全話

文字数 60,001文字

1夏のはじまり
 ちなみが軽井沢の家を初めて訪ねたのは、中学二年生の夏休みでした。
 中軽井沢の駅から車で十五分ほど、なだらかな林の中に切り開かれた別荘地で自動車がないと不便な場所ですが、緑豊かで静かな環境に都会育ちの彼女は感動したものです。
 建物は木造の平屋で、敷地は広く、レンガで組まれた門柱は堂々としていました。宵になると小さな黄色い電球が門の上に灯っていた光景を懐かしく思い出します。ゆっくりと藍色に暮れていく木々の間に金色の光が広がり、昼と夜の境目の秘密の扉が開くのです。ふくろうが鳴き、集いていた虫たちの声は静まります。
 あの時間はどこか遠い場所へとつながっていました。
すぐそばにあるような気がするのに決して手は届かないのです。なんだか心細くなって暗がりをふり返る彼女に、大丈夫だよ、と繰り返していたのは近所の均という男の子でした。ちなみよりいくつか年下でやはり夏休みの間、東京から避暑にやって来ていたのです。
 あしたまたね、
 と二人はちなみの家の前で別れるのでした。見送っているとチェックのシャツを着た均の背中は、次第に木々の投げかける影に包まれてしまいます。時折、小道の上でほの白い輪郭が跳ねるように動き、やがて完全に闇にまぎれてしまいます。
均の姿が消えてしまうと、そこにいるのは、自分と、背後に寄り添うように漂っている夕闇の気配だけなのでした。
 記憶の彼方で足音が響いています。
 両親はいつの間にか先に行ってしまい自分は取り残されました。一人で歩まねばならないのです。頼りになる人はいません。父の芳郎の仕事はテレビ番組の制作で留守がちでした。たまに帰ってきても疲れ切って倒れるように寝込むだけです。母の鈴代はそんな有様に嫌気がさしたのか、家を出るかもしれない、と芳郎を脅していました。彼女も美容師として働いており、それなりに忙しかったのです。夏休みの始まる頃には二人が大喧嘩して家の雰囲気は最悪でした。責任のないちなみまで邪魔者扱いされ、いたたまれないのです。結局、夏休みの間は父方の祖母のところで過ごしなさい、ということになりました。「軽井沢で避暑」となれば、優雅に聞こえますが、心中は穏やかではないのでした。
 祖母の君江は油絵を描くのが趣味で、居間にはイーゼルが置かれていました。セルロイドの眼鏡をかけ、小太りの身体を花柄のワンピースで包み、いつも動き回っている元気な人で、大きな声でよく笑いました。軽井沢の家は、元々は祖父の達郎が建てた別荘ですが、没後、君江が一人で移り住み、そこに叔母の加奈も同居していました。加奈は祖母に似て活発な人で、ちなみが一人で軽井沢の駅に着いたときは車で迎えに来てくれました。当時はまだ新幹線もなく、山小屋のような駅舎があるだけの小さな駅で、ひんやりとした空気に慄然としたのを覚えています。改札で花飾りのついた大きな帽子を振って合図している派手な女が加奈でした。目がパッチリとして、分厚い唇に濃いルージュを塗った叔母はいつも髪を後頭部に束ねて化粧の薄い母親とはずいぶん違った類の大人に見えました。そしてはちきれんばかりの胸元が嫌でも眼に飛び込んできます。乳房の成長が気になる年頃でしたから、すごいなあ、と思わず見とれるのでした。
駅前に真っ赤なスポーツカーが止められており、叔母はサングラスをかけるとエンジンをうならせ、激しくギヤチェンジを繰り返しながら高原の道路を走り抜けたのでした。ベレットという古い型の国産車でしたが、イタリア人のデザインなのだと自慢していました。
 到着した瞬間の感動を忘れることはありません。
 敷地のほとんどは木々に覆われており、小さな前庭は芝が敷かれていました。そよ風に枝が揺さぶられ木漏れ日が庭に踊っています。洋館風とでも呼ぶべきでしょうか、板張りのサイディングを施した建物で薄いベージュに塗られていました。祖母は絵を描いていたらしく、絵の具のしみのついた長いエプロンをつけパレットと筆を手にしたまま玄関に出てきて、あら、お帰り、と声をかけてきます。初めて訪ねたのにお帰り、という言葉をかけられたことでなぜかじん、と胸の奥に来るものがありました。玄関には靴脱ぎがなく、板張りの床の上でスリッパに履き替えます。天井は高く、正面に大きな振り子時計が据えられていました。
内部は思ったよりも広く、ちなみも隅の小さな部屋が与えられました。これがとても嬉しかったのです。埼玉の自宅は団地で、勉強用の四畳半はあてがわれていたのですが居間と障子で隔てられただけのものでした。テレビの音はうるさかったし、押入れには母親の衣類が入っていたためしょっちゅう出入りされ落ち着かなかったのです。
 部屋の奥にはベッドが据えられ、机と椅子もありました。物語の主人公になったみたいだと感じたものです。窓を開けると目の前は花壇で蒸れた草の匂いが立ち上っていました。
 さあ仕事よ、と君江が両手を打ち鳴らします。
 仕事?
 そう、荷物を解いたらまずはトマトの収穫、ジャガイモの皮むき、それから芝刈りと洗濯物の取り入れ。やることはいっぱいあるんだから。働かざるもの食うべからず、
 そう宣言されて目を丸くしました。
 母親の鈴代はいつも黙々と一人で家事をこなし、手伝おうとすると邪魔だから、と剣呑にするのです。あんたなんかどうせ役に立たないから、と。
 さっそくぶかぶかの麦藁帽子を借りて庭に出たのでした。家も、帽子も、庭も慣れない匂いに満ちていました。ハチが飛んできては悲鳴を上げ、足元を這いずるトカゲに飛び上がり、泥だらけになってしまった手でぬぐったので顔まで真っ黒になり、と初日は激しい格闘のうちに過ぎました。
 夕食の頃にはへとへとでこんな有様でこの先どうなるのか、と思いやられたものです。とにかく空腹でジャガイモのスープやトマトのサラダを次々にお代わりしました。風呂に入って、あてがわれた小部屋に行くと、机の上のランプを灯しました。毎日考えたことをノートに書く習慣があったのです。必ずその日のうちに書くこと、さもないと大切なことを忘れてしまうから、これが父の言いつけでした。シェードは桃色で小さな光の輪が広がります。
ノートを開き、さてなにを書こうか、とペンを手にしたところまでは覚えています。そのまま寝入っていました。気がついたのは、外で風が吹いたからでしょうか、カーテンが揺れていたのです。
 窓辺に立って外を伺うと、空の低いところに赤い月が出ていました。満月を過ぎたのか少し欠けているように見えます。森からは虫の声が控えめに響いていました。わずかな月明かりの下にすべては穏やかなたたずまいを見せるのです。
 そのとき、白っぽいものが視野を過ったのでした。
 なんだろう?
 目が慣れてくると人間だということがわかりました。手にした布地のようなものをひらりと振り回しています。誰だろう、と見つめているうちに怖くなってきました。家から持ってきた折りたたみ式の目覚まし時計が枕元にあったので覗き込むと午前一時を示しています。
 途切れがちに声も聞こえてきました。
 歌でしょうか。女の声です。言葉までは聞き取れませんがお化けではなさそうでした。もう一度、窓から身を乗り出して眺めていると、人影は芝生の上をゆっくりと踊るように行ったり来たりしています。どうやら叔母の加奈ではないか、と思えました。
 
 朝食の席で、昨日の夜、庭で歌っていませんでしたか、と叔母に尋ねると、あら、おかしなこと言う人ね。と笑われました。あたし、お酒を飲みすぎちゃってぐーすか寝ていたのよ、と。
 祖母はちらり、と鋭い目で叔母を睨みます。あんたね、いいかげんになさいよ、不良みたいな真似は、と。
 叔母ではないとすると自分の見たのはなんだったのだろう、そう加奈はいぶかしみました。寝ぼけていたのか、夢だったのか。そうとも思えません。祖母でも叔母でもないとしたら誰なのか。
 その日は、畑仕事の資材を買い出しに行くとのことで農協へ出かける叔母に同行することになりました。前日とはうってかわって古びた小型トラックに乗せられ、舗装されていない道路を揺られます。
 あれが隣の鈴木さん、一番近い家よ、
 と示されたのは巨大なログハウスでした。すごい、と歓声を上げると、カナダ製だと説明されます。
お金持ちなのかな? 
 叔母は首をかしげて口笛を鳴らします。ご主人がすてきな人なのよ。商社を辞めて会社を経営しているって。息子さんが一人居てときどき見かけるわよ。いつも網を持っていてね、虫に詳しいのよ。背はあんたより大きいけどあどけない感じ。お父さんに似てこっちもなかなかハンサムなの。
 叔母の運転は荒っぽく、わだちがあると、ドン、と車体ごと跳ねるのでした。
 ちなみちゃん、彼氏はいないの?
 唐突な質問が一緒に飛んできます。
 カレシ? 
 そうよ。好きな男の子。いるでしょ?
 クラスのメンバーの顔が思い出されます。誰かと誰かが付き合っている、なんていう噂もありました。でもたいていは片思いで恋愛はまだ遠い世界です。同級生の男たちはまるで子供じみていて、とても憧れの対象になどならないのです。愛はキビシイわ、などとふざけてつっつきあいコバルト文庫やハーレクインロマンスを読みふけってドラマチックな恋愛を夢見ていたものです。
 いないよ。
 嘘だァ、と叔母は笑います。あたしにだけ告白しなさいよ、と。ブラスバンド部の工藤先輩、と小声で告げると、どんな人なの、顔立ちは俳優の誰に似ているの、どういう点が好きなのか、話しかけるきっかけはないのか、など根掘り葉掘り聞かれたのでした。
 いいなあ、若いって、と最後はため息で結ばれるのです。よせばいいのについ、
 叔母さんの初恋は?
 と尋ねたものだから大変です。自分が中学生のころはどんなに積極的だったか、ユウジだかヒロシだか、惚れぬいた男と家出しようかとも考えたこと、相手が現れず泣いて一夜を過ごしたこと、裏切られたと考えて殺そうとまで思いつめたことなど延々と続くのでした。中学生にしてはすごい話ですね、と言うと、この後はもっとすごいのよ、とウインクして寄越します。
 一ついいこと教えてあげる、と。
 叔母によれば、恋愛において最重要なテクニックは追いかけてはいけないということで、むしろ追いかけられるように仕向けることなのだそうです。追えば逃げられる。逃げれば追われる。これが普遍的な法則なのだ、とのことでした。
 でも現実はうまくいかないのよねえ、と当人も嘆き節です。
 追いかけて欲しい人は振り向いてもくれないし、反対にこれだけはイヤって感じの人が追いかけてきたりするのよ。もちろん、これは内緒だけどさ、とさらにウインク。
 肥料、虫除けのネット、弦を巻きつけるポールなどを購入し、家に戻ると前日に続いて畑仕事です。庭の脇に造成された家庭菜園はさほど広くもないのですが、作業に入ると思ったよりも大変で腰が痛くなりました。天気がよく汗だくになります。祖母はリビングで静物画を描いていました。カレーライスの昼食を済ませ、午後は高校で教諭をしている叔母が夏休みの宿題をみてくれる、という約束でしたが気がつくとベランダの籐椅子でいびきをかいて眠っていました。
 せっかくの美人が台無しね、
 と祖母は鼻の付け根にしわを寄せてニッ、と笑いました。確かに口を開けて寝こけている叔母の横顔はどう見ても美人ではありませんでした。トレードマークの花飾りの帽子も枕代わりにつぶされて台無しです。大人の女は怖い、とその時は思ったものです。ドレスをまとって化粧を決め、顎を上げて微笑んでいる普段の叔母は男をくらっ、とさせるパンチ力があるのに、農作業で汗だくになり、昼飯からビールを飲んでいびきをかいている姿はまるで別人なのですから。
 暇になったので、庭にパラソルを広げて今度は浅間山の絵を描き始めた祖母の後ろに座り、東京から持って来たコバルト文庫の新刊を開きます。ふと視界に入ったカンバスを見上げると、高原の風景が描かれていますが目の前の景色とはずいぶん違って見えました。空は濃い藍色で夕暮れのようにも見えます。
 写生ではないの?
 と質問すると君江は少し難しい顔をして、絵は目に見えたものを写すだけではないのよ、と教えてくれました。もちろん、デッサンの技術は大切。でもそっくりに描くだけだったら写真と同じでしょ。カメラを使えばいいじゃない、と。芸術には違う意味がある。心の眼で見るのよ。そうすれば空間も時間も越えられる。いつも成功するわけじゃないけどうまくすると本当の姿を捉えることができるの。だからね、絵が目標とすることは見えないものを見えるようにすることなの。あたしはそう思う。
 へえ、とちなみは立ち上がってカンバスを眺めました。
 天の藍と地上の翠が得もいわれぬ調和を感じさせます。色の組み合わせがステキです、と言うと祖母は穏やかに微笑んでいました。しばらくすると、
 こんちわ、
 と声がして、虫取り網を手にした男の子がやってきました。叔母から噂を聞いていた隣の子のようです。背はちなみよりも少し高く、近鉄バッファローズの野球帽を被っていました。野球にはまったく関心がなかったちなみにチーム名がわかったのは父親が近鉄のファンで、いつもテレビで試合を見ていたからです。
 鈴木均君よ、祖母が紹介しました。
 どうも、と互いにやや気まずい視線を交わしていると、今日はなにを探しているんだい、と祖母が尋ねます。なにと言うわけではないのですが、さっき見たことのないトンボを見かけたので追ってきたのです、と礼儀正しく答えます。
 トンボねえ、まだ季節としては早い気がするけど。
 オニヤンマはだいぶ出ています。
 へえそうなの。
 高原の短い夏は虫たちにとって貴重な時間なのです。人間のようにあれこれ悩んだりはしない。やるべきことは定まっており、黙々とアヴァンチュールにいそしむ。これも摂理でしょうか。
 お茶でも飲んでいきなさい、と祖母に言われ、均がリビングに上がったので、ちなみは冷蔵庫から麦茶を出しました。その帽子、バッファローズね、と言うと彼は顔を輝かせました。あたしの父さんもファンでさ、とうろ覚えの選手の名前をいくつか並べると、うんうん、と大きく頷きます。
 いいなあ、と均は言うのでした。僕の父は野球なんか興味ないって言うんだ。テレビで試合を見ようとしてもうるさいって消されちゃう。
 へえ、そうなんだ、とちなみは均のよく日に焼けた顔とすらりと伸びた身体つきを眺めるのでした。手にしている籠には虫が入っているようです。
 のぞいてみるとカミキリムシでした。ちょっと大きいから捕まえたけど、後で逃がす、とのことでした。蝶は好きかと尋ねられたので、虫は好きではない、と答えました。女は蝶々がいいのか、と思ったけれどそうでもないんだな、と笑います。軽井沢は高原なので珍しい種類がたくさんいるのだそうです。
 あえて言えば、好きなのは兎かな、と言うと均はきょとん、とした表情になりました。栗鼠もいいよ、と。ああ、と均は手を叩きます。栗鼠はいるよ。俺、見たことある。本当? ただ夏じゃないなあ。冬だったな、と言うのです。
 そうか、動物か。狸や狐はいるよ。あと猪とか熊もいるらしい。見たことないけど。
 熊なんて怖いじゃない。
 逃げたら危ないんだ。出会ったらじっと睨まなきゃいけない。そのまま少しずつ後ずさりするんだ、こんなふうに、と均は立ち上がると上目遣いにちなみをにらみつけて、実演して見せるのです。その様子がなんだかおかしくてちなみは噴き出しました。
 あたしが熊ってことなの?
 そうです、と尚も均はおかしな表情でちなみを笑わせるのでした。熊の話は叔母の言葉を思い出させます。そうか、と考えるわけです。逃げたら追われるっ、てのは自然界も同じのわけで、逃げないふりをしながら遠ざかればいい。ならば追う方は? 追わないふりをして知らないうちに近づけばいいということになります。
 これって大発見?
 さっそく叔母に教えてあげたいのですが、相変わらずお昼寝中なのでした。

