳しくない開業医からの紹介を待つか、救急外来に来たのを見つけるしかない。
「せっかくだからアッペがいいですね。研修医の手術といえば、アッペですよね」
「そんなもんか──ま、いいのがあったらやらせるよ」
 総合医局前廊下の掲示板には、「第3回七州総診セミナー」の案内が貼ってあった。再来月のようだ。
「葦原先生もこれ、行きますか?」
「行かねえよ。研修医向けだろ」
 そういえば、去年は隠れ東大医学生だった久斯と一緒に参加したが、白神セミナーの催眠商法じみた活況は苦手だった。案内ポスターには、特別講演の演者略歴も書いてあるが、やはりというか、日本での臨床経験はそこそこに留学し、アメリカの病院で修行を積んで、最近戻ってきた白神パターンだ。卒後臨床研修制度の開始に伴い、こういう医者によるこういう催しものが増えてきている気がする。
「ふうん。この先生も有名なんですよ。この先生の出版した『レジデントのための外傷診療マニュアル』ってやつ、研修医はみんな持っていますよ。僕も買いました。すごく勉強になります」
「えー、本を出してんの? で、売れてんの? しかも、勉強になるの?」
「ええ。わかりやすいですよ」
 学習教材とするべき成書(テキスト)の出版というのは元来、当該専門領域の医学部教授の専売特許だった。そして、それらが研究面に偏りがちなせいで臨床の現場で役立つほど実践的ではなかったり、専門(ニッチ)を極めたものだから数が売れなかったりするというのも公然の秘密であった。本を出すのはあくまでも医学者の権威付けのためであって、読む人のためではなかった。だから、若手医師向けの臨床的知識は口伝秘伝でやってきた。理屈や是非はさておき、上の医者が使っている薬ややっている手技をそのまま踏襲してきたのだ。臨床医がそれ以上、まともに勉強しようと思ったら、海外の教科書(の翻訳版)を読む方が手っ取り早かった。
「白神先生の本も、研修医のみんな、持ってますし」
「白神先生も本を出していて、そんでお前らはその本を持ってるのか。いやはや」
 研修医教育という名目で、留学帰りの勤務医単著の本が売られて、実際にニーズがあって売れて、しかも勉強になっているというのはだから、医療業界の伝統からすれば驚きに値することだ。むろん、わかりやすく役立つ本が登場したというのであれば別にわるい話ではない。卒後臨床研修制度による医療業界の歓迎すべき変容の一つなのかもしれない。
「まあ、勉強熱心なのはけっこう。俺も若い頃は大学の書店で医学書を漁ったもんよ」
「葦原先生、本はネット通販ですよ。インターネットで注文したら、すぐに届くんですもん。病院にいながらでも医局秘書さんが受け取ってくれるし」
「本を通販で買うって、どうなの? 本ってのはさ、書店で直接手にとって、立ち読みしてみないと、いいかどうかわからないじゃん」
「ちょっとそれは古い考え方ですねえ。書籍は続々、デジタル化されてきてるのに」
「うるせえよ」
 そう言えば、書籍に限らず、最近ではインターネット通販が急速に普及しているようだ。病院内でも、笑った口の形のようなマークのついたダンボールの空箱が廃棄されているのをよく見かけるようになっていた。
 総合医局に入って、お茶を飲もうとすると、久斯が言った。
「ところで、葦原先生、今晩は総会とうかがいました。僕も行きたいんですが」
「知ってたの? しかも行きたいの? 別にいいけど、スーツ着てこいよ」
「もちろんです。今日はスーツを着てきました」
「なんなの、お前」
 用意周到な久斯に少し呆れていると、伊野が入ってきた。見るからに怒っていた。
「ブンイチ、標本室のカメラのディスク、どこやった!」
 手術で摘出した臓器や組織は、手術部標本室で定められた様式で切り出し、病理部に提出して診断を仰ぐ。その際、外科では手術記録用に摘出標本の写真をカメラで撮影しておく。
「あっ、いっけね。データほしくて、研修医室に持ってきたままでした」
「勝手なことするなよ! なんに使うんだよ!」
「珍しい症例だっておっしゃってたので、レポートに使おうと思って」
 昨日の手術症例には珍しい解剖異常があり、事前に許可を得た上で、症例報告しようと術中写真を撮ってあった。それを研修レポートにも使おうというのは久斯も抜け目のないことだ。若手が積極的なのはわるいことではないから、葦原は仲裁してやった。
「勉強熱心でけっこうだが、久斯は研修医なんだから、逐一上司の許可を取ってから動くようにな」
「へい。じゃあ、伊野先生、研修医室までご足労お願いします」
 伊野と久斯が去った途端、静かになった。去年から見てきて、伊野の研修医指導はきついと思っていたので、研究医志望の久斯がその伊野とうまくやれているのは意外だった。ただ、伊野がやりすぎないように注意が必要だなと思った。
 夕方、朝にスーツで出勤した葦原はそれに着替えて、同じくスーツに着替えてきた久斯と病院玄関で再集合してタクシーに乗った。道中の車内で、隣でワクワクしている久斯を尻目に、葦原が納得いかない思いでいたのは、外科志望の檜山や他の研修医がついて来なかったからだ。うまいタダ飯が食えると誘っただけで、別にその場で入局させようとしているわけではない。葦原が若い頃は上司の誘いを断るなどありえなかった。若手はいつも腹が減り喉が渇いていて、帰ろうとする上司に当り屋的に飯を誘わせるものだった。いまの初期研修医は数ヶ月ごとに診療科を転々とするスーパーローテート方式のせいで、とかくよそよそしい……。
 総会会場の『上杉館(じょうさんかん)』に到着し、タクシーを降りるやいなや、久斯はきょろきょろとあたりを見回して言った。
「……あの美人な先生、いませんね」
「楡井のことか? いないな……っていうか、今日はVIPがこないのかもな」
「えーっ」
「中にいるよ。行こうぜ」
 受付をして、6F大広間「北極星の間」に入った。参加者もだいぶ集まってはいるが、七刄会90周年記念かつ総裁の大学病院長就任祝賀会で大活況であった昨年に比べると、さすがに寂しく思えた。
「葦原先生、こんばんは」
 春風が薫ったかと思ったら、楡井がそばに来ていた。
「ああ、楡井医伯監どの。今日も美人でなによりです。ごきげんうるわしゅう」
 いつもどおりに軽口を叩いたが、楡井は神妙な表情と小声で答えた。
「うるわしくないんですよ。

で総裁も真田先生もピリピリしてて」
「やっぱりか。いや、うちは特に肩身が狭いよ。市民病院(うち)からの入局者はゼロだ」
「どこもまあ、そんな感じですよ」
 平成16(2004)年の卒後臨床研修制度開始後、2年間のそれを終えていよいよ大学入局というこの年、外科も含めた七大メジャー系診療科に戻ってきた初期研修修了者は予想以上に少なかった。「七大方式」と謂われた従来の医学部卒後の学外実地修練と同じで、新制度必修化であっても、同じ2年もすれば、若手医師はみんな大学に戻って入局するだろうという希望的観測が外れてしまったのだ。
「外科にはまして、厳しい時代だな──そうそう、こいつ、美人な先生どこですかってさ」
 葦原は久斯を紹介してやった。
「光栄です。七州大学の楡井と申します。よろしくおねがいします。確か、去年も?」
「はい。せんだい市民病院研修医1年目の久斯と申します。外科ローテート中です」
「よかったな、覚えてもらっていて。そうだ、楡井医伯監どの、こいつはどこの大学出身だと思う?」
「そう言われるとなると、七大とかこの辺じゃないんでしょうね。もしかして、九大?」
 楡井が九州大学をあげたのは、きっと自分が九州出身だからだろう。
「残念。正解は東京大学です」
「……理Ⅲ(りさん)ですか。すごいですね」
 楡井は静かに言った。
「それが、違うんだ。文Ⅰ(ブンイチ)なんだ」
 例のウソのような説明をしたが、説明前より楡井は不審な顔をして言った。
「ふうん……まあ、文Ⅰなら私でも入れましたけどね」
 楡井はそう言うと、他の役回りのためか、戻って行った。
「よかったな、楡井に会えて」
 さぞかし喜んでいるものかと思いきや、久斯はなにやら不満げな顔をしていた。
「楡井先生は、あれでしょう、七大卒でしょう」
「ああ、七大医学部卒(うまれ)・七大大学院卒(そだち)の七大ネイティブだ」
 別に珍しくもなんともない。葦原もそうだが、七大医学部卒は外科に限らず、ほとんど七大の医局に入り、その大学院に進む。この辺で七大ネイティブといえば、石を投げれば当たるほどふつうのことだ。
「七大医学部卒の人は、東大文Ⅰなら自分でも入れるって言いますよね。伊野先生とか長野先生とか。狩野先生は言わないんです。狩野先生は七大卒ではないですよね」
「大学どうこうは関係ないだろ。俺も七大卒だが、言ってないだろ」
 楡井は確か、七大医学部を首席で卒業したはずだ(おまけに在学中には、七大全学の文化祭の催しで3年連続「ミス七大」に輝き、殿堂入りしたらしい)。とてつもなく気が強い彼女のことだから、久斯が東大卒と知って、思うところがあるのかも知れない──と邪推したところで、七州大学医学部外科学講座医局長の真田先生が司会として登場した。
 19時、同門会──。
 今年の総会は張り詰めた空気の中、進行した。七州大学病院長でもある外神総裁のご挨拶からも、その理由が窺い知れた。
 まず、七刄会から新たに医学部の教授になったものがいなかった。毎年恒例というわけにはいかないのは重々承知ではあったが、昨年に比べるとやはり寂しい。ただし、教授候補のSキャリアはまだいる。この件は今後に期待すればよいだけだ。
 問題なのはやはり、今年の入局者が減ったことだ。七刄会で入局者が一桁など、葦原の記憶する限りでもなかったことだ。これは大学病院だけの問題ではない。入局者が減れば、大学病院の仕事(ざつよう)をこなす若手も減るから、その空白を埋めるために各地に派遣している医局員を大学に引き揚げることになる。医者の少ない地域には死活問題だ。そこで気づいた──「2006年ショック」というのは心理的なショックのことではなく、循環血液量が減少する重篤な病態としてのそれを指しているのだと。人体でも循環血液量が減れば、まずは手足などの末梢の血管を締め上げて中枢臓器の血液量を維持しようとするのだ。藤堂先生のカミナリが残響するようだった。
 その後の真田先生の特別発言で、会場がどよめいた。
「七州大学病院診療科長会議において協議された結果、七州大学病院では今後、全科で、初期研修医積極的受け入れへと方針変更となりましたこと、ご報告申し上げます」
 葦原は愕然とした。七大のメジャー系診療科は元来、実地修練や初期研修を受け入れてこなかった。学外で医者を育てるのが伝統だったのだ。それが今後、最先端医療を研究・検証する場である七大病院で医療のイロハを学ぶ初期研修医を受け入れるということは、学外関連病院の存在意義が否定されたようなものだ。葦原は入局者ゼロの罪深さを思い知った。
 総会は歓談の時間となったものの、例年の盛り上がりに比べて静かだった。
「いやー、相変わらず、七刄会の飯はうまいっすね」
 傍らで食事に励む部外者の久斯に真剣味は求めようがないが、葦原は少し腹が立った。
「お前は七刄会をなんだと思ってるんだ」
 バクバク飯を食っていた久斯は、はたと手と口を休めて、言った。
「これだけ大量の外科医という暴力集団を送り込んで地域医療を支配する悪の結社かと」
「誰が暴力集団だ、どこが悪の結社だ、バカタレ」
 久斯は軽口を叩いたつもりだろうが、いまの葦原には腹立たしいだけだった。
「医学研究を極めるはずの旧帝国大学の医局員が県内各地の実地医療を担ってるんだぞ。それをいうなら、聖職者集団だろう。去年、お前にはここで、医局のありがたみを話してやっただろうが」
「それこそ、去年の話です。大学医学部という教育機関にある医局とかいう秘密組織に、医療という社会インフラの実権があるのっておかしいですよ。教授の号令と医局の論理で、各地の病院に行ったり戻ってきたりするわけでしょう。それじゃ、教授の機嫌を損ねたりしたら最後、医者が引き揚げられてしまうなんてこともありうるはずです。医局の機能が重要であればあるほど、僕はやはり大学医局という任意団体がそれを担っているということに危機感を覚えます。それは厚生省とか都道府県とかで公的に運用されるべきです」
 葦原は鼻で笑った。
「仕方ないだろ。医師免許があってどこでも好きに働けるはずのオイシャサマってやつらの首に鈴をつけて、田舎に派遣できるのは大学医局だけだ。厚生省だの自治体だのの言うことなんか聞くかよ」
「なんでですか。ちょっと傲慢すぎませんか」
「そりゃそうだろ。そもそも大学というのは、学部学科で医者を生み出し、また、大学院研究科で医学者を、病院診療科で医療者を育てている。診療科ごとにではあるが、教授と教授の主宰する医局が医者を作って育てているんだ。いわば、医者の親であり師だ。言うことを聞いて当然だろう」
 久斯は口を反論ではなく咀嚼に使っていたので、葦原は続けた。
「そして、医者は人の命を扱う仕事だからでもある。死という不可逆的な事象に臨む待ったなしの生業(なりわい)だからこそ、目の前の患者の診療で困ったときに助けてくれる人間の言うことは無条件で聞くさ。外科医が自分より腕のいい人間の言うことは聞くのと同じでな。そういう、医者や病院の最上位機関が大学医局なんだから、言うことには従うよ。それもこれも、患者のためっていう医者の本能だ。手術中に腹の中で出血が止まらないときに厚生省だの自治体だのがいったいなんの役に立つんだ」
 久斯のような研修医は最も身につまされる話のはずだ。医者は研修医の頃から困ったことの連続で、その都度、上に助けてもらって育つから、上下関係は絶対だと骨の髄まで刷り込まれている。これは、傲慢とは対極の、謙虚さのあらわれなのだ。医者の行動原理というのはつまるところ、患者の命を守ることに最適化されたものだと言っても過言ではない。
「でも、その言い方だとまるで、自分たちより頭のいい人達がいないから、医者のことは医者が決めると言わんばかりですね」
 確かに、医者同士でもなければこういう機微は理解されないだろうし、そもそも、こういう話をすることもなかっただろう。だが、この久斯にだけはそうは言われたくない。
「それを東大文Ⅰ入学&東大医学部卒のお前さんにだけは言われたくないな」
「おっとっと、これは一本取られた」
 久斯は東大文Ⅰ(ブンイチ)卒業者ならぬ