 2均の秘密
 均の父親は留守がちで、会社の秘書が運転するベンツで出入りしていました。母親はいないのです。病気で亡くなったということで兄弟もいない均は昼間の間、大きなログハウスに一人、過ごしているのでした。それを聞いてちなみはどことなく寂しそうな彼の表情に得心しました。
 秘書の若い女性は髪の長い都会的な人で、いつも父親と一緒でした。その人が事実上の母親代わりを果たしているというわけです。
 あの人たち、できているんじゃないの?
 と加奈が言うと、君江は眉をしかめて、あんた、学校の先生なのになんていう口のきき方するの、と嗜める。加奈はちろり、と舌を出すのでした。
 数日後、ちなみは均に誘われてそのログハウスを訪れました。
 祖母と叔母が毎日、立ち働いている宮原の家とは異なって、人気のない大きな建物の内部はしんとしており重い空気が立ちこめています。吹き抜けになった巨大な玄関には鹿の頭の剥製が掲げられ、猟銃が並んで掛けられています。
 リビングも天井の高い大きな部屋で、石組みの暖炉がありました。その前には毛足の長い絨毯が敷かれ、ちなみの知らない香りが立ち込めていました。それは建物に使われているログ材と、葉巻と、獣の皮と、その他、舶来のいろいろな品物が醸す独特の臭気なのです。
奥からは大きな犬が出てきました。長い灰色の毛を垂らした穏やかな性格の犬で、じっとちなみを見上げています。マルクスっていう名前だよ、と均が教えます。マルクス? そう。よく知らないけど偉い人の名前だよ、と。マルクス、と呼んでみますが犬は首を傾げるだけで動きません。昼ごはんを作ろう、という話になって台所に入るとこちらも初めて見るアメリカ製のシステムキッチンでいちいち驚かされます。
 残念ながら冷蔵庫にはたいした材料もなく、できあいのカレーを暖め、卵焼きを作るくらいしかできませんでした。ちなみが嬉しかったのは高価なメロンがあったことで、二人ではしゃぎながら食べてしまいました。
 皿を洗っていると表でエンジンの音がして、黒い車が止まるのが見えました。
 途端に均は緊張します。
 重い革靴を床板に響かせ、甘い葉巻の臭いを漂わせた社長の登場です。大きな身体がリビングの入り口に立ちはだかりました。室内が暗くてもサングラスははずしません。
 よう、元気か。
 均に声をかけるのですが息子は返事もしません。レンズの奥で瞳が動く気配があります。ちなみは慌てて頭を下げ、隣の家の宮原ちなみです、夏休みでおじゃましています、と挨拶しました。ああ、と父親は短く答えストーブの脇に置いてあったロッキングチェアに足を組んでふんぞり返ります。重い沈黙が訪れ、どこかで小鳥が鳴いているのが聞こえました。しばらくすると秘書の日下部さんが微笑を浮かべながらコーヒーポットの載った盆を手に現れました。夏場でも涼しい軽井沢ではホットコーヒーを飲む人も多いのです。あなたたちにはジュースでも差し上げましょうか、と言われたのですが、大丈夫です、と断わりました。
 私の父親は、商社マンでね、と父親は誰にともなく窓へ向いて語り始めました。
 猟銃の免許を所持し、狩を趣味としていたというのです。子供のころフランスで過ごし、貴族は狩猟をするものだ、と考えていたとかでなんとも優雅な話でした。
 でもね、
 と氏はようやくちなみを見つめます。父はあまりそっちの才能はなかったみたいで、残してくれたのは別のものでした、と。あたかもちなみが自分の客であるかのように、子ども扱いするのではなく対等に話しかけられたのでちなみはすっかり当惑していました。
あなたは時計に興味はありませんか?
時計? と考え込んでしまいます。鈴木氏は曖昧な微笑を浮かべて立ち上がり、こちらへどうぞ、と重厚な樫の扉を開いて隣の部屋へと案内してくれるのでした。均は俯いたまま動こうともしません。マルクスが主についていくので、ちなみも慌てて立ち上がりました。
奥は小さな物置部屋になっていました。
かさかさと虫が草を食むような響きが聞こえています。それは莫大な量の時計が時を刻む音だったのです。窓のない空間に赤い壁紙が巡らされ、大小さまざまな意匠の時計が待ち構えているのが目に飛び込んできました。前後左右、すべて文字盤です。中央にはガラスケースが並び、腕時計が陳列されています。
 時の渕です、
 と鈴木氏は自慢げに振り返りました。フチ? ええ、父がそう呼んでいたので。商社に勤めながら世界中を旅して集めた時計ですよ。これだけのコレクションはなかなかない。ブランド物や高級アイテムもありますが特に貴重なのは普及版のモデルです。しかもほとんど現役。父には時計職人の友人がいて、自分でも手入れをしていました。たまにこの部屋にこもっていると不思議な気分になってね。これらの時計は使っていた人たちの息吹と言うか、彼らの生きた瞬間を伝えていて、無名な人々の業としてここに響き続けている。終わってしまった時間がここにはまだ淀んでいる。だから渕なのでしょう。わかりますか?
 そう言われて眺め渡すと表示されている時刻はばらばらで、時折、鐘が鳴り、鳩時計の鳩が飛び出してきたりします。無数の針の動きが輻輳し、真剣に観察していると気がおかしくなりそうです。氏が主張している通り、動いていることに意味があるのでしょう。止まっていればただの骨董品ですがこうして動かされると魔力さえ感じられます。一つ一つの文字盤が顔に思え、それぞれの時間を押しつけてくるのでした。ちなみはやっと鈴木氏の態度に慣れてきて、
 なぜ時計にこだわられたのですか。
 と質問しました。
 機械が好きだったみたいですね、他にも蓄音機とか写真機なんかも集めていたけど、結局、これしか残らなかった。性に合ったと考えればそれまでだけど、時計には特別の魅力があると言っていたな。それも針のある時計に限る、デジタルで数字が表示されるようなものはだめだと。晩年はこの部屋にこもっている日も多かった、
こんなふうに会話しながらも氏は部屋のあちこちに眼を配って点検しています。ほとんどがぜんまい式で、三日に一度ほど巻き上げないと停止するのです。止まっていれば鍵束を手にして文字盤を開き、ねじを巻きます。耳をそばだて、チッチッチッ、という音を確認すれば完了です。高い位置にあるものは梯子を用いて作業するのだそうです。
 ある種の弔いなのです、
 と文字盤を見上げながら氏は満足げに頷きます。父親が生きていたときと同じように部屋の状態を保ち、いわば時の渕の渡し守となるのが定めなのだと。
時計に限らず機械は動かしていないと傷んでしまう。いずれにせよいつかは壊れるものだから無意味かもしれない。だけどこうせざるを得ない。渕はいずれ流されてしまう。淀みも消えて、きれいさっぱりなくなる。でも自分の代で断絶するのは嫌なのです。だから均にも頼むつもりですよ。きっと彼が継いでくれますとも。
後ろに掌を組みながらしみじみとそんなことを言うのでした。

 すごいね、とリビングに戻って話しかけても均はなぜか不機嫌な様子で、会話に入ろうともしません。なんとなく気詰まりな雰囲気になります。挙句に、外に出よう、と均は言うのでした。
天気のいい日で、空は東京では見られないような澄んだ色でした。天頂部は深い青を宿し、下がるに連れて緩やかに淡くなりながら透明な水色へと変化していきます。ところどころ薄く刷いたような雲が流れ、太陽は黄金色に輝いていました。気温も上がったようで汗をかいてしまいます。
 道の先に行ってしまう均に、どこに行くの、と問うと立ち止まって前方を指差します。舗装されている道路に入るのですが、アスファルトが破れているところがあったりして、車はほとんど通っていません。古い道なのだろう、とわかりました。
十五分ほど歩いたでしょうか。もう疲れたよ、と言うとあそこだよ、と均は言うのです。小川の流れを跨いで橋がありその先にドライブインがありました。近づくにつれて廃墟であることがわかります。看板が落ち、駐車場には雑草が茂り、窓ガラスが割れているのも見えました。バイパスができて交通量が減ってしまったため客がいなくなったのでしょう。
 探検なんだ、
 と彼は言うのです。宝物があるかもしれないしさ、と。「探検」とか「宝」という単語にちなみは噴き出しました。物知りで大人びた態度を見せる均ですがやっぱりまだ幼いのね、と考えたわけです。
 なにがおかしいんだよ、
と彼は怒りました。宝物ってなによ、と返すとむっとした表情でうつむき、秘密だから教えられない、と呟きました。ますます子供じみた話ではないですか。
あらそう、と突き放し踵を返すと、待ってよ、と戻ってきます。誰にも言わないって約束してよ、と均は暗い視線を送ってくるのでした。
 約束できる?
 もちろんよ。
 なら言うけどさ、あそこに行くと母さんの声がするんだ。
 お母さんの?
 そうなんだ。病院で会ったのが最後だよ。病気で死んだってみんな言っている。葬式もあったしお墓参りもした。だけど本当はまだどこかで生きている。僕はそう思う。
ちなみは絶句します。
 お母さんがあのドライブインにいるの?
 わからないよ。そんなはずはないってわかっているさ。だけど声が聞こえるんだ。お化けなんかじゃない。昼間でも聞こえるから。
 確かめたいのね。いいよ。きっと風の音かなにかよ。
 風?
 均の横顔に暗い陰がよぎりました。ちなみは父親の芳郎からお化けのからくりについてよく聞かされていました。テレビの番組ではいかにも出そうな雰囲気を盛り上げて視聴者を惹きつける必要があるのです。
 怖さとは予感なのだ、と芳郎は言うのです。お化け自体が不気味なのはもちろんだが、恐怖は出現の前にこそ高まる。出るかもしれないという不安が恐怖の正体で、相手の動きがまるでわからない、ということが理由なのだ。そして怨念。怖さは後ろめたさとも連動している。悪いことをしているから祟られる、というわけだ。日本の幽霊の場合は、気候に関係しているのか、湿っているイメージもある。
 霧の立ち込める夜の墓場、ひそかに忍び寄る影。
 こうした状況設定だけでもう幽霊が出たような気分になっている。後は、風が吹けば亡霊の呼び声に聞こえるし、落ち葉が触れればぎょっとしてふり返る。ネズミでも走ろうものなら、出たァ、ということになる。たいていの怪談はそうした勘違いなのだ、と芳郎は笑うのです。
テレビは面白くなくちゃいけないから、できるだけ本当らしく作るけどさ、と。
取材現場の一つに交通事故が多発する不気味な橋があったそうです。見通しの良い直線道路で事故の原因は不明でした。事故に遭った一人が橋に差しかかったときに人影が見えた、と証言してから「お化け橋」と呼ばれるようになって地元の人はなるべく夜の通行を避けるようになりました。暗い時間に通過すると事故の犠牲者の霊が出て川底へと誘い込むのだ、という話になっていました。
 現地に出かけて事故の様子を再現しようとしていると、撮影用の車を運転していたスタッフがアッ、と叫んだのです。確かに誰かいる! と。車を止めて検分していると、どうやら橋のたもとに撮影用に仕込んだ照明がトラスを照らして対向車線に映し出した影らしいとわかりました。通過する車両の運転席からだと、ほんの一瞬ですが、あたかも人の姿に見えるというわけです。
つまり科学的に説明できるのよ、とちなみは均に話してみました。そうかなあ、と彼は控えめな抵抗を示します。
 問題の建物はコンクリートの平屋建てで、ガラス張りのレストランになっていた部分は概ねベニヤ板で覆われています。「スカイパーク」という名称が四角っぽい字体で記されていました。
威勢のいいことを言っても怖かったのは事実です。
人が通れる程度にガラス戸が開いている入り口からはひんやりとしてカビ臭い空気が漂ってきました。窓の部分が覆われているので薄暗いのですが、左側が食堂で右側が売店らしいのはわかりました。テーブルや椅子は隅に積まれていてがらんとしています。逆さになったテレビやアイスクームの冷蔵装置、ビールケースなどが壁沿いに並んでいます。均が破れてヌードグラビアがむき出しになった雑誌を拾ったので、そんなもの見ちゃだめ、と捨てさせました。大人の見るものなの、と。均は初めて照れたような笑いを見せました。
 こっちだよ、
 と彼は店の奥に向かいます。厨房があり、業務用の鍋が並んでいる様にちなみは目を見張りました。こんなふうになっているのか、と。なにもかもが新鮮なのです。壁には野球選手のポスターや日に焼けた古いカレンダーが吊るされたままで、足元にはスリッパやハンガーなどが散らかっていました。
 均が立ち止まったのは突き当たりの扉でした。この向こうだよ、と。
 鍵がかかっていてハンドルは回らないそうです。鉄製の重たいドアで触れるとひんやりしていました。押しても引いてもびくともしません。均はしゃがみこむと扉の下部にある通風孔に耳を当てます。
 しばらく神妙な表情をするのですが、はかばかしくないようです。
 どれどれ、とちなみもスカートのすそが乱れないように手を添えながら腰を下ろします。すると均は気をつけろよ、と言うのでした。うちの父さん、スケベだから、と。ええっ? とちなみは顔を上げます。さっき宮原さんのことやらしい目で見ていたよ、と言うではないですか。ちなみは真っ赤になりました。まさか、と。
 そのとき、しっ、と指を口に当てて均は耳を強く押し付けます。ただならぬ気配にちなみもドアの隙間に意識を集中しました。
 緩やかに空気が動いています。
 聞こえない?
 均は目をつぶります。ちなみも瞼を閉じました。軽井沢に着いた晩に見た夜中の幻のように女の歌声がするような気もしました。ですが確かめようとするといかにもたよりなく、気のせいかとも思えます。
 どれくらいそうしていたでしょうか。
 母さんは照れ屋なんだ、と均は言います。知らない人がいたからあまり近づかなかっただけで通っていればそのうちわかるようになるさ、と。
うん、とちなみは素直に頷きました。
 そうしなければいけないなにかを感じたからです。裏にまわってみよう、ということになり二人はいったん建物の外に出て、敷地の奥へ進みました。業務用の搬入口があり、トタン葺の車庫に、タイヤのないバンが放置されていました。ライトも落ちてしまい正面から見ると泣いている顔に見えます。
 裏口も鍵がかけられており入れません。小さな窓がありますがブラインドが下ろされて、内部の様子はわかりません。きっと金庫でもあるにちがいない、とちなみは思うのでした。もしかするとドアの隙間から流れる風が歌に聞こえるのかもしれない、そんなことを考えてみます。均はドアの前に座り込んで耳を当てていましたが、首をふりながら立ち上がりました。やっぱり今日はだめだ、と。
 お母さんとはどんなことを話すの、
 とちなみは尋ねてみました。
 言葉がよく聞きとれないんだ。でも、僕を呼んでいるような気がして。
 ドアを開けないの?
 開けたらダメだ。二度と会えなくなる。
 なぜ?
 わからない。でも我慢しなければならない。それは確かだよ。
 ちなみは黙って頷き返しました。

3亡者を呼ぶ霧
 その日の晩だったでしょうか。ちょっとした椿事が起こりました。ぐっすり眠っていたはずですが、玄関の方で人が行き来する音がして目が覚めました。なんだろう、と思っているとパトカーのサイレンが鳴ってただ事ではないとわかりました。目をこすりながら玄関に出て行くと、表のドアは開け放たれ寝巻き姿の君江が呆然と立っています。加奈と警官がその前いました。加奈もネグリジェのままです。表を見るとベレットが斜めに止まっていて、ヘッドライトの光が棒のように深い闇を切り裂いて伸びています。その後ろに白バイとパトカーが赤い回転灯をきらきらさせながら待機しています。
 どうしたの?
 という問いは無視されました。加奈は部屋に引き下がり、やがて洋服に着替えると出てきました。警官は叔母の腕を取り押さえるようにして引っ張り、パトカーの後部座席に乗せています。耳をつんざくようなサイレンが鳴り響き、パトカーとバイクは行ってしまいました。玄関の前にはドアが開いたままのベレットがぽつんと残されています。君江はふらふらと歩み寄るとスポーツカーの重たいドアをバタン、と閉じました。森からわいて出る白い霧は音もなく家へ迫ってきます。
 叔母さん、どうしたの?
 と尋ねると君江はやっと意識を取り戻したかのように、大丈夫よ、としゃべるのです。間違いだから、と。そのままリビングに入り、カウンターに置いてあった飲み残しのお茶で唇を湿らせています。
 悪いことしたの?
 違う。ただ、夜中に寝巻きを着たまま、車を運転していたんだって。あたしはぜんぜん気がつかなかったけど、困った人よね。
 寝巻きのまま?
 そうなの。本人は覚えていないって。そんなことありえるかしら。夢遊病ってのは聞いたことあるけど。歩き回るくらいならまだしもまさか自動車の運転はありえないよね、
と当惑しています。眠ったまま自動車を運転する。どう考えても危険です。ちなみは最初の夜に目撃した光景を思い出しました。
 あたし、叔母さんが夜中に庭で歌っているのを見た、
 と告げると祖母は椅子に座りじっとちなみを見つめました。あんた、前にもそんなこと言っていたね、詳しく聞かせてよ、と問われたので月夜の情景を思い出しながら語るのです。なるほどね、と祖母は言うのでした。あの人はやっぱり夢遊病なのかもしれない。気をつけなくてはね、と。
 翌朝、戻ってきた叔母はさすがに蒼ざめており口数も少なくなっていました。
 警察で聞かれたのは野菜泥棒についてだったそうです。そのころ、夜中に畑のレタスやキャベツが盗まれる事件が頻発しており、刑事が張り込んでいたところ怪しい車が猛スピードで突っ込んできたので追跡したとのことでした。スピード違反の切符は切られましたが、泥棒とは関係なさそうだ、ということで無事釈放されたとのことです。
 怖いわね、
 と加奈は言うのです。泥棒たちのことです。彼らは深夜、どこか遠いところからトラックでやってきて、めぼしい畑を見つけるとできたての野菜を根こそぎ持って行ってしまうのです。警察では言わなかったけど、あたし見たような気がするのよ。黒い影が畑を横切ってレタスを運んでいるのを。アリみたいにずらりと並んで。悪いことをしているようには思えないの。むしろ兵隊さんが勤勉に任務をこなしている感じ。月の青白い光が照っていて切り絵のようにきれいなの。あれも夢だったのかしら。
 祖母は首を横にふりため息をつきました。いずれにしても、あんた、夜の間は車の鍵をあたしが預かりますよ、と。