で、医学部に来なければ、法学部から中央省庁の官僚にでもなって、病院や医者に指図していたかもしれないのだ。それが、東大医学部に移った。自分たちより学歴的に頭のよい人間がいないということで偉そうにしている人達──がいるとすれば、文理にまたがってその人達──のトップグループに仲間入りしたのだ。
「じゃあ、医局というのはいわば、必要悪ってことですね」
「お前はさっきからなんなんだよ。医局がわるいみたいに決めつけて」
 久斯は唖然として、言った。
「それじゃまるで、わるくない医局があるみたいじゃないですか」
「お前は俺の話のなにを聞いてたんだよ。東大卒はメシ食うと耳が詰まるのか?」
「ここで会ったが百年目──葦原先生の話を真に受けて、医局はよいものだって話していたら、僕はほうぼうで(わら)われたんですよ!」
 葦原はつい笑ってしまった。
「それでお前は俺に突っかかってんのか。全く、しょうがないやつだな。医局無所属の医学生や研修医の分際で、医局必要論を唱えるなんて、それこそ百年はやいよ」
 医局が面倒な組織であるというのは医者ならみな認識している。それで忌避する医者もいるだろう。だが、それでも必要だというのが葦原の考えだ。善だの悪だのまで考えるのは、休むに似たりというものだ。
「だけどなあ……医療っていう、司法に匹敵するような公的機能を担う組織が、たとえば教授という権力者一人の好きにできてしまうのは危険じゃないですか」
「司法? 警察も検察も十分に恣意的で危険だろ。俺は教授と医局の意向で働くほうがマシだ」
 司法という言葉を聞いた瞬間、葦原はドライアイスでやけどさせられたような痛みを感じた。最近、隣県で産科医が、手術の結果が悪かったからという理由で逮捕・起訴されたのを思い出してしまったのだ。こんな馬鹿な話があるだろうか。医療に確実はないし、不可抗力な事態に出くわすこともある。緊急の場合ならなおさらだ。それで、逮捕という究極の辱めを受ける形で結果責任を追求されるなら、医療そのものが成立しない。もう、これから産科になろうとするもの、産科をやろうとするものはいなくなるのではないかと本気で心配する。産科だけに限った話ではない。手術がうまくいかなければ逮捕されると知って、外科不人気も外科医不足もさらに加速するだろう。それが、久斯のこだわる公的機能だというのであれば、医局は別に公的でなくてもよい──ただ、この件は、小うるさい久斯を黙らせるためであっても言わなかった。口に出すのさえはばかられるほど忌々しかった。
 葦原が話さないでいると、久斯がまた言った。
「葦原先生のような医局礼賛者がいてくれて、医局はきっと大喜びですね」
「なんだよ、その言い草。バカにしやがって」
「まさか。葦原先生のような方がいたら、外科入局者もきっと増えますよってことです」
「そうじゃないから困ってるんだ。大学が初期研修医を受け入れるって話なんだから」
 研究医志望の研修医相手になにをやっているんだろうと、葦原はむなしくなった。
「お前、なんでそもそも東大文Ⅰに入ったの?」
 久斯が東大文系学部に入り、東大ならではの制度で医学部に進路変更して、研修医になって今ここにいるという、数奇な履歴の機序(メカニズム)は説明されたが、そうした理由は聞いていなかった。
「自分は理系のつもりでしたが、高校で好きだった子と同じ授業を取るようにしていたら、なぜか文系コースになっていたので、選べる中で一番いい進路を選んだだけです。受験自体は楽勝でしたね」
「それで東大文Ⅰに入れりゃ世話ないよ。久斯青年の想いは成就したのか?」
「その子は偏差値の低い東京の私大に行って、それっきりでした」
「ご愁傷さま。じゃ、お前はなんで医学部に移ったの? 医者になったの?」
「えー、それ、医者同士で訊きます?」
「訊きたくもなるよ。医者になるより、法曹だの官僚だの政治家だのになって、お前さんの好きな公的ってやり口で、医者に嫌がらせしてたらよかったんじゃないのか」
 医者になった理由を医者同士で訊くことは全くない。大学医学部受験面接用の取って付けたような理由を言わされたり聞かされたりしても、お互いに時間の無駄だ。理由はどうあれ、医者になった後に医者として期待される水準で働きさえすればそれでよい。ただ、そこにその医者なりの情熱があってほしいとは思う。携わった医療行為に好ましい結果が伴わなかったときに、そこに医者としての情熱がなかったら、やりきれないではないか。日本の司法は不幸な結果だけで医者を逮捕する暴挙に踏み切ったのだから、もはや日本の医者に情熱は不要なのかもしれないが、