 霧に追われていた、加奈は警察でそう話したそうです。
峠を越えて高原へと侵入してきた霧は、木々の間をゆっくりと通り抜けた後、速度を増して道路をすべるように包み込んでしまう。あれに飲み込まれたら視界だけではない、自分をも見失ってしまう、そんなふうに感じてついアクセルを必要以上に踏み込んでしまった、と釈明したらしいのです。
 確かに霧の夜はろくなことはない。
 君江もそう繰り返しました。
 彼女によれば魔物なのです。白いヴェールの彼方では誰かが笑っている声が響きます。音楽と、踊りと、酒と、既に姿を消してしまったものたちがみんな揃っている。さあ、愉しもう。過ぎ去った日々の栄光に乾杯して。男であろうと女であろうと、誰しもが歓迎され職業も年齢も問われない。ただし一つだけ条件があるのです。それは記憶を差し出すこと。すべてを忘れること。霧に包まれるとわたしはもはやわたしではないし、あなたはあなたではない。時は停止し過去と未来の合間で現在は凍結されてしまうのです。
 だから窓を開けてはいけないし、ドアも閉じておいてほうがいい。誰かがノックしても開けてはいけない、出かけるなんてもってのほか、悪いものがさまよっているからよ、そうあたしは聞いた、と君江は語ります。
 森に迷い込んだまま行方知れずなった狩人たちが、猟犬を駆って、あの世とこの世の境目まで昇ってくる。あたかも昨日、姿を消したばかりのようにやあ、と愛想のいい笑いを浮かべて。だが彼らの問いかけに決して答えてはいけない。相手にしたらたちまち亡者のしきみに連れ込まれる。情けもないし、理屈も通じない。獲物を求めて永久にさまよう定めなのです。終わるということがない。
 普段は沼地の淀んだ水面から黒ずんだ頭をもたげてひっそり様子を伺っているだけだが、霧の衣が腐乱した身を隠してくれるのを良いことに、ここぞとばかりに湧いてくる。かつて志のある修行者が供養のために祠を立て、亡者の苦しみを和らげようと森に篭ったこともある。彼がいる間はなにも出てこなかったが、修行期間が果てて僧が去り、いつしか祠の存在も忘れられると元に戻ってしまった。
 祖父の達郎はしばしば愛犬を連れて亡者狩りに出かけたのでした。
 君江が止めても聞かない。俺にはこれがあるさ、とロザリオを手にしていたが、もちろん気慰みに過ぎない。その代わり、いつも口笛を吹いていた。もののけどもを嚇かしてやる、と。
 一度、達郎が宵になっても戻らないことがありました。
 君江は心配でしたが言いつけどおり鎧戸を閉じ、暖炉の薪をくべながら待っていたのです。夜も更けて玄関の戸をたたく音がしました。一回、二回、と繰り返す。達郎は鍵を持っているはずだ。火の前に佇んでいると、呼びかけは執拗になります。万が一、鍵を落としたということはないか。亡者に追いすがられているのではないのか。次第に不安が高まり心配になったのです。とりあえず様子を見に行こうとすると、バチッ、と薪がはぜました。戸惑っているうちにノックは止み、代わって口笛が響いて鍵を開く音がするのです。達郎が全身ずぶ濡れになりながら愛犬と共に戻ったのでした。
 あのときは本当に怖かったよ、
 と君江は言うのです。達郎はもののけどもの土地に迷い込み、惑わされたとのことでした。道が途切れ、池に転落したのです。革のコートと毛糸のセーターが水を含んで重くなり危うく沈みかけましたが、犬が助けてくれたのだそうです。
 あなたの帰る前に誰かがドアを叩いたのよ、
 と告げると達郎はきっと鋭い目になりました。まさか開けたのではないだろうね、というのでもちろん、と答えると扉の前に戻って施錠を確かめたそうです。もし開けていたら? 君江が君江でなくなっていたのかもしれません、達郎は最悪の可能性を悟って警戒したのでしょう。
その頃はまだ明確な悪が存在していたのです。悪は悪らしく、善と対峙し、容赦なく牙をむきました。守る側も正面を見据えて闘えばよかったのです。
 今は悪のありかが曖昧です。
 白と黒が混ざり合い次第に灰色に溶け出しています。騙し騙され、騙し合いながら後退し道を見失うのです。
 おばあちゃんは亡者を見たことがあるの?
 とちなみが尋ねると君江は目を細めました。
 霧の日、夕方になるとね、たまに遠くで口笛が鳴るのよ。空耳かもしれないけど。決して嫌な感じはしない。でも自分たちとは違う存在だってわかるの。窓の向こうを通過するとき、ひんやりとした感じがしてね、
 そんなふうに教えてくれるのです。でも、絶対に近寄ってはダメよ、と。へえ、とちなみは朝靄の漂う庭に目を転じました。天候は回復しつつあり、次第に明るくなってきます。太陽の光が時折、雲の割れ目からさすと、濡れそぼった草木が輝きます。花壇には花が咲き乱れ、穏やかな朝でした。

 あたしは反対したのよ、と後に母の鈴代からは聞きました。
 あれもやはり夏休みで、高校生になっていたちなみは父親に内緒で名古屋まで会いに出かけたのです。待ち合わせたデパートの喫茶店に現われた鈴代は白いスーツに身を固め、颯爽とした姿でした。埼玉の団地で暮らしていた頃とは別人のように見えます。事業が成功して二軒の店舗を経営していると聞いていました。目元に皺が寄り、年齢は隠せませんが、メリハリの利いた化粧で華やいだ雰囲気に見えたものです。毎日、父親と喧嘩していたころとは違って、穏やかな笑顔で成長した娘を迎えてくれたのですが、ちなみのほうはどうしても違和感をぬぐいきれませんでした。もはや彼女がよく知っていた母親ではないのです。
 ねえ、大丈夫なの?
 とアフターヌーン・ティーセットを注文した後、母親は問いかけるのです。今からでも遅くない、名古屋に来てもいいのよ、と。二人が離婚する際、彼女はどちらの親と暮らすか決めなければなりませんでした。両親とも本人の意向を尊重する、と言いましたが正直、どちらがいいとも思えませんでした。父親の芳郎の家に残ったのは住み慣れた土地から離れるのが面倒だった、ただそれだけなのです。高校を出るまでの数年、耐えたら家を出ようと思っていました。
馴れてしまえば父親があまり自宅にいないことはかえって楽でした。家事さえこなせれば、それまでと生活は変わりません。高校では商業簿記と会計を学んでいる、と伝えると鈴代は嬉しそうに頷きました。
 いいじゃない、あたしもそうだったけど手に技をつけるの。男の人に頼らなくて生きていける。とっくにそういう時代よ、と。そして加奈の話になったのです。今だから言うけどさ、と。
 母親によれば加奈は職場の同僚といわゆる不倫の関係になっているとの噂があり、ついには男子生徒に対して色目を使っていると密告されて休職する羽目になったというのです。とにかく異性関係が乱れていた、と。そんな叔母がいる家に娘を滞在させるのは教育上良くないとはわかっていた。しかし父親との関係がこじれ、他に選択肢はない状態だった、というのが鈴代の言い訳です。話がついたらすぐにあなたを連れて名古屋に出るつもりだったのに、と。
 叔母さんは悪い人ではない、
 とちなみは辛うじて反論しました。ただ霧に惑わされただけで、と。鈴代は驚いたような表情になりましたが、そうか、そうね、と肩をすくめ、関心の対象にすら値しない、といった態度を示すのです。ポットに入った紅茶と豪華な三段の皿に飾られた菓子類が出て、会話は途切れました。
 喫茶店を出ると二人はテレビ塔のある大通りを横切って、鈴代の店に行きました。フランス語の店名が掲げられた白いファサードは外国のようで、ちなみも目を見張りました。店内はモダンな内装で向き合う鏡が澄んだ光を宿していました。普段、通っている自宅近くにの美容室とは大違いです。スタッフはみんな凝った髪形で、服装もモードを感じさせるものでした。チーフらしき若い男は挨拶しながらまなじりをすっと細めて笑います。
 いらっしゃい、と呼ばれてちなみも鏡の前に坐りました。
 母親は慣れた様子で髪をさわります。なんだか照れ臭いような、怖いような感覚もありました。彼女が二言、三言指示を出すと、ハイ、と威勢のいい返事が飛び交い、きびきびとスタッフが動きます。髪を洗われ、見たこともない手さばきでカットされ、トリートメントまでされると、なんだか自分が喪われていくような奇妙な思いに囚われます。これはあたしではない、と。
なんなのよその顔は、と母親はたしなめます。笑って! そう、女の子の魅力は顔の造作ではないのよ、表情が命。髪はそれを引き立てる額縁なの、と。
 ちなみは無理やり微笑もうとしたのですが、どうしてもちぐはぐになってしまいます。
 あたしには無理だ、と思いました。この店に自分の居場所はない。そこは心と身体が分離してしまった大人が自己を演出するために訪れる場所なのです。いいか悪いかは別として、今の彼女にはそぐわないし、必要もない贅沢なのでした。
 帰りがけに鈴代は封筒を渡してくれました。現金十万円。化粧品でも買いなさい、と。あなたはこれからが花盛りよ、人生の春を謳歌しなさい、後悔しないように、と。その言葉をかみ締めながら地下鉄に乗っていると、母は叔母のことをうらやんでいるのではないか、と思えてきました。だから悪しざまに言うのではないのか。実は加奈の奔放な生き方こそ正解で、それと比べて地味だった自分の芳郎との日々を惜しんでいるのではないか、と。だから若さを取り戻そうと必死に美容に励むのですが、喪われた時は決して取り返せない、そういうことではないのか。
 鈴代のメッセージは矛盾しているのです。一方で叔母の異性関係を責め、他方で若さを謳歌しろ、と。娘であるちなみにとってはいささか悲しい解釈でした。地下鉄の車窓に映る自分の姿は  
青白い亡霊のようで醜いものでした。
 高原の青空と蝉の声、月夜の神秘的な光と祖母の家のほんのりとランプの灯った窓辺に思いを馳せ、あそこに戻りたい、とちなみは念じたのでした。

4闇を絞る
 均と再びドライブインに出かけたのは、夏も盛りの頃でしたでしょうか。
 夕暮れ時で、蜩が鳴いていたのを覚えています。そろそろ家に帰る時間だとちみなが考えていると、あそこに行ってみようか、と均が誘うのです。
 今度こそ、お母さんの声を確かめる。
 普段は礼儀正しく、年上のちなみの言うことをよく聞く均ですがこのときは頑固に言い募りました。そして時計の間に入ります。父親がいないのでゼンマイを巻く仕事は彼の任務です。しかし彼はゼンマイを巻こうとしないばかりか、木彫のヴィーナスが掲げている置時計を一つ持ち出すのでした。
 どうするの?
 生贄さ、と彼は言うのです。神様にお願いするときは、大切なものを捧げないといけない。違うかな? そう問われてもちなみには答えられません。そのときの均の目にはどこかぞっとする怖さがあり、反対意見が言える雰囲気ではありません。外に出るとすでに太陽は木々の間に沈みつつあり、薄暮の闇が広がりつつあります。
 早足になりながら道路を進み、橋を渡りました。真ん中辺りで立ち止まった均は手にしていた時計を欄干越しに放りました。水の跳ねる音がして時計は川面に消えてしまいます。胸元が締めつけられるような苦しさを覚えました。
 橋のたもとにはぽつんと街灯が立っており白い光を投げかけています。その明るさを頼りに前回と同様、建物に侵入しました。内部はまっ暗で不気味でしたが、均は慣れているのかずんずんと進みます。
 やっぱり帰ろうよ、
 と口にしましたが均は聞く耳を持ちません。例の扉の前に座り込むと、耳を当ててじっとしています。しばらくすると、ちなみの手を取り、ほら、と導きます。鉄の扉に耳を当てるとひんやりとしていました。
 確かに女の人の声がします。笑っているようでした。
 ほんとだ!
 と叫ぶとしっ、と唇に指を当てます。再び均はしゃがみこんで耳を当てました。暗がりに目が慣れると隅に放置されている洗濯機や消火器が見えてきます。ちなみは呆然と佇んでいました。時計を差し出したから神様が母親を戻してくれたのでしょうか。そうだとすれば目の前の部屋に死者がいると言うことになります。死者と会うことなど許されるはずもありません。伝説や神話では死者を取り戻そうとする人間は必ず失敗し、手痛い目に遭うのです。気をつけないと均が死の世界に連れ去られてしまうかもしれない、そんな不安も湧いてきます。
 しばらくすると扉に耳を当てないでも声が聞こえ始めます。波のように寄せては返す不思議な叫びでした。均は眉根を寄せて難しそうな表情になります。
 なんだろう?
 扉に近づこうとしたちなみは急に立ち上がった均とぶつかり、よろめいた弾みに壁に立てかけてあった消火器に手を触れてしまいました。消火器が床に倒れ大きな音が響きます。
 ヤバイ、と均が囁きました。
 内部の声はやみました。沈黙が重い塊となって二人の上にのしかかり動けません。ちなみは息を殺したまま闇にうずくまっています。長い時間が経過したように感じました。
 ゴトゴト、と重い靴音が近づいています。
 途端に均はちなみの手を引き、逃げろ、と走り出します。ちなみも慌ててついていきました。前方はおぼろにしか見えないので、敷居につまずき、配膳口の棚にぶつかり、足をもつれさせるようにしてなんとか出入り口までたどり着きます。
 外に出ると、虫の声が一斉に耳朶を打ちました。
 四方八方から二人を取り囲んで鳴いているのです。異界からの告発にも聞こえました。逃れられないぞ、と。均は息を切らせながらも転げるように走って行きました。木々は黒い影となって広がっていますが、見上げれば満天の星でした。そんなにたくさんの星を見たのは後にも先にも そのとき一度限りです。ぶちまけられたような星屑に埋め尽くされ、真ん中を天の河が横断していました。思わず感嘆の声が出てしまいます。美しさよりも恐怖を感じました。宇宙のあまりの大きさ、人間など易々と飲み込んでしまいそうなすさまじさを見せつけられ、ちっぽけな自分のはかなさを悟ります。
 鈴木君、と呼びかけると立ち止まって待っています。街灯の光が届かないので草木が茂った道端で顔さえ判別できません。
 ただの黒い人影です。
 そこにいるのは本当に均なのか。
 ねえ、鈴木君、ともう一度確認するように声をかけました。すると、
 闇を絞らないと!
と均は答えるのです。闇を絞る? そう、こうしてさ、と腕を宙に伸ばし雑巾を絞るようにひねるのです。暗すぎてなにも見えないでしょう。森で夜の暗さにとり憑かれたら一生取れないって聞いたことがあるよ。だから思いっきり絞るんだ。身体の上に垂らさないように気をつけてね、
そんなふうにささやくのでした。彼の身体の周りでは闇が緩やかに沈んでいく気配があります。
 ほら、こうして。
 掌を差し伸べていると説明の言葉を裏切るかのようにほのかな光が彼の顔を照らし出すのでした。緩やかに右から左へと均を浮かび上がらせます。軌跡をたどっていくと前方の森にぼんやりと光の塊が揺れています。
 蛍でした。
 薄い緑色の光がふわっと浮き上がり流れています。魔法みたいだな、と感嘆して見やります。蛍が光るくらいでは驚きませんが、そんなにもたくさんの群れを見たのは初めてでした。
 誰かいる!
 均が叫びました。その瞬間、手足の肌が粟立ったのを覚えています。森の奥で緑色の人型が動いているのです。
 違うよ、蛍でしょ。
 人型は次第に輪郭をあらわにして近寄ってきます。本当に怖いとき身体が麻痺したように動かない、ということをこのとき経験しました。おもむろに緑色の腕が伸ばされ、おいでおいでの仕草を繰り返しています。いかにも人懐っこいのですが、行っちゃだめだ、と思いました。
 お母さん、
 均が叫んだのはほぼ同時でした。違うよ、お母さんなんかじゃない、とちなみは均に警告するのですが、彼は少しずつ森へと分け入ります。
 森は常に動いています。
 後に祖母の君江からこのことを教わりました。
 物事をわかるということは、部分にわけて組み立てを理解することです。現在の地点から、過去をふり返り検証するわけです。対照の動きを止め、静止した状態で思考は実行されます。そのとき森は死んでしまいます。森を生きたまま理解することはできません。つかんだと思ったそのそばからすり抜けてしまうのです。
 それでも森の秘密を暴くべきだったのでしょうか。
 きっとマトリョーシカ人形のように、剥いても剥いても同じ顔が現れたことでしょう。そっくりだけどどこか微妙に違う微笑がこちらを見返しているのです。人形とは異なり現実には到達点がありません。真実は覆いと覆われているものの間にあるのです。覆いを取り去った瞬間、それは消えてしまい、覆われていたものが今度は覆いとなってしまうのです。合わせ鏡のように無限に遡行してやがて消えてしまう。
わかっていてもそれをせずにはいられない、そういう気持ちになるときもあるでしょう。そもそも夜の森に分け入る人は謎を恐れてはいない。それどころか謎を求めている。達郎もそんな人だったのかもしれません。
 あの晩、人型を見せた蛍も謎のひとつです。
いつまでも周りを巡っていることを強要する謎です。人はそこで立ち止まり、考えなければなりません。なにを汲み出すかはご当人次第ですが、いつしか解明への筋道を見出すこともできるはずなのです。考えようによっては謎が救いにもなるのです。心を苛む欲望や絶望は謎の解明にとって代わり魂が癒される、そういうことです。
 己がどこから来て、どこへと向かっているのか。
古の人々は理解していました。魂の取り扱いについての技術についても。その知恵を畏れ、無闇と近づかないようにしながら後代に語り伝えました。現代ではこうした智恵はあらかた喪われています。無用な迷信として社会から排除されている。ですが魂が消えたわけではないのです。
あの晩、ちなみはどうして良いのかわからず呆然と均の影を見送っていました。
やがて彼もまた蛍に包まれて緑色の人型となるのです。顔は消えていました。そこにあるのは二つの光芒でした。動いていく命の塊でした。いつかは消え去る、そうとわかっていても戻ることもできずに流されていくはかないものたちの姿かたちでした。
均だけではありません。
ちなみ自身も光の乱舞に包まれて方途を失っていたのです。

 帰宅したちなみは祖母にこっぴどく叱られました。女の子がこんなに真っ暗になるまで外で遊ぶなんて論外よ、鈴木さんにも注意しなきゃ、と。ちなみは黙っていました。ドライブインのことも均のお母さんのことも、蛍のことも。
 隅で様子を見ていた叔母の加奈は、食事の後、洗い物を一緒にしているときに、ちなみの脇腹を小突きます。
 肝試しでもしていたんでしょ?
 と。違うよ、と否定しましたがクスクスと笑います。あたし、知っているんだ、と。なぜだかわからないのですがすべて知っている様子なのです。その上で、
 ねえ、面白いこと教えてあげようか、
 と身を屈めてひそひそ声になりました。お化けを見分ける方法、知っていたほうがいいでしょ。一つ目は誰でも知っている。足がないの。あっても地面についていない。誰が見てもお化けよね。二つ目は影がないってこと。そして三つ目、お化けの服には縫い目がないのよ。これって 怖くない?
 叔母はエプロンの裾を裏返して縫い目を晒します。
 どんな布地にも縫い目はあるのよ。だけど幽霊の服は現実の物体ではないから縫い目もない。どこにも継ぎ目がなくてつるっとした塊。それがお化けってわけ。すぐそばにいるみたいに見えるけど、本当は世界の外側にいるのよ。さわったりしたら大変、つるり、って滑って反対側の世界、つまりあの世に連れて行かれちゃうから気をつけてね、
 そんなことを吹き込むのです。
 自分の部屋に戻って、ドライブインの声と暮れがけに見た蛍の群れ、そして加奈の話についてもう一度、考えてみました。あのときあそこにいたのは誰だったのか。女の声がしたのは確かですが、他にも誰かがいたのかもしれない。均の母親であるわけはない。だが廃墟にいるとしたら、なにをしていたのか。蛍だっておかしい。あそこにいたのは鈴木均と宮原ちなみだけだったはずだ。でもあのとき、自分が別の人間になってしまったような奇妙な状態だった。あたしはもうあたしではない。いや、可能性としてはいろいろな選択肢があるのだけど、どれもが違うような気がして、そして結局、どれも選ばなくてもいいのではないか、と考えてみるのです。そうするとちなみはもはやちなみではなくなる。緑の光に包まれた人型に過ぎない。それ以上でもそれ以下でもない。そもそも自分はなにも知らなかったのではないか、と。
 あなたは誰? あたしは誰?
 均は答えませんでした。夜を絞ろうとして、闇をしたたらせながら、二人とも幽霊になってしまったのかもしれません。叔母の説明の通り、縫い目も継ぎ目もないこの世ならぬ存在となって漂っていたのです。