だなんて理由だけで久斯が医者になったのであれば、そのことを否定も批判もする気はないが、研究医になる前、研修医の間に司法に足元をすくわれないように注意をうながす必要がある──そう思っていると、久斯が少し照れたように言った。
「受験から解放されて、東大教養学部でいろいろ授業を聞いてたら、学問の面白さに目覚めたんです。学問というものは受験ゲームのルールブックじゃなくて、ちゃんと社会と世界にとって意味があるんだなって思えました。その中でも僕がワクワクしたのはライフサイエンス、特に医学に関わるものでした。医学は受験科目にはないので気づきませんでしたが、医学というものが学問の進歩がダイレクトに人の役に立つ究極の実学だって悟ったんです。僕は勉強が好きです。それで人の役に立てるって夢のようじゃないですか。なので、それなりに大変でしたが、なんとか医学部に移って、医学研究の手法を学ぶために大学院にも進み、いまはこうして研修中です」
「なんだよ、まともな志望動機があるんじゃねえか。いい大学に入ったな」
 久斯なりの情熱があるようで、安心した。それで葦原は少し気恥ずかしくなった。これなら、取ってつけたような理由を言われたほうがよかった。結局、医者同士で医者になった理由を訊かないのは、お互いに気恥ずかしいからなのかもしれない。
「あっ、それと、外科にも興味がありますよ。医学の実践、医療の醍醐味って感じで」
「それは光栄でございます」
「葦原先生はどうして医者になろうと? 医療マンガを見て医者になろうとしたなんてダサい理由だったら、医道審議会に密告して、医師免許を剥奪してもらいますよ」
 医療マンガの名作を読んで外科医になろうと志した葦原は、ギクッとした。
「ゴホン。上司にそういうことを訊くなよ。お前、それ食ったら帰れよ」
「このあとも会合があるって聞きましたので、その分の別腹は空けてますが」
「あとは部外者お断りだ。帰れ帰れ」
「えーっ」
「えーじゃない」
 久斯は舌鼓と舌打ちを交互に鳴らして、ちゃんと食い切って帰っていった。
 21時の同専会、3F「天璇(てんせん)の間」──。
 人事改選2年目なので、中部班同専会参加者の顔ぶれに変わりはない。ただ、その中で同専会現役最長老の藤堂先生が総会の緊張感を持続させていた。ここでも「2006年ショック」について一通りの議論があったあと、留学から戻った牛尾が帰朝報告をした。
「……そして、病院倫理委員会の承認を得て、まずは膵管内乳頭粘液性腫瘍(IPMN)の予防切除を対象に腹腔鏡下膵頭十二指腸切除術(LPD)の臨床試験を開始します。条件に合致する症例がおありでしたら、是非ご紹介ください」
 牛尾に続いて、楡井が中部班の研究報告を始めた。葦原は小声で、となりに着席した牛尾に話しかけた。
「おい、オランダ帰り」
「葦原、元気そうだな」
「こっちのセリフだ。オランダでなに食ってたんだ、チューリップか」
「はっはっはっ、相変わらずだな。意外にあっちでチューリップって見た記憶はないな。観光なんかしてる暇なかったからな。手術三昧だ」
「ふーん。それで、お前、ラパロPD、マジでやるのか」
 LPDなんて略語をまかり通らせるほど、まだ現実味を感じてやるわけにはいかない。
「ああ。よさそうな症例がいたら教えてくれよ」
「しかしなあ。開腹よりもメリットがあるのか、俺にはいまだに疑問だ」
 PDという手術を腹腔鏡でやることの成否はともかく、その是非が疑問だった。
「手術時間は伸びるが、侵襲が減らせて術後離床も早く、結果的に在院日数が短くなる」
「それは成功したケースに限ればだろ。ラパロでスタートして、結局開腹になりました、だと手術時間も出血量もコストも、最初から開腹したケースよりも増えるだろ」
「それはもちろんだが、開腹のPDを続けるだけじゃ、進歩がないだろう」
 葦原はムッとした──開腹のPDとはなんだ、PDは開腹だ。
「第一、取り出す臓器(もの)が大きいぶん、キズもそんなに小さくならんだろ」
 体表に作る(きず)は、手術侵襲や術後疼痛の主要因であるため、できるだけ小さい方がよい。開腹手術で作る創の大きさは、腹の中で操作する手と取り出す臓器のサイズに左右される。例えば、開腹胆嚢摘出術で取り出す胆嚢はしなびたナスくらいのサイズだが、それを肝臓の裏面から切り離す操作のために、まるでガバッという音が聞こえてくるくらいに大きな創を要する。そういう手術について「偉大な外科医は、創もでかい(GREAT SURGEON, GREAT INCISION)」とうそぶかれた時代もあったが、いまやその発想は完全に否定された。現在、標準的とされる腹腔鏡下胆嚢摘出術では、腹腔内操作のために差し入れる機器の太さが1センチ程度だから、創のサイズもそれで済む。さらに、腹腔内で切離した胆嚢もちょうどその大きさの孔から取り出せるとあって、必然的に痛みも少なく退院も早くなり、低侵襲手術の代名詞として爆発的に膾炙した。
 これはだが、胆嚢という臓器の小ささの為せる技だ。ラパロPDとやらで、小さい創から差し入れた操作鉗子だけで小器用に腹腔内での病巣臓器の切離や残存臓器の再建が完了しえたとしても、その小さい創からは切離臓器を体外には取り出せない。PDで摘出するそれは手のひら大だ。PDを必要とするような悪性疾患の手術では、切離した臓器での病変の進展・深達度を病理学的に検証するため、臓器の形を三次元に保ったまま取り出す必要がある。婦人科の子宮筋腫のように腹の中で摘出組織を砕こうものなら、病理学的診断が困難という前に、体内に腫瘍細胞が飛散してしまう。そうならないように切離臓器を取り出すためには、握りこぶし大くらいには創を開く必要がある──のであれば、腹腔鏡でやる意味がないではないか。手術セオリーからはラパロPDというのが必要か、必然か、はなはだ疑問だった。
「葦原の言うとおりだ。まずはある程度の創を開いて、用手(ハンドアシスト)でLPDはスタートする。でも、いずれは完全鏡視下で腹腔内操作を完了し、臓器を取り出すだけの最低限の創で済むようになる。侵襲は減るよ」
 牛尾は指摘され慣れているのか、冷静に受け止めて、反論はしてこなかった。
「まあ、今後、うまくいくとしてだ──それで、術後合併症が減るといいが」
 悪性腫瘍の外科的予後は、決められた術式で行われる限り、術前の進行具合に左右される。いずれPDが腹腔鏡で完遂できるとしても、結局、その差はつかないはずだ。だからLPDが存在意義を問われるのは、術後の疼痛による体動制限や周術期合併症を減らし、早期離床・退院につなげられるかどうかである。手術時間は長いが創が小さいものと、それぞれが反対のものとを比較するとすれば、それぞれのパラメータの絶対値の比較ではなく、手術した患者が術後、短期かつ元気に退院できるかどうかの比較で術式の優劣や是非が決まる。
「という臨床研究をやっていくわけだ。そして、これが主流になると示すのが七刄会中部班のミッションだ。ま、10年くらいはかかるだろうけれど」
 牛尾の口ぶりからは、大仕事を前に功を焦るような気負いは感じられなかった。こういったところは大学病院で切磋琢磨してきた時代のままのようだった。葦原は別に牛尾やラパロPDを批判したいわけではない。同期同専として牛尾の力量は十分わかっているし、応援もしている。だが、葦原が時期尚早と思うということは、他の同業者から向けられる目はもっと厳しいものになる。功を焦って足をすくわれないように十分に気をつけてくれよと言いたいだけなのだ。
「無理すんなよ」
 牛尾と話すのが終わったくらいに同専会もお開きになった。会場を変えての同期会に移る前に、エントランスで藤堂先生に呼び止められた。
「今年は最低2名は入局させるんだぞ。葦原、それがお前の仕事だ」
「はい、肝に銘じております」
 これが俺の仕事(ミッション)か──牛尾の口からは入局者のことなんて一言も出なかったなと思った。
 23時、同期会、おなじみのBAR『1996』──。
 今年は香取が参加し、数年後の開業を発表した。みなが羨んでやっかむ中、葦原はもう1つのミッションを思い出して、傍にいた立川に声をかけた。
「立川、久しぶり。風神はお元気か?」
 立川友貴。七刄会医伯長。90年七大医卒、96年七大院卒。葦原とは異なる「血管班」所属だが、葦原と同じく今期学外転落したBキャリア、つまり同期同格同キャリアなので、共通点が多い。
「相変わらず、ため息ついてるよ」
 立川が赴任した七州災害医療センターの副院長は「風神伏見」の異名を取り、市民病院の「雷神藤堂」と対をなす存在だ。手術中に部下がヘマをすると、深いため息をついて、手術室から追い出してしまうことがその由来だとか。
「うちもカミナリゴロゴロさ。風神も、やっぱり躍起になってるのか?」
 例の七電病院の院長ポストの件を話してみたところ、立川は合点したように頷いた。
「……それでか。変だと思ったんだ。去年から頻繁に入局者確保をせっつくんだから。雷神と張り合ってたんなら納得だ。60歳も手前になって、元気なことだな」
 いずれ教授となるSキャリアならずとも、七刄会臨床トップを務めおおせたAキャリアなら相応の定年先ポストには手が届く。届くものを取らない道理はないし、ましてライバルの後塵を拝するわけにはいかないというところだろう。
「老兵は死なず、良き定年先を──だな」
 若いうちはなんだってできるし、なんだって我慢できる。でも、年をとるとそうはいかない。老いと衰えによる限界が見えても、守るべきものは増えていく。社会人の本能が偉くなることを求めている──心臓外科の市島先生かく語りき。定年の迎え方こそが医者の歩んできたキャリアの予後(アウトカム)というわけだ。
「実際、俺たちも意識するよなあ。もうキャリアを折り返しちまったんだから」
 立川が言うほどそういう実感はないのだが、例のミッションにはちょうどよいと思って切り出した。
「立川、医局を辞めようって気にならないか?」
 立川は意外そうな顔をした。それが葦原には意外だった。
「考えもしないよ。俺たちはようやく自由になったんじゃないか。これからようやく、医局で苦労させられた分の