5淀んだ時
 翌朝はよく晴れて、夏の太陽が照りつけていました。高原でも昼過ぎには気温が三十度に近づき、風がないため団扇を使います。叔母の姿はなく、農作業のノルマはありません。祖母に促されて東京から持ってきていた宿題を片付けました。数学のプリント、社会のリポート、英語の問題集。あらあら、と君江は呆れています。今の人はたいへんねえ、こんなにいろいろ勉強するの、と。
 昼食にも姿を見せないので叔母さんは? と尋ねるとさあね、と祖母は肩をすくめました。どこかほっつき歩いているんだよ、悪い癖が抜けないね、と。どうしてあんなふうになってしまったのか、あたしの育て方が間違ったのか、父さんかあたしの血が悪いのか、それとも学校で悪い仲間がいたからなのか、わからないのよねえ、と誰にともなく嘆くのです。祖母は決して運命論者ではありませんでした。しかし、どこかで仏教で言うところの業、人が逃れられないさまざまな行為の蓄積のようなものを感じていた節があります。
 夕方になるとさすがに君江も不安そうな様子を見せます。
 朝早く誰にも気づかれずに愛車のベレットで出かけた模様でした。君江が夜の間、食器棚の最下段に並べられている古い急須にキーを隠しているのを知っていたのです。遠くに行くのならせめてメモでも残せばいいのに、と思うのですがそうした神経が行き届かないのが加奈でした。
夕食のテーブルは君江によって三人分用意されましたが、テレビで七時のニュースが始まっても戻らないので二人で食べました。君江が黙り込んでいるのでアナウンサーの声だけが部屋に響き渡っていました。
 霧だわ、
 茶碗を手にしたまま祖母はそう呟きました。瞳を見開いて、窓の外を凝視します。カーテンも開け放たれており、網戸越しに藍色に暮れていく薄闇がうかがえました。ちなみは身を乗り出しましたが、室内の灯りに照らし出された花壇がはっきり見えて霧が出ているようには見えませんでした。
 霧なんて見えないよ、と言うと君江は茶碗を置いて立ち上がりそろりそろりと玄関へ向かいました。そして扉の前に立ち尽くしています。どうしたの、おばあちゃん、と尋ねると、あの人が戻ってくる、というではないですか。
 あの人?
 そう、お父さんよ。
 ちなみはぞっとしました。亡くなった達郎がやってくるというのでしょうか。祖母が動こうとしないのでちなみは扉の前へ立ちます。
 開けて。
 やっぱりダメ。
 いえ、開けてあげて。
 君江は相反する指示を繰り返します。ちなみは思い切ってノブを押し開きました。門灯の黄色い光が目に飛び込んできます。同時に木々の合間の湿った土から立ち昇る香りが身の回りを包みました。
 門灯のあたりは次第にぼんやりとかすみ、光の輪がにじんだように重なり始めます。
 確かに霧が出ていたのです。
 白い塊はあっという間に足元にも迫り、ひんやりとした空気が頬を撫でるのを感じました。
 誰もいないよ、
 とちなみがふり返ると君江はじっと遠くを見すえています。ちなみも闇に視線を戻しました。寒気に身体を震わせていると、門の脇から犬が飛び出してきました。よくしつけられた犬らしく、ワン、と一声吠えるだけです。マルクスでした。やがてそれに続いて白い人型が現れるのでした。
 均君! ちなみは背が高く細い彼の身体をすぐに見分けました。
 均はゆっくりとすべるように近づいてきます。こんな夜中にどうしたの、と尋ねても答えません。ちなみの脇を通り抜けて玄関の階段を上ると、開いたままの扉の前で立ち止まり君江に話しかけるのです。
 マルクスが、
 と口ごもります。これをマルクスがスカイパークで見つけました、宮原さんちの叔母さんのものではないかと、と帽子を差し出します。スカイパーク? そうです、うちの近くにあるつぶれてしまったドライブインです。
 あなた、これを届けにわざわざ来てくれたの?
 均はちらり、とちなみのほうを振り返りました。ともあれ様子を見に行かなければ、と君江は家の脇に止めてあった軽トラックの鍵を取りに自分の部屋に戻ります。
 またあそこに行ったのね。
 うん、と均は素直に答えます。お母さんの声は? 
 しないよ、と彼は否定します。そのとき初めて悄然として元気のない様子なのに気がつきました。
 均によると、午後の遅い時間にマルクスの姿が見えないと思っていると、部屋に走りこんで吠え立てたのだということです。なにごとか、とついていくとドライブイン「スカイパーク」に向かうのです。例の声がする部屋の扉は開いており内部の事務室には誰もいませんでした。椅子やテーブルが倒れ、すっかり荒らされた様子で、裏口のドアも開いていたということです。そのまま裏から出ると、足元に花飾りのついたつばの大きな帽子が落ちていたというのです。マルクスはそこで吠えていたのです。よく見ると見覚えがあり、加奈のものだと思い出したそうです。明日にでも届けようと帽子を拾い、一旦は家に帰ったものの、考えているうちにおかしい、と思えてきました。父親は夕食前に秘書の日下部さんが運転する車で東京へ帰ってしまい相談も出来ません。日下部さんが用意してくれたポタージュスープとハンバーグはすっかり冷めていましたが、それを一人で食べているうちに、いてもたってもいられなくなったということです。
 玄関に備え付けてある懐中電灯をつけると、彼は再びマルクスを連れてドライブインに向かいました。真っ暗な中、侵入してみると状況は昼間と変わっていなかったということです。そして加奈の身に何かあったかもしれないと心配してわざわざ宮原家まで伝えにきてくれたというわけです。
 祖母の君江はトラックのエンジンをかけると、ちなみにあんたは留守番していなさい、と申し渡しました。しかし均が反対するのです。みんなで一緒にいたほうがいいと思います、と。君江は少し思案しましたが、そうね、と同意して三人で出発します。マルクスも均が抱えて乗り込みました。
 自動車ならば五分とかからない距離なのですが、森の道はとても長く感じました。ヘッドライトに煤けた建物が照らし出されると、いかにも幽霊屋敷といった風情でした。
 祖母はトラックを道の傍らに止めると、家から持って来た大きな懐中電灯をつけて均の後に従います。ちなみは二人に遅れないように必至についていくのですが、どうしても背後に誰かがいるような気配を感じてふり返るのでした。決してふり返ってはいけない、という伝説は世界中にあります。見てはいけないものが見えてしまい、それまで積み上げてきたものが無に帰してしまう。そうした危険は承知でも、人間は好奇心に打ち克てない。実は恐怖を求めているのは自分の心の奥に棲んでいる欲望なのだ、ということに気がつかない。だから前方の花柄模様のプリントを施した君江のドレスを見失わないように努めながらも何回も背後を確認してしまうのでした。
 もちろん、そこにあるのはぼんやりとした夏の夜にすぎません。
 記憶の彼方で、押し殺されたひそひそ声と共によみがえってきます。あのとき、本当はなにが起こっていたのか。
道は巡っているような気がします。
自分の進んでいる場所は以前、来たことがあるという強烈な感覚が沸き起こります。元々、こうなるとわかっていたのだ。祖母と均と宵闇に踏み込んでいく。ずいぶん前にこの同じ時間があったのだ、と。既視感覚、いわゆるデジャヴュという体験だったのかもしれません。
均は裏口に回り、ここに落ちていました、と廃車の脇の地面を指し示しました。よく見るとタイヤの跡があるようです。叔母のベレットのものかはっきりしません。どうして廃墟のドライブインに帽子が落ちていたのか、ここにどんな用事があったのか。あたりは森で、橋の下からは別荘分譲地ですが建物はなく、一番近い建物は均の家なのです。どこにも行くところがありません。春ならば山菜、秋ならキノコ取りということもありえなくはないですが、夏場に森に入る理由はないのよねえ、と君江は呟きます。建物の内部も探すのですが、暗くて思うようにはかどらず、加奈の手がかりになるものもありません。二人の懐中電灯が交差しながら闇を切り裂いていく様をちなみは呆然と見ていました。
 その晩は引き上げて、三人で宮原の家に戻りました。
 均の父親がいないと聞いて君江は彼を自宅に泊めることにしました。均はちなみの部屋の向かい側の空き部屋をあてがわれました。ベッドに入ったちなみは興奮の余りなかなか寝付けず、夜中にいろいろな夢を見て何度も目を覚ましました。
空が雲に覆われてどんよりした天気の翌朝、君江は警察に電話していました。
しばらくしてパトカーがやってきて、警官が君江と均から事情を聞いていました。二人はパトカーに乗せられて現場に向かい、その間、ちなみは置いていかれたマルクスと留守番します。寝不足でうとうとすると、真っ白な霧の彼方で加奈がおいでおいでの仕草を繰り返しています。
 だめよ、とちなみは呼び止めます。
 すると叔母は大きく口を開けてゲラゲラ笑うのです。あなた、臆病なのね、大丈夫だからいらっしゃい、と言い捨てさっさと行ってしまうのです。霧の流れは次第に激しくなり、加奈の後ろ姿はあっという間に見えなくなるのでした。ちなみはなんとかついていこうとするのですが、下半身に痺れたような感覚があり身動きが取れません。
 うめいているうちにペロリ、とマルクスの冷たい舌に頬を舐められて目が覚めるのでした。
戻ってきた君江によると、失踪事件として警察に届け出たということでした。犯罪に巻き込まれた可能性は低いと言われたそうです。どうしてそんなことわかるのですか、と反論しましたが警察の担当者によると家出人の届出は日本国内で年間数十万人もあり、大多数は家出なのだと。いずれにしてもすべてを完璧に捜査することはできない、と答えたそうです。とりわけ加奈は前回、野菜泥棒の件で警察の検問にかかったこともあり、不審人物なのです。どうせ深夜のお散歩でしょう、そのうちひょっこり帰ってきますよ、と笑われたとのことでした。

 警察官の言ったことは当たりませんでした。加奈は自動車事故を起こし群馬県の下仁田市の病院に入院しているとの連絡が昼前に入りました。意識不明の重態とのことで君江とちなみは軽トラックに乗って出かけました。エンジンブレーキをかけながらきついカーブが続く碓氷峠にさしかかると、口をへの字に結んだ君江は骨ばった細い腕でハンドルをさばき、周囲の車をあおるくらいの勢いで下っていきます。危険を感じても口に出せません。
病院に着くと、緊急治療室から出たばかりの叔母は一人部屋に寝かされているとのことで面会謝絶でした。県道を走行中、カーブでハンドルを切り損ねて田んぼに転落し、叔母の愛車は大破したそうです。かなり速度を超過していた模様とのことでした。単独事故で同乗者もありません。医師によると、外傷は大きくないが胸と頭を強打しており、予断を許さないとのことでした。芳郎にも連絡がつき、夜までに来ると約束してくれました。
 重苦しい雰囲気が立ち込めています。
 あなたはここにいなさい、とちなみは一人で一階のロビーに残されました。青白い蛍光灯が照らし出す病院の長椅子に座っていると、看護師たちが足早に通り過ぎていきます。すべては極めて事務的に処理されているのですが、はみ出てしまった感情がときおりあちこちでこだましているのが感じられました。突然、沸き起こる嗚咽、暴かれた恐怖、苦痛のうめき、そして空回りする笑い声。得体の知れないものたちが通り過ぎていきます。
父親の芳郎が弁当を下げて現れた時、ちなみは初めて空腹であることを思い出したのです。売店でお茶を買い、芳郎と一緒に待合室で弁当を食べた後はそのまま隅に据えられていたテレビを漫然と見ていました。動物を取材したドキュメンタリーや歌謡番組などを半ば上の空になって眺めます。夜になっても芳郎も君江も病室に付きっ切りでちなみの存在など忘れられてしまったかのようです。
 君江が降りてきたのはニュースが終わって、深夜ドラマが始まったころだったでしょうか。憔悴しきった様子で、顔全体が縮んでしまったように見えました。
 もう大丈夫だから、
 と小さな声で告げる祖母自身が死を刻印された骸骨のように見えたものです。聞けば短い間だったが意識が戻り、会話もできたということでした。
 叔母さん、どうしたの?
と問うと君江はため息をつきます。重態なので今のところ会うことはまかりならない、とのことでした。不穏な空気が漂います。
 あんた、明日にでもお父さんのところに帰りなさい、
 と君江は唐突に宣言するのでした。
 どうして? と反発しましたがすでに芳郎と帰宅の段取りを決めていました。ちょうど取りかかっていた番組の制作がひと段落したとかで芳郎は快諾したということです。

 お父さんと会った、
 意識が戻った瞬間、そう加奈は話したそうです。病気で亡くなった自分の父親、達郎に再会したというのです。
気がつくと暗がりに立っており、目の前にはどこまでも続いているかに見える階段がある。大勢の人間が黙ったまま登っているのです。ところどころに足の絵が掲げられていて、立ち止まってはいけないということを示しているようでした。一生懸命、歩くのですが、思うようには動かない。もどかしくて辛いのです。ふと下を見るとはてしなく深い闇に沈んでおり、階段だけが緩やかなカーブを描きながら陰気な行列を導いています。あまりの高さにめまいを覚えそうになっていると、きらり、と青い炎が輝くのが見えました。なんだろう、と注目すると、再び光ります。
 危ないぞ、
 と後ろに続く男の人に注意されました。下を見ないほうがいい、階段を踏み外すから、と。ほら、とその人が前方を指差すので、顔を上げるとずっと先でやはり稲妻のような光がひらめきました。
 それは人間でした。
 階段の端を踏み外したのか、誰かがもんどりうって宙を舞い、たちまちマッチのようにぼう、っと炎を発して燃え盛る人型となります。そのまま流星のように光の尻尾を引きながら青白く輝いて闇の底へと飛んでいくのです。
 青から紫へと変遷するこの世ならぬ諧調にぞっとしました。
魂が燃えているのです。一つ一つかけがえのない人の心そのものが発する光だから言葉に尽くしがたい美しさを見せるのでした。怖いからこそきれいだと感じるのか、それともあくどいまでの美しさだからおののきを覚えるのか。
 さらにおぞましいことには、一緒にそれを見ていた後ろの人が、ははは、っとおかしな笑い声をたてたことです。どうせ無理だ。みんないつかは落ちる。これ以上はもう耐えられないよ。そうでしょう? と誰にともなく呟いています。待ってください、と加奈は話しかけましたが相手は、
 あなただって見たでしょう。なんてきれいなんだろう。今すぐ目の前で見せてあげますよ!
と叫ぶなり暗がりに身を躍らせたというのです。
 とたんに青い光が目の前に閃きました。男の笑い声が途中で悲鳴になり、断続的に響いています。大きな炎がめらめらと燃え上がり、青い光に包まれた人体が反り返り、もがきながら飛んで いくのが見えました。
 絶叫が繰り返し耳朶を執拗に打ち、加奈は恐怖のあまり階段の上に転んでしまうのでした。なんとか縁にしがみつこうして震えてしまいます。足ががくがくして立つことすら覚束ない。とてもこれ以上、登り続けることはできそうもありません。自分が悪かったのだ、とやっと悟りました。ここにいる人たちはみんな罪人なのだ。助かることはできない。階段を上りきることはできずに転落する運命なのだ、と。すると肩を叩く人がいました。大丈夫だ、あと少しだから、と手を差し伸べているのです。ふり煽ぐと、影になって顔は見えず誰だかわかりません。親切な人もいるものだ、と思いながらも断ります。あたしはもうだめですから先に行ってください、と。
それでも相手はじっと腕を差し出しています。
 誰か知っている人かもしれない、と気がつきました。がっしりとした体つきの男で大きな手をしています。優しい口調にほっとして向き直ります。
 あと少しですか?
 ああ、ほんのちょっとだよ、
 と断定され、やっと彼女は立ち上がりました。背中を押され、歩き出すと男の人は後ろからついてきてくれるようです。立ち止まりそうになるとまたぐい、と押されるのです。おかげで挫けそうになりつつも少しずつ進むことができました。すると上方に白っぽい光が見えてきました。雲のように階段を取り囲んで輝いています。
 あれは!
 と叫ぶと、そうだよ、と後ろの男が答えました。あそこまでがんばれ、そうしたら帰れるぞ、と。お前はまだ早すぎる。下を見ないでどんどん行け、と。
 ありがとうございました、
 と礼を言ってふり返るとそこにいたのが達郎でした。上方の雲の輝きに照らし出されてくっきりと懐かしい顔が浮かび上がります。お父さん! と叫ぶとにこりと微笑むではありませんか。途端に両目から涙が噴き出しなにもかもが曖昧に曇ってしまいます。
 早く行け。君江によろしくな、
 達郎はそう告げたと言います。でも、と加奈がもたついていると達郎の顔は次第におぼろになり暗がりにまみれてしまいます。気を取り直して階段を登り始めると急に身体が軽くなり、ふわりと浮いて白い輝きに包まれました。その瞬間、病院のベッドで意識が戻ったと。
いわゆる臨死体験と呼ばれるものだね、と芳郎は教えてくれました。世界中で似たような報告が多数あるのだ、と。川や橋、トンネルなどの境界を越えると亡くなった家族や友人らとの再会し、戻るように諭される。帰ろうと努力していると意識が戻った、という顛末で中には死者からの伝言を携えている場合すらある、と。
 加奈の場合は達郎の株券についてでした。
 別荘の床下、ワインが貯蔵してある棚に木の箱があり、そこに昔、達郎の取引先だった機械メーカーの株券が隠してあるから、とのことでした。これを聞いた君江はさっそく軽井沢の自宅の床下を探し、聞いた通り株券の入っている箱を見つけました。時価数百万円の価値があったそうです。
 ちなみの父の芳郎はこうした臨死体験も科学的に説明できると考えていました。
 死者に会うことなどできないのはもちろん、あの世があるわけではない。こうした体験は人が死ぬとき、身体が感じる苦痛を和らげるために脳が生み出す幻想である、という説です。夢の一種と言ってもいいかもしれません。
 体験者の中には、魂が死にかけた自分の身体から出て、医師や家族が取り囲んでいる場面を上方から見たと証言し、医師しか知りえない手術の様子を詳述する人もいます。また、加奈のように死者が隠していた事象をあばく伝言をもたらす者もあります。これをどう解釈するのか。
手術の様子は目を閉じていても耳に入る音や言葉で想像できるし、故人の隠し事については当人が聞いたのを忘れていただけで、怪我のショックで思い出したのだ、と説明がつけられなくはありません。
 ちなみは芳郎が一々、もっともらしい講釈するので、なるほどと思いながらもどこか反発も覚えたのでした。
 なら加奈叔母さんは株券のことを知っていたってこと?
 そうさ。あいつはずほらだからな、父さんから託されていたのにほったらかしにしていたんだろう。だいたい金には興味の無い奴だ。どれくらいの価値があるのかも想像がつかないんだ。だけど内心、後ろめたかったんだろう。だから父さんの亡霊が出てきたってわけさ。
おばあちゃんは驚いていたよ。叔母さんが知っていて黙っていたってことあるかな?
納得できずにそう反論すると、いいか、と芳郎は語勢を強めました。
 世の中、一見不可思議なことがたくさんある。腑に落ちないこともある。反対に常識、当たり前のできごともある。言いたいことはこうだ。当たり前に見えることこそ疑え、と。耳に心地のいい説明をすぐに信じてはいけない。騙されるな。他人を騙そうとしている奴はたくさんいる。騙すか、騙されるか。これが社会の真相だ。どうせなら騙すほうにまわれ。悪事を働けという意味ではない。自分で考えろ、ということだ。テレビで言っていることや本に書いてあることが全部真実とは限らない。他人の言いなりにならずに自分で考えなければだめだ。不思議な出来事には必ず裏がある。謎のままで放っておくのは不安だから人はすぐに説明を求める。幽霊とか、宇宙人とか、超常現象と呼ばれるものはほとんどがまやかしだ。見間違い、勘違い、夢や作り話。恐怖や希望、嫉妬や郷愁、そのほかいろんな感情に左右され騙される。こうあるはずだ、そうあるべきだ、という偏見もある。冷静になって一から理屈で突き詰めれば真相は究明できる。
相手の意見も聞こうとせずに一人で断定し、悦に入っている父親の語り口にちなみは辟易としながら悟ったのです。母親の鈴代が耐えられなくなったのはこの態度ではないのか、と。反論しても火に油を注ぐ結果になり無駄なのです。母が逃げ出したので、矛先は娘である自分に回ってくるかもしれない、と。

 出発の日の朝、鈴木家に行き均に東京に戻る、と話しました。
 ふうん、
 と反応は軽いものでした。そして時計の部屋に行くと大理石でできた重たい置時計と金色の懐中時計を持ってきました。これをあげるよ、と。まさか、と断わりながらちなみは彼の額に痣があるのに気がつきました。父親に殴られたというのです。時計の管理を怠ったからでしょう。
また、叱られるよ。
 いいんだ。暴力には従わない。それをあいつにもわからせてやる、そう答えながら彼は硬い表情になるのです。
 こっちに来いよ、と言われて時計の部屋に入ってみるとすでにコレクションは半分くらいになっていました。
 時間の淀んでいる場所なんて腐っているよ、だから壊してやったんだ、そう彼は主張するのです。父親は息子が言うことを聞かないのに苛立ちついに暴力をふるいました。そして金になりそうなめぼしい時計だけを東京に持ち去ったというのです。残された時計たちは時を刻むこともなく惨めな表情で棚に晒されています。
 なんだかかわいそう、
 と呟くと均はだからさ、とふり向きました。こんなところにたくさん時計を置いといても意味がないだろう。誰かに使ってもらったほうがいい。これじゃ牢屋だよ、と。彼の言うことにも一理あります。ちなみはリビングに戻ると均が選んでくれた置時計と懐中時計を受け取りました。家の前まで見送るよ、と均がマルクスも連れて一緒に歩き出します。その道すがら、
 宮原さんの叔母さんはなんだかおっかないよ、
 と呟くのです。
 おっかない?
 うん。やばいっていうかさ。危ないんだ。ぎりぎりのところを走っている。
 運転のこと?
 それだけじゃなくてさ。いつもだよ。スリルとサスペンスが好きなんだ、きっと。
 謎めいたことを言うな、と見返しましたが均は石ころを蹴りながら地面を見つめているのでした。どういう意味、と尋ねようとしていると門の前に着いています。軽トラックのエンジンをかけっぱなしにして君江が待っていました。
 じゃあね、
 とトラックの助手席に乗り込み窓を開けて顔を出すとマルクスが吠えました。均の瞳は虚ろで、仮面が剥げ落ちたような空虚な表情でした。燃え尽きようとしている夏の輝きの中で彼の双眸だけが暗黒を宿しています。不気味ですらありました。ちなみが手を振ると慌てて手を上げて返事をします。ロボットのようにぎこちない彼の挨拶がトラックの巻き上げる砂埃にまみれ、木々の間に小さくなって見えなくなるまでちなみはずっと見守り続けたのでした。マルクスの吠え声だけがいつまでも耳朶に木霊しています。いつものように一回だけではなく、繰り返し吠えていたのです。

 6鏡の底
 埼玉の自宅に到着すると、芳郎はテレビの前に横になり、座布団で枕を作り、いびきをかいて寝ていました。目を覚ますと、
 いろいろ大変だったな、
 と他人事のように言うのでした。家中が散らかっています。お母さんは? と尋ねると出て行った、と答えます。いつ帰ってくるの、と尋ねてもさあな、と表情を変えないまま俯いています。
 夜になると近所のそば屋から店屋物をとりました。
 テレビは野球中継がかしましい音を立てていましたが、九時になるとチャンネルを変えました。芳郎の携わった番組が放送されたのです。
 本物の幽霊が映っているビデオ
 夏休みの学校で聞こえる子供の声
 夜毎に戦国時代の武将が現れる工事現場
 タイトルだけ並べるといかにも陳腐で笑えますが、その頃は夏になると季節ものということなのか、どのチャンネルでも怪談の特番が組まれていたものです。画面では青色の照明をあてられた俳優たちがものすごい表情で逃げ惑う人々を追い回し、おどろおどろしい音楽が鳴り響いています。
 お化けって本当にいるの?
 思わずちなみが尋ねると、酸化と還元について習ったか、と芳郎は返すのです。
 酸化とは物質が酸素と反応して酸化物になること。より正確には電子を奪われる反応。還元はその逆。身近な例をあげれば錆は酸化反応で、鉄のような硬質な金属も表面から侵されていつの間にかボロボロになってしまう。燃焼も酸化現象で、錆がゆっくりと行う反応を短く、激しいエネルギーを生み出しながら遂行する。さらに動物や人間が食物からエネルギーを取り出すATP回路も酸化反応の一つなのです。
 だからな、あくまでもたとえ話だけど、と芳郎は含み笑いを浮かべながら娘に答えるのです。
 エネルギーを産んで命を育むのが酸化反応ならば、幽霊ってのは還元的なものじゃないかって思うのだよ。酸化と反対にエネルギーを放出して消えていく作用だ。人間が土に還っていくときに立ち昇る幻ってことさ。祟りなんていうのは臆病な奴が作り上げたお話でね。幽霊なんていない。なにかが見えたとしても連中が思っているような霊的なものではない。単なる化学反応だと父さんは考えている、そう教えてくれました。
 わかったようなわからないような話です。
 ちなみがドライブインの声についてためらいがちに告げると、最初は神妙な表情で聞いていましたが、
 それで、ドアを開けてみなかったのか?
 と聞くのです。開けなかった、と答えると、それは良かった、と言うではないですか。その子には悪いけど百パーセント亡くなったお母さんではないよ。幽霊なんかじゃない。どうせ暴走族かチンピラのたまり場だろう。幽霊よりずっと怖いぞ。最近、学校が荒れて物騒らしいな。昔の不良と違って今の奴らは仁義がないだろう。廃墟は危ないぞ。お前みたいのが見つかったらたちまち餌食さ。覚えておけよ。幽霊は怖くない。本当に怖いのは生身の人間だ、と強調するのです。
 そんなふうに決め付けられてしまったので、結局、人型の蛍の光については口にしませんでした。少なくともあれは人間ではなかった、ちなみはそう信じています。

 後になってちなみの夫となった沢井は、加奈の話を聞いて一度は自分も死後の世界を確信したのだ、と語ったものです。沢井は大学を出たての芳郎の後輩で臨死体験の特別番組を企画していました。ちなみは高校生になっていましたから、加奈の事故から三年くらいは経過していたはずですが、それでもどうしても本人から証言を取りたい、と埼玉の自宅まで乗り込んできたのです。目元がくっきりした印象ではきはきとしたしゃべり方が誠意を感じさせました。
 とにかく謎を究明したい。
 それが彼の情熱なのです。テレビは力のあるメディアだから、作り手が本気になれば成果は出るはずだ。それも視聴率のための演出ではなく、あくまでも科学的に正しい方法で。ベテランの芳郎は若者の前のめりの思い込みをあざ笑うのかと思っていましたが、そういうわけでもないようです。腕を組んだまま番組の構成をじっと聞くのです。事故の後、一命を取り留めた加奈は、教職を正式に辞して軽井沢に近い佐久市の養老施設で働いていると聞いていました。
 とにかく会わせてもらえませんか、
 と頼みこむ沢井を芳郎は適当にあしらいます。テレビ屋の身内ネタはご法度だよ、と説教して済まそうとしていました。けだし面倒くさかったというのが真相でしょう。沢井はそんなことでは折れませんでした。あれこれ言い募りいっこうに引き上げようとはしません。ついには酒の勢いもあってか、どうしてもっていうのならこいつを付き添いに連れていけ、とちなみを指名したのです。妹は精神状態が不安定だから、と。
 驚いたのはちなみのほうでした。
 叔母とはあれ以来、会ってもいないし、まして高校生の自分にテレビの取材に同行するだけの責任能力などあろうはずもありません。父親の意図がわからないのです。あたしなんて、と断りかけるのですが、沢井にまでお願いします、と頭を下げられて困惑しました。確かに知らない人間よりも、身近な、しかも同性であるお嬢さんが一緒にいてくれたらとても助かります、と。
いつの間にか話は決まっていたのでした。
 開業したばかりの長野新幹線に乗って出かけたのは春のまだ浅い季節でした。佐久平という駅まで一時間半くらいでついてしまうのです。車窓を飛ぶようにして流れる景色に呆然としました。難所であった碓氷峠もトンネルであっけなく通過し、抜けた途端にところどころ雪の残る軽井沢に着くのでした。白い冠をかぶった浅間山の姿も眺められ、思わず感嘆の声を上げるのでした。
 加奈が働いている養老施設は駅からタクシーで二十分ほど、市の中心部からはずれた蓼科山系の裾野に広がる高台に位置していました。私的な財団法人の運営で比較的恵まれた経営環境にあるようです。
 広い敷地に三階建ての建物が横たわり、玄関には屋根のついた車寄せがあります。車を降りると受付に向かいました。沢井は慣れた様子で笑顔を振りまき、すぐに応接室に通されます。こうした施設にありがちな機能的な冷たい感じはなく、廊下などもすべて板張りで暖かい囲気でした。金融機関の保養施設を買い取り改装したのだそうです。道理で立派なわけです。
現れた加奈のやつれた様子にちなみは愕然としました。
 あら、久しぶりね、と笑顔を浮かべようとするのですがどこかぎこちなく、頬の端にひっかかるような様子です。髪の毛は艶を失っているし、顔の輪郭が緩んでしまったような印象を受けました。まだ四十歳にもなっていなかったわけで、老けるには早すぎました。仕事上の苦労が多いのでしょうか。溌剌としていた生命の輝きが失われていると感じたのです。
本人は取材など受ける気はなかったようですが、兄の芳郎の頼みで断りきれなかったといったところでしょうか。
 沢井は快活な口調で、まず職務の内容について尋ねています。入所者たちに重度の症状を持つ人は少なく、日常生活の支援が主な仕事のようでした。老人たちに人気のテレビ番組は? などと当たり障りのない話題で場を和ませていましたが、
やはり事故にあわれて、こうした施設に勤めようとお考えになったのですか、
と本題を切り出します。はい、と加奈はっきり答えました。あたしは教師でしたが、自分には子供を教える資格がないと悟ったのです。違う方法で人のためになることをしなければなりませんでした。その答えがここです、と。
 どうして資格がないのです?
 と重ねて尋ねるのですが肩をすくめるばかりです。そんなそっけない仕草を以前の叔母はしなかったはずだ、とちなみは考えます。
辛いかもしれませんが可能でしたら事故の体験を覚えている限り教えてくれませんか、と沢井はポイントを変えながら質問を続けていきます。
 天罰です、
 と加奈は答えました。ちなみははっとして顔を上げます。罰?
 ええ。あたしは道に外れた行いをくり返していました。この辺にしとけ、そう教えられたのです、と。
 しかも、あの晩は酒を飲んでいた、と続けるのです。スピードも出ていたかもしれない。街灯はまばらで道路は暗く、身を乗り出すようにしてハンドルを握り締め、前方を見つめていた。いくらふり払っても墨のような闇が噴き出して視界は悪かった。目の前に人影が飛び出し、あっ、と思ってハンドルを切った。そして車ごと田んぼに転落した、
そういう話なのです。飲酒とか人影とか初めて聞く要素もあり、ちなみは耳を疑いました。
 誰かが路上にいたと?
 ええ、と加奈は頷きます。その人はどうなったのですか? 知りません。答えながら叔母の瞳の焦点は遠いところへぼかされてしまったようでした。
地の底に落ちたような感覚で、加奈が気がつくと目の前には階段があったというのです。全身がだるいのですが階段を昇らないといけない。やっと人がすれ違えるほどの幅しかないのに手すりもなく、もたもたしていると脇を追い抜く人がいるのです。見上げれば行列がはてしなく続いていたと。足が震えてもうだめか、と思ったとき、背後から押し出されるようにして白い空間に出た、という話は以前、祖母の君江から聞いたものとほぼ同じでした。
 それがお父さまだったと?
 身を乗り出した沢井を加奈はじっと見つめ返します。加奈の顔は無表情で人形のようだった、と後に沢井は回想しています。
 いいえ、
 と声は虚ろに響きます。よく覚えていないのです、と。でも事故の直後、意識を失っている間にお父様に会ったとお話したのでは、と追求すると、あれは母を安心させるための作り話でした、と言うではないですか。当然、株券の隠し場所についての伝言も同様ということになってきます。沢井は目に見えて落胆した様子でした。せっかく臨死体験の証拠を得られると思ったのにはっきりと否定されてしまったのです。 
 いつもそうなんだ、と彼は語っていました。取材で成果を出すのは簡単ではない。犯罪の捜査と同様、曖昧な記憶の階梯を伝っていくのだが、肝心のところで証拠をつかみ損ねる。梯子ははずされて結論は先送りになる。だからこそ面白いとも言えるのだがもどかしい。
 では、臨死体験についてどう思いますか?
 と改めて尋ねると、自分の体験ではありませんが死後の世界は確実に存在します、そう加奈は言い切るのでした。
 確実に? なぜです。
 知りたければ、来月、また来てください。
 来月?
 ええ、ある方の命日です、
 そう告げて彼女は席を立つのでした。あたかも連続ドラマの予告編のように会話は断片のまま打ち切りとなります。立ち去る加奈を中腰になって見送りながら沢井は狐につままれたような表情になっています。
 なんだ、あれは? 
 思わずそんなセリフが漏れたのでした。叔母さんはいつもあんなふうなのか、と問われてもちなみには返す言葉もありません。