が取れるんじゃないか。教授でもなけりゃ、どうせいずれは学外だ。だったら早めに外に出てせいぜい稼いだほうがいい。Bキャリアくらいが医局医者で一番

がいいんだよ。俺も泉野区に土地を買ったぞ」
 キャリアのコストパフォーマンスという発想に葦原はクラっとしたが、それより──。
「家をお建てになるんですか、立川

!」
 勤務医が家を建てると、大先生と言っても過言ではない。
「蛇塚

に教えてもらったからな──今を逃すとローンは組めないんだぞ。学外転落も悪いものじゃないさ。地に足つけて労働だ。葦原、そろそろ頭を切り替えろよ」
「別に、気にしてないよ」
「ほれ、門馬も慰めに来たみたいだぞ」
 振り返ると、久しぶりに見る顔がそこにいた。
「門馬! 久しぶりだなあ。去年もさぼったろ」
 門馬幸雄。七刄会医伯正。90年関東第三医科卒、96年七大院卒。血管班Cキャリア。O研究班から

で血管班入り。七大病院診療医員後、立川・寅田に負けて学外転落。
「そんなに毎年は来られないよ。

のほうが忙しいんだ」

のほうが忙しいよな。今年は都合つけたか、偉い、偉い」
「葦原が学外転落してやる気なくしちゃったから励ましてやろうって言われてさ」
「なんだよ、それ。誰が言ってるんだ?」
「同期のみんな、言ってるぜ。葦原が医局を辞めたくないかって聞いて回ってたって」
「……ははは」
 そう思われると思ったんだ──。
「俺は辞めないよ。ここからが七刄会外科医の本番だ。七刄会外科医は学外に出てこそ、一人前だ。一所懸命じゃないか」
 葦原は大げさに腕組みをして、そう言った。
「一所懸命なんて、久しぶりに聞いたな。葦原、だいぶ酔ってるな」
「酔ってねえよ」
 門馬は苦笑した。
「葦原はそういうやつだよな。うん。安心したよ」
「俺の心配なんかいらないよ、全くもう」
「みんな、葦原が好きなんだよ」
「なんだよ、気持ち悪い……お、これまた久しぶりのやつがきたぞ。沢渡──お前もサボってたな。元気だったか?」
 沢渡英一。七刄会医伯。90年北海道医科大学卒、96年七大院卒。総合班Dキャリア。大学院修了後すぐに実地病院に出て、その後はずっと学外だ。
「香取に葦原を励まそうって言われたから来たんだよ。やけになっちゃダメだぞ、葦原」
「やめろやめろ、なんなんだ、お前ら」
 久しぶりの面々との話が盛り上がってしまって、結局、今宵の同期会では合計3名分、脳内名簿で「(やめない)」をつけるにとどまった。カラオケの時間が始まり、門馬のリクエストで十八番(オハコ)を熱唱しながらも、葦原は真田先生を少し恨めしくも思った。


 6月──。
 七州大学大学院医学系研究科外科病態学講座外科学分野教授外神悠也先生を会頭とし、同教室を学会事務局として第18回日本肝胆膵外科医学会が仙台国際コンベンションセンターで開催された。全体の運営は吉良先生が事務局長として担い、大学の中部班スタッフがその脇を固めていた。葦原は今回、ポスター発表コーナーの座長(司会進行役)を仰せつかっていたが、それも終わって、事務局スタッフ控室で昼食を摂っていた。その間にも控室には大学、学外の七刄会医局員の出入りがひっきりなしだったが、それぞれ年次総会で最近の顔合わせが済んでいたから、軽い会釈程度で済んだ。
 今回の学会総会・学術集会は、その七刄会主催が決まって以来、教室の最重要行事として位置づけられ、葦原も学会企画などで中部班スタッフとして最初から携わっていた。それが、学外転落で事務局スタッフから外れてしまって、中途半端な立場になってしまった。要は、ヒマだった。
 一般的に、各医学系学会は年度で2回、会員同士の学術的知見交流の場である学術集会を開催する。年度初めの春頃のそれは「総会・学術集会」という全国大会として開催されるが、その学術集会の主催というのは、当該学術領域の教室・教授にとって最大の名誉である。学術集会をどこが主催するかは基本、持ち回りではあるものの、やはり強い教室にその機会が優先的に割り当てられているし、逆もまた真なりで、学術集会を主催してこそ強い教室といえるのだ。全国に約80の大学医学部があり、外科学教室もそれと同数以上ある(第一、第二外科などのナンバリング講座制を取っている大学では同一診療領域を複数の講座で扱ったりしている)。地力のある地方国立大学医学部や特色のある私立の医学部、大学以外のナショナルセンターなど大病院にも学術集会主催者としてのチャンスがあるので、旧帝大医学部の教室・教授といえども、せいぜい10〜20年に1回、つまり自分の任期の間に一度でも所与の学術集会を主催できれば御の字どころか万々歳なのだ。そして、七刄会は代々、主要学会の学術集会を主催してきた名門教室である。当代総裁の外神教授も、昨年から当学会理事長に就任し、今年度の学術集会の会頭を務めるにいたった。この日本肝胆膵外科医学会は総裁教授の専門領域でもあり、葦原自身の専門領域でもある。そのような千載一遇、一世一代の機会を主催者というより関係者の一員として迎えたことに、葦原は情けない気持ちになるのだった。
 学術集会での発表は、学術的知見の内容や程度、形式に応じて、一般演題(ポスター、口頭(オーラル))、教育講演、シンポジウム、特別講演と種類があり、だいたいその順番に重要度が高くなっていく。発表者は最初はポスター発表で慣れて、ついで口頭発表で質疑応答の経験を積み、当該分野で頭角を現すようになるに連れて、指名を受けて教育講演やシンポジウム、特別講演の演者を務める。それぞれの発表コーナーを仕切る座長役も同様で、それぞれ一回り偉くなってからその役割を頂戴することになる……。
「葦原、ちょうどよかった」
 罪悪感にも似た無聊を託っていると、真田先生が控室に入ってきた。
「時間がないから手短に──また頼みごとだ」
「はい、なんでしょう。なんなりと」
 こんな自分でも役立つならなんにでも使ってくれ──葦原はそう思った。
「七刄会の後期研修プログラムを考えてみてくれ」
「えーっ!? 後期研修って、ウソでしょ。イヤですよ」
 前言撤回──後期研修など考えるだけで虫酸が走る。
「そんなに驚いたり、嫌がったりすることか」
「後期研修って、それ、入局しないで研修するってことでしょう。七刄会の伝統に反しますよ。入局して、大学院に入って、実地修練と合わせての研修3年・研究3年で七刄会医伯(いちにんまえ)でしょう、うちは」
 白神医師の存在が脳裏をかすめたのを頭を振って追い払った。
「そう思ってやまない医局好きのお前が心底納得できるような後期研修プランを考えてみてくれ」
 医局好きと言われて葦原は恥ずかしくなった。
「いやいや、そういうのは大学の講座スタッフに立案させるべきでしょう。祢津とか」
「お前のところから昨年度の入局者はゼロだったんだから、ペナルティだ」
「えーっ」
「えーじゃない、頼んだぞ」
 真田先生はまた忙しそうに控室から出ていった。葦原はぶつくさと愚痴っていたが、ここにいると大学スタッフの出入りが多くて、忙しくない自分が部外者であるという気持ちでいたたまれなくなってしまうので、ロビーに出た。
「葦原先生」
 ロビーをうろついていると、久斯がいた。病棟が落ち着いているようなら伊野と一緒に来いと誘っていたのだ。こういう学術集会のときはいつも平田先生が外科の留守番を買って出てくれるので──甘えすぎてはいけないのは重々承知だが──助かっている。
「誰ですか、さっきの渋い人」
「うちの医局長だよ。教室ナンバー2だ」
「おー、七刄会の若頭ってわけですね」
「不穏当な言葉を使うんじゃないよ。メシは食ったか?」
「ええ。葦原先生はどこのランチョンセミナーに行ってたんですか?」
 学会のお昼にはランチョンセミナーと言って、製薬会社などがスポンサーとなり、自社製品の宣伝がてらの講演を企画し、聴衆に弁当など飲食物を振る舞うコーナーがある。会場ごとに参加人数の上限もあるので、学術集会参加者はその整理券を巡って時に朝から並んだりもする。医者ともあろうものが、千円程度の弁当代を惜しんでそうしているのではない。昼飯時に会場内に参加者を留めておくのに弁当を用意するのがちょうどよいというだけだ。大人数を収容できる学術集会会場の所在地は郊外が多く、周りに飲食店が少ないか、あっても大量の参加者が押しかけてパンクさせてしまう恐れがある。参加者がそれで戻ってこないからと、午後の発表コーナーを閑古鳥にさせるわけにもいかない。
「俺たちはスタッフ用の弁当があるんだよ。幕の内弁当のやつだ」
「僕は3つしか回れませんでしたけれど、第二会場の牛タンのやつがいちばんうまかったです。第三会場の塩釜の寿司のやつも折り詰めのくせになかなかどうして」
 久斯はどうやら、ランチョンセミナー会場をハシゴしながら弁当を物色していたようだった。
「お前はランチョンセミナーをなんだと思ってるんだ。ご当地駅弁食べ比べ品評会じゃないんだぞ。ちゃんとセミナーを最後まで聞いて、勉強しろよ」
「残念ですが、東大卒は飯を食うと鼻が詰まるんです。製薬会社の鼻薬は効きません」
 ランチョンセミナーでは、演者もスポンサーにある程度は忖度した内容で講演するものだが、その辺は大人の機微というものだ。大金をはたいて新薬を作っている以上、製薬会社のプロモーションが我田引水になるのは当然だ。そして、医者はそういうのを差っ引いて情報収集できない限りは一人前とは言えない。
「誰かに正しさを担保してもらったものしか吸収できないようじゃ、人に先んじることはできないな」
 清濁併せ呑むというより、清と思って呑んだものに濁が混じっていれば、それを排泄すればよいだけだ。清しか呑まないというのは甘ちゃん(アマチュア)だ。盗む技術のないひな鳥にはむずかしいのかも知れないが。
「……じゃあ、残りのランチョン、行ってきます」
「じゃあって話かよ。もう食ったんだろ」
「僕は3かける3マスの幕の内弁当ってあまり好きじゃないんですけど、チャレンジしてきます」
 久斯はそう言って、本当にセミナー会場の方に向かっていった。ああいう弁当は1個で十分だから、4つ目を食うと想像して、ゲップがこみ上げてきた。
「葦原」
 背後から声をかけてきたのは牛尾だった。
「聞いたか? 上部班のやつが仕入れた話なんだが──」
 挨拶もそこそこに牛尾が興奮まじりで話しはじめたのは、私大医学部の雄・東京のK大医学部が腹腔鏡で胃の悪性腫瘍の根治術を行ったという話だった。患者が著名人だったので話題になっているようだ。
「胃全摘をラパロでねえ……それ、何時間かかったの?」
「10時間」
「これまただいぶ時間をかけたもんだ。俺らなら開腹でその3分の1以下だろ」
 牛尾いわく、リンパ節の病理検査も術中に行っていたために時間がかかったとのことだが、その話の方がゲップが出そうだった。
「まだ時間はいいんだ。大事なのは術後の立ち上がりが早いかどうかだ」
 牛尾の言いたいことはわかるが、外科医が手術時間に頓着しないのはどうかと思う。長時間の手術が患者の躰にとって負担であるのは自明であり、腹腔鏡による低侵襲がそれを帳消しにしてくれるかどうかはまだわからない段階なのだ。
「上部班のやつらも躍起になって、ラパロの症例を増やしてるぞ。外科はラパロの時代だ。葦原、LPDの症例、いいのがあったら頼むぞ。じゃあな」
 牛尾はそう言って、忙しそうに去っていった。牛尾はこのあと、腹腔鏡手術をテーマとした口頭発表のコーナーで座長を務めるはずだ。大学に残っていたら、牛尾の今の役割は自分が担うはずだった。
 午後からは吉良先生の特別講演がある。その中で、例の新規治療による胆道腫瘍に対する手術適応拡大の試みについて発表されるのだ。葦原はその画期的な発表の関係者の一人だった。肝葉・膵頭十二指腸切除術(HPD)のような超拡大手術を腹腔鏡でやれるわけがない。外科の裾野がじわじわと腹腔鏡手術に置換されていくとしても、外科の高みは自分たちが築き上げていくのだ。俺は時代に取り残されてはいない──葦原は自分にそう言い聞かせて、吉良先生の講演に向かった。