 帰りがけ、加奈は沢井に送ってもらい祖母の家に立ち寄りました。久しぶりだったので懐かしさがこみ上げてくるのですが、門は思っていたよりも小さく見えるし、玄関のタイルの一部がはがれていて、ドアも板の色が褪せています。なんだかみすぼらしく寂しいのでした。ちなみがタクシーから降りると、僕はここで、と沢井はそのまま先に帰ってしまいます。
 ベルを押すと君江はいつものように絵を描いていたのか、パレットを手にしたまま出てきます。ちなみの顔を見ると、口を大きく開けて驚き、笑いました。
あんた、しばらく見ないうちに大きくなったねえ、と。
 どうしたの、と問われて叔母の取材の立会いで、と説明します。芳郎から電話で連絡を受けていたはずなのですがすっかり忘れていたようでした。ああ、今日だったの、と叫ぶ始末です。
上がってみると部屋は散らかっており、狭く感じられました。
 樫の木のテーブルや薪ストーブなどたたずまいは変わらないのですが、なんだか埃っぽく手入れが行き届いていない感じがします。加奈はこの家から佐久の勤務先に通っていたのですが、不規則な勤務に対応するため佐久市内にアパートを借り、一人で暮らしているのでした。君江は元来、几帳面な性質だったはずですが、独り取り残されて部屋を片付ける気力も失ってしまったのでしょうか。
 それでも日が暮れてくるとまだちょっと寒いから、と薪を運び、ストーブに火を入れてくれるのでした。ちなみはこのとき君江から火の作り方を教わります。太い薪を数本くべて焚き付けとなる細い枝をその上に交差させます。着火剤を真ん中に置いてマッチで火をともし、炎の立ち上がりを注視します。枝に火が移ったところで扉を半分くらい閉め、空気の流れを早くします。こうして焚き付けから薪へと火を回らせるのです。十分以上かかったでしょうか。
 いったん燃え上がると数時間は暖かさが持続するのです。スイッチひとつで温風が吹き出す石油ヒーターや真っ赤な光を投げてくる電気ストーブとは大きな違いでした。君江はじっと炎を見つめています。炉辺には人を安心させる作用があるようです。これも長い時間かけて祖先から伝承されてきた人間の習性なのでしょうか。
 今夜は泊まって行きなさいよ、と誘われてちなみには断ることができません。
 以前、夏を過ごした部屋には、描きかけのキャンバスや使わなくなった布団乾燥機、本や雑誌の束などが積み上げられて半ば物置になっていましたが、ベッドの周りだけ掃除すればなんとか泊まれそうでした。ランプの桃色のシェードも昔のままなのが嬉しかったのを覚えています。祖母は夕食に得意のミネストローネスープを作ってくれました。夜も更けると外の気温は零度近くまで下がってしまい、窓は結露しています。濡れておぼろにたわめられた宵闇をすかし、虚空に芽吹き始めた枝を差し伸べている木々を見やります。もう冬は終わりです。春がすぐそこまで来ているのです。そんなふうにして炉辺でスープをすするのも悪くはありません。ストーブで炎が踊りながらごうごうと鳴るほか物音一つしません。静寂の中でぼそり、と君江はつぶやくのです。
 みんな霧のせいだ、と。
 一連の不幸な出来事の原因は達郎のしたことに対する仕返しだ、と。不遜にも亡者に悪戯めいたしかけで闘いを挑んでいた父親への仕返しに娘を奪おうとしたのではないのか、と。だから達郎は加奈を助けに現われたのだ。
 ちなみは昼間、加奈から聞いたばかりの事実を告げられませんでした。まさか、あれが作り話だったなどと。ちなみが黙っていると、
 でもね、
 と君江は続けるのでした。戻ってきたのは、あれは、本当は加奈ではないの、と。
 叔母さんではない?
 そうなの。バカな話だと思うかもしれない。だけどあたしにはわかった。あれは魂の抜け殻だよ。あんたのお父さんもうすうす気がついていた。だけどどうしようもない。だから黙っていた。
 ちなみは意味を正確に理解しようと祖母の顔をじっと見つめ返しました。確かにその日、佐久で面会した加奈は以前とは変わっていると感じた。だけど別人だ、というのはどういうことなのか。人がその人であるとはどういうことなのか。
 名前でもない。顔でもない。性格でもない。
 祖母はそう説明するのです。親子だからわかる、という直感でもない。母親にしろ娘にしろ、社長とか秘書とか肩書にしろみんな仮面なのだ、というのが君江の考えでした。いつも絵を描きながらそんなことを考えていたのでしょうか。
 魂という言葉は古臭いと思うかもしれない。ただの心とも違うんだよ。どう思うかではなくてどうあるかということ。かけがいのないものなんだ。それが消えてしまったら死んだも同然のもの。心と身体とに分けて考えるとわからなくなる。どちらでもないけどどちらでもある。そういうものなのさ。目を見たらわかる。あたしはもう加奈の顔を描けないんだよ。瞳の灯が消えているからね。正直、怖いんだ。のぞきこんだら自分まで吸い込まれてしまいそうでね。
 そんな、とちなみは絶句しました。
 あなたはお父さんに似たのかしら、それともお母さん似?
君江は目を細めてちなみの顔を眺めています。どちらかというと芳郎に似たのかしら、と。自分でもそう思うのです。少なくとも自分を置いて名古屋に行ってしまった母親にはとうに親近感を覚えなくなっていました。しかしまた、父親に似ているということはその妹である加奈にもつながります。
 この家は、あたしが死んだらあなたに継いでもらいたいわ、勝手だけど、そう君江は言うのでした。あなたなら大丈夫、と。
 窓の外を見やるとあたりはいつの間にかうっすらとはだら雪に覆われています。粉砂糖をまぶしたお菓子のようでもあります。春先でもまだ降ることがあるようです。しかも雲は早々に通り過ぎたのか、月明かりがさしてきました。柔らかな白い光に包まれた森はまるでおとぎの国、絵本の世界です。
 命の始まりの気配はいったん白い輝きに冷やされて静寂のうちに広がっていました。
 翌日の朝、東京に戻る前に凍りついた道を均の家まで歩いてみました。曇っていたため、気温も上がらず息は白く漂います。木々の間に艶やかな装いの雉がいたりして驚きます。見た目の美しさとはおよそ似合わないギャァ、という叫び声を上げてものすごい速さで走っていきます。
中学生だった頃に比べれば隣の家はさほど遠くは感じません。誰もいない森にログハウスはひっそりと佇んでいます。全体に黒ずんで見え、入り口の扉が赤く塗られていたり、玄関脇に使われていない古い乗用車が放置されていたりして雰囲気は変わっていました。表札には手書きのへたくそなアルファベットで、
 Mcdagrass
 と記されています。外国人に売却したのでしょうか。アプローチは凍った雪に覆われて、雲間から薄日が差すときらきらと輝きました。均とはその後、交流はないし、鈴木家がどこに行ったのかもわかりません。

 軽井沢でも浅間山の麓、いわゆる北軽井沢と呼ばれるエリアは、旧軽井沢よりも標高があるため自然環境は厳しく、深い森に覆われています。昭和四十年代後半から「アンノン族」の隆盛や「ディスカバージャパン」のキャンペーンで、元々この地に避暑を求めて訪れていた戦前からの特権階級とは別の階層の旅行客が押し寄せるようになり、彼らにも購える手ごろな別荘地の需要が出たため、森が切り開かれ、安普請の建売別荘が多数売り出されたのです。しかし耐寒設備がない簡易な建物が大部分で、トタン葺の屋根は傷み、ウッドデッキは腐り果て雑草は繁り放題、歳月の経過と共に自然に還り、林に埋もれているのです。
 四月末、ゴールデンウィークの始まるころ、ちなみは再び沢井の依頼でこの北軽井沢に向かったのでした。今度は撮影クルーと一緒です。自宅までワゴン車が迎えに来て、カメラマンの佐藤公男とビデオエンジニアの桑畑茂一を紹介されました。佐藤は長身の体躯を本革のベストに包み、顎鬚を蓄えた堀の深い顔立ちで、いかにも業界人らしい威圧感がありました。一方の桑畑はくたびれたジャンバーを着込んだ愛想のいい小太りのおじさんでした。桑畑の運転で関越道を北に向かいます。ちなみは後部座席、沢井の横に座らされましたが、古びた業務用のワゴン車は乗り心地がいいとは言いがたく、しばらくするとお尻が痛くなるのでした。沢井によると加奈は死後の世界が存在する証拠を撮影できる場所に案内してくれるとのことでした。スタッフたちがどこまで真面目なのかわかりませんが、妙な期待感が高まっていたのは確かです。
加奈は軽井沢駅の駐車場で待っていました。自ら軽自動車を運転しながら案内してくれたのが、  北軽井沢の寂れた別荘地の一つだったのです。
 県道から山道に入り、坂を上がっていくと、入り口のゲートがありました。鎖が掛けられ「関係者以外立ち入り禁止」の札が立てられています。看板も錆び付いて今にも崩れそうでした。脇に立っている管理人用の小屋は屋根板が朽ち果て、窓ガラスは割れており完全に廃墟の様相を呈しています。
 この北佐久興産という会社は現存しません、
 と車を降りた加奈は札を示しながら沢井たちに説明しています。分譲したのは建売別荘と更地の区画合わせて約八十。半分ほどが売れました。北佐久興産がつぶれた後、債権者が売れ残った別荘を会員制のリゾートとして運用しようとしましたがこれも頓挫し、以来、塩漬けになっています。管理会社も撤退し、施設は荒れるに任されているようです。会員制リゾートの整備を請け負った上田市の業者が自殺した、という縁起の悪いおまけもついています。
 その日は晴天で、敷地内の木漏れ日が道の上に踊り、小鳥のさえずりが響き渡りのどかな光景でした。ロケハン、つまり下見ということでしたが、佐藤はカメラをかついで撮影の準備をしています。
 ゲートがあり鎖が自動車の侵入を防いでいましたが脇の草むらに道がついており徒歩で入るのは簡単です。歩き始めると最初は左手にテニスコートの跡もあります。青々とした芽がいっせいに伸び始めてまぶしいばかりでした。反対側には朽ちかけた木造の建物があり、管理会社の事務所のようでした。錆びついたジープが一台、捨てられています。傍らには洗濯機や冷蔵庫など廃棄物が積まれており廃墟特有の雰囲気を醸していました。アスファルトを割り、隙間から伸びている植物。ガラスが割れて虚ろな内部を黒々と晒している別荘の窓。草むらからすばやい影がよぎり、木の幹を駆け上っていくリス。加奈はこうしたものへわき目も振らずにどんどん進み、佐藤がカメラを回しながらつき従います。
 途中で背が高く幹の太いくぬぎの古木があり、道路はそれを迂回したところで二股に分かれていました。舗装も終わり、あとは水溜りだらけの荒れた路面となっています。
目指しているのは加奈が勤務先の施設で最後を看取った坂井氏の家で、退職した後、夫婦で住んでいたのだそうです。夫人が先に亡くなり、坂井は一人で暮らすものもままならなくなり佐久の施設に移ったとのことでした。
 あれよ、
 と加奈が指したのは洋館風の木造住宅です。堂々とした門柱が浅間石で作られ、砂利を敷いたアプローチが取られていました。屋根が大きく二階にはドーマーが設けられています。壁面は淡いグレーに塗られていますが、塗装が剥離して下地がむき出しになっている部分も多々ありました。
 いいねえ、いかにも出そうだ、と呟いたのは佐藤です。沢井はしっ、と不謹慎な発言をたしなめましたが加奈はお構いなしの様子で、門柱に巻かれていた鎖をはずします。錆び付いている門扉はなかなか動かないので沢井たちも一緒に押すと少しずつ開きました。
 家の周りは草ぼうぼうで、歩くのも困難ですが獣道のように細い通路ができています。ポーチには屋根がついており玄関はさほど傷んではいませんでした。加奈は生前、坂井氏から合鍵のありかを聞いていたとのことで慣れた様子で玄関脇の植木鉢を少し持ち上げ、その下から取り出した鍵で解錠します。
 きしみもたてずにドアは開きました。
 蒸れた臭気が満ちていましたが耐え難いというほどでもありません。子供の頃、小学校の木造校舎に漂っていたような、埃と土と塗装のニスが交じり合ったようなどこか懐かしい匂いです。先頭に立つ加奈はステンドガラスのはまった扉を開いてリビングに入りました。
古風な館とでも呼ぶべきでしょうか。正面にはレンガ積みの立派な暖炉がありヨーロッパのお屋敷のようです。恐らくこれがないと寒さが凌げないのでしょう。炉内は煤で黒く染まり、十分な貫禄が感じられました。暖炉の上には鏡が張られ、金で飾られた時計が置いてあります。ソファやテーブルなど大きな家具には埃除けの白い布が掛けられており、主の長期にわたる不在を告げています。
 坂井さんご夫婦は数年間、この家で暮らしていました。でも奥様は体調を崩し、東京の病院で亡くなられました。坂井さんはここに戻られて、しばらくは一人で暮らしていました。二人の趣味はガラス細工で、ステンドグラスをいくつも作成していました。室内の間仕切りはもちろん、ランプシェード、時計、小物入れなどいろんな品物を作っていました。あたしもいただいたランプを今も使っています、
 そんなふうに加奈は説明します。
 一人、ここで暮らしているうちに、ご主人は奥様がいないことを忘れてしまったらしいのです。現実を受け入れられなかったのでしょう。施設に入所してからも、あたかもすぐ脇に亡くなった夫人がいるかのように振舞っていらして、時には痛々しく、滑稽でしたがあまりにもリアルで怖いほどでした。ついには奥様に会いたいのでどうしても自宅に一度、戻りたいと主張して施設のスタッフと一緒にここまで戻ったこともありました。担当医師が、なるべく本人の希望通りにしたほうがいい、と助言したからですけど、
 そう加奈は回想します。
 家に入ると坂井はまず二階にあるアトリエで加奈に作りかけのステンドグラスを示し、作業手順などを嬉しそうに説明してくれたのだそうです。施設にいるときとは別人のように元気な様子で、入所の必要などないように見えました。しかし、本当の目的は暖炉でした。どうしても火をくべたい、というのです。薪が残っていましたので、みんなで協力して火入れしたのでした。最初はくすぶっていた古い薪からいったん火がつくと大きな炎となって立ち上がります。坂井はロッキングチェアに座りそれを満足げに見つめて揺れていましたが、しばらくして、
 もうすぐですよ、
 と告げるのでした。もうすぐ? そう。愚妻が戻りますから、と。加奈とスタッフは顔を見合わせました。やはり始まってしまったか、そう目と目で合図したのです。しかし、どういうわけかあたりが暗くなり、炎が揺れて際立ちます。
 雨が降り始めたようでした。
 加奈はそのとき暖炉の上の鏡に黒い影が映っているのを見たというのです。坂井はすくっと立ち上がり、弘子、と妻の名前を呼びました。そして暖炉に近づくのです。
 危ないですよ、
 と声をかけましたが、坂井は目をらんらんと輝かせて手を差し伸べました。轟音とともに炎が炉内から噴き出していました。だめです、と同行していた施設のスタッフが背後から抱きついて止めなければ火が燃え移っていたかもしれません。坂井は尚も手を伸ばしながら暴れました。咄嗟の判断で加奈は台所に走り水をバケツに汲んで暖炉の炎にぶちまけました。あたりに白い煙が充満し、火は収まりましたが、坂井は呆然として妻の名前を呼び続けていたと言います。
 とても悲しかった、と加奈は回想するのです。
 だけどそれがなぜなのかわかりませんでした。坂井が呆けてしまったからなのか、現れかけた妻の幻を自分が消してしまったのか、そもそも誰もいなかったからなのか。
亡くなる直前、坂井は合鍵のありかを加奈に教えたというのです。
 お願いがあるのです、と。たまにあの家に行って、弘子の供養をしてあげてください、と。暖炉の炎を炊くだけでいいのです。それがメッセージとなるのです。自分たちはあなたのことを忘れていない、という合図なのです、そう語るのでした。あそこには秘密がある。暖炉が暖まると、鏡の底に通路が開く。通り抜けることはできないはずだがかつてそこにいた人の姿が映るのだ、と。
 わかりました、
 そう加奈が請合うと、坂井は安心して微笑んだそうです。約束ですよ。私自身もあなたに再会できるかもしれません。そのときはお礼を致します、と。
 沢井たちは目を皿のようにしてこの話を聞いていましたが、つまり、今日はそのために、坂井さんの弔いのためにここに来たのですね? と尋ねました。
 そうです。坂井さんの命日なのです。
 加奈はそそくさと居間の奥の扉を開け、ウッドデッキの隅に積まれている薪を暖炉に運び始めます。面白くなってきた、と佐藤がレンズを向けると、桑畑は室内が暗いためか照明を炊きました。沢井が慌てて手を貸しています。
 着荷剤を並べてライターで灯をともすと、ちろちろと小さな炎が太い薪の間で踊り、煙が出始めます。やがてそれが薪に燃え移り、赤い光を放ち始めます。妙に火の回りが早いな、とちなみは感じました。祖母に教わったときはもっと時間がかかったと記憶していたのです。
あたしは思い出したんです、
 と加奈は語り続けます。坂井さんは恩返しをしてくれる、と言いました。だから自分が会いたい人も一緒に呼び出してもらおうとしたのです、と。
 会いたい人?
 ええ。事故で亡くした人です。
 この答えを聞いてちなみはいぶかしみました。自分が引き起こした事故のことだろうか。あれは単独事故でなかったのか。それとも叔母が路上で目撃したという人影のことか。だとしたら叔母は人をひき殺したのか。いや、そんなはずもありません。巻き込まれた歩行者、車両、同乗者いずれもなかったはずなのです。
では誰なのか?

 本来、人は自由であるべきです。
 しかし往々にして束縛を求めてしまいます。自分とは誰なのか、証明してくれるよう他人に答えを求めます。すると役割が与えられます。肩書きと呼んでもいいでしょうか。役割が決まっていれば楽なのです。己が必要とされていることを感じるため、物語を編み出し自らを納得させることもできます。そうでもしないと不安を覚えてしまうから。人間はどこから来て、どこへ行くのか。なにを成すべきなのか、できるのか。あらかじめ答えが定まっているわけではないのです。
この不安を利用していたずらに人の心を動揺させ、弱みに付け込んで支配しようとする勢力も古くから存在しています。権力の特質と言ってもいいのです。役割を固定化し、権益を恒常化する組織です。代償として被支配者には一定の安寧を与えるのです。
 騙されてはいけません。わからないこと自体は当たり前なのです。恐れることはない。それでも、もしかすると自分だけが大切なものを喪失したのかもしれない、損するかもしれない、という疑念が人を不安に駆り立てるのです。
 こうした心配に打ち克つのは困難です。
 どんなに自信を持っている人でも、もしや、という一抹の疑念に捕らわれたら最後、あっという間に不安の虜になってしまう。可能性は常に無限であり巨大な宇宙の前で人は小さい。扇動者はこうしたイメージを利用して感覚的にアピールし、梃子のように少ない力で群衆を動かすのです。
 ちなみの父親の芳郎がテレビ番組の演出で利用している力学と同じです。
 対抗手段としては、人為を離れて自然を観察するしかないのでしょう。自然界には生産者、消費者、分解者がある。太陽の光から植物が栄養素を作り、それを食して生きる動物がいます。動物の内部でも食う、食われるの連鎖があり、頂点に立つのは人間です。そしてこれら動植物の遺体を解体し、元に戻すのが菌類。こうして自然は循環しているのです。
 ここにも役割分担はありますが支配構造はありません。食うものは食われるものを支配できません。むしろ依存しているのです。その場、その場で闘いはあっても最終的にはすべてが元に戻るだけなのです。自ずから成り、そして消滅する。これが真相です。世の東西を問わず、古代から賢人たちは気がついていたのです。自然について知ることで、他人が考え出した物語の嘘を見破り、束縛を離脱できるはずです。

 火が燃え盛ると加奈は放心したように暖炉に近寄ったのでした。
 両腕を鏡へと差し向けて、頬から涙を伝わせています。ただならぬ気配にちなみも鏡を覗き込むのですが、図像は暗く翳って判然としません。
 赤ちゃんだ、
 と沢井は叫びました。赤ちゃん? 加奈さん、あなたが会いたがっているのは事故の際、あなたのお腹にいたお子さんですね、と。
 ちなみは激しい動揺を覚えました。これもまた初耳だったからです。叔母さんに子供が? 妊娠していたといいうことか? いろいろなことが思い浮かびます。あの晩、なぜ自分は病室から遠ざけられていたのか。その上、翌日には埼玉の自宅に戻るよう言い渡された。その理由は? 君江の表情、芳郎の態度、そして当の叔母の変容。すべてがつながって万華鏡のように回転し始めます。隠されていた大人たちの秘密が時間の経過と共に次第に解かれて目の前に立ち現れようとしているのです。
 暖炉の前の加奈は我が子を抱きしめようと鏡に手を触れるのでした。そう、名前さえ授かることなく消えたはかない命をすくいとろうとして。
 冷たいガラスの板に通路が開けるのでしょうか?
 いいえ、そんなはずもありません。暖炉の薪が轟音とともに燃え上がるだけです。沢井は加奈の治療に当たった医師に取材して詳細を把握していました。彼女は懐妊しており父親は不明。飲酒の上での速度超過とくれば自暴自棄になった上での自殺行為だったのではないのか、そんなふうにも考えられました。医師によれば、胎児を助けるのは到底不可能で、母親も危ないところだった、というのです。
 行けば帰ることのできない道があるのです。
 加奈はそれを通り抜けようとしたが超えられなかった。 だから今、再び禁断の扉を開いて、失ったものを取り戻そうとしているのではないのか。いずれにせよ、叶わぬ思いなのです。ひとたび冥土の旅路に発った者は決して戻りません。どんな特権をもってしても時間を巻き戻すことはできないのです。欲望を封じ、耐え忍び、忘れること。そのために弔いの儀式があるのです。現代ではおろそかにされている作法の一つかもしれません。儀礼を繰り返すことによって過去を丁重に葬るのです。しかし、加奈は妄念に突き動かされ、知恵に従うことはできないのでした。
 びしっ、と鈍い音が響いて彼女の指先が触れた鏡の中央に大きなひび割れが走ります。
 沢井が驚嘆して後ずさりします。加奈は暖炉の前にくず折れてしまいました。ちなみは慌てて叔母を炉辺から引き離そうとします。見上げれば鏡は黒ずんだ渦を描いてそこにありました。縦に走ったひび割れだけが鈍く輝きなにも写っていない、そのことが異様であり、底知れない恐怖を覚えるのでした。
 
 ハイ、カット!
 佐藤が叫びました。まるで場違いな声なので、目の前で起こったことはすべてドラマの一場面だったのではないか、と思ったほどです。
 沢井も表向きは加奈の様子を気遣っていましたが、本当は撮影内容を気にしていたのかもしれません。佐藤が親指をたてOKの合図をしているのをちなみは見逃しませんでした。彼らにとっては、番組の演出が最優先事項なのです。これこそ芳郎が強調していた視聴者を手玉に取るからくりなのだ、と改めて思い知らされるのでした。なんて人たちなの、と怒りがこみ上げる反面、テープに記録された映像はどうなっているのか、という好奇心も抑え切れません。
 加奈はすぐに気を取り戻しました。そして彼女までか言うのです。あなたたち、証拠は撮れましたか? と。確認させて欲しいと言うのです。つまりビデオを見せろ、と。
 佐藤は黙ってカメラを床に下ろします。沢井に促された桑畑がリビングの隅の小さなテーブルに業務用のモニターを設置し、再生デッキにカメラから取り出したテープを入れると撮影したばかりの映像がプレビューされました。
 小さな画面に水色の影が動きます。モノクロ画像で音は聞こえません。暖炉の炎や鏡の中の加奈の姿が見えてきます。腕と腕が鏡面で触れあい、闇を掻き分け、なにかをつかみ取ろうと指がねじ曲げられています。
 ああっ、
 と叫んだには桑畑でした。すばやい操作で再生を止め、画面を戻します。ここになにかある、と。静止した映像の中で加奈の腕が中央部に差し出されています。その上に白い影のようなものが浮かんでおり、桑畑の太くて短い指が示す姿は顔のように見えなくもありません。
 加奈と沢井は画面に顔を近づけてじっと見つめています。
 あそこには誰かがいたのですか。
 ちなみは後々、何度も沢井に確認するのでしたが、明快な答えは得られませんでした。気配はあった。しかし確認することはできません。イメージに過ぎないのです。画像はすべてが実在とは限りません。古い鏡が割れた、ということだけが現実です。暖炉の火を必要以上に大きく炊いたので、伝わった熱の影響で冷えていた金属製の縁とガラス、裏に蒸着させてある水銀の膨張率の違いからひびか入ったのだろう、と芳郎は説明しました。例によって科学的な見解です。白い顔は室内の他の物体が映ってたまたま顔の造作に見えた、あるいは割れた鏡の偏光やノイズ、外光の影響などさまざまな理由も考えられると。
 道は幾重にも輻輳していました。
 加奈が暴走行為の果てに開こうとした悔恨の通路を、愛妻を失った坂井氏が導き、鏡の奥ではこの世ならぬ業火がはぜている。鈴木均は父親が大切にしていた時の縁から「時間」を盗み、犠牲として捧げた上、母の声を聞こうと耳をそばだてたが、扉は開かない。その母親は蛍の光となって森の暗がりから呼びかけ、君江は達郎の口笛が霧の彼方に響いていると信じている。ちなみの目の前でそれらの化生がまばゆく変幻し、正体のわからないまま迫ってくる。どちらへ逃れようとしても執拗につきまとい、マルクスだけが警告するように吠えている。父親の芳郎は理詰めで解決するよう勧めるが、決して自分は娘の歩む道に立ち入らないし、母親は遠い土地へ去ってしまった。
 迷路に惑わないで済んだのは沢井のおかげでした。
 道は繰り返すものだ、と教えてくれたのです。人それぞれが歩むもので、一つとして同じ道はない。だけど他人が歩いた道をたどることはできる。大勢の先達が試行錯誤しながら進んだ痕跡を探しながら新しい一歩を踏み続ける、これが人間なのだ、と。似ていても同じではない。
尚も不安なら誰かと手を取り合って歩むこともできる。そして融合した道はいつか必ず別れる。いつまでも一緒ではないのです。では、はたして道のたどりつく場所は? これが大切なのだ。この世には外部があるのかないのか。
 そんなふうに沢井は問い続けるのです。誰しもいつかは死ぬ。その後はあるのか。それとも消滅なのか。人の知らない未知の世界はあるのか。それともなにもないのか。神のような存在がすべてを決めているのか。それとも誰もいないのか。
 外部がないとしたら内部だけになります。
 閉じられた空間は息苦しいのではないのか? だから外部を求めてしまうのではないのか。古来、人々は神や仏といった超越的な存在を信じてきました。そうしないと耐えられなかったからです。科学的知識が常識となり、宗教は力を弱めました。それでも消えたわけではない。誰しも外部があると信じたいのです。
 では神や仏は、時空を超越した永遠の存在なのか。静止した真実なのか。それとも時代とともに変化してしまうものなのか。時間には終りはあるのか。それとも無限なのか。こうした問いかけは哲学者たちが連綿と問い続けてきたものです。
 答えは出ません。
 信じるか信じないのか、それだけなのです。

 加奈はテープのダビングを沢井に依頼しました。放送用に収録したものを安易にコピーしてはいけないことになっていると表向きは断わりながらも、家の内部で撮影した部分だけは確認のために後で送ります、と沢井が約束すると加奈は納得したようでした。
 あの人は憑かれていますね、
 沢井は帰途の車中でそう言いました。高速道路に等間隔で並ぶオレンジ色のナトリウム灯が彼の秀でた額を照らし出していたのをちなみは覚えています。その横顔がかっこいい、と思ったことも。
 叔母さんが? 憑かれている?
 ええ。自分で自分をコントロールできない状況に陥っているのですよ。そしていつも暗い面ばかりを見てしまう。ほんの少したたずめば別の面にも気がつくのに、我慢できないで先に行ってしまう。そして深みにはまり込んでしまうのです、
 そう指摘するのでした。
 カメラマンの佐藤がため息をつきます。どうやら空振りだったな、と。そんなことないよ、と運転席の桑畑は叫びます。あの画は十分、使えるよ。
 誰も返事をしないので議論はすぐに途絶えました。
 行楽日和だったためか交通量が多く、東京方面は帰途の車のテールランプが数珠繋ぎでのろのろ運転です。川越インターを出る頃、あたりはとっぷりと暮れており街道筋のラーメン屋に入って夕食を御馳走になりました。沢井はちなみが勉強している簿記についてあれこれ尋ね、佐藤は自分の娘がそろばん塾の珠算コンテストで一位になったことを自慢し、桑畑は競馬のG1レースの組み合わせ必勝法を数学的に試みていると告白します。みんなその日の体験を忘れ、避けようとしているかのようでした。
 待てよ、と沢井は団地にちなみを送った帰り際、言うのでした。
 叔母さんをあの世の階段からこの世へと押し戻したのは、お父さんではないとしたら誰だったのか?
 ちなみは暗がりで沢井を見返しました。
 つまり、その日、姿を現しかけた赤子だったのではないのか。加奈は我が子と引き換えに自分は死を免れた、そう考えているのではないのか。
 重々しい沈黙だけが残ります。
 結局、加奈の体験は番組では採用されませんでした。沢井は放送が終わった後、有名な菓子店のケーキとテレビ局の人に買わされた映画のチケットを持ってやってきました。取材が役に立たず、ボツになったことをしきりに詫びるのですがちなみとしてはかえってよかったと思うのでした。罰としてこの映画に連れてってください、と言うと沢井は驚いたような顔をして、僕が? とどもるのでした。動物のドキュメンタリーで彼には興味ないテーマだったのでしょう。
 二人で連れだって新宿の映画館に出かけたのもずいぶん昔のことになり懐かしい思い出です。

 加奈は沢井が見破ったとおり、方途を失っていました。
 連休が明けてしばらくたったころ、軽井沢では晴天が続き、一年で一番気持ちのいい季節を迎えていました。いつものように君江は絵を描いて一日を過ごし、夕暮れになったので部屋に入って片付けものをしていると庭に人の気配が訪れたのでした。誰だろう、とのぞくのですが見つけられません。しばらくして玄関の扉をたたく音がして加奈が立っていたそうです。
 ただいま、
 とあたかもその日の朝、出て行ったかのように。あら久しぶりね、と君江はあえてなにも質問せずに家に入れたそうです。
 加奈はお腹すいたわ、とテーブルに座り込んでしまったというのです。
 あんた、仕事はもう終わったの?
 と尋ねるとわからない、と答えたのだそうです。君江は娘がまともな状態ではない、と悟りました。彼女は帰ってきたのです。受け入れられない過去を消去しようとして母親のところへ逃げてきた、そういうことだろう、と考えました。二人はさっそく一緒に台所に立ち、ミネストローネスープを作ったそうです。それはとても奇妙な時間で、過去でも現在でもなく、むしろあり得ない未来であるかのような、宇宙の彼方に漂っている一つの可能性に過ぎないような、そんな夜だったそうです。
 翌朝、加奈が消えていたとしても、それならそれでいい、と君江は思ったそうです。娘が別れに来たのだ、と納得できると。もちろん加奈は消えていませんでした。シャワーを浴びると、風呂場から裸同然の格好で出てきて、老齢の母親である君江でさえどきりとするような肢体を晒していたそうです。
 結局、養護施設での仕事はしばらく休むことになりました。施設の紹介で医師に診せましたが、脳の機能に異常はなく、なんらかのショックによって一時的に情動が不安定になっているだけだろう、との診断でした。日常生活には差し支えなかったそうです。ただ毎日、林の中をさまよい歩いていたそうです。そして半年ほど療養して彼女は佐久の職場に戻りました。

7見えないもの
 ちなみは成人してからもしばしば君江の家を訪ねました。
 祖母はいつでも歓迎してくれました。地元の産物を用意し、夏ならば炭火焼、冬ならば鍋を山盛り用意して待っています。野菜をたくさん食べるのが長生きの秘訣と称していました。
沢井と結婚した後も変わりなく迎え入れてくれました。夫婦喧嘩して泣きながら駆け込んだこともありました。あんたは父親似だけどね、母親に似ているところもある。どっか負けん気が強い。それなのに意気地がない。だからこんなことになるのさ、と軽くいなされます。だけど大したことはない、大丈夫さ、と。お父さんを見てみなよ、と。その頃、父親の芳郎は娘であるちなみとさほど年の変わらない女と同棲していたのです。こちらは数年で終わってしまう関係ではありましたが。
 つい近視眼的になってしまう彼女に君江は異なった視点を示し、客観的な立場から考えるよう誘導して救い出してくれるのです。軽井沢という東京から離れた土地も影響しています。流れている時間が違うのです。均の父親のように時間を管理し、貯めようとするのとは正反対の哲学です。自然の営みがあり、そのなすがままにまかせるしかない、放置することによって開放されるおおらかな時間でした。長い眼で見れば重大な出来事ではない、そう思うことができるのでした。
 そんな祖母でもどうしても解決できない問題は加奈でした。
 あの子はまた男に火をつけられたのよ、
 と君江は教えてくれました。放心状態で過ごしていた半年の間に、豊満な肉体と魅力的な表情を取り戻し、まずはホームセンターの従業員と付き合い始めました。妻子ある中年の男で一波乱あったそうです。ですがそのおかげで加奈は急に快活になり、昔の彼女に戻ったかのように見えたそうです。君江はほっとしながらも内心ひやひやもしていました。その後も避暑にやってきた自称実業家や地元に住みついている外国人のミュージシャンなど次々に派手な異性交友を繰り広げていました。
 幕引きはあっけないものでした。高速道路で暴走し、多重事故を引き起こし即死したのです。同乗していた交際相手も亡くなりました。二人とも飲酒の形跡が認められ、葬儀を派手に行うことは憚られました。
 埼玉の公営葬儀場でひっそりと行われた通夜に参列したのは、君江と芳郎、ちなみの他、宮原家の親戚数人だけで、実にわびしいものでした。
 青白い蛍光灯がおぼめく通夜の席で、君江はずっとうなだれたままでした。
 親不孝だよ、と遺影に向かってぽそりと呟くのです。誰も返事ができません。あたしはあんたのせいで最近、眼が見えなくなった、そんなことを言うのです。確かに加奈の行状は常識的には無軌道だったと言っていいでしょう。君江は娘の起こす事件のたびに心労を煩い、理不尽な咎を負い続けてきたわけです。いくら勝気で楽天的だとしても、轟音とともに焼却され骨と化してしまった娘の有様には無念の一言だったに違いありません。
 あれこそ業かもしれない、
 と沢井は言うのです。本人が呼び寄せたものだけど、本人だけに責が帰せられるわけではないし、かといって誰が悪いとも判定しがたい。運命と名づけて納得するしかないような生き方だと。
 この頃、君江の「霧」は軽井沢の湿原から、家へとしみこみ、さらに彼女の脳髄にまで侵入しつつありました。目が見えない、というのは視界が不良なのではなく、見えているのに見えなくなったということなのです。眼球にはなんら問題がなく、消えつつあったのは見ている君江自身の方でした。自我を束ねる同一性が弱くなり、意識は不定形な軌道を漂い始めていたのです。どちらを見ても霧がたちこめて邪魔をするため、デッサンの筆致は鈍りました。過去の残像だけが愛しさを伴って浮かび上がるのですが、つかもうとすると雲のように消えるのです。現実は謎に満ちた危険な世界になってしまいました。絵筆を動かすのも難しくなります。達郎の姿だけがくっきりと霧の彼方に佇み、励ますように微笑んでいるというのです。
 それから数年後、祖母もみまかりました。
 リビングには描きかけのカンバスが残されていました。若い頃は印象派風の色鮮やかな風景画を得意としていましたが晩年の作品はくすんだ色の抽象画が主体になっていました。抹茶色や灰鼠色の図形がいがみ合うようにして並んでいます。ちなみはどうにもそれらの絵が好きになれませんでした。
 最後の絵はアクリル画で、真ん中にくっきりと黒い馬蹄形が描かれていました。一見するとトンネルのようです。中心部分は執拗に塗りつぶされており、まるで自分が死に向かっているのを知っていたかのような印象でした。周囲には青や赤の楕円形が戯れるように置かれ、トンネルの入り口からは細いコードのようなものが伸びています。意味はわかりかねますが、コードの先端にはライオンの尻尾を思わせる黄色のふさがついていて、少し滑稽な感じもしました。
絵は見えないものを見えるようにする道具なのだ、という祖母の言葉を思い出します。描かれているのは祖母が最後に見た「見えないもの」なのです。
 ちなみはこの絵を額装し、今も自宅のリビングにかけています。最初は浅間山を描いた油絵を選んだのですが、どうにも物足りなく感じたのです。暗い抽象画は部屋の雰囲気に合わないし、ことさらこの絵は落ち着かないだろう、と片隅に追いやっていた遺作がどうしても気になりいざ壁にかけてみるとこちらのほうがずっと腑に落ちるのでした。