 6月末──。
 その日の夕方、内科入院患者の腹痛の相談(コンサルト)を受けて、葦原は久斯と外科病棟からガタゴトと超音波検査装置を押しながら診察に来ていた。久斯がワクワクしているのは、虫垂炎(アッペ)疑いとして紹介されたからだった。
 病棟の詰め所に入るやいなや、久斯は大声で言った。
「ごめんください、葦原外科(あしはらげか)です! 紹介患者さんの診察に参りました!」
 詰め所にいたスタッフも葦原もぎょっとした──が、久斯の大胆な声がけのおかげで、夜勤への申し送りでざわつく中でも担当者がすぐに出てきてくれた。早速、病状確認もろもろ案内いただいて、診察の段となった。
「──それじゃ、お大事になさってください」
 患者にそう言って、病室を出た。幸か不幸か、アッペではなさそうで、経過観察の方針となった。超音波検査装置を押しながら戻る久斯はふくれっ面をしていた。
「ぶすっとするなよ、久斯。院内発症のアッペは稀だぜ」
 外科病棟に戻るエレベータを待つ間、慰めてやった。環境的要因だとは思うが、入院患者は風邪をひかないし、アッペにならない。
「無駄足でしたね、手術にならなくて」
「なんていう言いぐさだ。患者さんにとってはいいことだろ、手術にならないほうが」
「あらくれ外科医のくせに綺麗事を。外科は切ってなんぼでしょう」
「誰があらくれだ──俺たちは外科医である前に医者なんだから、切らずに済むならそれでいい。手術なんてのはいくつかあるうちの手段の1つだし、実際のところ最終手段だ」
「アッペが切れずに外科ローテートが終わってしまうんですから、医者である前に研修医である僕には大損害です」
 久斯と同時期ローテートの他の研修医はそれぞれ執刀機会を得たが、久斯だけ虫垂炎執刀にこだわったために、ついにこの3ヶ月間、執刀を経験できなかった。今日がラストチャンスだった。
「お前は生意気だから、外科の神様に嫌われたんだよ」
 満員のエレベータを見送ったあと、葦原はからかいまじりにそう言った。
「えっ、僕、生意気ですか。どのへんですか?」
 久斯はわざとそう振る舞っているのだと思っていたから、葦原は呆れた。
「気づけよ。医者は医者になった時間が1年でも早ければ、そっちが上だ。俺は医者17年目で、お前は実にエレガントな紆余曲折を経てきたとはいえ、医者としてはまだ1年目だろうが。俺と藤堂副院長くらい、キャリアの差があるんだぞ。上に対しては、生意気すぎるだろ」
 元気な若者にあまりうるさく言わないできたが、久斯はこれから他の科に移る。上下関係をわきまえられないのは研修医としては致命的だから、外科ローテート中に羽根を伸ばさせすぎたのであれば──そうではなかったはずだが──外科の指導医として釘を刺しておけなければならない。
「じゃあ、悔い改めてまた外科に来ますので、次はアッペをやらせてください」
「なに、2年目選択で来るのか?」
「ええ」
「他の外科系でもいいんだぞ。整形外科とかさ。泌尿器科(ウロ)も楽しそうだぞ」
「他の科の作法を覚えるのが面倒です。それに、外科も楽しかったですよ」
「ほほう、外科を楽しんでいただけましたか、それはなによりです。じゃ、また来年ということで」
 外科はきつい、危険、汚い、そして楽しい、というのがわかるまでは必修3ヶ月だと短すぎると思っていたが、どうやらわかるやつもいるようだ。年の功というところだろうか──ようやく無人のエレベータが来たので、超音波装置と一緒に乗り込んだ。
「そうだ──」
 ふと、葦原は思い出していった。
「久斯。さっきの、葦原外科ってのはなんだ。驚かせるんじゃないよ。言うなら、外科の葦原だろ」
 久斯があの時、大きな声を出したこと以上に、その言葉に葦原は面食らった。
「同じでしょ。外科の葦原先生についてきた自分が名乗るとしたら」
「ノー。俺の外科じゃないからな。外科の上に医者の名前がつくのは教授オンリーだ」
 医者の世界にはボスの名前を診療科の上に冠して名乗る慣習がある。葦原らは、当代総裁の名を冠する「外神外科(とがみげか)」の一員である。一昔前は、学術論文の冒頭に掲げる著者所属(アフィリエーション)の記載にすら、「○○外科」と教授名を戴いた教室名を堂々としたためたという。
「そうとも限らないのでは──開業医でもそうですよね」
 なるほど、外科の医者が開業すれば、たいていは名字+外科+医院かクリニックだ。ともに一国一城の主である教授と開業医には意外な共通点があるようだ。
「葦原先生もいつかは開業して葦原外科を興すんですか」
「考えたこともないよ。開業したら手術できないだろ」
 日帰り小手術を売りにした外科クリニックもたまにあるが、たいていの外科医は開業すると、勤務医現役時代には毛嫌いしていたはずの風邪や高血圧診療をするだけの内科医になってしまう。葦原は正直、そういうのはやりたくない。
「じゃあ、葦原外科記念病院ってのはどうですか?」
「誰がなんの記念でつくってくれるんだよ、それ。金持ちの知り合いなんていないぞ」
「となると……やっぱり、教授になって、葦原外科を名乗るしかないわけですね」
「やっぱり、ってなるかよ──」
 外科病棟に着いて、エレベータから出ながら言った。
「学外にいる人間が教授になれるわけないだろ。教授ってのは学者だ。大学で論文(ペーパー)を書いてないとなれないだろ」
 臨床医学系の教授は手がける職分が広範だから勘違いされやすいが、本来業務は学者としてのそれである。教育で既知の医学を伝え、研究で未知の医学を作る人間だ。医学の実践である臨床の能力など余技に過ぎない。もちろん、教授が臨床面でも一芸に秀でているのは歓迎すべきである。しかし、教授就任後にもそれが専売特許となりつづけているようではいただけない。教授職にあるものとしては、門下生を指導して同じようなことができる医者を拡大再生産しなくてはならないのだろうから。
「論文はいつでもどこでも書けるでしょう。論文書きましょうよ。先生方、手術中も世間話のように、論文書かなきゃなーってぼやく割に、ぜんぜん書かないですよね」
「耳が痛いよ。でも、論文書くの大変なんだよ。向き不向きがある」
 吉良先生という優秀なコーチャーのおかげで葦原の学位研究論文はいわばランニングホームラン級の業績になってしまった。それ以来、学術活動というのは打率と出塁率が大事だと頭ではわかっていても、いざ新しく論文を書こうとするとどうにも肩肘張ってしまってうまくいかないのだ。葦原が考えるに、研究の向き不向きは、外科の向き不向き以上のものがある。
「じゃあ、僕が書きますよ」
「はっはっはっ。研修医に書いてもらえるか」
「人のふんどしで相撲を取るくらい厚顔無恥じゃないと、出世はできませんよ」
「おあいにくさま。七刄会(うち)なら、勤務医なりに昇進はさせてもらえるよ」
 機材室に超音波装置をしまいながら、葦原は答えた──別に勤務医で困ったことはない。開業医ほど稼げるわけでもないし、医学部教授ほど偉いわけでもないが、手術をやって患者の役に立てる。そして、学外転落したとはいえ、七刄会香盤表人事で医局員は、途中で辞めさえしなければ、いずれは所定の病院の副部長、部長、そして副院長にはなる。
「でもそれじゃ、ずっと雇われじゃないですか。いいんですか?」
「いいもわるいも、それが普通だろうよ」
「医者って、みんなどうにかして勤務医から解脱(げだつ)してやろうって考えているものだって聞きましたけど」
「いたいけな研修医に誰がそういうことを吹き込んでいるんだ。白神先生(ドクター)か?」
「白神先生とはほとんどまだお話したことはありません。これは、狩野先生です。一生勤務医なんて甲斐性なしはゴメンだ、みたいな感じで言ってました」
 身内か──葦原はため息を付いた。今からそんなことを考えていてどうする。Aキャリアを目指してはいないのか。
「あの辺はまだ未熟者(バカ)なんだから、言うこと聞くんじゃないよ」
「でも、教授にもならない、開業もしないんじゃあ、一生、外科葦原だ。ドンマイ」
「呼び捨てにすんなよ。それと慰めるなよ。外科葦原で結構」
 詰め所に入って、時計を見た。ちょうど、17時30分(ごじはん)だった。
「定時だな──久斯、上がっていいぞ」
 ローテート最終日は定時で研修修了だ。
「おせわになりました。来年、またよろしくおねがいします」
 卒後臨床研修制度始まって以来、最も生意気な研修医であっただろう久斯はお礼の挨拶をして去っていった。
 葦原はその後、病棟の詰め所で電子カルテをいじりながら、ローテート研修医無執刀の件を反省しているつもりだったが、思い浮かんでくるのは別のことだった。俺は開業もしないし、教授にもなれない──そう久斯に言ったことに我ながら驚いた。自分で、開業もできなければ教授にもなれないと思っていたのか。
 勤務医で

医者のほうが圧倒的に多いはずなのに、そうであると自覚してみて、葦原はなにやら、身の置きどころのない感覚に見舞われるのだった。
─────
©INOMATA FICTION 2019-2020
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登場人物紹介

葦原建命(あしはら・たてる)

 七刄会医伯正

 七州大学病院外科診療助手(中部班)

久斯創(くし・つくる)

 せんだい市民病院「アラサー」初期研修医

 論文モンスター

 

真田善次(さなだ・ぜんじ)

 七刄会医伯総監

 七州大学病院外科特命教授

 七州大学医学部外科学講座医局長

藤堂壮平(とうどう・そうへい)

 七刄会医伯監

 元七州大学病院外科診療助教授・中部班最高執刀責任者

 せんだい市民病院副院長

 「雷神藤堂」「七刄会ラパ胆のパイオニア」

大和達郎(やまと・たつろう)

 七刄会医伯監

 元七州大学病院外科診療助教授・中部班最高執刀責任者

 せんだい市民病院外科部長

 「肝臓手術の名手」

押切慶二(おしきり・けいじ)

 七刄会医伯監

 元七州大学病院外科診療助教授・中部班最高執刀責任者

 せんだい市民病院外科副部長

 「七刄会PD最速」

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