 均と再会できたのは二十年以上も歳月が経過した後です。場所は新橋の古いビルの地下街でした。
 ちなみが普段は訪ねないような居酒屋で、扉を開くといらっしゃい、と威勢のいい声がかかります。客はサラリーマンらしきワイシャツ姿の男ばかりで、焼き鳥の煙が立ち込めていました。
カウンターにいるはずの均の姿を探しながら開いている場所を見つけてスツールに腰を下ろします。目の前に立った店員に生ビールを注文しながら、相手の顔を見つめることもできず、このまま逃げ帰ろうかしら、と考えていました。
 枝豆をつまんで、ビールに口をつけると、
今日も暑いっすね、と店員の一人が話しかけてきました。テレビで見ただけなので自信は持てませんでしたが、それが均だと思いました。
 お客さん、近くのOLさんですか、
と聞くのでテレビで見て、と答えます。ああ、と相手は後頭部に手をやって笑いました。前の週末、街を紹介する番組で取り上げられていたのです。均は年配の芸人とのやりとりを流れるようにこなしていました。名前が表示されなければちなみも気がつかなかったかもしれません。鈴木均という文字が目に飛び込んで心臓が高鳴ったのです。年恰好も合っているし、面影もあるような気がしました。あの均ではないか、と食い入るように見つめ、テレビ局のホームページで店の情報を確認したのです。
 テレビってのはすごい影響力だね、こんな店に美人のお客さん呼んじゃうんだから、と照れたように笑います。
 あら、と口をすぼめながらもちなみは、鈴木さん、均さんですよね、と問い返します。ええ、と答えながら均は表情を変えました。まじめな顔でちなみをじっと見つめます。
 ちょっと待てよ、あなたは、と。
 そうなの、あたしよ、宮原ちなみ。子供の頃、軽井沢で隣にいた、そう言いながらバックから懐中時計を取り出しました。均はそれを見て、泣き笑いのような表情になります。ちなみは自分が勤めている会計事務所の名刺に携帯電話の番号を書き入れて差し出しました。気が向いたら時間があるときに連絡ください、と。参ったな、と後頭部を撫でながらも均は店の名物だという炭火焼の鶏肉と豆ご飯を御馳走してくれました。
 翌日の午後、さっそく電話が入り、二人は均の店の近くの喫茶店で会いました。
 びっくりしたよ、と均は笑うのです。そしてちなみが持って来た懐中時計を丁寧に検分するのでした。時計は今も動いています。
 俺にとってあの夏は遠い昔ですけど忘れられない思い出です、
 そう告げるのでした。目を細める仕草にはっとします。眉が太くりりしい男の横顔にちなみはかつてのやせ細った繊細な少年を見出そうとするのですが無理でした。
 宮原さんが急にいなくなって寂しかったですよ、
 あたしもつまらなかった。夏休みはあの日に終わってしまったって感じ。その後、もう子供の頃のように心から楽しい夏休みは二度とない。
 これは真実でした。
 あの夏を境にすべてがうまく行かなくなったとちなみは感じたものです。仕事にかまけている父親には反感ばかり覚えたし、学校ではクラスメイトと気まずくなって、クラブ活動もやめてしまいました。腹いせのように勉強しました。おかげで成績は良かったのですが、それも一刻も早く家を出て自活したいという動機に支えられてのことなのです。商業高校に進んだのも、まったく興味がなかった簿記を勉強したのも高校生でも取れる資格だからという理由からだったのでした。
 今もバファローズのファンですか?
 ええ、と均は微笑みます。よく覚えていますね、と。でもそんなに熱心ではありません。あれはもう別のチームですよ、と。
 お母さんには会えましたか。
 はあ? と均は眉をしかめます。
 蛍を見た晩、覚えていますか。人の形に蛍が群れて、あたしは怖かったです。あれがお母さんの魂なのではないかって。
 なんの話ですか?
 驚いたことに均はその夜のことをまったく覚えていないと言うのです。それどころかドライブインの声が聞こえる扉のことや加奈の帽子を発見した経緯さえもはっきりしないようでした。
 確かに廃墟で肝試ししたような、そんな記憶はありますけど。
 ここまで見事に否定されてしまうと、記憶の城郭が波に洗われてもろくも崩れてしまい、足元が宙に浮いているような浮遊感を覚えました。あれがすべて幻だなんてことがあるだろうか。歳月の経過が作り出してしまった偽の思い出なのだろうか? そんなはずはありません。そうです、きっと均のほうが記憶を糊塗しているのです。少年の心には耐えられない重みがあった、だから不都合な部分を消し去ってしまったのではないでしょうか。ちょうど高原の霧のような白いぼかしが夏休みのあちらこちらを隠し、あいまいな思い出になってしまった。そういうことではないでしょうか。
 均はコーヒーに手もつけず、じっとカップの内側を覗き込むようにしています。
あのころの俺は反抗期でした。父を否定したい一心ですべてに歯向かっていました。許せなかったのです。でもその父も亡くなりました。三年ほど前、病気でね。今は純朴過ぎた自分を反省していますよ。ガキだったなあ、って。
 均さんは大人っぽい子供に見えましたよ。
 いや、子供でした。よく言えば純真ですが、悪く言えば幼稚でした。むしろ宮原さんのほうが落ち着いた雰囲気で憧れのお姉さんでしたよ。
 その言葉に、ちなみは少し照れました。
 しかし、そこにいるのはあのときの少年少女ではなく、芥にまみれた世を渡ってきた大人の男女なのです。時間は先に進んでしまい元に戻ることはありません。過去が変更できない、これは人間の定めなのです。因果に抵抗しても無駄なのです。だからこそ変えることができる未来に向かって生きるしかないのです。
 なにかが終わればなにかが始まる。
 自分は自分にならないこともできた。そういうことです。不思議な気がします。前に進めば進むほど後退してしまう。ふり返るとそこには自分の知らない未来の自分が追って来ている。メビウスの輪のように表裏がねじれて元の場所に戻っています。
喫茶店を出ると、さようなら、と均は手を振って店へと向かいました。そろそろ出勤の時間だったのでしょう。彼に尋ねたいことはまだたくさんあるように思いました。
彼はなぜ居酒屋に勤めているのか。それともオーナーなのか。結婚はしていないのか。集めていた昆虫や父親の時計はどうしたのか。軽井沢には行かないのか。いや、そんなことはむしろどうでもいいのかもしれない。そうだ、マルクスは? あの賢い犬のことを尋ねるべきだった。そうすれば彼もスカイパークを思い出すかもしれない。ドライブインに侵入し、ドアの隙間に耳をつけ、母親の声を聞き取ろうと必死になった午後のことも。
どうしてコーヒーをすすっているときは思いつかなかったのか、と。しかし、もう二度と会わないのだろう、そうも確信できるのでした。

 ちなみが軽井沢の家を売る決意をしたのは経済的な理由だけではありません。しかし金がないのも事実でした。父親は長い間、年金を滞納していたため十分な給付を受けられず、生活費もままなりません。入院した際の治療費はほとんどちなみ夫妻の貯金でまかなったくらいです。最新の癌治療は半端ではない費用がかかるのです。
 一方、軽井沢の不動産市況は一時下落していたものの持ち直し始め、売ればそれなりの値段になりそうだとわかりました。ちなみは祖母が残してくれた家を愛していましたが、職務に忙しく、春から夏の間、二、三回行く程度でほとんど利用できません。建物の老朽化は激しく手入れしようとすれば費用が嵩むし、税金もバカになりません。夫の沢井も別荘だなんて分不相応な贅沢だと言うし、父の芳郎も売却に反対しませんでした。
仲介業者がシーズン前に売り出したほうがいいとせかすので、春のゴールデンウィーク明けに広告を出したところ、さっそく引き合いがありました。ところが見学を終えた買い手たちは一様に値引きを迫るのです。ひどい場合は半値近くを提示され、足元を見られているような不愉快な思いをしました。仲介業者は値段を下げるようアドヴァイスしましたが、ちなみは譲りませんでした。金銭のこだわりというより、大切な家を安売りすることに抵抗があったのです。夏も終りに近づきあきらめかけていた頃、言い値で買う相手が現れました。陳さん、台湾人の実業家だということでした。旧軽井沢の不動産屋で対面すると、流暢に日本語を話す穏やかな人でした。生まれてこの方、雪を見たことがなかったので、前年のクリスマスに初めて訪れた軽井沢がたいへん気に入ったとのことでした。建物が洋風なのも好みに合っていたようです。契約が無事終り、引渡しが迫った頃、片付けとお別れに、と父親と二人で出かけることになりました。
売り出しに向けて、アプローチの雑草を刈ったり、玄関周りのペンキを自分で塗り直したりもしてありましたが、家の古さは隠しようもありません。
 まるで幽霊屋敷だな、と芳郎は笑うのでした。
 ひどいわね。
 陳さんもびっくりするぞ。
 と悪戯めいたウインクなど寄越します。その頃、父親は従来の主張をすっかり変えていました。
 幽霊は実在する。
 そう宣言してはばからないのです。五十歳代で癌になり、手術をした頃から考えが変わったようです。冥界に片足を踏み入れたから、といったところでしょうか。
 お父さん、お化けとか宇宙人の番組ばかり作り続けたから、ついに自分自身が妄想にとりつかれちゃったんでしょう、とからかうとそうかもな、と真面目に答えるのです。祟りかもしれない、と。
 リビングには君江が描きかけたカンバスがいくつも放置されていました。ちなみはそれを一つずつ確認します。イーゼルや絵の具もあります。それから寝室のランプ。懐かしい品々を捨てるのには忍びありません。父親の住んでいる埼玉の団地は保管場所としては論外だし、ちなみ夫妻が西武線の沿線に借りているマンションも狭いのですが、せめてこれだけは残そうと、と運送業者を頼んでありました。
 午後になってやってきた業者は手際よくカンバスを梱包し、小型トラックに運び込みました。霧が出てきましたね、と言いながら帽子の縁に手をかけて出発の挨拶をします。
 あの霧です。
 先ほどまで晴れ渡っていたのに、いつの間にか木々の間にひんやりと湿った空気が流れ始め、小道の彼方が白く濁ってくるのです。
 庭をうろついていた芳郎は、お前、フィンランドの風習を知っているのか、と尋ねるのでした。
 フィンランド?
 そうだよ。ずいぶん前だけどね、取材でヘルシンキの近くの村に出かけたときに教えてもらったんだ。彼らは自宅と墓地の間の木の幹に死者の名前を彫る。いわば境界の印さ。死んだ人たちが懐かしがって帰ってきてもね、そこで自分の名前を見て立ち止まらざるを得ない。これ以上、戻ってはいけないと。逆にこっちからも無闇と向こう側に行ってもいけない。お互いにとっての標識さ、
 そう言って背後を顎でしゃくるのです。
 庭の隅から森へと辿っていくと、踏み固められた細い道の脇のくぬぎの古木の樹皮に、KIMIEとアルファベットで祖母の名前が記されているのでした。その先には、KANAもあります。
 お前が掘ったのではないのか、と問われてちなみは愕然としました。そんな風習は知らないし、樹木に印をつけるなんてことは想像もできないのです。だけどお前以外、誰がこんなことをするんだ? 芳郎の質問には答えられません。別荘はずっと使用されていないし、ちなみ以外に訪れる者もないのです。もしかすると、とちなみは白い霧が立ち昇っているのにも構わず森の奥に分け入りました。樹皮の表面をさぐりながら木々をたどっていきます。
 あった!
 そう叫んで芳郎を呼びます。そこにはTATSUROUと記されています。やっぱりそうよ、おばあちゃんがやったんだわ、と。祖父が舞い戻らないように名前を刻んだ。きっとそのおまじないなのです。君江はフィンランド風習を知っていたのでしょうか。あるいは芳郎が海外ロケの土産話に伝えたのかもしれません。
 そしてちなみに迷惑をかけないように、自分も含めて、死者の名前を彫ったのです。
 手を触れるとざらざらとした感触が心地よいのでした。
 木は生きています。樹皮は傷つけられた表面を回復します。ですので、いつしか掘られた名前の周りが盛り上がって文字の上を覆い始め、ついには完全に消してしまうのです。その頃には死者たちも浮世への未練を失い、大人しく冥界へと降りているのでしょう。これこそ森の民の知恵なのです。
 もしや、と思いました。この先には父親のYOSHIROUや自分のCHINAMIも掘られているのではないか。それを見てしまったら幽冥の境から戻れなくなるのではないか。
お父さん!
 慌てて叫びます。ところが芳郎が現れません。お父さん、どこにいるの?
 霧の濃さが増し目の前は白一色に染まります。右も左も、前も後ろも木々か連なっているだけです。その瞬間、恐怖を感じました。樹木の印を見つけようと一心腐乱に歩いたのでどちらから来たのかまるで方角がわからなくなっています。庭からさほど離れていないはずですが視界が数メートル程度しかなく、どちらへ歩いても森の中です。道らしき踏みしめられた地面も急に途絶えてしまい焦ります。獣道かもしれないのです。お父さん、と繰り返し声をあげましたが返事はありません。気味の悪いほど静けさが研ぎ澄まされています。落ち着け、と己に言い聞かせました。待っていれば晴れるだろう、と。
 どこかで犬の吠える声が響きました。
 人々の足音も。
 あの人たちだ、と思いました。君江が恐れていた亡者です。狩人の姿でいつまでも湿地をさ迷い、浮世への未練のままに追いかけてくるのです。境界を越えてしまったのだ、と気がつきました。せっかくの祖母の心遣いも役に立たなかったわけです。
 しかも霧は心を蝕むのです。
 加奈がそうであったように、意識の表層から次第に内面に染み込んで、その人の大切な記憶を食らい尽くしてしまいます。残るのはその場の欲望だけ。君江はそれを「抜け殻」という言葉で表していました。
 身体にまとわりつく白いガスを払うようにして、早く出なければいけない、と念じていると、前方に影が動いているのが見えました。ついに亡者がやって来たのです。黒い人型がいくつも木々の間を蠢いています。言葉は聞き取れませんがすぐ傍で話し声も響いています。
 ちなみは大きな木の幹にしゃがみこみ、目を閉じて時の過ぎるのを待ちました。そして思い出したのです。口笛だ、と。確か祖父は口笛を吹いて、あの人たちを厄払いしていた、と祖母から聞いていました。音を立てればかえって亡者を呼んでしまいそうな気もして勇気が要りました。それでも滅多に吹かないのでおぼつかない有様ながら、唇を丸め、吹いてみます。
 ちょうちょ、ちょうちょ、菜の葉にとまれ。
 菜の葉に飽いたら桜にとまれ。
 かすれた音は次第に力を得て茂みの上を流れていきます。気がつくとあたりがほんの少し明るくなっています。目を上げると天頂付近の雲が動いておぼろに太陽の姿が透けていました。
 同時に誰かがこちらを見ている気配があります。
 お父さん?
 問いかけに小さな人影が浮かんできました。長いエプロンを身につけた立ち姿に見覚えがあります。カンバスに向き合うときに君江がいつもつけていたものです。
 おばあちゃん、
 君江は笑っているような気がしました。そして背後で手をふっているのは祖父の達郎でしょうか。帽子を被った加奈らしき姿もあります。
 お別れの合図なのです。
 今度こそ、本当に行ってしまうのです。
 戻ることはありません。
 季節は巡ります。春から夏へ、秋から冬へといつまでも繰り返します。それこそが多く人の心を楽しませ、慰めるものなのです。自分たち人間はそのあわいを漂い、あるときは春の暖かさを楽しみながら己の力に過信して、夏は命の横溢を満喫し、また別のときは燃え上がる錦秋に目を眩ませながら陶然とし、ついには沈黙の冬にうなだれ、なすすべもなく通り過ぎていくのです。冬の後には春があり、似ていながらも一つ一つ、かけがえのない季節たちは同じ営みを繰り返します。しかし、人間の旅路には終点があるのです。螺旋は中空に途絶え元には戻りません。
無限へと消えていくのです。
 それが今となってははっきりとわかるのです。人間は、人の間、と書くように人と人との関係として存在しています。周囲にいる人たちとの結びつきで自分が存在している。これは否定できない事実であり根拠なのです。だからその絆がすべてほどけてしまったら、もう居場所はありません。言葉が大切だ、とも思いました。人々をつないでいるのは日々の会話ではないですか。言葉は一つ一つ、かけがえのない瞬間を表している。自分はあまりにもそれを疎かに扱ってきたのではないか。もっと心をこめて話しかければ良かったのではないのか。魔法の呪文などないのです。ありふれた単語でいい、それでも十分な力があるはずだ、そう気がつくのです。
あっという間に霧は晴れて君江や達郎の姿は幻と消えました。もちろん亡者の気配など片鱗もありません。静まり返っていた森のあちこちから小鳥のさえずりが響き始め、そよ風が曇っていた視界を掃き清めていきます。
 日がさして枝に木漏れ日が踊ると、ざわざわと草を踏み分ける音がして父親の芳郎が現れました。
 こんなところにいたのか、
 と笑います。
 今、おじいちゃんとおばあちゃんに会った、と告げると芳郎は深く頷きました。
俺の言った通りだろう、幽霊はいるのさ、と。怖がることはない。ずっと前からすぐそばにいたんだよ。夜ではなくともいつもいる。みんな気がつかないだけさ。お父さんもそうだった。長いこと、忙しさにかまけて、その上、へ理屈ばかりこねちまってしょうがない奴だったよなあ。目の前のことしか見えてなかったんだ。立ち止まると気がつくのだよ。お前もそういうことがわかる年頃なったということだね。早いものだなあ。
 そう嘆くように言い放って森の奥を見据えます。盛りを過ぎた緑はところどころ色が褪せ広葉樹は色づき始めています。幾重にも綾を成す紅葉の交響曲がまさに始まらんとしているのです。芳郎はテレビの現場で培った鋭い眼をめぐらせながら、いずれ遠くない将来、自分もたどることになる道行を思い描いているかのようでした。
 ちなみは急にわきあがってきた涙を留めることができません。なぜか後から後からとめどなく流れるのです。
 理由などない、そう思いました。
 わからなくてもいい。

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登場人物紹介

宮原ちなみ 本編の主人公。スタート時は中学二年生。

鈴木均。軽井沢の山荘の隣家の少年。亡き母親に会おうとする。

宮原加奈。ちなみの父方の叔母。奔放な性格。

宮原芳郎。ちなみの父親。テレビディレクター。幽霊やUFO、妖怪といったネタを得意とする。

沢井。芳郎の部下の若手ディレクター。臨死体験の特別番組を担当。加奈から真相を聞き出そうと熱心に取材する

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